好きなことをする

2023-05-29 00:31:16 | 日記
『好きなことをする』は大事

だけどそもそも私の好きなことってなんだったんでしょうか。

それもまた以前に増してわからなくなりました。

混乱した日々。


部屋の中はやり残した家事があちらこちらに残されたままです。



休日は父の病院へ行く以外は布団の中やソファーで寝てしまう事が多くなってしまいました。



少しずつやるしかない。
頑張ろう。


そうやって頑張ることばかりを考えて
やらなきゃならないこともままならない状態で好きなこと後回しにしていると
やりたいことは何だったのか忘れていくのでしょうね。


だけど、ブログだけは
また最近少しずつ向き合うようにしています。

小さな一歩かな




オトは最近、前にも増してよく絵を描くようになりました。
以前は携帯に描くことが多かったのですが、だんだんとコピー用紙や画用紙を画板にのせて鉛筆でカリカリと描くようになりました。


以前は全く描けなかった絵。

描いては消して 描いては消して…

やっと描いても 輪郭だけ…

あれからもうすぐ3年が経とうとしています。


今日はなんと短時間に4枚も線画を描いていました。




疲れたのかこのブログを書いている間に
もう描くのをやめてしまいましたが

一喜一憂せずに今は見守れているな。私



また描きたいときに絵描きだすでしょう。



そう思いながらブログの続きにとりかかると
いつの間にかオトの鼻歌が聞こえてきました。


ほら 大丈夫。



(先日オトが作ってくれたキャベツ入りメンチカツ *揚げるのは私)



好きなことができるということは
人にとって本当に大切なんだなぁと

オトから学ぶ今日この頃です。








父に 会えた

2023-05-27 17:32:12 | 
扉越しの面会は3週間ほど会えていませんでした。

会えない日々が続くと
何故か私の夢によく出てくる父

3日に1度のペースで出てくるので
夢に出る度に母に
「今日 夢でお父さんに会ったわ。」
と報告していました。

するとだんだん私を心配する母


「ネイロの心が傷ついてるんや。
(入院の)サイン…お母さんが書けばよかった…」

そう母が自分を責めだしたので
私はまたいらんことを言ったなぁと反省しています。


最近みる夢は、
私が私を責めている夢ではないんです。


退院した後、やっぱり母が苦労してしまう…そんな心配から来る夢なのでした。


そして夢の中で私は
「あぁ、入院できて本当によかった。これでよかったんだ。」と夢を夢と認識し、現実の世界ではちゃんと父が入院しているとわかっているのでした。


今朝 いつものように母と一緒に父の病院に行きました。


エレベーターを上がると

病棟の扉のまえで
父と父と良く似た雰囲気の他のお爺さんとが上がったり下がったりするエレベーターの方をじっと眺めていました。

つまり
私たちはエレベーターの扉が開くと同時に
扉に張り付いて誰かを待ちわびている父たちと目があったワケです。


私たちは私たちを待ってくれていたのかもしれないと思い込み吹き出してしまいました。


私たちの顔を見て笑顔で手を振ってくれる父は
「あぁ、父は私たちを覚えてくれている」

そう思わせてくれました。



扉の向こうの父は私たちに

「今日 帰ろうと思う」

と、言ってくれました。



だけど、そのあとはまた目線はエレベーターに行きました。


色々話しかけましたが、うんうんと頷いてにこにこするのみでした。
そして手をふってくれます。

ふと、また父が話し出しました。
「こどもがしんぱいやねん」


「わたし、お父さんの子どもやで。
ネイロ!ほら!(マスクを外す)」

するとかすかに首をふって『ちがう』と言っているように見えました。

私は笑って
「わたしは ね い ろ!お父さんの子どもやで。


そう伝えて
父の顔を見たら
目元が微かに充血し
うっすら涙をためているように感じました。

そして

「こどもが しんぱい」

そう言ってジェスチャーで泣く仕草をして
『心配』を伝えてくれました。


目の前の私は一体誰だという設定でしょうか



今回、わかったことは
父は丹後に住んでいて車に乗っていて、妻がいて、子どもがいてるという設定の中で過ごしているようだということです。


つまり父の年齢は30代半ばという設定です。


まぁ、いいか。

父にとってはその頃が一番幸せだったのかもしれない。


お酒の入っていない父が
穏やかで優しい性格だったんだと
知れて本当に嬉しい。



嬉しいけど悲しい…


やっぱり今回も泣いてしまいました。






金曜日、電話で
父の担当医師に父の普段の様子を聞きました。

すごく落ち着いていていつも穏やかにすごしているそうです。


ストーマの問題も落ち着いて、施設探しをしても大丈夫な段階に入ったそうです。






難しいけれど大切な事

2023-05-21 01:08:13 | 日記
難しいけれど大切な事


心配を手放す事

信頼して待つ事





4月になってオトは通信制高校の通信科に入学しました。

勿論 入学式は欠席

日々の暮らしは変わらず…







そして、またいつもの自問自答

これでよかったのか…

通信科ではなく週に一回でも
高校へ通えるように導くべきだったのでは?

大切な人生の岐路を間違えてしまったのではないか…




とにかく私はまた親として
間違っているのではないかと自分自身を責めていました。



それでも
オトはオトのタイミングで動くはず

そう信じて待つと


少しずつですが動き始めました。



ひとまずはレポート期限までに仕上げて提出することができてホッとしています。





信じて待つことの大切さを実感しました。



この頃
オトの笑顔が以前に増して柔らかくなってきたように感じます。





小さな風が吹いてきたように思うんです。








父の気持ち

2023-05-09 22:30:27 | 

薔薇が咲いた

薔薇が咲いた

真っ赤な薔薇が


寂しかったぼくの庭に薔薇が咲いた


寂しかったぼくの心に薔薇が咲いた


(写真:父の入院先の駐車場に咲く薔薇)




たわわに咲く薔薇が綺麗で見とれてしまいました。

そして頭の中では
昔、父がよく歌っていたこの唄が流れてきました。



父は私たちと一緒に暮らした人生

幸せを感じていたのかなぁ







寂しくなった父の心に私たち家族の記憶はあるのでしょうか。





今日はたまたま父の病院へ電話する用事があり、ついでに担当の看護師さんへ電話を繋いでもらいました。


毎回渡しているジュースやお菓子は食べきれているのか聞いてみると、
自分からはお菓子が食べたいと言うことはない様です。
看護師さん達が折をみて声をかけると少し食べる程度だということがわかりました。

「やっぱりほしいと言うのはお酒だけですかね?」と冗談ぽく言うと

「そうですね。でも以前ほどお酒のことも言わなくなりましたよ。あとよく言うのは『帰りたい』ですね。帰りたい場所は『丹後』って言っていました。




父の故郷は京丹後市峰山町です



山に囲まれた小さな町




故郷に父の帰る場所はありません




ちょうど私くらいの年齢の時に大きな親子喧嘩をして故郷を去ることになりました。


また、遺産相続で揉めて
兄弟の縁も切っています



だけど、故郷を愛しているみたいです。


父の帰りたい場所は峰山だったんだ…





看護師さんとの話を母に話すと

母はまた涙を溜めて黙ってしまいました。



お父さん
私は明日誕生日で43才になるよ~。

一昨年は私を見て
おおきくなったなぁ~って言ってくれたよね。

お父さんと話したいなぁ。



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