少し長い引用になるが、まともだった時代の先学の研究姿勢について押さえておきたい。
どう訓むのかきちんとわからなければ、本当の理解には至らない。大意さえ汲みとればよいという態度は、最初から理解する気がないということである。窮極のところ、理解は訓詁に尽きると言っている。筆者も、後塵を拝しつつ理の当然と考え、基本的な研究姿勢として貫いている。ところが、筆者が評すれば、世の趨勢として堕落、凋落が著しい。
筆者はかなり慣れてきているから、佐竹先生ほど啞然とはしない。口をあんぐりさせるばかりである。
日本書紀を読むことにおいて、いわゆる訓読文を不要とすることについて、吉川幸次郎が尚書正義において、旧来の漢文訓読法に執着をもつ必要はないとし、新しい翻訳法を提唱した(注)ことに倣うという。尚書正義はそもそも中国の文献だから、訓読は訳読である。ところが、日本書紀は日本の文献である。隋書・倭国伝別伝として中国人が書いたものではない。日本語を表記したものとして書いてあるから、訓読とは当時の日本語を復元させるために必須である。万葉集で「乱」がサヤグかどうかと同様に、「薄靡」がタナビクと訓むことが正しいのか誤りかを見極めることは、その部分の理解が変わってくるから大きな問題である。
「日本」と書いてあるのを日本書紀内部にある訓注に従ってヤマトと訓むか、いやいやニホン、ニッポンであろうと取るかは、言葉の有する諸側面、ラング、ランガージュ、パロール、エクリチュールなど、定義さえ人によって時に異なる概念を念頭に置かずして解決することはない。この点を等閑視して成り立っているのが現在の歴史学(文献史学)である。上代文学もそれに与し、1990年代になると、中国人が書いたらそうなるであろう文章に比較的近い巻、かなりくだけていて漢文としては間違いが目立つ巻に二分されると声高に主張するようになり、α・βと群分けして得意になっている。しかし、書かれている内容、事柄、史実(?)に関してなにほどか新しい境地に辿り着いたのだろうか。むしろかえって、「乱」は「乱」だと小学生レベルに垂れては時間を空費しているだけなのではないか。そもそも日本書紀は歴史書か? という問いをまともな問いとして取りあげなければ、実は何も始まらないことにさえ気づいていない。
漢字が並んでいて漢文風に書いてあるからそれを訓み下すことは訳文だ、と短絡してしまう発想の根源には、おそらく、自分たちの学識のほうが日本書紀の執筆者よりも優っていると考える驕りのようなものがあるのだろう。ラージ・ミステイクである。はるかに時代の離れた人が同列に入学試験の勉強をしているなどと考えることはできない。上代には、現代(あるいは近世、さらには中世以降)とは別種のものの考え方をしていたと前提したほうが正しい。彼らは文字を持たなかった。百歩譲って言うなら、片仮名、平仮名を知らない人とそれを知っている人とが同列に文章表記する、あるいは文構造にものを考える、などと認めることはできない。もちろん、主語の次に述語が来る漢語のようにではなく、動詞は最後に来るものとして考えていたし、話していた。そんな人たちの作文について、漢文のようだから理解には現代語訳だけで済むと思っているようでは、肝心の、上代の人が何を考えていたかについて、すっぽり、ごっそりこぼれ落ちてしまうことになるだろう。上代の人の意を汲むものにはならないのである。さらには、日本書紀は、古事記も同様に、古代国家の正統性を主張するためのイデオロギーの表れなのだと言い張ってみて、何ら疑念を抱かない鈍感さに浸ってしまっている。ドグマに陥っているわけだが、ごくふつうの感覚を持ち、どうして天皇制の主張となるのかと素朴な疑問を持つ人たちは、意想外すぎて面倒くさいからツッコミを入れたりしない。お粗末なことは無視し、距離を置く。賢明な世渡りだと思う。もし日本書紀が漢文で、それを現代語訳すれば事足りるのなら、すべてはAIに任せればいいことである。バカバカしいからこのへんで擱筆する。
なにぶん三十年以上も前のこと[昭和20年頃(引用者注)]なので、それが何という本であったか、またどういう文章であったか、正確な引用はできないけれども、柿本人麻呂の名歌
小竹之葉者三山毛清尓乱友吾者妹思別来礼婆(萬葉集巻二、一三三)
をとりあげ、第三句「乱」の読み方に諸説はあるが、些末にこだわる必要はない、「乱」は要するに「乱」の意であると、こともなげに言い切っているくだりを読んで、啞然とした覚えがある。
「乱」の字には、「みだる」と正反対の「をさむ」という意味もある。要するに「乱」の意だと言うからには、「をさむ」でもさしつかえないというわけなのだろうか。それが揚足取りだと言われるなら、「みだる」の意に限定してもいい。では、マガフ、ミダル、サワク、サヤグなど、どう読んでも支障はないというのか。言語学上、厳密な意味で、類義語は存在しても、同義語というものは存在しえない以上、マガフ、ミダル、サワク、サヤグ、どれでも同じだということは断じてない。まして、対象は、一語一語がその内的世界を規定する文学作品、なかんずく歌である。ミダルだろうが、サワクだろうが、サヤグだろうが、はたまたランだろうが、意味に変更はないというような漠然たる理解のしかたは、絶対に許されない。こうも読める、ああも読めなくはない、大体の意味だけ汲みとれればよいというような態度は、事実上、理解することを拒絶しているのに等しい。書かれた文字の一字一字が、完全かつ排他的な正確さで解読され、その言語形式が確定的に復原されない限り、作品の「こころ」も、作者の「こころ」も、伝わって来ないはずである。
「乱」が「乱」だという程度なら、小学生でも知っている。(佐竹昭広「訓詁の学」『萬葉集抜書』岩波書店(岩波現代文庫)、2000年、229~231頁。『講座日本文学 第十二巻』(三省堂、昭和44年)初出)
小竹之葉者三山毛清尓乱友吾者妹思別来礼婆(萬葉集巻二、一三三)
をとりあげ、第三句「乱」の読み方に諸説はあるが、些末にこだわる必要はない、「乱」は要するに「乱」の意であると、こともなげに言い切っているくだりを読んで、啞然とした覚えがある。
「乱」の字には、「みだる」と正反対の「をさむ」という意味もある。要するに「乱」の意だと言うからには、「をさむ」でもさしつかえないというわけなのだろうか。それが揚足取りだと言われるなら、「みだる」の意に限定してもいい。では、マガフ、ミダル、サワク、サヤグなど、どう読んでも支障はないというのか。言語学上、厳密な意味で、類義語は存在しても、同義語というものは存在しえない以上、マガフ、ミダル、サワク、サヤグ、どれでも同じだということは断じてない。まして、対象は、一語一語がその内的世界を規定する文学作品、なかんずく歌である。ミダルだろうが、サワクだろうが、サヤグだろうが、はたまたランだろうが、意味に変更はないというような漠然たる理解のしかたは、絶対に許されない。こうも読める、ああも読めなくはない、大体の意味だけ汲みとれればよいというような態度は、事実上、理解することを拒絶しているのに等しい。書かれた文字の一字一字が、完全かつ排他的な正確さで解読され、その言語形式が確定的に復原されない限り、作品の「こころ」も、作者の「こころ」も、伝わって来ないはずである。
「乱」が「乱」だという程度なら、小学生でも知っている。(佐竹昭広「訓詁の学」『萬葉集抜書』岩波書店(岩波現代文庫)、2000年、229~231頁。『講座日本文学 第十二巻』(三省堂、昭和44年)初出)
どう訓むのかきちんとわからなければ、本当の理解には至らない。大意さえ汲みとればよいという態度は、最初から理解する気がないということである。窮極のところ、理解は訓詁に尽きると言っている。筆者も、後塵を拝しつつ理の当然と考え、基本的な研究姿勢として貫いている。ところが、筆者が評すれば、世の趨勢として堕落、凋落が著しい。
『日本書紀』を読むのに、どのようなかたちのものがあるべきか。(58頁)
……
訓読文を付さないこと
本書は、訓読文を付さない。注釈書として現在ひろくおこなわれている大系(岩波文庫)本、新編全集本は、訓読文を付している。漢文文献の注釈書の体裁としては、それは一般的といってよい。しかし、訓読は訳読であり、現代語訳があれば十分だと考える。そもそも『日本書紀』の訓読文はどうあるべきかが問題なのである。
大系(岩波文庫)本と新編全集本との訓読の立場は、「古訓」をめぐって対照的である。(63頁)
……[そして、それぞれに問題がある。]
現行諸注のこうした訓読の問題を見るとともに、元来訳読としてなされたものであるから、内容理解という点で現代語訳があれば、文語的になされる、いわゆる訓読文は不要だと考える。(神野志隆光「解説」神野志隆光ほか校注・訳『新釈全訳日本書紀 上巻』講談社、2021年、68頁)
……
訓読文を付さないこと
本書は、訓読文を付さない。注釈書として現在ひろくおこなわれている大系(岩波文庫)本、新編全集本は、訓読文を付している。漢文文献の注釈書の体裁としては、それは一般的といってよい。しかし、訓読は訳読であり、現代語訳があれば十分だと考える。そもそも『日本書紀』の訓読文はどうあるべきかが問題なのである。
大系(岩波文庫)本と新編全集本との訓読の立場は、「古訓」をめぐって対照的である。(63頁)
……[そして、それぞれに問題がある。]
現行諸注のこうした訓読の問題を見るとともに、元来訳読としてなされたものであるから、内容理解という点で現代語訳があれば、文語的になされる、いわゆる訓読文は不要だと考える。(神野志隆光「解説」神野志隆光ほか校注・訳『新釈全訳日本書紀 上巻』講談社、2021年、68頁)
筆者はかなり慣れてきているから、佐竹先生ほど啞然とはしない。口をあんぐりさせるばかりである。
日本書紀を読むことにおいて、いわゆる訓読文を不要とすることについて、吉川幸次郎が尚書正義において、旧来の漢文訓読法に執着をもつ必要はないとし、新しい翻訳法を提唱した(注)ことに倣うという。尚書正義はそもそも中国の文献だから、訓読は訳読である。ところが、日本書紀は日本の文献である。隋書・倭国伝別伝として中国人が書いたものではない。日本語を表記したものとして書いてあるから、訓読とは当時の日本語を復元させるために必須である。万葉集で「乱」がサヤグかどうかと同様に、「薄靡」がタナビクと訓むことが正しいのか誤りかを見極めることは、その部分の理解が変わってくるから大きな問題である。
「日本」と書いてあるのを日本書紀内部にある訓注に従ってヤマトと訓むか、いやいやニホン、ニッポンであろうと取るかは、言葉の有する諸側面、ラング、ランガージュ、パロール、エクリチュールなど、定義さえ人によって時に異なる概念を念頭に置かずして解決することはない。この点を等閑視して成り立っているのが現在の歴史学(文献史学)である。上代文学もそれに与し、1990年代になると、中国人が書いたらそうなるであろう文章に比較的近い巻、かなりくだけていて漢文としては間違いが目立つ巻に二分されると声高に主張するようになり、α・βと群分けして得意になっている。しかし、書かれている内容、事柄、史実(?)に関してなにほどか新しい境地に辿り着いたのだろうか。むしろかえって、「乱」は「乱」だと小学生レベルに垂れては時間を空費しているだけなのではないか。そもそも日本書紀は歴史書か? という問いをまともな問いとして取りあげなければ、実は何も始まらないことにさえ気づいていない。
漢字が並んでいて漢文風に書いてあるからそれを訓み下すことは訳文だ、と短絡してしまう発想の根源には、おそらく、自分たちの学識のほうが日本書紀の執筆者よりも優っていると考える驕りのようなものがあるのだろう。ラージ・ミステイクである。はるかに時代の離れた人が同列に入学試験の勉強をしているなどと考えることはできない。上代には、現代(あるいは近世、さらには中世以降)とは別種のものの考え方をしていたと前提したほうが正しい。彼らは文字を持たなかった。百歩譲って言うなら、片仮名、平仮名を知らない人とそれを知っている人とが同列に文章表記する、あるいは文構造にものを考える、などと認めることはできない。もちろん、主語の次に述語が来る漢語のようにではなく、動詞は最後に来るものとして考えていたし、話していた。そんな人たちの作文について、漢文のようだから理解には現代語訳だけで済むと思っているようでは、肝心の、上代の人が何を考えていたかについて、すっぽり、ごっそりこぼれ落ちてしまうことになるだろう。上代の人の意を汲むものにはならないのである。さらには、日本書紀は、古事記も同様に、古代国家の正統性を主張するためのイデオロギーの表れなのだと言い張ってみて、何ら疑念を抱かない鈍感さに浸ってしまっている。ドグマに陥っているわけだが、ごくふつうの感覚を持ち、どうして天皇制の主張となるのかと素朴な疑問を持つ人たちは、意想外すぎて面倒くさいからツッコミを入れたりしない。お粗末なことは無視し、距離を置く。賢明な世渡りだと思う。もし日本書紀が漢文で、それを現代語訳すれば事足りるのなら、すべてはAIに任せればいいことである。バカバカしいからこのへんで擱筆する。
(注)私共は旧来の「漢文訓読法」に不満をもつものであって、それはわれわれの祖先の努力の集積ではあろうけれども、現在のわれわれがそれに執着をもつ必要はないと考える。何となれば、訓読の言葉は、第一には国語の語法として不純なものであり、第二には「ソノ上古ノ先輩ノ和訓ヲ付ラレタル以前ハ直ニソノ時ノ詞ヲ付ラレタル処ニ今時代移リカハリテ日本ノ詞昔トハ違ヒタルコト多シ」と徂徠が説くように、古すぎるのであり、第三には 「凡て皇国言の意と漢字の義と全くは合がたきもの多かるをかたへに合はざる処あるをも大方の合へるを取て当たるもの」と宣長が説くように、大ざっぱすぎるのである。国語がかくも発達した今日、支那語の翻訳にも適当な方法が与えられねばならぬ。(『決定版 吉川幸次郎全集第八巻』筑摩書房、昭和45年、18頁)