父のアルコール依存症と認知症と鬱と.........

2023-04-29 22:41:57 | 
※忘備録※
70歳で直腸がんになり人工肛門になった父

71歳で肺がん(転移)で肺の1部を切除


2021年 74歳
7月 肝臓がん手術(1部切除)

※この時術後せん妄あり

退院1週間後 ビール飲む

8月 隠していたブランデーが空になる
ウイスキーも飲み始める

※「お酒を飲むと死ぬと思ったけれど死ななかった」と言う。


10月 “物忘れ外来“に連れていく
アルツハイマーだと言われる


11月 片目が真っ赤になる
手が冷たく字もデタラメになってくる
ぶどう膜炎と診断される


※この頃になると朝から飲むようになってくる


12月 ぶどう膜炎手術(75歳)


2022年 75歳
1月 白内障手術

2月末 商店街で倒れる(血だらけ)

※この頃は連続飲酒が激しくなっている
「わし 頭がおかしい」と言う
呂律がまわらない
ご飯を食べない



8月 連続飲酒と酒量が増える
急に怒り出す
真夏にクーラーをつけない(寒いと言う)
呂律がまわらない
ブラックアウトを起こす



9月 近くの精神科クリニックに通い出す

「離婚だ」「お前がおかしい」など暴 言が増える

※この時 父の友人の奥さんが亡くなる
父の“憧れの人“だった


※精神科へは通ってくれるものの連続飲酒はとまらず
飲んで寝てを繰り返す。
転倒も繰り返す。


2023年 76歳
1月 夜中にせん妄を起こす
※幻覚を見て壁に向かって怒り出す
「どうしたの」と聞く母に殴りかかる

※「もうすぐ死ぬから」と言う
※ブラックアウトして毎回記憶がない




2月 入院の予約に署名をしてくる


3月 入院


.....................................................


父はしんどかったに違いない



アルコール依存専門の先生に無料相談をしに行った時のこと

「アルコール依存症を否認していて、お酒も辞めないと言っていたのに、何故精神科を真面目に受診してくれてたんでしょうかね」

と言われた。

また
これだけ連続して手術を繰り返す中で鬱っぽくなっても不思議ではないですねとも言われました。


毎日毎日を見ていると父が起こす困り事しか目に入りませんでしたが

こうやって年単位でみると手術ばかり。

また2022年から2023年は父の変化が目まぐるしいのがよくわかりました。

そして2021年の肝臓がんが大きな転機だったんだと思いました。


あの時、退院した時の力無い父の嘆きが聞こえてきます。
「もう わしは あかんわ……」

そう言って口をつぐんでしまった父の声と顔が私の脳裏に焼き付いて離れません。



https://blog.goo.ne.jp/kazenonei-ro/e/b3edd74d92fa7fb648790f1a38e71ca8





父が帰る場所…

2023-04-29 21:36:30 | 
今日は朝から母と父の病院へ行ってきました。

着替えとお菓子とジュースを持って。



今回も父を扉まで連れてきてくれましたが.........



前回よりも目が落ち込んだ様子

入れ歯が入ってない

表情が乏しい


もしかしたらウトウト昼寝をしていたのかもしれませんが、私達にとっては扉の前に来てくれたただこの一瞬が全てのような気がして少し心配してしまいました。



大丈夫。

きっとタイミングが悪かっただけ。



扉の前に来てくれて嬉しかったものの
耳が悪い父に沢山話しかけてもあまり意味が無いような気がして、
とにかく入院中にコケた腕の青あざは大丈夫?とか
足のむくみは大丈夫?とか
身振り手振りで伝えることのみしました。




勿論、返答はなく…


でもしばらくしてから

「今日、帰るからなぁ〜」
とひと言。

そう言って手を振ってくれました。


そうして
私は片手でOKマークを作り
手を振ってすぐ後ろのエレベーターへ乗り込み帰ることにしました。




私たちを見て『帰るから』と言ってくれたのは、

きっと私たちを『家族』だと分かってくれたからでしょう。

“きっとそうだよ“

☆。.:*・゜☆。.:*・゜

4月25日火曜日に主治医のK先生から電話がありました。


父は夜間せん妄が落ち着き日中は穏やかに過ごしているそうです。

まだお酒が飲みたいと話すので
父の帰る場所はやはり、“家ではなく施設ということになりそうですね“と言われました。

また施設に入所するにも
ストーマの問題が落ち着いてからとの事。
やはり洗面台で便を出してしまったり、外してしまったりするようでそこだけが唯一の課題だそうです。


こんな父ですが.........
不思議と恋しいです.........












父に会えた!

2023-04-23 20:34:42 | 


嬉しくて嬉しくて


涙が止まらない




今日は母と夫と私で
父のいるA病院へ荷物を届けに行きました。


洗濯物とお菓子とジュースとを持って。



担当の看護師さんがお休みなので
絶対に父には会えないと思っていたんですが


「会っていかれますか?」


と対応して下さった看護師さんが声をかけてくれました。


扉の向こう側に

真っ白な髪
色白で痩せた顔

何故扉の前に呼ばれたのか分からないような顔をして遠くを見つめている

父の横顔が見えました。


沢山手を振って
マスクを外して素顔を見せると
父の表情が変わりました


にこにこと笑う父



隣に居た母のマスクを私がひっぱって素顔を見せると

父は驚いたようにおどけて笑ってくれました。



泣きたい気持ちを抑えて
マスクの中で顔を真っ赤にしていた母



私も涙が出そうになって直ぐにマスクをつけて笑いながらこぼれる涙を拭きました。




以前の時より元気になっている

本当にそうかどうかは分からないけれど

『私や母を認識してくれた!!』

そう思えて安堵しました。



扉の向こうで
父が私に話しかけています。


聞こえにくい


聞こえにくいけど


『うん 、うん 』

と沢山頷いて話を聞きました。


「○△□はどうやった?
やっぱり、何にもないよりはなぁ.........


●▲■を持って帰ったら?

あ、桃があったなぁ。


ちょっと待ってて。

持ってくるから.........」




そう言って扉から離れる父。

それっきり
扉の前には現れませんでした。



扉の近くで寄り添ってくれていた看護師さんが向こうへ行った父を見て

「お父さんね、もうこちらには来られないかも。向こうでね(先程看護師さんへ渡した)お菓を食べてるみたいです。」

と教えてくれました。

母と私と夫は笑って
そして看護師さんに頭を下げて帰りました。


病院をでて

それから私は声をあげて泣いてしまいました。


会えて良かった。

嬉しかった。


妄想の中で生きているけれど

私たちの名前はでてこないかもしれないけど

今さっきの記憶はすぐなくなっちゃうかもしれないけれど

私たちが会いに来た瞬間を父は喜んでくれたんだ























泣いてもいいから頑張れ私

2023-04-22 00:05:25 | 
お父さん…

お父さんがいない…


そんな喪失感で
気がおかしくなりそうです






私は私を責めすぎているんでしょうか


父をこんな目に合わせたのは私だと
後悔しているんでしょうか

元気だった頃の父が母と一緒に暮らして笑っている夢を何度も見ます





実家や通り慣れた道で
父の面影を何度感じたでしょうか


その度に息が詰まる思いがして涙が止まりません





「ほら ネイロ 可愛いやろ」

そう言って渡してくれた小さな草花が
あちらこちらに咲いています。

父との幸せを見つけてしまう春




春なのに悲しい





そう 思ってしまう毎日です。





父は4月8日にA病院に転院しました。

前の病院で
父は私たちを見て扉越しに

「あれは わしのおかあちゃんや。
そして あれは むすめ。」

そう言ってくれました。


けれども、A病院に転院して1週間後
扉越しに見た父は

私たちを認識してくれているのかどうかわからない位に表情がなく、以前にも増してやせ細っていました。



それから、扉越しの面会は出来ず
週に1回程度の洗濯物の入れ替えのみ

現在の父の姿は見れていません。


担当医からの電話も1回きりでその後の様子は担当看護師さんへ電話をかけて少し聞くのみです。

4月20日 A病院 Y看護師さんから電話ありました。


ズボンが足りないので持ってきてほしいとのこと。

病院には7着あるが、そのうちの6着は汚してしまったようです。

どれも父がストーマを勝手に外してしまったなどストーマ絡みの汚れの様子。


夜から朝方にかけての時間帯に外してしまうことが多いとの事。

他にも、ストマパウチは自分ではがして洗面所に置いてあったり、トイレを間違えて入ってるらしい。

トラブルにはなっていないのでその点は安心していいとの事。



またその他に
お父さんは自分の名前が書けなくなっているらしい。
苗字は書けるが、名前はデタラメ。

発語も少ないらしい。(ウイスキーはいえる。)


病院から出ようとしているなど
普段の様子を教えてくれました。








もうそろそろ父の認知症の悪化を受け入れましょう。


私も母も。


父のアルコール依存はもう手がつけれないくらいに凄かったことを受け止めましょう。

幸せだった日々ばかりを思い出さないで

アルコール依存症からくる
ウェルニッケ・コルサコフ症
アルコール性認知症

環境の変化からくるせん妄
鬱の悪化


そしてあの時私が入院を決断しなかったら
もっと困ったことになっていたかもしれない可能性.........




きっと神様が『今しかない』って私を後押ししてくれたんだと思う。




自分を許そう


認知症になった父を許そう


父はまだ生きてるし
まだこれからの父の為に
私ができる何かがあるかもしれない



頑張れ私






















父の様子 2

2023-04-16 22:33:36 | 
4月6日 カンファレンスにて

~現状~
認知症が強くでているとの事

・ストーマをさわり手が汚れる
・トイレだけではなく洗面所でストーマ処理をしてしまう

・しっかりストーマを封していない為、歩いたところに便が点々とおちている

・人の部屋に入ってしまったり女子トイレに入ってしまう
似たような部屋が並んでいたり、トイレに関しては女子トイレと認識できずに入ってしまっているのではないかと思われる

・まだウイスキーが飲みたい/欲しいと言う

・人との距離感が分からず、他者のすぐ隣に座ってしまう



~今後のこと~

自宅介護は難しい
家族が再飲酒を許してしまう可能性が高く、
かといって許さなくてもなんとかして入手し再飲酒する可能性が高い


精神状態は落ち着いているが(易怒性は薬で落ち着いている)認知症の度合いが色濃くでている


ただ、現状の困り事は
閉鎖病棟に居て居室も必要に応じて鍵をかけていることが原因かもしれないのでA病院に転院をすることを勧める。


A病院には認知症専門の病棟があり、そこなら鍵をかけずに父も過ごせる。

しばらくA病院で過ごし、施設に近い環境でどれだけ適応できるかを見極めたいとの事。


A病院での様子が、施設探しに必要なデータになるとの事。





毎日泣いて…考えて…なんとかして父を通常の生活へ戻したかった母と私は

父の現状報告に肩を落としました。



その日の帰り
閉鎖病棟の入口に
父を連れてきてくれました。


深く落ち込んだ目と痩せた姿


私たちに気づくなり扉を開けようとする父

母は両手を前に出して

まだやねん まだやねん
もうちょっとかかる

そう言葉にならない言葉で
父に伝えていました…




あの日の父は


痩せてはいるものの
認知症という顔つきではなく

確かにいつもの私の父だと

そう思えて



頭から離れません…









そして 父は4月8日にA病院へと転院となりました…