この本を読んだのはいつだったか?
はっきり覚えていませんが、20年以上前じゃないでしょうか。
心が通い、互いに信頼して愛するようになった女性には婚約者がいた。そのとき、男はどうするか?
悩みに悩んだ末にピストル自殺をします。そういう話だとしか覚えていなかった。
今回再読して、大きく二つに驚く。
一つは、ピストルで頭を撃って、即死だと思っていたら違う。12時間も息をしていた。
悶え苦しみ、意識を失っても脈拍、呼吸とも続いていた。
ウェルテルを慕っていたロッテの下の兄弟たちが取り囲んでいた。
二つ目は、1774年に出版され、初めてドイツ語から多言語に翻訳されていた。その熱心な読者の一人にナポレオンがいた。
ナポレオンは、この本のフランス語訳を遠征の時に持っていき、7回も読んだという。
フランス革命が起きたのは1789年。ナポレオンがクーデターで独裁権を得たのが1799年。
この事実からわかるのは、この小説が、いかに人間を描いていたか、ということ。
一人の若い男に、こんなにも豊かな心がある、と示した。
逆に言えば、いかにそれまでの人々は、一人の人間の真実に無知であったか。
フランス革命の精神は、自由、博愛、人権にある。ナポレオンは、これらをヨーロッパに広めた。
その土台にこの本もあったとは。
この小説は、とてもよくできている。
もちろん、作者の体験が下地になっている。
知人が、人妻に恋した挙句に自殺した事件に接してもいた。
その詳細を調べさせて把握していた。
永遠の恋人、ロッテのモデルもいる。その夫も。
しかし、ウェルテルが書き送る手紙の相手は「親友」であって、特定の人物はいない。
ウェルテルの生涯を知る手がかりとして、編者が集めた資料に基づいて展開される、という構造。
「親友」は、もちろん読者になります。読んでいけば、自然に。
そしてぐいぐいと、彼の心の襞に触れていくことになる。
この心理描写が一番の読みどころ。自殺の動機も見えてくる。
著者は、冒頭にこう書いてもいました。
薄倖なウェルテルの身の上について、捜しだせるかぎりのものを集めました。ここにそれをお目にかけます。皆様はきっと感謝してくださるでしょう。そして、この人の精神と心情を褒め、また愛して、その運命に涙を惜しみはなさらないでしょう。
さらに、よき心の人よ。もしあなたにもウェルテルとおなじく胸にせまる思いの抑えがたいものがあるなら、彼の悩みから慰めを汲みとってください。また、宿命にもせよ、おのが罪からにもせよ、あなたが親しい友をみいでることができないでいるなら、この小さな本をとってあなたの伴侶としてください。
ウェルテルは、ロッテに一方的に愛していたわけでもなかった。ロッテの母は若くして亡くなり、長女のロッテはその下の子たちの面倒を、母に代わってしなくてはならなかった。婚約者もまた母のお墨付き。そこにウェルテルと出会い、踊って心通わせ、子供たちも懐いた。ロッテの夫は、厳格で、しっかり者ではあるけれど、なんでも打ち解けて話し合えるような人でもなかった。ロッテもまたウェルテルにそばにいて欲しかった。ただし、友達として。
ウェルテルは、ロッテの唇を奪ってもいた。一人の女性をめぐる二人の男の葛藤。ウェルテルは旅に出るからピストルを貸してくれと、ロッテの旦那に手紙で頼む。そしてロッテは、旦那に言われてピストルを手にとり、震えながらウェルテルの使いの子に渡してしまう。
思い通りに人生は進まない。そのとき、どうすればいいのか?
文学作品における死は、あらゆるものを象徴し、代表しています。大事なのは、作品と人は、対等な関係ではあっても、同じ存在ではないという事実。
作品の中では、何度も死は体験することができる。夢の中で、心の中で、味わうことができる。
それを、もう一度、通り抜けたかった。新生するために。
確かに、ウェルテルは、私の中にもいる。大事な伴侶の一人として。
ゲーテ 作/竹山道雄 訳/岩波文庫/1951
はっきり覚えていませんが、20年以上前じゃないでしょうか。
心が通い、互いに信頼して愛するようになった女性には婚約者がいた。そのとき、男はどうするか?
悩みに悩んだ末にピストル自殺をします。そういう話だとしか覚えていなかった。
今回再読して、大きく二つに驚く。
一つは、ピストルで頭を撃って、即死だと思っていたら違う。12時間も息をしていた。
悶え苦しみ、意識を失っても脈拍、呼吸とも続いていた。
ウェルテルを慕っていたロッテの下の兄弟たちが取り囲んでいた。
二つ目は、1774年に出版され、初めてドイツ語から多言語に翻訳されていた。その熱心な読者の一人にナポレオンがいた。
ナポレオンは、この本のフランス語訳を遠征の時に持っていき、7回も読んだという。
フランス革命が起きたのは1789年。ナポレオンがクーデターで独裁権を得たのが1799年。
この事実からわかるのは、この小説が、いかに人間を描いていたか、ということ。
一人の若い男に、こんなにも豊かな心がある、と示した。
逆に言えば、いかにそれまでの人々は、一人の人間の真実に無知であったか。
フランス革命の精神は、自由、博愛、人権にある。ナポレオンは、これらをヨーロッパに広めた。
その土台にこの本もあったとは。
この小説は、とてもよくできている。
もちろん、作者の体験が下地になっている。
知人が、人妻に恋した挙句に自殺した事件に接してもいた。
その詳細を調べさせて把握していた。
永遠の恋人、ロッテのモデルもいる。その夫も。
しかし、ウェルテルが書き送る手紙の相手は「親友」であって、特定の人物はいない。
ウェルテルの生涯を知る手がかりとして、編者が集めた資料に基づいて展開される、という構造。
「親友」は、もちろん読者になります。読んでいけば、自然に。
そしてぐいぐいと、彼の心の襞に触れていくことになる。
この心理描写が一番の読みどころ。自殺の動機も見えてくる。
著者は、冒頭にこう書いてもいました。
薄倖なウェルテルの身の上について、捜しだせるかぎりのものを集めました。ここにそれをお目にかけます。皆様はきっと感謝してくださるでしょう。そして、この人の精神と心情を褒め、また愛して、その運命に涙を惜しみはなさらないでしょう。
さらに、よき心の人よ。もしあなたにもウェルテルとおなじく胸にせまる思いの抑えがたいものがあるなら、彼の悩みから慰めを汲みとってください。また、宿命にもせよ、おのが罪からにもせよ、あなたが親しい友をみいでることができないでいるなら、この小さな本をとってあなたの伴侶としてください。
ウェルテルは、ロッテに一方的に愛していたわけでもなかった。ロッテの母は若くして亡くなり、長女のロッテはその下の子たちの面倒を、母に代わってしなくてはならなかった。婚約者もまた母のお墨付き。そこにウェルテルと出会い、踊って心通わせ、子供たちも懐いた。ロッテの夫は、厳格で、しっかり者ではあるけれど、なんでも打ち解けて話し合えるような人でもなかった。ロッテもまたウェルテルにそばにいて欲しかった。ただし、友達として。
ウェルテルは、ロッテの唇を奪ってもいた。一人の女性をめぐる二人の男の葛藤。ウェルテルは旅に出るからピストルを貸してくれと、ロッテの旦那に手紙で頼む。そしてロッテは、旦那に言われてピストルを手にとり、震えながらウェルテルの使いの子に渡してしまう。
思い通りに人生は進まない。そのとき、どうすればいいのか?
文学作品における死は、あらゆるものを象徴し、代表しています。大事なのは、作品と人は、対等な関係ではあっても、同じ存在ではないという事実。
作品の中では、何度も死は体験することができる。夢の中で、心の中で、味わうことができる。
それを、もう一度、通り抜けたかった。新生するために。
確かに、ウェルテルは、私の中にもいる。大事な伴侶の一人として。
ゲーテ 作/竹山道雄 訳/岩波文庫/1951
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