泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

コウノドリ 全32巻

2020-10-26 17:59:50 | 読書
 1ヶ月、読書の更新がありませんでした。
 それは、この「コウノドリ」を1巻から読み直していたからです。
 読んでいる最中に、最終巻が出ることを知った。32巻の発売日は23日でした。
 このひと月、ほぼ1日1冊コウノドリを読んでいたことになります。
 私の作品の仕上がりを意識して、心の中にまだ読み残しがないか探ると、この本が出てきた。
 テレビドラマは二回もなった。そのすべてを見て、ほぼ毎回涙していたと思う。
 それで原作も読んでいたのですが、10巻くらいで止まっていました。
 産科医が主人公。いや、赤ちゃんと母が主人公と言える。
 新しい命が生まれるということ。その過程で、実に様々な出来事が起きます。
 赤ちゃんが生まれるのは「普通」ではない。「当たり前」でもない。奇跡でした。
 だからこの本を読むと、もっと人に優しくなれる。
 それと、感じたのはドラマの仕組み。なんで涙なくして読めないのか。
 赤ちゃんは命そのものです。命を宿した母親と、その母親と関わる医療関係者、パートナー、その両親、仕事のつながり。
 大人たちは、言葉で命を理解しようとする。その命は、まだ言葉を持っていない。
 だから当然ずれる。ぴったり当てはまるなんてことはほぼない。
 臨月まで妊娠を継続できずに帝王切開になる人もいる。
 帝王切開だから産んだことにならないと自分を責める人もいる。
 健康児のはずだったのに、遺伝子や臓器に先天的な異常があったりもする。
 あるいは、まだ高校生なのに妊娠してしまって育てられず悩む人もいる。
 妊娠を望んでいるのに流産を繰り返す人もいる。
 命が言葉からすり抜けていく。思いや理想から体は離れていく。
 愛着を持った私の思いを、どうしても手放さないといけないときがくる。
 そのとき、人は泣きます。
 そこに、悲しさだけがあるわけでもない。
 人は、何度も生まれ変わることができる。
 その表現が大袈裟だとしたら、ちょっとずつ変わっていくことができます。
 それまでの自分ではない、新しい体制の自分へ。
 人が1人生まれるのがこんなにも大変なことなのか。
 そして、その1人を助けることもまたこんなにも大変なことなのか。
「コウノドリ」というドラマを通じて、1人1人の重さや違いを改めて見直しました。
 貴重なドラマの体験知もまた味方にして、私の作品を産み出したい。
 人と作品は違うけれど、似ているところもある。
 何が起こるかわからないということ。
 なめてかかると痛い目に合うということ。
 大事に、大事に育て、愛するということ。
 1巻から32巻までテーブルに並べてみて、表紙の絵がずいぶん変わっていることに気づいた。
 最初は硬く、線も少なくて尖っている。最後は実に柔和な表情。
 描いているうちに「コウノドリサクラ」も著者もともに育っていったのだと感じた。
 作品と著者のしあわせな関係。テレビドラマも二回もなって、素晴らしい俳優にも恵まれて。
 それでも、物語に終わりはあります。人に、生きられる時間が限られているように。
 ラストの患者さんも、納得のいくものでした。やっぱりそうか、サクラの宿題と対峙することになるんだよなあ、と。
 一作ずつ越えていく。ちょっとずつ、生きる範囲を増していく。
 サクラ、生まれてきてくれてありがとう。

 鈴ノ木ユウ 著/講談社/2013〜2020

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