ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト

NGO ひろしま市民によるカザフスタン共和国旧ソ連核実験場周辺住民(核被害者)への支援・交流

2021 Summer No.37   

2021-07-24 18:46:38 | Weblog
2021 Summer          No.37
            
ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト
〒 733-0861広島市西区草津東3-6-11-2(橋村宅) TEL/FAX:090-2002-7385
E-Mail:mashenka@fancy.ocn.ne.jp  Blog: http://blog.goo.ne.jp/kazakhstan

【2020年度の活動記録】
2020年3月上旬から新型コロナウィルス感染拡大にともない、緊急事態宣言が発令され、三密につながる行動が大幅に制限されました。そのため、世話人会を開くことも出来なくなり、6月になってやっと世話人会を開くようになりました。しかし、セメイ市内しないで開催を予定していました、基町高校の美術部員が被爆証言をもとに描いたヒロシマの被爆の絵を展示する計画は、渡航不可能なため開催を断念せざるを得ませんでした。
   
2020年度の主な活動を報告させていただきます。
●6月7日(日) 第1回世話人会(於:広島市まちづくり市民交流プラザ3F)
  →令和元年度の収支報告の確認と令和2年度の活動計画(①広報誌発行、②総会の開催、③せこへい美術展への出展、④大学生をカザフスタンに派遣し原爆の絵を展示する事業は、カザフスタン共和国東カザフスタン州のロックダウンにより渡航が不可能なため中止を決定)
●7月5日(日) 第2回世話人会及び総会(於:広島市まちづくり市民交流プラザ3F)
→令和元年度の事業報告・決算報告、令和2年度の事業計画・収支予算、世話人改選及び広
報用パンフレット&展示用パネルを更新することを確認。
●7月23日(木) 広報誌「ヒロセミ」No.36の印刷と発送(A4版8ページ、250部印刷+100部発送)
●8月8日(土)~8月16日(日) せこへい美術展参加(於:旧日本銀行広島支店)
→ヒロセミPJのパネル展及び日本ユーラシア協会「カザフの子の作品」の展示

せこへい美術展でのセミPJの展示風景
●10月3日(土) 第3回世話人会(於:広島市まちづくり市民交流プラザ3F)
→ 在カザフ日本大使館経由での小児病院への医薬品(10万円)の贈呈を検討するが、長期にわたる東カザフスタン州のロックダウンのため、在カザフ日本大使館員も現地に入ることが出来ないことから、今年度の贈呈は断念する。
●11月15日(日) 第4回世話人会(於:広島市まちづくり市民交流プラザ3F)
→多山報恩会の助成金精算の確認を行う。また、日本で勉強及び仕事を始める元留学生たちの近況を確認。
● 2021年2月27日(日)第5回世話人会(於:広島市まちづくり市民交流プラザ3F)
→ 1月22日 核兵器禁止条約が発効し、グローバルヒバクシャ(セミパラチンスクの核実験の実相)の発信と県内の平和団体との学習等の連携強化を進める
●3月7日(日) 『国際女性デー』 (於:ひとまちプラザ)
→ 道田 涼子 若い世代の平和活動報告

道田涼子世話人と娘さん(かのん)と二人で一緒にカザフスタンの核実験の歴史とヒロシマセミパラチンスクプロジェクトとカザフの人々との相互訪問や活動について報告しました。
特に、「ザマナイ」の映像に多くの方が感動していました。(2019年カザフスタン訪問時、セメイ市の国際会議開催時のオープニングセレモニーにて道田氏本人が歌唱)
ヒロセミPJの写真パネル展示(期間:2021年3月3日~3月10日)
3月7日国際女性デーの様子(於:ひとまちプラザ)

【2021年度の活動予定】
今年は、カザフスタン共和国独立30周年の年に当たり、現地訪問などを計画したいところですが、特に東カザフスタン州のコロナ禍によるロックダウンは長期に続いており、昨年に続いて今年も現地訪問及びセメイ市内の小児病棟への医薬品の贈呈も出来ていません。
なお、小児病棟への医薬品の贈呈については、現地訪問以外の方法も含めて検討して行きます。また、今年度の活動も今予定されているのは、以下の二つです。
●「せこへい美術館」への出展  8月17日~8月22日 於、旧日銀広島支店
●カザフスタン独立30周年記念によるセメイ医科大学とのリモート会議  8月28日
【元留学生3名、東京・新潟に再留学、山口に就職】
■アクマラル(第2期留学生) 家族で日本にやってきました
アクマラル(2期留学生)は、主人と子供4人で2019年11月に来日しました。
アクマラルは、東京外国語大学言語学、博士課程に合格し、2019年9月に来日し、11月から主人と子供4人も来日しお、家族一緒に生活しています。
現在東京外語大学大学院、博士課程に留学(5年間)、言語学を専攻しています。

子供たちは中学生の長女ナゼルケを先頭に元気に日本での生活を楽しんでいるそうです。
Amangali Nazerke (12歳)
アマンガリ ナゼルケ
Amangali Ingkar(11歳)
アマンガリ インカル
Amangali Aisha(7歳)
アマンガリ アイシャ
Amangali Magzhan(3歳)
アマンガリ マグジャン
■マリカ(第10期留学生) 新潟事業創造大学大学院に入学
マリカ(10期留学生)は、2020年12月に来日し、新潟事業創造大学院大学に入学しました。
WFWP(世界平和女性連合で国連NGOの日本支部)より、日本語弁論大会で表彰されたとの報告がありました。
■ヌルダナ(第11期留学生) 萩市のIT関連会社に就職
ヌルダナ(第11期留学生)は、IT関連会社の株式会社Phone Appliに就職が決まり、2021年1月に来日しました。
自主隔離後、アプリ開発センターのある山口県萩市の明倫学舎で仕事をしています。

ヌルダナからのメッセージ :
広島での留学によって、多くの大事な体験を身に着け、たくさん学ぶことができました。
現在は日本のIT関連会社で働いていて、ワクチン予約システムなどの現在必要とする技術を提供できることを誇りに思っています。ヒロシマセミパラチンスクプロジェクトの皆様に心より感謝しております。
いつも平和を大切に!
写真は、2019年8月4日に「ハチドリ舎」で行われた、トークイベント「カザフスタンの核実験被害のこれまでとこれから」の様子。
左から、平岡敬元広島市長、ヌルダナ(第11期留学生)、アイダナ(第12期留学生)、詩人アーサー・ビナード。

【2021年、カザフスタン共和国独立30周年を迎える】
1949年8月29日に、ソ連邦による最初の核実験がセミパラチンスク核実験場で行われ、その後、1989年10月19日までの最後の核実験まで456回の核実験が行われました。
核実験場の閉鎖を目指して、カザフスタン作家同盟第一書記のスレイメノフ氏は、1989年3月22日に反核団体「ネバダ・セミパラチンスク」を結成し、世界のヒバクシャと連帯し、核実験の中止・核兵器の廃絶、ヒバクシャの救済を求めて活動を開始しました。
また、1990年5月17日に「ネバダ・セミパラチンスク」主催で、中国放送(RCC)⇔カザフスタンTVを衛星中継で繋ぎ、両ヒバクシャが体験を語り合い、海外にセミパラチンスク核実験場を知らせる最初になりました。また、スレイメノフ氏らは1990年8月に広島で開催された原水爆禁止世界大会に参加し、「セミパラチンスク」の実情を訴えました。
1991年8月29日、カザフスタン社会主義共和国第一書記ナザルバエルは、セミパラチンスク核実験場の正式な閉鎖を宣言しました。なお、この行為を記念して国連は、8月29日を「核実験に反対する国際デー」としました。
カザフスタンは、1991年12月16日(国家の祝日)に独立を宣言し、2021年12月16日で30周年を迎えることになります。

この30年間で起きたカザフスタン共和国の出来事及びヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトの主な活動を振り返り紹介します。
※1991年12月16日、カザフスタンは独立共和国となる。
1994年8月、広島市でアジア競技大会に向け、公民館活動を通じて「一館一国運動」がはじまり鈴ガ峰公民館を中心に「広島カザフ友好の会」が発足し、その輪が広がっていきました。
1997年に日本ユーラシア協会主催の日本文化週間で、広島から12名の代表がセミパラチンスク核実験場跡地を訪れ、世界では核実験によって多くのヒバクシャが生み出されていることを知らずに過ごしていた事への自責の念を強く抱いた。
※1997年12月10日、アルマティからアスタナ(現ヌルスルタン)に遷都。また、1998年4月からアスタナ新首都設計がスタート。27チームのコンペの結果、黒川紀章案が第1位となる。
1998年9月7日、ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトを発足。1997年に現地を訪問した人たちは、ソ連崩壊後の混乱している状況から、緊急に現地への医療支援が必要であることを実感し、その為の募金活動や市民レベルの交流を進めるために広く活動参加を呼びかけ、プロジェクトの発足にいたる。
1999年8月、ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト発足後初のセミパラチンスク(セメイ)を訪問。健診車両として使うためにトヨタハイエースワゴンを寄贈する。
医療支援活動では、エコーなどの検査機器と武市先生や野宗先生による甲状腺検査や医療技術向上のためのセミナー開催を行い、2013年からはセメイ市内の小児病棟への医薬品の贈呈を続けている。
2000年4月から山陽女学園高等部でセメイ市からの留学生の受け入れが始まり、2018年19期留学生のアイーダが25人目の留学生となり、これをもって留学生の受け入れを終える。
※2001年10月、日本の円借款によりイルティッシュ川橋梁(6車線、750m)完成、建設工事は(株)IHI。
※2006年9月8日、中央アジア5カ国(カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン)によって「中央アジア非核兵器地帯条約」が調印され、2009年3月21日に発効。
2009年8月7日、NHK総合テレビジョン「ノーモアヒバクシャ~核兵器のない世界を目指して~」が放映。ローザ・リムバエバ氏による「ザマナイ」の歌が紹介され、日本語通訳をアケルケ(第1期留学生)が行った。
2012年7月、カザフスタンの歌手であるローザ・リムバエワ氏を広島市に招聘し、各会場でコンサートを開催。
2014年8月29日、ネバダ・セメイ国際反核運動25周年のセメイ市内で開催される国際会議に広島から代表団を派遣。広島市からは、平和文化センターの小溝理事長が出席。
2016年11月9日、ナザルバエフ大統領、広島平和記念館を視察・訪問、「ザマナイ」の合唱で大統領を出迎える。
2018年7月、ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト20周年企画としてセメイ医科大学のナイラ博士と第1期留学生のアケルケを招聘し、基調講演及びこれまで関わってきた方々からの報告を頂いた。
※2019年3月19日、ナザルバエフ大統領辞任表明し、翌日、トカエフ上院議長が大統領に就任。また、2019年3月23日、トカエフ大統領は首都名を「アスタナ」から「ヌルスルタン」とする大統領令に署名。
2019年7月、11期留学生のヌルダナ、12期留学生のアイダナを招聘し「旧ソ連の核実験から70年、カザフと日本の若者を中心としたシンポジウム」を開催。
2019年8月、セメイ医科大学主催の国際会議「環境・放射線・健康」に代表団を派遣。
※2019年8月29日、カザフスタン共和国は核兵器禁止条約に批准し、26か国目になった。その後も批准国は増え続け、2020年10月24日に批准国が50カ国に達し、その90日後の2021年1月22日に条約は発効された。
2022年1月12日~14日の日程で、オーストリアの首都ウィーンの国連施設で第1回締約国会議が開催される。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元留学生ヌルダナによる当会紹介記事 英語版

2020-07-21 15:39:15 | お知らせ
Kazakh anti-nuclear anthem inspires activists across languages, decades
BY NURDANA ADYLKHANOVA in INTERNATIONAL on 13 JANUARY 2020
NUR-SULTAN – The Kazakh anti-nuclear protest song “Zaman-ai” has been inspiring activists for decades. Most recently, it was recorded and released by Japanese singer Michida Ryoko in Japanese and English last year.

Nazarbayev’s visit to Hiroshima in 2016. Photo credit: Tomiaki Kurokawa.
“Zaman-ai” was translated into Japanese and English in 2003 at the initiative of leaders of the Hiroshima Semipalatinsk Project (HiroSemi), a Japanese civil group that provides medical aid to radiation victims in the Semipalatinsk region and accepts Kazakh students to study in Japanese high schools. The first CD was released in 2010.
“Zaman-ai” is an anthem of the Nevada Semipalatinsk international anti-nuclear movement, which called for the closure of the Semipalatinsk nuclear test site in Kazakhstan. It was the site of the four decades of weapons testing by the former Soviet Union.
“I can’t forget the shock of hearing this song for the first time. In the distant region of Central Asia, hearing the cry of the souls of those who had suffered from nuclear weapons… all the people there were sharing their sorrows from the bottom of their hearts,” said Vice Director of HiroSemi Chieko Kobatake in an interview for this story.
Kobatake heard the song for the first time Aug. 29 1999, when she arrived with 11 other delegates from Hiroshima in Semipalatinsk. On that day, thousands of local people and hundreds of nuclear victims launched 300 floating water lanterns on Yertis River to commemorate those who lost their lives. During the lantern floating ceremony, “Zaman-ai” was played many times.

L-R: Ulugbek Yesdaulet, Michida Ryoko and Tulegen Mukhamedzhanov.
Kobatake was moved by the sound of the Kazakh melody of “Zaman-ai.” The song helped change people’s minds across borders and time, she added. This brought her to the idea of translating the song and introducing it in Japan.
In the following year, in 2000, two Kazakh students studying in Japan through the HiroSemi programme, Akerke Sultanova and Amina Kassymbekova, performed “Zaman-ai” Aug. 6 at the riverside of the Peace Memorial Park in Hiroshima. Three years later, Sultanova and two Kazakh students introduced the Japanese version of the song to the public for the first time. Since then, the song has been performed by Kazakh students arriving in Hiroshima every year.
In 2009, Roza Rymbayeva, famous Kazakh national singer and the original performer of “Zaman-ai,” performed the song in Semei, which was broadcast to the world.
“Everyone who heard her singing voice requested her CD and Japanese translation,” said Kobatake.
The demand prompted HiroSemi to release a CD track of “Zaman-ai” based on Sultanova’s and Kobatake’s translated versions. The CD cover was made by painter Hiroki Kawasaki. By releasing the Kazakh anti-nuclear song in Japanese, HiroSemi desired to link the power of the civil movement that forced the closure of the test site in Kazakhstan to the elimination of nuclear weapons in the world, said Kobatake.
In 2012, after the Tohoku earthquake, Rymbayeva travelled to Hiroshima to hold concerts and meetings and give lectures. During the visit, Rymbayeva performed the song with Japanese singer Ryoko.
“Thanks to the Japanese translation, ‘Zaman-ai’ has reached the hearts of Japanese people as a message… From this song, many Japanese were able to learn about the nuclear testing conducted in Kazakhstan,” Ryoko told The Astana Times.
In November 2016, Ryoko performed the song solo at the welcome reception of Kazakh President Nursultan Nazarbayev in Hiroshima. Two years later, the Ministry of Foreign Affairs of Kazakhstan invited Ryoko to perform the Japanese translation of “Zaman-ai” at the Ruhani Kazyna Festival in the capital, the first culture and art festival dedicated to celebrating the Day of Culture and Art Workers in Kazakhstan.

L-R: Lyrics translator Akerke Sultanova, Vice Director of HiroSemi Chieko Kobatake, Japanese singer Michida Ryoko.
Distinguished artists of Kazakhstan and authors of the song “Zaman-ai” Ulugbek Yesdaulet and Tulegen Mukhamedzhanov thanked Ryoko for her beautiful song performance at the festival.
“They [Yesdaulet and Mukhamedzhanov] told me that music creates peace. I totally agree. Even if you speak different languages, you can communicate with music,” said Ryoko.
It was her first visit to Kazakhstan.
“I fell in love with this country and its hospitality! People of Kazakhstan are very kind and friendly; the food here is very delicious,” she added.
During Ryoko’s second visit to Kazakhstan Aug. 26, 2019, she reunited with Rymbayeva in Almaty. According to Ryoko, she had been dreaming of the day she would meet Rymbayeva again.
Ryoko also performed “Zaman-ai” Aug. 28, 2019, at the 14th Environment, Radiation and Health Conference in Semei National University of Medicine. The next day, she participated in a local commemorative peace ceremony to mark the 70th anniversary of the first nuclear test and the 30th anniversary of the last day of testing in Semipalatinsk.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令和1年度 (第22期)定期総会開催のお知らせ

2020-06-10 10:33:48 | Weblog
 定期総会開催のご案内       2020年6月10日

毎年、郵送にて告知していました総会をSNSにてお知らせします。
コロナ禍の各種公共施設の閉鎖により、広報誌の作成、総会の告知が遅れましたことお詫び申し上げます。
世界的なパンデミックにより、遅れていましたカザフスタンのコロナ感染者も上昇の一途です。
現在も外出禁止が続いています。今夏のカザフスタンとの相互訪問等は困難となっています。
しかしながらSNSにて元留学生たちとの交流は続いております。


2020年、第22期定期総会の開催
⇒ 日 時 : 7月5日(日) 16:00~
⇒ 会 場 : 広島市まちづくり市民交流プラザ3Fフリースペース
⇒ 内 容 : 第2回世話人会及び総会(2019年度の活動のまとめと2020年度の活動計画)

今年度は主に来期に向けての準備期間となります。
総会にご参加いただき皆様からのご助言をいただければ幸いです。

ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カザフスタン訪問報告会

2019-10-30 13:13:45 | イベント情報
カザフスタン訪問報告会

旧ソ連の第1回核実験から70年、核実験停止から30年、草の根交流第1回訪問から20年
旧ソ連では、1949年8月29日の核実験を皮切りに1989年まで、700回以上の核実験が行われ、その内、カザフスタンで約500回を数え、その9割の450回以上がセミパラチンスク核実験場で行われました。
カザフスタンで行われた核実験のエネルギー総量は、TNT換算で17.4メガトンに及び広島型原爆1,100発分に相当します。
四国の面積に匹敵する広大な実験場周辺住民は、40年間秘密裏に行われた核実験により、ヒバクの事実を知らないまま原因不明の病気や死に苦しみ続けました。


● 日 時 : 2019年11月23日(土)  午後4時30分~7時00分
● 会 場 : 広島市留学生会館2F研修室1 / 〒732-0806 広島市南区西荒神町1-1 TEL(082)568-5931
● 参加費 : 無 料 / 下記のお問合せ先に連絡をお願いします
● 訪問期間 2019年8月25日~8月31日(当会主催)
*別日程・セメイ大学から招待、ネバダ・セメイ反核同盟等から招待
● 報告者 :
野宗 義博(広島国際大学教授・ヒロセミPJ顧問) …… カザフの甲状腺検査から見えるもの
佐々木 桂一(ヒロセミPJ世話人代表) ……… 核実験場閉鎖から核兵器禁止条約制定に向けて
小畠 知恵子(ヒロセミPJ世話人副代表) …… カザフ訪問の各行事・交流などの実施内容
橋本 正和(ヒロセミPJ監事)  ………………  2回目のカザフ訪問を通じての思いと決意
萩原 勲 (ヒロセミPJ理事) …………………  留学生たちのその後
道田 涼子(ヒロセミPJ理事・歌手) +道田かのん(小3生)…………  アルマトイとセメイを訪ねて
星 正治(広島大学名誉教授・ヒロセミPJ顧問) ……… 9/18 ヌルスルタン平和会議の報告
黒川 冨秋(ヒロセミPJ世話人副代表) ………  原子力の教訓とセミパラチンスク・福島災害
      ※ 1人の報告を15分程度とし、報告の順番・報告内容は変更する場合があります



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヌルダナさんアイダナさん来広

2019-09-03 16:10:48 | Weblog
ヌルダナさんアイダナさん来広

 
 今夏、ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト(略称ヒロセミ)の招聘で、ヌルダナさんとアイダナさんが来広した。ふたりは、ヒロセミが広島へ招いたカザフスタン留学生OG。2000年から18年までの19年間にヒロセミが招いた留学生は25人。ヌルダナ・アディルハノワさん(24)は、第11期(2010年)の留学生。アイダナ・アシクパエワさん(25)は、第12期(2001年)の留学生である。今回の広島滞在は7月25日から8月8日までの2週間。滞在期間中、「平和への祈りコンサート」(7月27日)、「ヒロセミ20周年記念講演&シンポジュウム」(7月28日)、「ヒロシマ平和の灯のつどい」(7月31日)、「友の会平和例会」「平岡敬・金平茂紀対談」「ハチドリ舎平和イベント」(8月4日)、「平和祈念式典」「ユニタール平和イベント」(8月6日)など、多彩な行事に参加・出演した。
 以上の活動のうち、7月28日のヒロセミ主催の「記念講演&シンポジュウム」におけるふたりの発言を紹介したい。その前に、当該イベントのあらましを述べよう。

 ヒロセミは、旧ソ連のセミパラチンスク核実験場のヒバクシャ支援を目的として、1998年に発足した。以来20年、ヒバクシャへの医療支援のみならず、広島市とセミパラチンスク市(現在はカザフスタン共和国セメイ市)の市民交流に努めてきた。留学生支援はその一環である。このたびのイベントは、ヒロセミのこれまで20年間の支援活動・交流活動を振り返り、これからの国際連帯のありかたを考えるものである。会場は広島市内の東区民文化センター。2019年7月28日(日)13時半開会。第1部は記念講演。野宗義博さん(広島国際大学教授)の「ウクライナ・カザフ・福島で続ける甲状腺検査」と星正治さん(広島大学名誉教授)の「内部被曝の検証」。ふたつの講演は、核被災地の医療支援活動を通じて学ぶべきことを明らかにするものであった。第2部はシンポジュウム。コーディネーターは広島大学平和センター長の川野徳幸さんで、5人の若者たちが報告した。日本の若者である井上日南子さん(22)は、高知大学生。国立カザフ大学に1年間留学した体験を報告した。同じく日本の若者である廣目千恵美さん(34)と渡部久仁子さん(38)は、2016年のヒロセミのカザフスタン・スタディ・ツアーに参加した体験を報告した。そして、ヌルダナとアイダナが発言した。

 ヌルダナの発言要旨。1991年8月29日セミパラチンスク核実験場がカザフスタン政府によって閉鎖された。8月29日は国連の「核実験に反対する国際デー」だ。カザフスタンは自発的に核兵器を放棄した国のひとつ、中央アジア非核地帯のリーダー、核兵器禁止条約の批准国だ。だが、カザフスタンの現在の政策は、原子力の平和利用を肯定している。ヌルダナが働いていたカザフスタンの原子力協会の主な目的は、原子力の平和的利用に関する情報を国民に広めることだった。2015年に開設された原子力情報センターの目的は、原子力の平和利用と技術分野における教育を促進することだが、カザフスタン国民は、原子力に対して否定的な態度をとっている。今年4月にロシアのプーチン大統領は、カザフスタンのトカエフ大統領に、カザフスタンの原子力発電所の建設を提案したが、この提案は国民の抗議の波を引き起こした。その後の記者会見で、トカエフ大統領は原発の建設はまだ計画されていないと述べた。カザフスタンの反核運動は、「ネバダ・セミパラチンスク」の30周年記念の枠組みの中で、継続している。一人ひとりの行動の積み重ねが世界を変える。
 アイダナの発言要旨。2014年に、ヌルダナと一緒にマーシャル諸島の首都マジェロで行われた「グローバル被爆者ワークショップ」に参加した。日本、マーシャル、オーストラリア、カザフスタンの若者や研究者は、自国の原爆実験や歴史について語り、他国の悲劇について学んだ。マーシャルの「ブラボー」核実験の「核犠牲者追悼記念日(ビキニ・デー)」にも参加した。東カザフスタンのように、ビキニ環礁で実験が繰り返されたが、最も酷かったのは、それらの爆発がどれほど危険であるかについて、人びとは知らなかったということだ。病気になった人びとは、自分の病気の理由が何であるかさえ知らなかった。マーシャル人から聞いた話は、セミパラチンスクに住んでいる人の話に似ていた。セミパラチンスクの核実験のせいで娘を失った私の祖母は、いま私たちが出来ることは、悲劇について覚えていること、将来それを繰り返さないことだと言っていた。「ワークショップ」に参加して、さまざまな国の若者たちとともに、世界の核の状況を知った。未来は私たちの世代の手の中にある。核被害のことをもっと学び、私たちの知識を同世代の若者に広めるべきだ。

旧ソ連最初の核実験から70年、最後の核実験から30年。核被害のない世界、核も戦争もない世界の実現を目指して、私たちに出来ることは何か。そのような目標をかかげて開催された今回のシンポジュウムで、ヌルダナとアイダナは重要な役割を果たしたようだ。そのことに私は感動した。そして、彼女たちの活躍に感動したのは、私だけではなかったようだ。彼女たちを見守ってきたヒロセミの世話人たちもきっと同じだったにちがいない。7月25日から1週間、ヒロセミの代表団が、核実験終結30年記念イベントがあるカザフスタンを訪問する。ヌルダナやアイダナたちとの再会もきっとあるだろう。こんなふうにして平和は紡がれていくのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若者シンポジウム 開催

2019-07-29 20:58:51 | 活動記録
7月28日開催された、若者シンポジウムの記事が掲載されました。

http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=92374
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧ソ連の最初の核実験から70年 記念講演とシンポジウム

2019-06-19 11:38:42 | Weblog
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カザフ語のザマナイ 

2019-06-02 10:05:04 | Weblog
 
元、劇団四季団員 道田涼子氏がザマナイのCDをリリースしました。!!
カザフスタン反核の歌「Заман-ай" 」】

昨年、5月に初めてカザフスタンに行かせていただき、ザマナイ作曲者のT. Muhamedzhanov さんと、作詞者のUlugbek Yesdauletさんとお会いできた事をきっかけにもっとこの「ザマナイ」を多くの日本人にも聴いてほしいと願いました。

カザフスタンは旧ソヴィエト時代(1948年~1989年)約40年間、空、陸、地下で456回の核実験が行われ、多くの周辺住民が何も知らされないまま被曝し、今もなお癌や白血病などの病気に苦しんでいる、、1989年に核実験場閉鎖を求める「ネバダ・セミパラチンスク」運動の中で多くの住民に歌われ、大きな力となった「ザマナイ-時代よ-」。。。

日本語共同訳は、長きに渡りカザフスタンへの医療支援、留学生受け入れなどの活動を行なってきたヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトの小畠 知恵子氏と、留学生としてヒロシマに一年間留学されたAkerke Sultanovaさん。(著書「核実験地に住む」カザフスタン・セミパラチンスクの現在)

http://www.kadensha.net/books/2018/201807kakuzikkenti.html

カザフ語発音指導をしてくださったNurdana Adylkhanovaさん、Aida Makhanovaさんありがとうございました。

https://youtu.be/clRxNdbyNQo

YOUTUBE.COM
zamanai-時代よ-
カザフスタン国民的歌手ローザ・リムバエワによって歌われたカザフスタン被曝者のための鎮魂歌。1989年に旧ソ連の核実験場閉鎖の実現した市民運動・…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若者たちの対話と専門家報告

2019-05-23 10:36:07 | Weblog
記念講演&シンポジウム

・ 日 時 : 7月28日(日) 13:30~16:00
・ 会 場 : 東区民文化センター スタジオ2 (広島市東区東蟹屋町10-31)
・ 参加費 : 無料(定員80名)

■ 記念講演 : 核実験場の医療支援活動を通じて核の問題に向き合う
・ 広島国際大学     野宗 義博  ウクライナ、ガザフ、福島で続ける甲状腺検査
・ 広島大学名誉教授  星 正治  内部被曝の検証~原爆直後に発生したマンガン(放射性微粒子)~

■ シンポジウム : 核実験から70年、核実験場閉鎖から30年、次の世代に核兵器を残さないために
・ 元留学生(山陽女学園:2010年4月~2011年3月)   Nurdana Adyikhanova              
・ 元留学生(山陽女学園:2011年4月~2012年3月)   Aidana Assykpayeva                  
・ 日本の若者  井上 日南子 高知大学生 国立カザフ大学に1年留学
・ 日本の若者  廣目 千恵美、 渡部 久仁子 2015年カザフスタン訪問
☛ コーディネーター  広島大学平和センター センター長   川野 徳幸






主  催 : ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト(ヒロセミ)
協  力 : 在日カザフスタン大使館、国立セメイ医科大学
お問合せ先 : ヒロセミ事務局(090-2002-7385 橋村)又は(090-2298-4393 小畠)
E-Mail : mashenka@fancy.ocn.ne.jp
〒 733-0861広島市西区草津東3-6-11-2(橋村宅) Blog : http://blog.goo.ne.jp/kazakhstan

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アケルケさん新聞記事

2018-09-25 21:57:56 | Weblog

アケルケさん新聞記事
毎日新聞東京版9月21日付け、「ひと」欄掲載
【毎日新聞東京版 9月21日 アケルケ・スルタノバさん著作紹介】
ひと アケルケ・スルタノバさん=カザフスタン核実験場近くの住民の証言集を日本語で出版
 アケルケ・スルタノバ(Akerke Sultanova)さん(35)
 旧ソ連が核実験を繰り返したカザフスタン・セミパラチンスク。生まれ育ったこの土地で、「ポリゴン」(実験場)近くの住民約80人の証言をまとめた「核実験地に住む」(花伝社)を今夏、出版した。 幼い頃、実験場から150キロ離れた自宅でも地震のような揺れを感じた。より近い母の故郷の村では、障害のある子が相次いで生まれた。1989年に核実験が中止された頃、原爆投下後を生き抜く少年を描いたアニメ「はだしのゲン」の翻訳版を見て、そこから放射線が出ていたと知った。
 高校生の時、市民団体の招きで広島に1年間留学。被爆者の話を聞き、体験を継承する重みを知った。故郷では核実験が40年間で450回以上行われ、120万人以上が被害に遭ったとされるが、医療などの支援は不十分。証言を集める動きもなく、「過去の話とされている」と感じる。一橋大大学院在学中、故郷で住民を訪ね歩いた。危険を知らされずに被ばくした証言は痛ましかった。がんで家族を失った人や、自殺や中絶もあった。実験時、車から村に残るように指示された男性は「私たちは実験台にされた」とメモを残して亡くなった。「広島や長崎のように、セミパラチンスクの被害も世界に知られてほしい」と願う。世界有数のウラン埋蔵量を誇る祖国は今、原発計画を進め、核被害を訴えにくい空気が漂う。それでも「いつかこの本をカザフ語で出したい」。 文・竹内麻子 写真・藤井達也

カザフスタン・キルギス 平和文化交流の旅 報告会
~「核実験地に住む」著者を囲んで~
日 時:2018年10月27日(土) 17:00~19:00
会 場:東京ロシア語学院 2階ホール
(世田谷区経堂1-11-2 小田急線「経堂」駅南口徒歩5分
http://www.jp-euras.org/ja/about/office.html
参加費:第1部のみ :無料
第2部参加 :1500円(軽食とワンドリンク付き)
第1部 17:00~18:00
● 「カザフスタン・キルギス平和フォーラム・文化交流の旅」報告
8/28日~9/7までカザフスタン対外友好文化交流協会とキルギス対外友好協力協会連合会の協力のもと、上記ツアーが成功裡に実施されました。
その中から、主にカザフスタンの反核対話集会、キルギスの平和フォーラムと遊牧民オリンピック、そして両国での文化交流を中心にご報告いたします。
●「核実験地に住む」著者 アケルケ・スルタノワさんのお話し
~ 著書に込めた思いと国際連帯について ~
セミパラチンスク出身のアケルケさんが核実験地被害者から生の声を集め、その実態を今年7月に「核実験地に住む」という本にまとめました。著者から貴重なお話をお聞きします。
第2部 18:10~19:00
● 中央アジアの料理試食付き懇親会
第1部の内容を元に質疑応答したり、中央アジアの魅力などについて、語り合いましょう。

参加申込締切:10月23日(火)
参加ご希望の方は、下記主催者までお名前と電話番号をご連絡下さい。
日本ユーラシア協会 Email:info@jp-euras.org TEL:03-3429-8231
*****
Mari Asano
Deputy chairperson of the BOD
JAPAN-EURASIA SOCIETY
1-11-2, Kyodo, Setagaya-ku, TOKYO, 156-0052
TEL +81-3-3429-8231
FAX +81-3-3429-8233
Email info@jp-euras.org
URL:http://jp-euras.org

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする