「わたし、時々『成功体験』ってどんなことなんだろうって考えるんです。
「そう 思える様になった私 すごい。
友達が出来たとか
例えば何かで入賞したとか …
少なくとも
先生に褒められたとか、
リーダーシップがとれたとか…
そういうことが人生を後押ししてくれるものなんだって今まで思っていました。
だけど、最近思うんです。
そういう体験が本当に『成功体験』かな?って。
苦しくて、上手くいかない時があって、
でもそのしんどい時をなんとか自分なりに乗り越えた時や、
『それでも自分は頑張った こんな状態だったけど自分の精一杯で頑張ったんだ』
そう自分を褒めれた時、それが成功体験じゃないかなって…
そう思うようになったんです。」
区役所でいつも話を聞いてくれる子育て相談員さんのNさんは、いつも私の話を優しい眼差しで聞いて下さいます。
透明のアクリルのついたての向こうでNさんは深く頷いてくれました。
少なくとも
オトに必要な『成功体験』はきっと
小さな困難にぶつかった時
それを自分なりに受け止め、
『自分は頑張った』と自分を褒めることなんだと思います。
私の父が以前ポロッと私に言いました。
「あの絵が入賞しなければオトは不登校にはならなかったかもしれない」と。
あの時は父がまたトンチンカンな事を言っていると思いました。
中1の夏休みの課題に絵の課題がありました。
オトはなかなか描き出せなかったんです。
自分の力量を見誤っているように私は感じて何度も早く取りかかるように声掛けをしました。
具体的に何をどう描けばいいかを考えることを苦手としていたので
いくつか提案をしたのを覚えています。
描きだすと、驚く程にすらすらと描いていました。
ただ、細かい部分はどう表現したらいいか等、また途中から手が止まります。
私はいつの間にか、『提案』から『指示』に変わる自分の発言に戸惑いながらも
『はやく 課題を終わらせないと夏休みが終わってしまう』と口出しに拍車がかかりました。
それでも、オトはオトなりに、風景の写真から色んな色を見つけ表現する力がついていて私の口出しを上回る出来栄えでした。
私は 『オトが頑張った作品だ』と思いました。
その絵が2箇所で入賞し、不登校中に2回も賞状をいただいたわけです。
この絵が入賞することと、不登校は本当は全く関係ないことですが、
おそらく父が言いたかった事は
『頑張りすぎた』ということと
『自分の実力以上のものが独り歩きしてしまった時の次がしんどい』ということだと思いました。
オトが自分で乗り越えるべき課題に口出ししすぎると、
簡単に乗り越えているように見えていても
実際は乗り越えられていないのかもしれません。
その違和感の連続が自己肯定感の低さに繋がるような気がします。
今、親の力では乗り切れない不登校の壁があります。
これは親の私にとって
チャンスだったのかもしれません。
子どもは
自分は頑張ったと思える小さな挫折の繰り返しの中で
自己理解と自己肯定を繰り返し
自分にとっての生きる意味を
見つけるのかもしれないからです。
私はそう思って
今もオトを待っています。
「そう 思える様になった私 すごい。
えらい。そう、自分で思うようにしてるんです。」
Nさんにそう話をしました。
「お母さんも『成功体験』してますよね」
またNさんが優しい目をキラキラさせてそう言ってくれました。