古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

和名抄の「文選読」について 総論

2015年03月15日 | 和名類聚抄
 和名抄は、承平年間(930年代)に源順によって撰された。その和名抄の引書として、文選は数多く用いられている。そのうち、「文選」、「文選○○」、「文選云」、「文選○○云」以外に、「文選読」、ないし、「文選」に「読」字が絡んでくる例が7例ある。(下文の一覧表の通し番号に従う。)

24.軒檻 漢書注云軒〈唐言反〉檻上板也檻〈音監文選檻讀師説於保之万〉殿上欄也唐韻云欄〈音蘭漢語抄云欄檻〉階陛木勾欄亦〈如本〉
28.玫瑰 唐韻云玫瑰〈枚廻二音今案雲母同見干文選讀翡翠火齊處〉火齊珠也
39.寒 文選云寒鶬烝麑〈師説寒讀古与之毛乃此間云迩古与春〉
41.属鏤 廣雅云属鏤〈力朱反文選讀豆流岐〉劔也
42.叉 六韜云叉〈初牙反文選叉簇讀比之今案簇即鏃字也〉両岐䥫柄長六尺
54.冠 野王案溪鳥勅鳥頭上有毛冠〈冠讀佐賀文選羽毛射雉賦冠雙立謂之毛角耳〉鳥冠也尓雅注云木兎似鴟而毛冠〈今案此間名同上但獨立謂之毛冠雙立謂之毛角耳〉
70.大角豆 同經曰大角豆一名白角豆〈佐々介〉色如牙角故以名之其一殻含数十粒離々結房〈離々讀布佐奈流見文選〉

 上記の和名抄の例と、いわゆる文選読みとは関係があるのであろうか。今日、いわゆる文選読みとは、漢文訓読において独特の読み方をする場合の術語として用いられている。詩経の冒頭、「関々雎鳩」を、クワンクワントヤハラギナケルショキュウノミサゴハなどと読む読み方である。ルー大柴氏の、アクティブに活動的なピープルの人々、といった言い方である。文選読みはまた、「かたちよみ」や「両点に読む」といった言い方がされたこともあり、また、漠然とした名称であった。そこで、柏谷1997.はきちんと「定義」し、「日本漢語[(Chinese Loan Words in Japanese)]の音と訓を、助詞などの媒介で、一続きに読む漢文訓読法」(660~661頁)と概念規定した。簡潔である。築島1963.に、「文選読は、或る程度難解な語(多くは二字の熟語)を、時によつて文選読に訓むことがある、といふことになるやうである。……[平安時代の文選読]のすべての用例から帰納すると、次のやうな範疇が立てられる。
(一)、字音語-ト-和語(属性概念を表はす語)例、浩汗(カウカン)ト(オギロナリ)
(二)、字音語-ノ-和語(実体概念を表はす語)例、犲狼(サイラウ)ノ(オホカミ)
……例で「-ト」「-ノ」は何れも下の語へ懸つて、夫々連用修飾語・連体修飾語となるのである。訓点本に表はれた類は、すべてこの類」(279頁、字体の旧字体は新字体に改めた。以下同じ。)であるとされている。
 この文選読みが何故に行われるようになったかという点については、博士による講義に始まるとする説(伊勢貞丈、山田1935.など)と、僧侶による仏典の訓点に始まるとする説(築島裕)がある。どちらが先かを問うことにあまり意味を見出すことはできない。少し長くなるが、佐藤1987.に明解な説明があるので引用する。

 平安初期における『文選』の文選読みについての直接資料は存しないが、それを裏付けるものとしては、承平四(934)年ごろ成立の源順みなもとのしたごう撰『和名類緊妙』の文選出典語があげられる。現存する『文選』の最古の鈔本は九条家旧蔵の、康和元(1099)年の識語を有する巻十九以下、康永二(1343)年の巻十八にいたる二二巻の取り合わせ本である。一方、最も広く流布する寛文版本[足利本]も比較的古訓をよく保存していると認められる(以下、それぞれ《九》《版》と略記す)
 『和名抄』には和訓を有する文選出典語として五二語(そのほか和訓を欠くもの六語)を載せるがこのうち《九》《版》で文選読みになっている六語を対照させるとつぎの通りである。
  閭閻 師説佐度之加東(巻一・西都賦)《九》《版》ーーノサト
  列卒 師説加利古(同・同)《九》《版》ーーノカリコ
  商賈 師説阿岐比斗(同・西京賦)《九》《版》ーーノアキ人
  裨販 師説比佐岐比止(同・同)《九》《版》ーーノアキ人
  辺鄙 師説阿豆万豆(同・同)《九》ーーノアツマヒト 《版》ーーノアツマウド
  歴歯 師説波和可礼(巻十・好色賦)《九》ーートハワカレセリ 《版》ハワカレタリ
一部異同はあるが訓の大筋は一致する。西京賦を例にとれば、《九》では、
  爾乃商賈 ノアキ人百族、モヽヤカラニシテ裨販 ノヒサキヒト夫婦オトメアリヒサキ良雑苦、蚩 キヲカテテアシキヲアサムキカヽヤカスノ辺鄙アツマヒトヲ
と訓ぜられている。この読法よりすれば「辺鄙」を意訳したアヅマヅのごとき特殊訓が音読と分かれて別に行われていたとは信ぜられず、音訓複読の形で「辺鄙ノアヅマヅ」と訓じていたと解するのが自然である。さらに師説尊重の文選訓の伝統よりすれば、すでに平安初期よりこの読法が成立していた蓋然性が高い。『和名抄』の文選読みはこの「ノ」と「ト」の部分を除いて移記したものであろう。
 さらに十二世紀前半頃成立の、書陵部本『類聚名義抄』(法部残闕一帖・出典を注記する)では文選読みの語三八語が収録され、そのうち『文選』出典語三三語、『遊仙窟』出典語二語、『白氏文集』出典語二語である。これを改定増補した観智院本『類緊名義抄』(出典記載省略、風間書房刊による)では文選読みの〔注2[略]〕全語数一二四語、そのうち『文選』出典と推定される語九三語、『遊仙窟』九語、『白氏文集』一語、未詳・保留二一語を数える(重複を除き、未詳・保留語中には琴ノコト、笙ノフエのごとき日常語を含む)。これにより、文選読みの行われた範囲が知れ、その年代も少なくとも平安期にかなりさかのぼらせることが可能となる。
 以上、文選読みは平安初期、仏家・博士家において漢語の音・訓を同時に教授するという実用目的をもって前後して起こった。仏家では難解な語彙解釈に断片的に適用されるにとどまったが、博士家は大学寮において組織的に行われ、とくにつぎに述べる『文選』や『遊仙窟』の特殊な性格により、この両書に盛行したものと推論する。(277~279頁)

 このいわゆる文選読みが、なぜ文選に多いかについて、さらに引用する。

 それは上代からすでに『文選』が暗誦すべきものという基本的性格を持っていたことを最大の理由にあげたい。『文選』の音読に習熟すべきことはつぎの進士の考課にも規定されている。
  古記云、学生先読経文、謂経音也。次読文選爾雅音、然後講義。(『集解』巻一五・学令注)
  凡進士試時務策二条。帖所読、文選上帙七帖、爾雅三帖。(『令義解』考課令)〔注〕帖とは上に物を置いて隠した字を暗誦させること。
 次の平安期に入っても、『日本国見在書目録』に、『文選音決』『文選音義』など『文選』の音義書が記載され、音読が重視されていたことが知れる。藤原諸成もろなりが文選上帙を暗誦して学中で三傑と号されたり(934)(『文徳実録』斉衡三856年四月)、惟宗隆頼(これむねのたかより)が『文選』三〇巻および四声切韻の暗誦をもって勧学院学生の上座についたり(『古今著聞集』巻四)するような文選暗誦の逸話が語られるのもこのころである。そして同時に音読に訓読をあわせて朗誦する風潮も生じている。……
このように詩文の朗誦は面白い声調とともに、意味が了解されることを必要とする。そして一文を交互に音読したり訓読したりする読法が一歩進むと、一語ごとに音訓を複読する文選読みの読法に発展することになる。語釈の必要上生まれた文選読みにこの朗誦の目的が加わったのが、『文選』の文選読みなのであろう。芝野六助氏はすでに、この読法を用いた書物が『詩経』とか『白氏文集』とか『千字文』とか、ないしは『遊仙窟』とかいう詩的な文句のある書物にかぎられるところから、「一種面白く読ませる為ではあるまいか」と指摘している〔注3〕。この読法が古来暗誦の対象となった上帙-賦の部に集中しているのも文選読みと暗誦がつながることの傍証となる。……
 要するに、もと語釈という実用性から始まった文選読みはその音調と意義の同時受容態のゆえに、音調を重んじ、内容をも味わおうとする朗誦の要求にもこたえることができた。ゆえに当時、暗誦から朗誦への発展途上にあった『文選』にまず本格的に適用され、ついで『遊仙窟』や『白氏文集』(新楽府)の一部に及んでいったものである。
 ……この文選読みは荘重雄渾な音調と簡潔平明な訳を取り合わせた独特の読法で読者をつぎつぎに展開する魅力に満ちた『文選』的世界に踏み入らせる。……難解な語句の多さにもかかわらず、……文選読みによってやすやすと理解され読み進められる。もし全部音読であればほとんど理解不能であるし、訓読に徹すれば原文の朗々たる音調が失われて……賦の魅力は半減する。万物を敷陳し百品を列叙する一篇の韻文の「文明史」ともいうべき『文選』の賦を享受するのに……文選読みはきわめて効果的で、その名の通り『文選』にこそふさわしいすぐれた読法であった。
 〔注〕
 3 芝野六助氏は続いて、文選読みは「文選でも賦に限り、意味の至極面白い高潮に達した処へばかり此の法を用いる」ことを述べている(「文選の訓点とその他について」=『国学院雑誌』25ノ4)(279~283、294頁)

 築島1963.にも、「概して見ると、……[文選読をする]漢語には難解な語句が多い。尤も「難解」と言つても主観的な言ひ方であるが、一般にはあまり用ゐない語と言つた程度の意味である。」(278頁)とする。その点では意見が一致しているが、築島1963.は、「文選読に於ては、字音語に重点があつて、和語は従の位置に在る」とし、「字音は漢語の真横に附いてゐるのに、和語は下の隅の方にせせこましく、しかも字音に続けてその下に書続けてあるのが常である。……このやうに、字音語を大きく和語を小さく記すといふことから当時の加点者の意識が在つては、和語は附けたりで、字音語の方が主であったと推測されるのである。」(280~281頁)とする。これに対し、渡辺2013.は、院政期に加点されたと推定される文選の書陵部本では、字音注がほぼ加点されていない状況から考えて、逆に、字音語への意識の方が弱かったのではないかとする。また、文選を文選読みする際の助詞「ト」について、九条本では右注に「ト」がカナ書きされ、書陵部本、足利本ではヲコト点で表記されているとする。筆者は翻るに、助詞のトを記すとは、助詞などの媒介によって字音と字訓とを続けて読むことを“異常”に意識しているのではないかと考える。
 なお、松本2007.では、「かたちよみ」とも呼ばれた文選読みは、文選集注の注に見られる「「ーー皃也」とした如き注を用いた時に行われた訓読法であると理解される。」(56頁)といった見解が示されている。柏谷1997.では、「「両点よみ」といふ名称も、江戸時代には行はれた。/かたちよみ・・・・・とは両点よみ・・・・の事歟(『一話一言』太田南畝 寛延二(一七四九)年没)/「両点よみ」の「点」は、平安時代の漢文訓読の際に付けたヲコト点に由来するもので、江戸時代の頃は漢籍の読み方を意味する。文選読は、字音よみと訓よみと両方の訓み方をするので、「両点よみ」と名づけられたものである。」(658頁)としている。筆者は、「ーー皃也」から「かたちよみ」という語が生れたという指摘や、「かたちよみ」と「両点よみ」を同一視する見方にためらいを感じる。
 松本2007.は自ら、文選集注の注に「ーー皃也」とない個所にも文選読みが行われる個所があるという。敷衍したものであると考えている。確かに「皃」から「かたち」なる語が導かれた公算は高いものの、「両点」という語と考え合わせたとき、疑問が浮かぶ。伊勢貞丈・舳艪訓の「経伝訓点」に次のようにある。

 経伝ノ訓点ニ道春点ト云テ版行本ニアリ。是林家ノ元祖道春[羅山]ノ付ラレシ訓点也。……訓点モ昔ノ明経博士記伝博士等ノ家ニ伝ヘシ所ヲ受テ道春ニモ授ラレシナルベシ。……詩経文選千字文其外音ト訓ヲ一度ニ並ヘテ両点ニ読ム事モ昔大学寮ニテ諸生ニ教授セシ時ノ読法ナルベシ。是音訓ヲ一度ニ覚エサセンガ為也(国文学研究資料館・新日本籍総合データベースhttps://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100065103/viewer/5~6)

 「かたちよみ」と「両点よみ」を同一視していたなら、そういった意識が強かったという結論もないではない。しかし、「両点」という語には、文選読みのほかに、漢語の音読みで2通りにする際にも用いられ(例えば、「番語」をハギョ・バンゴの2通りに読む)、また、早引節用集などで、表出漢字の左右に音と訓をわけて記すこともいう。漢文、漢語の本に書き込まれた点のこととは、ひょっとすると、ルビや返り点などをすべて含めて指しているのではないか。割注の文字は本文の半分の大きさで小さいが、まだ字である。しかし、字の左右につけられたルビなどは、目を近づけて見なければよく見えない。小さすぎるから遠目には「点」といえる。また、本文の漢字文(白文)を顔の骨格とみなすと、その左右や字間に、句点や返り点、ヲコト点、ルビなどをべたべたつけることは、顔に肉付けすることであると捉えられる。そうやってはじめて、文章の顔貌が浮びあがることになる。これは、「かたち」と呼ぶにふさわしい、と考えたのではなかろうか。
 以上から、文選読みについての全体像が見えてきた。最も肝心なことは、平安・鎌倉・室町時代に、いわゆる文選読みは「文選読」とは称されていなかったらしい点である。冒頭に掲げた課題、和名抄のなかの「文選読」ないし、「文選」に「読」字が絡んでくることと、いわゆる文選読みとは無関係であるとわかる。
 和名抄にある、文選やその注ほか、引書についての研究は多い。ただ、引用に際しての源順の文字使いについては、各氏、混乱があるとするとの見解に留まっている。ここでは、和名抄における引書研究のうち、「文選読」、ないし、「文選」に「読」字が絡んでくる場合の、源順の語の用法について検討する。まず、以下に、京本系とされる十巻本和名抄(『倭名類聚抄京本・世俗字類抄二巻本』=京本、『古写本和名類聚抄集成第二部 十巻本系古写本の影印対照』=真福寺本・伊勢十巻本・松井本・前田本、『国立歴史民俗博物館蔵貴重典籍叢書 文学篇第二十二巻』=高松宮本)によって、「文選」、「読(讀)」の出てくる項目について列挙する。パソコン字体に直した校勘もあり、原典を確かめられたい。まず、「文選」字のあるものをあげる。

1.陽烏 歴天記云日中有三足烏赤色〈今案文選謂之陽烏日本紀謂之頭八咫烏也田氏私記云夜太加良湏〉
2.飆  文選詩云廻飆巻高樹〈飆音焱也此間云豆无之加世〉兼名苑注者暴風従下而上也
3.海神 文選海賦云海童於是宴語〈海童則海神也〉日本紀私記云海神〈和名和多豆𫟈〉
4.樹神 内典云樹神〈和名古多万〉文選蕪城賦云木魅山鬼〈魅見下文今案木魅樹神也〉
5.泊湘 唐韻云泊湘〈白相二音文選師説佐々良奈𫟈〉浅水皃也
6.潟 文選海賦云海濱廣潟〈思積反与昔同師説加太〉
7.童〈侲子附〉 礼記注云〈徒紅反和名和良波〉未冠之稱也文選東京賦注云侲子〈侲音之偲反師説和良波閇〉童男童女也
8.獵師〈列卒附〉 内典云譬如群鹿怖畏獵師〈和名加利比止〉文選云列卒滿山〈列卒師説加利古〉
9.挾抄 唐令云挾抄〈和名加知度利〉文選呉都賦云㰏工檝師〈㰏字檝字舟具〉
10.商賈 文選西京賦云商賈〈賈音古師説阿歧比斗〉裨販百族〈師説裨販比佐歧土百族毛々夜加良〉
11.邊鄙 文選云蚩胘邊鄙〈師説辺鄙阿豆万蚩胘阿佐无歧加々夜加湏〉世説注云東野之鄙語也〈今案俗用東人二字其義近矣〉
12.蕩子 文選詩云蕩子行不帰〈漢語抄云蕩子太波礼乎〉
13.母兄 文選注云母兄同母兄也
14.䁾 文選風賦云得為䁾〈亡結反師説多々良女〉
15.齞脣 説文云齞〈牛善反文選云齞脣師説阿以久知〉口張齒見也
16.歴齒 文選好色賦云歴齒〈師説波和賀礼〉
17.射乏〈司旍附〉 文選東京賦注云乏〈今案即乏乏也但射乏夜布世歧〉以革為之護執旍者之禦矢也旍〈此間云末止万宇之〉執旍文司射中當擧之
18.射翳 文選射雉賦注云射翳〈於計反隱也障也師説末布之〉所隱以射者也
19.拍浮 文選注云拍浮〈拍打也俗云於布湏是也〉
20.檐 唐韻云檐〈余廉反字亦作簷能歧〉屋檐也
21.棉梠 文選云鏤檻文㮰〈音琵一音篦師説文㮰賀佐礼留乃歧湏介〉楊氏漢語抄云棉梠〈綿呂二音和上同上〉一云萑梠
22.璫 文選云裁金璧以飾璫〈音當師説古之利又耳璫見服玩具〉劉良曰言以金璧飾椽端也
23.栭 尓雅注云梁上謂之栭〈音而文選師説多々利加太〉欂櫨也説文云欂櫨〈薄盧二音〉柱上枅也
24.軒檻 漢書注云軒〈唐言反〉檻上板也檻〈音監文選檻讀師説於保之万〉殿上欄也唐韻云欄〈音蘭漢語抄云欄檻〉階陛木勾欄亦〈如本〉
25.閭閻 説文云閭閻〈廬塩二音文選師説佐度乃加東〉里中之門也
26.帆柱 文選注云槳〈即兩反保波之良〉帆柱也又云帆檣〈諸墻反〉以長木為之所以柱帆也
27.帆綱 文選注云長梢〈所交反師説保豆奈〉今之帆綱也
28.玫瑰 唐韻云玫瑰〈枚廻二音今案雲母同見干文選讀翡翠火齊處〉火齊珠也
29.烏帽〈帽子附〉 兼名苑云帽一名頭衣〈帽音耄烏帽子俗訛烏為焉今案烏焉或通見文選注玉篇等〉唐式云庶人帽子皆寛大露面不得有掩蔽
30.櫟鬢㕞 文選云勁㕞理鬢〈李善曰通俗文所以理鬢謂之㕞也音雪〉釋名云纛〈音盗〉導也所以導櫟鬢髪也或櫟鬢〈櫟音暦加𫟈加歧〉
31.袷衣 文選秋興賦云御袷衣〈袷音古洽反袷衣阿波世乃歧奴〉李善曰袷衣無絮也
32.布衣袴 文選云振布衣〈此間云獦衣加利歧奴謂衣則袴可知之〉世説云着青布袴也
33.襞襀 周礼注云祭服朝服襞襀無數〈辟積二音訓比多米見文選〉
34.酒蟣 文選注云浮蟣〈師説云佐加歧佐々〉酒蟣在上汎々然如萍者也
35.酒膏 同注云醪敷〈佐加阿布良〉酒膏也
36.糫餅 文選云膏糫粔籹〈糫音還粔粉見下文〉楊氏漢語抄云糫餅〈形如藤葛者也万加利〉
37.粔籹 文選注云粔籹〈巨女二音於古之古女〉以蜜和米煎作也
38.茹 文選傳玄詩云厨人進藿如有酒不盈坏〈茹音人恕反由天毛乃藿音霍葵藿也〉
39.寒 文選云寒鶬烝麑〈師説寒讀古与之毛乃此間云迩古与春〉
40.酒槽 文選酒徳頌注云槽〈音曹佐賀布祢〉今之酒槽也
41.属鏤 廣雅云属鏤〈力朱反文選讀豆流歧〉劔也
42.叉 六韜云叉〈初牙反文選叉簇讀比之今案簇即鏃字也〉両歧䥫柄長六尺
43.韝 文選西京賦云青骹摯於韝下〈韝音溝訓太加太沼歧又見射藝具〉薩琮曰韝臂衣也
44.紲 文選西京賦云韓獹噬於紲末〈紲音思到列反訓歧都奈〉薩琮曰紲摯也
45.罘網〈統閇紭附〉 纂要云獣䋄曰罘〈音浮〉麋䋄曰罠〈武巾反〉兎網曰罝〈子耶反已上訓皆阿𫟈〉文選注紭〈戸萌反訓呼又与網同〉罘之䌉也
46.媒鳥 文選射雉賦注云少養雉子至長狎人能招引野雉者謂之媒〈師説乎度利〉
47.纚 文選注云纚〈所買反師説佐天〉䋄如箕形狹後廣前者也
48.杙〈椓字附〉 文選云椓嶻嶭而為杙〈餘織反訓久比椓音琢訓久比宇都今案俗以杭為杙非也杭音元木名也見唐韻〉
49.粉 文選好色賦云着粉則大白〈粉之路歧毛能〉
50.黒齒 文選注云黒齒國在東海中其土俗以草染齒故曰黒齒〈俗云波久路女今婦人有黒齒具故取之〉
51.黄櫨 文選注櫨〈落胡反波迩之〉今之黄櫨木也
52.羽族部第十五〈文選注云羽族謂鳥也〉
53.鷦鷯 文選鷦鷯賦云鷦鷯〈焦遼二音佐々歧〉小鳥也生於蒿萊之間長於藩籬之下
54.冠 野王案溪鳥勅鳥頭上有毛冠〈冠讀佐賀文選羽毛射雉賦冠雙立謂之毛角耳〉鳥冠也尓雅注云木兎似鴟而毛冠〈今案此間名同上但獨立謂之毛冠雙立謂之毛角耳〉
55.觜〈喙附〉 説文云觜〈音斯久知波之〉鳥喙也喙〈音衛久知佐歧良文選飢鷹礪之曰也〉鳥口也
56.䙰褷 文選海賦云鳥雛䙰褷〈離徒二音師説布久介〉
57.淋滲 同賦云鸖子淋滲〈林深二音師説都々介〉李善曰䙰褷淋滲皆毛羽始生皃也
58.鞦 文選射雉賦云青鞦〈音秋師説乎布佐〉李善曰鞦夾尾之間也
59.膆 文選射雉賦云膆〈音素師説毛乃波𫟈〉鳥受食處也
60.飛翥 唐韻云翥〈音恕字亦作䬡文選射雉賦云軒々波布流俗云波都々〉飛擧也
61.嚇 唐韻云鳴〈音名奈古〉鳥啼也囀〈音轉作閇都流〉鳥吟也文選蕪城賦云寒鴟嚇雛〈嚇音呼挌反師説賀々奈久〉
62.㕞毛 四声字苑云㕞〈所劣反文選云㕞比歧久路比湏漢語抄云阿布良比歧〉鳥理毛也
63.毛群部第十六〈文選注云毛群謂獣〉
64.水豹 文選西京賦搤水豹〈阿左良之〉
65.猱㹶 文選注云猱㹶〈上乃交反下音庭漢語抄云麻多〉猨属也
66.鼱鼩 文選注云鼱鼩〈精劬二音漢語抄云能良祢〉小鼠也
67.水牛 文選上林賦云沈牛〈今案又一名潜牛也見南越志〉即水牛也能沈没於水中者也唐韻云牨〈水牛也音同〉
68.鬣 唐韻云鬐〈音耆今案鬐鬣俗云宇奈加𫟈又魚宇奈加𫟈見魚體知之〉馬頂上長毛也文選云軍馬弭髦而仰秣〈髦音毛訓師説多智賀𫟈〉鬣之稱也
69.鰭 文選注云鰭〈音耆波太俗云比礼〉魚背上鬣也唐韻云鬣〈音獦又見馬體〉鬚鰭也
70.大角豆 同經曰大角豆一名白角豆〈佐々介〉色如牙角故以名之其一殻含数十粒離々結房〈離々讀布佐奈流見文選〉
71.藻 毛詩注云藻〈音早毛云毛波〉水中菜也文選云海苔之彙〈海苔即海藻也〉崔禹食經云沈者曰藻浮者曰蘋〈音頻今案蘋又大萍名也〉
72.鹿角菜 崔禹食經云鹿茸〈都乃万太〉状似水松者也文選江賦云鹿角菜〈楊氏抄云和名同上〉
73.蒟蒻 文選蜀都賦注云蒟蒻〈䀠弱二音古迩夜久〉其根肥白以灰汁煮則凝成以苦酒淹食之蜀人珍焉
74.栗刺〈罅發附〉 神異經云此方有栗徑三尺二寸刺長一尺〈刺伊賀〉文選蜀都賦云榛栗罅發〈上音呼亞反師説恵米利〉李善注曰栗皮坼罅而發也
75.紫萄 本草云紫萄〈衣比加豆良〉文選蜀都賦云蒲萄乱潰〈萄音陶漢語抄云蒲萄衣比加豆良乃𫟈〉

 以上を見たとき、和名抄による文選の引用に、他の引書との相違を特段に見出すことはできない。次に、「文選読」ないし「文選」に「読」字が絡む例を含めて、和名抄における「読(讀)」の字を総覧する。上の列挙同様、伝本により遺漏もあろう点は留意されたい。

76.杣 功程式云甲賀田上杣〈杣讀曽万所出未詳但功程式者修理𥬷師山田福吉等弘仁十四年所撰上也
77.巫覡〈祝附〉 説文云巫〈音無和名加无奈歧〉祝女也文字集略云覡〈下激反〉男祝也〈祝音之育反和名波不利〉祭主讀詞也
78.眇 周易云眇能視蹇能行〈師説眇讀湏加女蹇見下文也〉
79.竸馬[標附] 本朝式云五月五日竸馬[久良閇无麻]立標[標讀師米]
80.八道行成 内典云拍毱擲石投壷牽道八道行成一切戯笑悉不觀印[作八道行成讀夜佐湏賀利]
24.軒檻 漢書注云軒〈唐言反〉檻上板也檻〈音監文選檻讀師説於保之万〉殿上欄也唐韻云欄〈音蘭漢語抄云欄檻〉階陛木勾欄亦〈如本〉
28.玫瑰 唐韻云玫瑰〈枚廻二音今案雲母同見干文選讀翡翠火齊處〉火齊珠也
81.縑 毛詩注云綃〈所交反又音消加止利〉縑也釋名云縑〈音兼〉其絲細緻數兼於絹也漢書云灌嬰販繒〈疾陵反師説上讀同今案又布帛揔名也見説文〉
82.調布 唐式云楊州庸調布[今案本朝式有庸調布讀豆歧乃沼乃又有信濃望陀等名望陀者上総国郡名也其體与他国調布別異故以所出国郡名爲名也]
83.綿絮[屯字附] 唐韻云綿[武連反和太]絮也四声字苑云絮[息盧反]似綿而𫝖悪也唐令云綿六两屯[屯聚也俗一屯讀𠃧止毛遲]
84.襷襅 続文曰諧記云織成襷[本朝式用此字云多湏歧今案所以音義未詳]日本紀私記云手繦[訓上同繦音響]本朝式云襷襅各一條[襅讀知波夜今案未詳]
85.漿 四時食制經云春宜食漿甘水〈漿音即良反豆久利𫟈豆俗云迩於毛比〉食療經云凡食熱膩物勿飲冷酢漿〈師説冷酢讀比伊湏由礼流〉
86.魚條 遊仙窟云東海鰡魚條〈魚條讀湏波夜利本朝式云楚割〉
39.寒 文選云寒鶬烝麑〈師説寒讀古与之毛乃此間云迩古与春〉
87.注連 顔氏家訓云注連章断〈師説注連之梨久倍奈波章断之度太智〉日本紀私記云端出之縄〈讀与注連同也〉
88.簡札 野王案簡〈古限反不𫟈太〉所以冩書記事者也兼名苑云辺牘〈音讀〉一名札〈音察〉簡也
41.属鏤 廣雅云属鏤〈力朱反文選讀豆流歧〉劔也
42.叉 六韜云叉〈初牙反文選叉簇讀比之今案簇即鏃字也〉両歧䥫柄長六尺
89.犬枷 内典云譬如枷犬繫之於柱終日繞柱不能得離〈涅槃經文也枷讀師説久比都奈〉
90.革 説文云革〈古核反都久利加波今案有蘓枋皮黄櫨革紫革褐革緋纈革等名纈讀由波太即是夾纈之纈字也〉獣皮去毛也
91.𦝫鼓 唐令云高麗伎一部横笛𦝫鼓各一〈𦝫鼓俗云三鼓〉本朝令云𦝫鼓師一人〈腰鼓讀久礼豆々𫟈今呉楽所用是〉
92.幔 唐韻云幔〈莫半反俗名如字本朝式班之讀万不良万久〉帷幔也
93.樏〈餉附〉 蒋魴切韻云樏〈力委反楊氏漢語抄云樏子加礼比計今案俗所謂破子是破子讀和利古〉樏子有隔之器也四声字苑云餉〈式亮反字亦作𩜋訓加礼比於久留〉以食送也
94.鷙[鴘字附] 蒋魴切韻云鷙[音四多賀]鷹鷂惣名也日本紀私記云倶知〈両字急讀屈百済俗号鷹曰倶知也〉唐韻云鴘[方免反又府蹇反俗云賀閇流波美]鷹鷂二季色也
95.喚子鳥 万葉集云喚子鳥〈其讀与布古止利〉
96.稲負鳥 同集云稲負鳥〈其讀伊奈於保勢度利〉 
54.冠 野王案溪鳥勅鳥頭上有毛冠〈冠讀佐賀文選羽毛射雉賦冠雙立謂之毛角耳〉鳥冠也尓雅注云木兎似鴟而毛冠〈今案此間名同上但獨立謂之毛冠雙立謂之毛角耳〉
97.牛〈附犢〉 四声字苑云牛〈語丘反宇之〉土畜也尓雅注云犢〈音讀古宇之〉牛子也
98.鯔 遊仙窟云東海鯔條〈鯔讀奈与之音緇條讀見飲食部〉
99.螽蟴 兼名苑云螽蟴[終斯二音]一名蚣蝑[縱黍二音]一名蠜螽[煩終二音]舂黍也[漢語抄云舂黍讀以祢豆歧古万侶]
70.大角豆 同經曰大角豆一名白角豆〈佐々介〉色如牙角故以名之其一殻含数十粒離々結房〈離々讀布佐奈流見文選〉
100.大凝菜 楊氏漢語抄云大凝菜〈古々呂布度〉本朝式云凝海藻〈古流毛波俗用心太讀与大凝菜同〉
101.楠 唐韻云楠〈音南字亦作枏本草久湏乃歧〉木名也櫲樟〈豫章二音日本紀讀同上〉木名生而七年始知矣
102.葉 陸詞曰葉[与渉反波万𦯧集黄葉紅葉讀皆並毛美知波]草木之敷於莖枝者也
103.心 周易云其於木也為堅多心[師説多心讀奈加古可知]

 音のトクとしての「読」の例は、88.「簡札」、97.「犢」の2例がある。また、77.「巫覡」に見える「祭主読詞也」は、祝詞を読みあげる意であろう。それ以外は、訓読みを記す際に用いられている。ただし、そこにはたいへんな特徴がある。和名を表すだけなら、上記したなかにも見られるように、「師説○○云」と前置きしたり、いきなり和訓を記す場合がある。なぜわざわざ「読」と断る必要があるのか。非常に違和感を覚える。
 そこで、「読」という語について考える。白川1995.の「よむ〔数(數)・詠・読(讀)〕」の項に次のようにある。

 数を数えることを原義とする。こよみは「日數かよ」の意。数えるようにして、神に祈り唱え申すことをむという。数えるにしても唱えるにしても、いずれも声を出していうことであった。「呼ぶ」とも関係のある語である。のち、しるされた文を読む意となる。……どくはもと讀に作り、𧶠しよく声。説文〔三上〕に「書を誦するなり」という。王国維おうこくいの〔史籀篇疏証しちゅうへんそしょう〕に「大史籀書」を「大史、書をむ」の意であるとする。ちゆうと読とは声義が近く、籀とは卜兆の占繇せんようの辞などをよむことをいう。〔穀梁伝こくりようでん九年〕に「書を讀みてせいの上に加ふ」とある書は、祝詞のことである。古い時代には、ものを数えるのは概ね神事に関することであり、書を読むことも、もと神事の儀礼として行なわれた。歌を詠むことが魂振たまふりのためのものであることは、〔万葉〕のいわゆる叙景歌がみな地霊を讃頌する呪歌であり、贈答歌がもと魂振りから発しているという事実によって、確かめられるのである。(794~795頁)

「巫覡」の例の示すところである。古典基礎語辞典の「よ・む【読む・詠む】」の項には、解説として次のようにある。

 一つずつ順次数えあげていくのが原義。古くは、一定の時間的間隔をもって起こる事象に多く用いた。一つ一つ漏らさずに確認・認知する意。「歌を詠む」は五音七音の形式に従って順々に声を出して一首にまとめる動作、「書を読む」は書かれている文字を順序に従って一字一字たどる動作をいう。その結果として内容や意味を理解する意にも展開した。(1304頁、この項、筒井ゆみ子)

「語釈」の④に、「書かれた文字を一字一字、発声する。一字一字唱える。経文や修法を唱誦する。音読する。あるいは記憶を暗唱する。」(1304頁)とある。中七において、字余り・字足らずの歌は、よんでいないに等しいということであろう。実にわかりやすい。
 時代別国語大辞典の「よむ【数・読】」の項でも、「①数を数える。月日を繰る。」、「②歌や経文などを声をあげて唱える。」(802頁)の2義を挙げている。記紀に「読」の用例をみると、固有名詞に用いられる「月読尊」(神代紀)・「月読命」(記上)の「読」は、月齢を読むこと、すなわち、日を数えるの意であろう。「読み度(わた)らむ」(記上)もワニを一匹、二匹、三匹と数えるものである。書かれている文字を声を出して唱えることとしては、仏教経典を読む例としては、「大乗経典」(「転読(よむ)」)・「大雲経等」・「経」(皇極紀)、「一切経」・「安宅・土側等経」(孝徳紀)、「一切経」・「金光明経」・「観世音経」(天武紀)、「金光明経」・「経」(持統紀)、祝詞を読む例としては、「天神壽詞」(持統紀)、また、儒教関連ではないかとされるものを読む例としては、「経典(ふみ)」(応神紀)がある。外交使節の文書としては、「[高麗王の]表(ふみ)」(応神紀)、「表䟽(ふみ)」(「読み解く」・「読む」・「読み釈(と)く」)(敏達紀)、「三韓表文」(「読み唱(あ)ぐ」)(皇極紀)などがある。天皇に通訳して奏上しているのであろう。(その際の「読み」方がどのようなものであったかは、本稿と深いかかわりがあるに違いないが、録音テープは残っていないので、考察の対象から外さざるを得ない。)
 「読歌(よみうた)」(允恭記)は記88・89歌謡のことをいう。

 如此(かく)歌ひて、即ち共に自ら死にき。故、此の二つの歌は、読歌ぞ。(允恭記)

西郷2006.に、「あやなして歌うのではなく、読み上げるように誦した歌だろうという(『記伝』)。歌詞はまったく違うが、『琴歌譜』にも余美ヨミ歌を載せる。ただそれは、正月元日に奏される寿歌である。」(218~219頁)とある。「伊余湯(いよのゆ)」に流された「軽太子(かるのおほみこ)」が、後を追ってきた「軽大郎女(かるのおほいらつめ)(衣通王(そとほりのみこ))」を「待ち懐きて」歌っている。その歌詞は2首とも、「隠(こも)り処(く)の 泊瀬(はつせ)の……」で始まっている。愛媛の道後温泉と奈良の長谷寺は遠い。場所が合わないのに歌っている。木簡などに文字を書きつけていたものを朗読しているわけではなく、記憶を辿りながら暗唱している。軽太子は、軽大郎女に、かつて歌ったことのある恋歌を、思い出しながら歌っているのであろう。したがって、とぎれとぎれにつぶつぶと歌うことになる。逆に耳元で高らかに歌い上げられたら、女性は引いてしまうのではないか。そこで、「読歌」なる呼び方が当を得ていることになる。実際に抱擁していて、しかも、これから死を迎えようとするときに、大声を張り上げて歌い上げるのは、心中の例ではないが、ヴェルディの椿姫かプッチーニのラ・ボエームのアリアぐらいである。
 それ以外に、記紀には2例残る。各地に屯倉が置かれた記録と、歴史書教科書の検定についての記事である。

 ……肝等屯倉(かとのみやけ)音(こゑ)を取りて読め。……我鹿屯倉我鹿、此には阿柯(あか)と云ふ。……紀国の経湍屯倉(ふせのみやけ)経湍此には俯世(ふせ)と云ふ。……丹波国の蘇斯岐屯倉(そしきのみやけ)、皆音を取れ。……(安閑紀二年五月)
 帝王本紀(すめらみことのふみ)、多(さは)に古き字(みな)ども有りて、撰び集(さだ)むる人、屢(しばしば)遷り易はることを経たり。後の人習ひ読むとき、意(こころ)を以て刊(けず)り改む。伝へ写すこと既に多にして、遂に舛雑(たがひまよふこと)を致す。前後(さきのち)次(ついで)を失ひて、兄弟(あにおと)参差(かたたがひ)なり。今則ち古今(いにしへいま)を考へ覈(あなぐ)りて、其の真正(まこと)に帰す。一往(ひとたび)識(し)り難きをば、且(しばら)く一つに依りて撰びて、其の異(け)なることを註詳(しる)す。他(あたし)も皆此に效(なずら)へ。(欽明紀二年三月)

 安閑紀にある「取音読」と「皆取音」との違いは未詳とされ、一音ずつであることを断るために記されたものかと推測されている。「肝等」はカニトではなく、カトであると定めるためとのことである。私見では、と同時に、「日」の数え方、ココノカ、トオカなどのカに、乙類のトが数の十(と、トは乙類)を意味し、数を数えていることの総称を表すと洒落を言っているものかとも思われる。欽明紀の例の、「後人習読」は、いわゆる養老講書にはじまる計7回の日本書紀の講書が行われたように、そうやって伝えていくことが念頭にある。そのうえで、時代を経て講義する際にその時その時の先生の解釈が変わったり、生徒の講義ノートが捉え方によって細かく違ってみたりすることがあることに対して、どうしておいたらいいかと留意したとき、校本を作っておくのが良いだろうからそうしておくようにとの仰せのことと考えられる。「読」とは、声に出して唱えることを指している。
 同様に、令集解に次のようにある。

 釈云、読文。謂白読也。唐令読文与此異也。唐令无音博士。或云、凡読文者皆同〈在釈音。〉古記云、学生先読経文。謂経音也。次読文選・爾雅音。然後講義。其文選・爾雅音、亦任意耳。穴云、読文謂読訓亦帖耳。考課令進士條、帖所読、文選上秩七帖・爾雅三帖、謂読音帖也。(国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949629/256)

 この文は、養老令・学令に、「凡学生、先経文。通熟、然後講義、」とある箇所にある。「読」は仏典を読経するように、儒典を読みあげることを表している。令には、学ぶべき儒教の経典として、周易、尚書、周礼、儀礼、礼記、毛詩、春秋左氏伝・孝経、論語が挙げられている。文選は記載がない。儒教の経典ではないからである。集解でも「経」と「文選・爾雅」は分けて書いてある。延喜式には、講義日数として、「三史[史記・漢書・後漢書]・文選、各准大経。」とあるものの、紅葉山文庫本令集解学令紙背書入に見られる弘仁式逸文には、「三史・文選、各准中経」となっている。史書と併せて扱われている。扱いに困る儒教にとっての外典(?)である。
 文選の賦の部分に、いわゆる文選読みが猛烈に行われているのは、文選の賦が文学作品として読まれる範囲にとどまらず、一種の漢和辞典として機能していたことを意味したのではないか。集解にある爾雅は、儒教の経典を解読するためにある単語帳みたいなものである。文選を文選読みするとき、文芸作品としての文選の深みを味わえると言えばその通りであろうが、それはまた、漢語と和訓とを羅列していて、丸暗記すれば効率的に漢語の理解が進む便利なアンチョコである。集解にある「其文選・爾雅音、亦任意耳。」とは、それを公認した一文であるように見受けられる。
 いずれにせよ、「読」とは、基本的に、数を数え上げるように声に出して経文を唱えるような場合に使われる語であるとわかる。ただし、集解に、「唐令読文与此異也。唐令无音博士。」とある点に注意すべきであろう。中国人が中国語のテキストを中国音で読むことと、倭人が中国語のテキストを中国音で読むことは異質であって、音博士の助けを得なければならない。そして、「然後講義、」じたとき、ヤマトコトバでの講釈が行われる。外国語だからである。その講義は、先生が声をあげて説明することになる。すなわち、「読」むことに近づいてしまう。ここに、混乱が生ずる。和名抄では、「読」と「云」、また、本稿では取り扱わないが「謂」とを使い分けることで、混乱を回避しているように思われる。
 そこで、「文選云」と「文選読」の違いについて明らかにする。
 「文選云」の例をみると、21.「棉梠」の前半に次のようにあった。

 棉梠 文選云鏤檻文㮰〈音琵一音篦師説文㮰賀佐礼留乃歧湏介〉

「棉梠」は、文選では「鏤檻文㮰」と云っているもののことで、㮰の字の音は琵、あるいは篦で、師説に、文㮰はカザレルノキスケと和訓されたものである、という意味になる。ここにある「文選云」は、文選は○○と云っている、と解説される。「棉梠」=「鏤檻文㮰」(文選)ということを、源順は書いている。
 「師説」については、藏中2013.に、次のように整理されている。

 『和名抄』の引用書目、特に「師説」注記の付された書目は、律令の範疇に収まるものを多く含んでいる。『周易』『礼記』は「大学寮式」にいう「応講説書籍」であり、「学令」「医疾令」には官人・学生・医生・針生等の必修の書目が規定される。また、『文選』『爾雅』は「選叙令」に「進士取明閑時務、并読『文選』『爾雅』」とみえ、さらに、『日本紀』『日本紀私記』には日本紀講書の場が存在し、『漢書』『史記』も広く読まれた[小島1962.による]。『和名抄』の背後には律令があり、大学寮をはじめとする講筵の場、学問教育の場が存在した。平安期の漢籍・古辞書にみえる「師説」三三三条を収集された小林芳規[小林2001.第二章による]氏は、これらが字句校異・字音・訓読・釈義考証の多方面にわたる当時の学問の具体相を示しており、「師説」とは、大学寮における教官の講説・講義録を主とした教官の説のごときものであるとして、その成立を平安初期とされた。(126頁)

 つまり、「師説文㮰賀佐礼留乃歧湏介」とあるのは、先生が「文㮰」を、カザレルノキスケと和訓するものだ、と仰っていたか、講義録にそう書いてあったかするものである。源順は、自分の意見を差し挟んでいない。和名抄は、各氏によって類書的性格が強いと考えられており、「今案」といったささやかで穏やかな注記が散見されるものの、自らの独自な解説を披歴する新解さん的な辞書ではないようである。
 他方、「文選読」の場合は、24.「軒檻」の中盤に、割書される形にて次のようにある。

 檻〈音監文選檻讀師説於保之万〉

「檻」の音は監で、文選では檻を読むときに、師説によるとオホシマと和訓が付けられている、という意味になる。先生が文選を講じているときに、「檻」の字のところをオホシマと読んでいた、と記している。
 ここで「読」と断っていることと、「文選云」の例では何が違うのであろうか。いわゆる「文選読」とは、漢字音とその和訓を、ト・ノという助詞を挟んで読む、漢文のアンチョコ読みのことであった。佐藤1987.のまとめによる名義抄には、38例、ないし、124例とあるように、和名抄に「読」と断りを入れるほどに数少ないものではない。和名抄の「読」には、特別な理(ことわり)があると考えられる。それは、ヨムという語に、数を数えること、声をあげて唱えること、といった表面上の語意にとどまらない、ずっと深い意味合いを含んでいるからのように感じられる。すなわち、白川1995.に、「神に祈り唱え申すこと」という原義から展開された語義として、さらに捉え直されるべきことである。
 上述のとおり、文選の賦の扱いが、漢和辞典的であったなら、大学寮の先生が読みあげるのを聞いていて、なかに、おやっ? というほどの意訳が行われた箇所があったのであろう。カザレルノキスケなど、和訓が長すぎるという個所ではない。それらは単なる説明に過ぎない。そうではなく、檻をオバシマとはよまずにオホシマと和訓するようなところである。文選は経典として読みあげられている。お経とはお呪いの言葉である。しかし、文選はお呪いの言葉ではない。「読」というには本来当たらないはずなのに、頓智の利いたよみ方によって和訓され、呪文が解けたといった感触が味わえてしまう。まさに「読」に当たる個所なのである。なるほどと了解されてしまう訓であるということである。源順自身には思いつかない妙なる和訓であったということであろう。すなわち、筆者が記紀万葉を読む際に通底しているテーマ、なぞなぞが解けて腑に落ちたというのが、和名抄における「読」である。
 そこで、次に、冒頭に掲げた「文選」と「読」とが絡む7例について実際に見ていく。

(引用・参考文献)
柏谷1997. 柏谷嘉弘『続日本漢語の系譜』東宛社、平成9年。
藏中2013. 藏中しのぶ「『顔氏家訓』と『和名類聚抄』」『立命館文學』第630号、2013年3月。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/630.htm
『国立歴史民俗博物館蔵貴重典籍叢書 文学篇第二十二巻』 国立歴史民俗博物館館蔵史料編集会編『国立歴史民俗博物館蔵貴重典籍叢書 文学篇第二十二巻 辞書』臨川書店、1999年。
小島1962. 小島憲之『上代日本文学と中国文学 上』塙書房、1962年。
『古写本和名類聚抄集成第二部 十巻本系古写本の影印対照』 馬渕和夫編著『古写本和名類聚抄集成第二部 十巻本系古写本の影印対照』勉誠出版、平成20年。
古典基礎語辞典 大野晋編『古典基礎語辞典』角川学芸出版、2011年。
小林2001. 小林芳規『平安鎌倉時代における漢籍訓読の国語学的研究』東京大学出版会、2001年。
西郷2006. 西郷信綱『古事記注釈 第七巻』筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2006年。
佐藤1987. 佐藤喜代治「文選読み」同編『漢字と日本語』明治書院、昭和62年。
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、1967年。
白川1995. 白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
築島1963. 築島裕『平安時代の漢文訓読語につきての研究』東京大学出版会、昭和38年。
松本2007. 松本光隆『平安鎌倉時代漢文訓読語史料論』汲古書院、2007年。
山田1935. 山田孝雄『漢文訓読によりて伝へられたる語法』宝文館、昭和10年。国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1870273
渡辺2013. 渡辺さゆり「訓点資料としての『文選』における文選読みの表記形式について」『比較文化論叢28』札幌大学文化学部、2013年。
『倭名類聚抄京本・世俗字類抄二巻本』 東京大学国語研究室編『倭名類聚抄京本・世俗字類抄二巻本』汲古書院、昭和60年。
(つづく)

※本稿は、2015年3月稿を2021年10月に整理するとともに、十巻本和名抄の「読」字の例の遺漏を追加したものである。

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