なんとなく、彼を避けたまま、ここまで来ていました。
友人が大好きなのを知っているだけに、なかなか読もうとはしなかった。
読み終えて、彼は、彼の望んだように、風に、光に、小鳥になったんだと思う。
忘れたころにふっと思い出す歌。しょんぼりしたときに、背中を押すような風。すべてに向かって咲く花々。死に絶えることのない空想の世界。
彼は、甘いものが大好きだったようです。あるときは、友人(杉浦明平)が一口だけでうげっとなったお汁粉を、平気で三杯も平らげた。そして彼らがけんかしたとき、思わず友人は、こう言ってしまった。「男のくせにぜんざいを三杯もよく食べられるもんだな」と。立原は目を丸くし、子供みたいに下唇を突き出して震わせながら、涙ぐんでしまった。
この詩集の前半は、そんな甘さが感じられます。それだけだったら、彼の詩は残らなかったのではないでしょうか。これは編集の妙と言えるのでしょうが、後半はたたみかけるような強さがあり、目がくらむほどです。もともと体が弱く、身長が175センチもあったのに50キロもなく、結核にかかってあっという間に亡くなってしまった。彼は、おそらく迫る死を自覚していたのではないでしょうか。そして歌う。お前は歌えとせっつきながら、以前の甘い詩を否定しながら、祈りながら。口語の軽やかさだけじゃない、彼は彼の魂を感じ、歌うことで生き延びようとした。亡くなったのが1940年、26才のとき。前年に、第一回中原中也賞を受賞している。そして、今でも彼の歌は、生き延びている。そうして僕にまで届いた。多くの人々を経由して。
僕は三文詩人に
僕は三文詩人になりたくないのだ
あらゆる感傷と言ひまわしを捨て
誰でもの胸へ ほんたうのことを叩きこみたい
それが千人のほんたうでなく
僕だけのほんたうであつたら
結局 三文詩人の一人にすぎないのだ
鏡の歌
はやい速さできれぎれの光に襲はれ
僕は風のやうにおし流される
ほんたうの近くに僕は僕にも捕へられず
僕は捕へられてゐる 光と一しよに
線をみだした闇の向うに
何もかもはてしなく終わりを知らず
選ぶことなく疲れは疲れを 花は花を
やがてしづかに一刻に支へられ
光の奥に光よりもかがやき
僕はすべてを見つめはじめる
この二つの詩、僕はどうしようもないほど打ちのめされました。
自分だけのほんたうを描いてきたのではないのか?
光の奥って、ようするに死なんじゃないのか? そこで僕はすべてを見つめはじめる、とは。なんという強さ。鬼気迫る。それこそ詩じゃないと書けない。
こんなぎょっとするような詩が、後半はあふれているのです。前半の甘さ、軽さと後半の闇、迫力。両者があって、初めて立原道造詩集になっている。彼が浮かび上がってくる。
立原さん、あなたは三文詩人じゃありませんよ。70年を経て、いまだに光の奥に光よりもかがやき、すべてを見つめているのですから。
まったく立原道造にしかできなかった、書き残せなかった作品群。まさに彼が彼として、日々精一杯生きたことの証です。他と比較することなんてできない。彼は、ほんたうに、オンリーワンでした。だから残るのでしょう。残したくなるのでしょう。
立原道造著/杉浦明平編/岩波文庫/1988
友人が大好きなのを知っているだけに、なかなか読もうとはしなかった。
読み終えて、彼は、彼の望んだように、風に、光に、小鳥になったんだと思う。
忘れたころにふっと思い出す歌。しょんぼりしたときに、背中を押すような風。すべてに向かって咲く花々。死に絶えることのない空想の世界。
彼は、甘いものが大好きだったようです。あるときは、友人(杉浦明平)が一口だけでうげっとなったお汁粉を、平気で三杯も平らげた。そして彼らがけんかしたとき、思わず友人は、こう言ってしまった。「男のくせにぜんざいを三杯もよく食べられるもんだな」と。立原は目を丸くし、子供みたいに下唇を突き出して震わせながら、涙ぐんでしまった。
この詩集の前半は、そんな甘さが感じられます。それだけだったら、彼の詩は残らなかったのではないでしょうか。これは編集の妙と言えるのでしょうが、後半はたたみかけるような強さがあり、目がくらむほどです。もともと体が弱く、身長が175センチもあったのに50キロもなく、結核にかかってあっという間に亡くなってしまった。彼は、おそらく迫る死を自覚していたのではないでしょうか。そして歌う。お前は歌えとせっつきながら、以前の甘い詩を否定しながら、祈りながら。口語の軽やかさだけじゃない、彼は彼の魂を感じ、歌うことで生き延びようとした。亡くなったのが1940年、26才のとき。前年に、第一回中原中也賞を受賞している。そして、今でも彼の歌は、生き延びている。そうして僕にまで届いた。多くの人々を経由して。
僕は三文詩人に
僕は三文詩人になりたくないのだ
あらゆる感傷と言ひまわしを捨て
誰でもの胸へ ほんたうのことを叩きこみたい
それが千人のほんたうでなく
僕だけのほんたうであつたら
結局 三文詩人の一人にすぎないのだ
鏡の歌
はやい速さできれぎれの光に襲はれ
僕は風のやうにおし流される
ほんたうの近くに僕は僕にも捕へられず
僕は捕へられてゐる 光と一しよに
線をみだした闇の向うに
何もかもはてしなく終わりを知らず
選ぶことなく疲れは疲れを 花は花を
やがてしづかに一刻に支へられ
光の奥に光よりもかがやき
僕はすべてを見つめはじめる
この二つの詩、僕はどうしようもないほど打ちのめされました。
自分だけのほんたうを描いてきたのではないのか?
光の奥って、ようするに死なんじゃないのか? そこで僕はすべてを見つめはじめる、とは。なんという強さ。鬼気迫る。それこそ詩じゃないと書けない。
こんなぎょっとするような詩が、後半はあふれているのです。前半の甘さ、軽さと後半の闇、迫力。両者があって、初めて立原道造詩集になっている。彼が浮かび上がってくる。
立原さん、あなたは三文詩人じゃありませんよ。70年を経て、いまだに光の奥に光よりもかがやき、すべてを見つめているのですから。
まったく立原道造にしかできなかった、書き残せなかった作品群。まさに彼が彼として、日々精一杯生きたことの証です。他と比較することなんてできない。彼は、ほんたうに、オンリーワンでした。だから残るのでしょう。残したくなるのでしょう。
立原道造著/杉浦明平編/岩波文庫/1988
パネル間に合いませんでした。。。。
すみません。。。
まだ終わってません。。。
12日に浜田に託しますので、宜しくお願い致します。
すてきなパネルができましたね。
明日香の本、もっと売れますように。