小説ばかり読んで、書いていて、詩に飢えたのでしょうか。
詩が、本物の詩が読みたかった。詩に触れたかった。
そこで探したのが、田村隆一。ある版元さんがおすすめしてくれたのもあり、荒川洋治が絶賛し、その死を悼んでいるのを知り、読みたくなっていた。
書店を探しても、手ごろなのがない。読みたい読みたいと思っていて、自宅の本棚を整理していたら、なんとこの本が出てきた。そうか、僕はもう買っていたのか。失いつつある記憶力を嘆きつつ、かつてやはり欲した自分の感性に、ほっとしたりもした。
そして・・・。最初の詩、『幻を見る人』から、冒頭を引用してみます。
空から小鳥が堕ちてくる
誰もいない所で射殺された一羽の小鳥のために
野はある
窓から叫びが聴こえてくる
誰もいない部屋で射殺されたひとつの叫びのために
世界はある
空は小鳥のためにあり 小鳥は空からしか堕ちてこない
窓は叫びのためにあり 叫びは窓からしか聴こえてこない
どうしてそうなのかわたしには分からない
ただどうしてそうなのかをわたしは感じる
小鳥が堕ちてくるからには高さがあるわけだ 閉ざされたものがあるわけだ
叫びが聴こえてくるからには
野のなかに小鳥の死骸があるように わたしの頭のなかは死でいっぱいだ
わたしの頭のなかに死があるように 世界中の窓という窓には誰もいない
これが書かれたのは、戦後間もなくのこと。田村さんが兵隊としての赴任地から、実家の大塚に帰ると、そこは焼け野原だった。
「荒地」という詩のグループがありました。田村さんが言っているのは、二回もの大戦で、私たちは何を失ったかということ。それは物でもなく、国でもなく、人の想像、創造ではないかと。焼け野原を体験した人たちの、頭の中が死でいっぱいになった人たちの、熱い思いこそ、人間への飢えこそ、詩にはあった。
あっという間に読んでしまった。興奮しながら。
言葉が、すごいのです。切り立っていて、無駄がひとつもなく、かっちりとしていて、そのなかに感情がこもっている。それは田村さんの持ち味なのでしょう。学生時代にはまった落語を、すっかり暗記し、友人に披露するくらいなのだから。
こんな言葉も忘れられません。「詩人という心のエンジニア」
そうか、詩人って、心の技術者だったのか。
田村さんの詩が、一見技巧的で、概念的で、つるつるした世界のようですが、間違いなく田村さんは、心を、感情を知っていた。そこに種が宿り、発芽するのを感じていた。だから残る、響く。じゃなかったら、どうして小鳥のために野はあるなんて断言できるでしょうか。
読み終わって、こう思う。僕はやっぱり、詩も書きたいのだ、と。いや、詩が必要なのだと。
詩は、田村さんが言うように、感情の歴史。感情こそ、人間発達の鍵。そこに触れずに、文学の発展もない。
これからまたちょっと、詩に浸りそうです・・・。
田村隆一著/思潮社・現代詩文庫/1968
詩が、本物の詩が読みたかった。詩に触れたかった。
そこで探したのが、田村隆一。ある版元さんがおすすめしてくれたのもあり、荒川洋治が絶賛し、その死を悼んでいるのを知り、読みたくなっていた。
書店を探しても、手ごろなのがない。読みたい読みたいと思っていて、自宅の本棚を整理していたら、なんとこの本が出てきた。そうか、僕はもう買っていたのか。失いつつある記憶力を嘆きつつ、かつてやはり欲した自分の感性に、ほっとしたりもした。
そして・・・。最初の詩、『幻を見る人』から、冒頭を引用してみます。
空から小鳥が堕ちてくる
誰もいない所で射殺された一羽の小鳥のために
野はある
窓から叫びが聴こえてくる
誰もいない部屋で射殺されたひとつの叫びのために
世界はある
空は小鳥のためにあり 小鳥は空からしか堕ちてこない
窓は叫びのためにあり 叫びは窓からしか聴こえてこない
どうしてそうなのかわたしには分からない
ただどうしてそうなのかをわたしは感じる
小鳥が堕ちてくるからには高さがあるわけだ 閉ざされたものがあるわけだ
叫びが聴こえてくるからには
野のなかに小鳥の死骸があるように わたしの頭のなかは死でいっぱいだ
わたしの頭のなかに死があるように 世界中の窓という窓には誰もいない
これが書かれたのは、戦後間もなくのこと。田村さんが兵隊としての赴任地から、実家の大塚に帰ると、そこは焼け野原だった。
「荒地」という詩のグループがありました。田村さんが言っているのは、二回もの大戦で、私たちは何を失ったかということ。それは物でもなく、国でもなく、人の想像、創造ではないかと。焼け野原を体験した人たちの、頭の中が死でいっぱいになった人たちの、熱い思いこそ、人間への飢えこそ、詩にはあった。
あっという間に読んでしまった。興奮しながら。
言葉が、すごいのです。切り立っていて、無駄がひとつもなく、かっちりとしていて、そのなかに感情がこもっている。それは田村さんの持ち味なのでしょう。学生時代にはまった落語を、すっかり暗記し、友人に披露するくらいなのだから。
こんな言葉も忘れられません。「詩人という心のエンジニア」
そうか、詩人って、心の技術者だったのか。
田村さんの詩が、一見技巧的で、概念的で、つるつるした世界のようですが、間違いなく田村さんは、心を、感情を知っていた。そこに種が宿り、発芽するのを感じていた。だから残る、響く。じゃなかったら、どうして小鳥のために野はあるなんて断言できるでしょうか。
読み終わって、こう思う。僕はやっぱり、詩も書きたいのだ、と。いや、詩が必要なのだと。
詩は、田村さんが言うように、感情の歴史。感情こそ、人間発達の鍵。そこに触れずに、文学の発展もない。
これからまたちょっと、詩に浸りそうです・・・。
田村隆一著/思潮社・現代詩文庫/1968
書いて下さい。ぜひ書いて下さい。
その前に、今は詩人の書いたもの(詩だけじゃなく、エッセーとか)を読んでいます。
そうやって改めて詩を見ると、新鮮です。
立原道造詩集(岩波文庫)も手元にあります。
小説終わったら、詩集だなあ。と思っています。
彼の詩は、菊田さんがまだ影も形もなかった、私の10代の頃のチャンピオンでした。
24歳の若さで夭折した詩人だけど、今読んでも充分に新しい!
特に“光に耐えないで死んでいった草木がどうして
美しいことがあろう...”
この詩が、50になった今の私には一番訴えてきますねぇ。
忙しいでしょうけど、機会があったらぜひ読んでみて下さいな(*^。^*)
そんな中で、『荒地の恋』が出ましたね。もうお読みになりましたか? 田村隆一や北村太郎、鮎川信夫、加島修造などなど荒地の面々のその後が描かれている小説です。この間読みましたが、なかなか面白かったですよ。お勧めです。
http://spindle.blog.shinobi.jp/Entry/10/
微妙に感想書いた。