漱石最後の小説。完結しないまま死んでしまった。
私は漱石のこの本だけ未読だった。持っていて、チラ見はしたけれど、まだ、という気がして。
前回、村上春樹の『騎士団長殺し』を読んで、ああもういいや、卒業と感じて次はこれになった。
驚いた。今まで知っている漱石の作品とはまるで違う。
そもそも主人公がいない。主人公は人間関係そのものです。
津田という男がおり、新婚で、相手はお延(のぶ)。仕合わせいっぱいではぜんぜんない。
お延は、自力で津田を愛させようともがく。この人と決めたからには是が非でも自分だけを愛して欲しい。
しかし津田はつれない。何か隠している。お延は気づく。何とか白状させようと画策する。
津田の妹のお秀と津田はそりが合わない。軽蔑し合う関係で会えば喧嘩ばかりしている。
そこに小林という無頼漢も入ってくる。津田とは腐れ縁。作家志望のようだが貧乏で朝鮮に行くことになっている。
小林の存在は、解説の柄谷行人が指摘しているように、ドストエフスキーの影響と思われる。
もっとさかのぼれば、あの『外套』のゴーゴリ。
漱石は「余裕派」なんて言われるように、当時はほんの一握りしかいなかった大学生やその卒業生が主人公だった。
しかも女性は「謎」でしかなく、『こころ』における奥さんの存在は無きに等しい。
しかし『明暗』は違う。どの女性もよくしゃべり、個性を備えている。
何が問題になっているのか。「天然自然の感情」ではないかと思った。
登場人物の皆が、今流行の「忖度(そんたく)」ばかりしている。
もろくて壊れそうな本心をさらけ出したり、握られたりすることを恐れている。
それは漱石自身が抱えていた宿命だったのかもしれません。
頭がいいばっかりに先回りして、自分の存在をおびやかす可能性を潰そうとする。
と書けば、今活躍中の政治家たちにも当てはまりそう。
だから漱石は今でも読まれるわけです。
で、散々互いの存在意義をかけた心理戦を経た末に、津田は清子に会いに行く。
清子とは、津田の結婚前、津田が思いを寄せていた女性。
清子は、津田の意に反して、他の男性とあっさり結婚してしまった。
なぜか。津田は確かめずにはいられない。しかし、頭でこねくり回す癖は抜けてないのでまた停滞する。
清子は、この作品の中で、唯一「天然自然の感情」を体現している女性のように感じられる。
そういえば、『坊ちゃん』にも「清」というばあやが登場します。
いずれにしても津田は、やっとのこと清子と再会できた。その先は示されないままだけど、漱石としては書き抜いた感覚があったのではないでしょうか。
私も今、この本を読めてよかった、と思います。
夏目漱石著/新潮文庫/1987
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