古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

万葉集の「辛(から)き恋」

2024年06月24日 | 古事記・日本書紀・万葉集
 万葉集に「からき恋」という言い方が三首に見られる。「からし」という言葉は、舌を刺すような鋭い感覚、塩辛いばかりでなく酸っぱい場合にも用いられる味覚の意味と、そこから派生して骨身にしみるようなつらい気持ちに陥る状態のことを指した。「辛き恋」の歌はその二通りの意味を掛けたもので、序詞で塩辛さを伝え、その「辛き」という言葉で表されるようなつらい感覚の恋をする、という比喩表現である(注1)

志賀しか海人あまの 火気ほけ焼き立てて 焼くしほの からこひをも あれはするかも〔壮鹿海部乃火氣焼立而燎塩乃辛戀毛吾為鴨〕(万2742)
  右の一首は、或るに云はく、石川君子朝臣いしかはのきみこのあそみ作るといふ。〔右一首或云石川君子朝臣作之〕

  筑紫つくしたちに至りてはるかに本郷もとつくにを望みて、悽愴いたみて作る歌四首〔至筑紫舘遙望本郷悽愴作歌四首〕
②志賀の海人の 一日ひとひも落ちず 焼く塩の 辛き恋をも 吾はするかも〔之賀能安麻能一日毛於知受也久之保能可良伎孤悲乎母安礼波須流香母〕(万3652)

  (平群氏女郎へぐりうぢのいらつめの、越中守こしのみちのなかのくにのかみ大伴宿禰家持に贈る歌十二首〔平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首(万3931題詞)〕)
須磨すまひとの 海辺うみへつね去らず 焼く塩の 辛き恋をも 吾はするかも〔須麻比等乃海邊都祢佐良受夜久之保能可良吉戀乎母安礼波須流香物〕(万3932)
  (右のくだりの歌は、時々に便たより使つかひに寄せて来贈おこせり。一度ひとたびに送らえしにはあらず。〔右件歌者時々寄便使来贈非在一度所送也(万3942左注)〕)

 歌の内容は、海浜で塩を焼いていて、そこでできあがる塩のように辛い恋なんかを私はするのかな? と歌っている。塩焼きのことと恋のことは無関係(注2)だから、修辞を先行させてとぼけた歌を歌っているとしか考えられない。
 文法学の論者は、このように表面的に受け取ることを嫌う。序詞を用いた表現と用いない表現の違いを指摘し、序詞表現の効果を言い立てる。

 序詞によらない場合は、形容詞……「辛き」が直接「恋」を形容している。それに対して序詞を用いた……[歌で]は、恋の……「辛さ」を「志賀の海人の……焼く塩の辛き」事実に即しながら、具象的・象徴的に表現しているのである。少なくとも……「辛し」のみによっては、それがどのように……「辛き」恋であるのかを具象化することは不可能である。ここに、序詞の表現上の特質があると言わなければならない。(和田2022.221頁)

 「辛き恋」だけではどのような恋だかわからないというが、重労働である塩焼きの結果できた塩のような「辛」さで譬えられるような「恋」なのだ、と言われてもどのような恋なのかわからない。片思いや三角関係のような大がかりなつらさを伴うものから、男女間のささいなやりとり、その際にいちいち気になる心の襞のようなものまで、「辛き恋」にはいろいろあるだろう。それをぐずぐず述べるとき、はじめてその恋は具象化する。そもそも唐突に「辛き恋」と言って相手に伝わるとは思われない。塩焼きが何たらかんたらと前置きすることによってのみ、「辛き恋」という表現はあり得ただろうということである。「辛し」という言葉のもつ二つの側面を使う限りにおいておもしろい表現となり、だから悦に入って歌にしていたということである。
 ①は、巻十一の「物に寄せておもひぶる歌三百二首」の一首である。逆に言えば、物に寄せずに歌うことなどかなわない内容であるとも考え得る。①と②は、「志賀の海人」が塩焼きしていることを思い浮かべている。「志賀の海人」は漢委奴国王の金印で有名な福岡市の志賀島の海人のことである。②は、巻十五、遣新羅使の歌である。筑紫まで来て奈良の都を振り返って思い悲しんでいる。大陸へ行くということは、すなわち、カラ(からから)へ向かうわけだから、カラ(辛)いことを歌いたかった。①でも、渡海の起点となるところだからカラの地が意識されている。そういうところの海浜で焼いてできあがる塩はさぞかしカラいものだと洒落を言っていて、辛い恋という言い方が成立している。冗談のような成り立ちであるが、言葉が音でしかなかった無文字時代、ないしその余韻を残している万葉の時代には、決定的である。誰かが語呂合わせに気づいて言葉遊びをした。その言葉遊びの延長線上でこれらの歌は歌われている。
 ➂はその応用形である。「志賀の海人」が「須磨の海人」(注3)ではなく「須磨人」に代わっている。平群氏の女郎は九州へ出向いていないし、歌を贈る相手は越中にいる。近場でどこか「辛き恋」を歌うのに良いところはないかと探して、スマヒトだったら行けるのではないかと思いついた。スマノアマでは駄目である。
 スマヒトという言葉(音)にはスマヒという言葉(音)が隠れている。あるいは、スマヒビトの約かもしれない。すなわち、相撲取りのことである。相撲節会のため、部領使ことりづかひを各地に派遣して力士を都へ召し出していた。同じく防人を招集して引率する者も部領使ことりづかひと呼ばれていた。コトリはコト(事)+トリ(執)の約と見られている。区別するために「相撲すまひの部領使ことりづかひ」(万864序)、「防人さきもりの部領使ことりづかひ」(万4327左注)とも言っている。
 スマヒトは部領使に連れられて行く人のこと、同じ部領使に連れて行かれる防人かもしれず、となるとそれはカラ(韓・唐)に対して防衛に当たる人のことで、塩焼きすればことのほかカラ(辛)い塩ができあがっただろうと連想が働いている。スマヒ(相撲)は現在の相撲よりも範囲が広く、二人が組み合って力比べをする武技を言っていた。
 ②と➂で、「一日も落ちず」、「海辺常去らず」と否定形を表現内に含めており、旅の慕情や旅人の非日常性へと導く表現であるとも考えられている(注4)。しかし、述べてきたように、カラ(韓・唐)と関係があり、カラ(韓・唐)に対抗的な役目を果たす防人の要素をスマヒトは持っている。動詞形のスマフは平安時代になって確例が見られるが、抵抗する、身をもって拒む意を表す。組み合ってする力比べは、相手の力をいかに防ぎ拒むかに力点が置かれると見られていたようである。その点は「志賀の海人」でも似ていて、予備自衛官の役目を兼務していたのだろう。塩を焼くには「一日も落ちず」、「海辺常去らず」見ていなければならない。同様に、敵であるカラ(韓・唐)が襲ってこないか見張るためには、休むことなく常時監視していなければならなかった。レーダーが故障していたら敵軍の攻撃に抵抗することはできない。
 万葉集の研究でこれら三首がとりあげられるのは、序歌としてのありかた、序詞表現をどう捉えるかという視点からであることが多い。その際、序詞は本意を導き出すためのものと思われている。当該歌でいえば、「辛き恋をも我はするかも」が歌の本意であるとされ、三句目までは序詞で「辛き」を導き、そこまでが「恋」を修飾する言葉であると見られることが多い。「辛き」を「つなぎことば」と措定する見解もあり(注5)、また、序詞が下の句(本意)のどこまで掛かるかが議論にのぼることもある。

(和田2022.221頁を縦横改変)

 ところが、いま見てきたように、「辛き恋をも我はするかも」を伝えたいために歌が作られているとは一概に言えないのである。すてきな修辞法が考えついたから歌にして歌い、聞いてもらっている。聞いた相手も、つらい恋ですねえ、お気の毒に、頑張ってくださいね、などとは受け取らなかった。カラだけにカラとはうまいこと言いますね、お話がお上手ですね、なかなかに賢いですね、というのが感想であったろう。恋心を伝えるために言葉を使っているのではなくて、言葉心を伝えるために言葉を使っている。序詞や枕詞という修辞法をなぜ使うのか。言語が持つ魔性が一役買っていることは疑い得ない(注6)。頓知、洒落、地口、なぞなぞなどの言葉遊びも含めて言語ゲーム(ウィトゲンシュタイン)と呼ばれている。

(注)
(注1)序歌に関し、伊藤1976.は、「つなぎことばそのものは、本質において掛詞、結果において譬喩で、れっきとした二重表現と考えられる」(257頁)と述べている。
(注2)平舘2015.に、三首に加えて万5番歌「…… 海人娘子らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 我が下心」をあげ、「塩焼きの景色を恋心に重ねるこの手法は人口に膾炙していたことが知られる。」(244頁)との妄言がある。「下心」(万5)は恋心とは限らないだろう。当該三首は「焼く塩の辛き恋をも我はするかも」を常套句にしてそれぞれに捻った作となっているにすぎない。「塩焼きが導く「辛き恋」に対して、家人を思うその辛さを詠むのではなく、それをする「我」を内省する表現には、もはや都と通じ得ない遠い地に居るという心情の反映を窺える。」(同245頁)も妄言である。「塩焼き」が「辛き恋」を導いているのではなく、「……焼く塩の」が「辛き」を導いている。なお、平舘氏の主張は、現在の通行している序詞一般についての標準的な見解から外れるものではない。考え違いが横行していると筆者は考えている。
(注3)須磨の海人が塩焼きをしていたことを歌に詠んだものは二例ある。塩屋という地名が知られている。前者は「大網公人主宴吟謌一首」、後者は「過敏馬浦時、山部宿祢赤人作謌一首〈并短謌〉」の「反歌一首」である。塩を焼いたらどこでも「辛き恋」を導くかと言えば、上代人にとってはそうではないのである。

 須磨の海人あまの 塩焼きごろも 藤衣ふぢごろも とほにしあれば いまだ着なれず〔須麻乃海人之塩焼衣乃藤服間遠之有者未著穢〕(万413)
 須磨の海人の 塩焼きぎぬの れなばか 一日も君を 忘れて思はむ〔為間乃海人之塩焼衣乃奈礼名者香一日母君乎忘而将念〕(万947)
 
(注4)平舘2018.は、万2742番歌の序詞の表現、「火気焼き立てて焼く塩の」が「繋がる本旨の「辛き恋」に激しい炎が燃えるような恋の思いを連想させる」(367頁)のに対し、万3652番歌の「「一日も落ちず」は欠けることの無い時間の把握と共に相聞的な情調をすでに包含していることを窺わせ……、旅の日々の中で一日も欠けることなく重ねられてきた慕情に導かれるものとしてある」(369頁)とし、「序詞中の否定の表現を含む用法が、その表現によって、事象の継続を意味し、本旨の心情の在り方に、単なる継続以上の時間性を反映させていることが考えられる」(372頁)としている。この考え方の誤りについては(注2)参照。
 万葉集で他に「からし」の例とされるのは以下のとおりである。一首目はカラクニ(韓国)という音がカラク(辛)を導き出しているところに興趣を覚えて歌っている。二首目は蟹の塩漬けのことを歌っているが、実態はよくわかっていない。それでも、カラウス(唐臼)とカラク(辛)との間には音の連繋が見て取れる。三・四首目は原文に「少可」、「小可」を「苛」の誤字としてカラクと訓む説である。カラシ(辛)は骨身にしみることをいうのだから語義に合わないと思われる。アシク(悪)、ツラク(辛)と訓む説があり、そちらが穏当であろう。すなわち、カラシ(辛)という語を歌に使う理由は、カラ(韓・唐)との音の戯れがおもしろいからなのである。

 昔より 言ひけることの 韓国からくにの からくも此処ここに 別れするかも〔牟可之欲里伊比祁流許等乃可良久尓能可良久毛己許尓和可礼須留可聞〕(万3695)
 …… さひづるや 唐臼からうすき 庭に立つ 手臼てうすに舂き おしてるや 難波なには小江をえの 初垂はつたりを からく垂れ来て 陶人すゑひとの 作れるかめを 今日けふ行き 明日あす取り持ち が目らに 塩りたまひ きたひはやすも 腊賞すも〔……佐比豆留夜辛碓尓舂庭立手碓子尓舂忍光八難波乃小江乃始垂乎辛久垂来弖陶人乃所作〓(瓦偏に缶、缻の左右反対)乎今日徃明日取持来吾目良尓塩漆給腊賞毛腊賞毛〕(万3886)
 黙然もだあらじと ことなぐさに 言ふことを 聞き知れらくは 辛くはありけり〔黙然不有跡事之名種尓云言乎聞知良久波少可者有来〕(万1258)
 大夫ますらをと 思へるわれを かくばかり 恋せしむるは 辛くはありけり〔大夫登念有吾乎如是許令戀波小可者在来〕(万2584)
(注5)伊藤1976.。同書では当該三首をとり上げていないが、「万葉の序詞は、リズムの快感をたのしむ表現であるとともに、寄物して陳思する心物融合の修辞表現だったと考えられるのである。」(262頁)としている。「つなぎことば」による二重表現は、「同音異義語に富み、連想性の豊かな日本語固有の性格に由来することはいうまでもない。」(同頁)としていながらそこで止まっている。万葉歌は、ヤマトコトバを使っているうちに言葉がひとり歩きをし、その結果、成果として声に出して歌われているという側面を多分に持っているのである。
(注6)鈴木1990.は当該三首をとり上げていないが、序詞を使った万葉集の表現構造を、「事物現象を表す言葉と心情を表す言葉がたがいに対応しあうことによって、歌中の〈心〉〈物〉いずれの言葉をも超えて新たなイメージを構築しうるというしくみ」(138頁)と捉えている。言葉についてフラットにしか見ていない。実態は、さまざまな意味合いを錯綜させながら再生産しつづけるのが言葉というものである。

(引用・参考文献)
伊藤1976. 伊藤博『萬葉集の表現と方法 下』塙書房、昭和51年。
鈴木1990. 鈴木日出男『古代和歌史論』東京大学出版会、1990年。
平舘2015. 平舘英子『萬葉悲別歌の意匠』塙書房、2015年。(「辛き恋─遣新羅使人歌の旅情─」『萬葉』第206号、平成22年3月。萬葉学会ホームページhttps://manyoug.jp/memoir/2010)
平舘2018. 平舘英子「序歌の方法」芳賀紀雄監修、鉄野昌弘・奥村和美編『萬葉集研究 第三十八集』塙書房、2018年。
和田2022. 和田明美『古代日本語と万葉集の表象』汲古書院、2022年。

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