1ヶ月、読書の更新がありませんでした。
それは、この「コウノドリ」を1巻から読み直していたからです。
読んでいる最中に、最終巻が出ることを知った。32巻の発売日は23日でした。
このひと月、ほぼ1日1冊コウノドリを読んでいたことになります。
私の作品の仕上がりを意識して、心の中にまだ読み残しがないか探ると、この本が出てきた。
テレビドラマは二回もなった。そのすべてを見て、ほぼ毎回涙していたと思う。
それで原作も読んでいたのですが、10巻くらいで止まっていました。
産科医が主人公。いや、赤ちゃんと母が主人公と言える。
新しい命が生まれるということ。その過程で、実に様々な出来事が起きます。
赤ちゃんが生まれるのは「普通」ではない。「当たり前」でもない。奇跡でした。
だからこの本を読むと、もっと人に優しくなれる。
それと、感じたのはドラマの仕組み。なんで涙なくして読めないのか。
赤ちゃんは命そのものです。命を宿した母親と、その母親と関わる医療関係者、パートナー、その両親、仕事のつながり。
大人たちは、言葉で命を理解しようとする。その命は、まだ言葉を持っていない。
だから当然ずれる。ぴったり当てはまるなんてことはほぼない。
臨月まで妊娠を継続できずに帝王切開になる人もいる。
帝王切開だから産んだことにならないと自分を責める人もいる。
健康児のはずだったのに、遺伝子や臓器に先天的な異常があったりもする。
あるいは、まだ高校生なのに妊娠してしまって育てられず悩む人もいる。
妊娠を望んでいるのに流産を繰り返す人もいる。
命が言葉からすり抜けていく。思いや理想から体は離れていく。
愛着を持った私の思いを、どうしても手放さないといけないときがくる。
そのとき、人は泣きます。
そこに、悲しさだけがあるわけでもない。
人は、何度も生まれ変わることができる。
その表現が大袈裟だとしたら、ちょっとずつ変わっていくことができます。
それまでの自分ではない、新しい体制の自分へ。
人が1人生まれるのがこんなにも大変なことなのか。
そして、その1人を助けることもまたこんなにも大変なことなのか。
「コウノドリ」というドラマを通じて、1人1人の重さや違いを改めて見直しました。
貴重なドラマの体験知もまた味方にして、私の作品を産み出したい。
人と作品は違うけれど、似ているところもある。
何が起こるかわからないということ。
なめてかかると痛い目に合うということ。
大事に、大事に育て、愛するということ。
1巻から32巻までテーブルに並べてみて、表紙の絵がずいぶん変わっていることに気づいた。
最初は硬く、線も少なくて尖っている。最後は実に柔和な表情。
描いているうちに「コウノドリサクラ」も著者もともに育っていったのだと感じた。
作品と著者のしあわせな関係。テレビドラマも二回もなって、素晴らしい俳優にも恵まれて。
それでも、物語に終わりはあります。人に、生きられる時間が限られているように。
ラストの患者さんも、納得のいくものでした。やっぱりそうか、サクラの宿題と対峙することになるんだよなあ、と。
一作ずつ越えていく。ちょっとずつ、生きる範囲を増していく。
サクラ、生まれてきてくれてありがとう。
鈴ノ木ユウ 著/講談社/2013〜2020
それは、この「コウノドリ」を1巻から読み直していたからです。
読んでいる最中に、最終巻が出ることを知った。32巻の発売日は23日でした。
このひと月、ほぼ1日1冊コウノドリを読んでいたことになります。
私の作品の仕上がりを意識して、心の中にまだ読み残しがないか探ると、この本が出てきた。
テレビドラマは二回もなった。そのすべてを見て、ほぼ毎回涙していたと思う。
それで原作も読んでいたのですが、10巻くらいで止まっていました。
産科医が主人公。いや、赤ちゃんと母が主人公と言える。
新しい命が生まれるということ。その過程で、実に様々な出来事が起きます。
赤ちゃんが生まれるのは「普通」ではない。「当たり前」でもない。奇跡でした。
だからこの本を読むと、もっと人に優しくなれる。
それと、感じたのはドラマの仕組み。なんで涙なくして読めないのか。
赤ちゃんは命そのものです。命を宿した母親と、その母親と関わる医療関係者、パートナー、その両親、仕事のつながり。
大人たちは、言葉で命を理解しようとする。その命は、まだ言葉を持っていない。
だから当然ずれる。ぴったり当てはまるなんてことはほぼない。
臨月まで妊娠を継続できずに帝王切開になる人もいる。
帝王切開だから産んだことにならないと自分を責める人もいる。
健康児のはずだったのに、遺伝子や臓器に先天的な異常があったりもする。
あるいは、まだ高校生なのに妊娠してしまって育てられず悩む人もいる。
妊娠を望んでいるのに流産を繰り返す人もいる。
命が言葉からすり抜けていく。思いや理想から体は離れていく。
愛着を持った私の思いを、どうしても手放さないといけないときがくる。
そのとき、人は泣きます。
そこに、悲しさだけがあるわけでもない。
人は、何度も生まれ変わることができる。
その表現が大袈裟だとしたら、ちょっとずつ変わっていくことができます。
それまでの自分ではない、新しい体制の自分へ。
人が1人生まれるのがこんなにも大変なことなのか。
そして、その1人を助けることもまたこんなにも大変なことなのか。
「コウノドリ」というドラマを通じて、1人1人の重さや違いを改めて見直しました。
貴重なドラマの体験知もまた味方にして、私の作品を産み出したい。
人と作品は違うけれど、似ているところもある。
何が起こるかわからないということ。
なめてかかると痛い目に合うということ。
大事に、大事に育て、愛するということ。
1巻から32巻までテーブルに並べてみて、表紙の絵がずいぶん変わっていることに気づいた。
最初は硬く、線も少なくて尖っている。最後は実に柔和な表情。
描いているうちに「コウノドリサクラ」も著者もともに育っていったのだと感じた。
作品と著者のしあわせな関係。テレビドラマも二回もなって、素晴らしい俳優にも恵まれて。
それでも、物語に終わりはあります。人に、生きられる時間が限られているように。
ラストの患者さんも、納得のいくものでした。やっぱりそうか、サクラの宿題と対峙することになるんだよなあ、と。
一作ずつ越えていく。ちょっとずつ、生きる範囲を増していく。
サクラ、生まれてきてくれてありがとう。
鈴ノ木ユウ 著/講談社/2013〜2020
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