悩める学生時代に、こんな本と出会えていたら、もっと動けていただろうと、しみじみ思います。
哲学者たちが絵とともに登場し、生きていく上で必ずぶつかる問いを提示していきます。
キルケゴールは、「死ぬ前、人生でいちばんたいせつなものに、なにを思いだすだろう?」
ハイデガーはこう言う。「死を思わないかぎり、きみは本当の意味で生きているとは言えない」
サルトルはこう。「まず存在し、そして本質を得る」
ソクラテスももちろん登場。本には出てなかったけど、思い出すのは「無知の知」。
大学の倫理の講義で、ある先生が言っていたことも思い出す。
哲学の語源は「フィロ・ソフィー」。「フィロ」は「愛」で、「ソフィー」は「知」。
だから哲学は、知を愛することでもあるし、愛を知ることでもある、と。
最後のプラトンの洞窟の比喩は懐かしい。
洞窟に、人々は鎖につながれている。
日が差し、木々の影が壁に映る。
人々はその影を木だと思い込む。
鎖から逃れ、外に出た人は、大地に根付き、立って枝葉を伸ばしている木々を知る。
そうやって現象の本当の姿を理解することが哲学だと。
人は「選択」できることも出ていた。
選択するのは私。あの人でもこの人でも親でも子でもない。
しかしどうして、私の選択に罪悪感がくっついてきたのだろう。空気を乱すから?
私は私になりたかっただけなのに、どうして孤立してしまったのだろう?
私の中にある問いが、小説の根源にあると改めて思わされます。
一つずつ、一つの場面ずつ、一人ひとり、心を込めて全力で文章化、可視化、明確化していく。
その積み重ねが物語になるのだと、最近よくわかりました。
一人ひとりが、この一回きりの物語を生き抜くために、確かに役に立つ哲学入門書です。
哲学は学説ではなく、活動である。と言ったウィトゲンシュタインも、大学ではさっぱりわからなかったけど、今なら少しはわかるよ。
大学で担当してくれた教授も、大きな体で山登りが趣味だった。
今度の日曜日、再度タイトルマッチに挑むボクシングの村田選手も、先に紹介した『超訳 ニーチェの言葉』を読んでいたりする。
私も走って、やっとわかったこと、腑に落ちたこと、根付いたことがたくさんある。
世の中すべて活動なのだと。止まり続けてしまうこと、それが諸悪の根源なのだと。
これは大学卒業後、お世話になったカウンセラーの先生の言葉ですが。
ペーテル・エクベリ/作 イェンス・アールボム/絵 枇谷玲子/訳 晶文社
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