寒さとコロナ禍のため野外スケッチは2か月ほど休んでいる。数年前に描いた油彩の気になっていた部分の手入れなどが最近の作業。その作業中に初めて油彩を教えていただいた高校美術部の伊藤政二先生の絵をあらためて見つめ直した。この油彩画は金銀が出た佐渡が島のシンボル・金北山を私の実家がある国仲平野から描いたもの(金北山は1200M弱だが海抜ゼロの平野部からはそれ以上に高く見える)。この絵の山脈の左端の相川町に今、世界文化遺産の登録をめぐって話題になっている佐渡金山がある。佐渡金山には過酷な労働現場を維持するため江戸時代には罪人だけでなく「無罪の無宿者」が百年間に1900人ちかく送り込まれたという。その理不尽な人狩りと地底の労働と暮らしは歴史書にも小説にも書かれている。しかし、朝鮮を植民地にしてからの半島の人々に対する過酷な扱いの実態は戦後まで隠ぺいされており、私も詳しくは知らなかった。当然のことながら、負の部分を隠しての文化遺産=欺瞞遺産は許されない。
伊藤先生は同じ高校で書道の先生をしていた私の父と親しかったが、父が亡くなって数年後に亡くなられた。高校で同窓の相川町出身のHさんは佐渡金山の遺構をテーマにした油彩を毎年、女流画家協会展に出品しており、上野の都美術館でお会いし絵のこと故郷のことを話すのが楽しかった。彼女も協会展に出展をやめ、ここ数年音信不通になってしまった。私には幼いころは金北山は関東の皆さんの富士山と同じで晴れやかで誇らしい山だった。今は少し寂しそうにも見える懐かしい山である。
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