読み終わりました。大長編でした。
マルガレーテを救い出せなかったファウストは、意気消沈しています。
そんな彼の心をとらえたのが「美」でした。
「美しさ依存症」のようになっていく。元々が完璧主義のファウストなので納得もします。
美しさの象徴とも言える古代ギリシャの絶世の美女、ヘーレナを現代に呼び戻す使命を、そのとき仕えていた王様からファウストは受けます。
メフィストフェレスの助力を得て、古代ギリシャの旅へ。そこは過去であり冥界。神々やメフィストフェレスの仲間や死んだのに生きている霊や、肉体を探し求めている人造人間がふらふら飛んでいたり。神話の世界から登場する固有名詞が多くて、ここは読むのも大変。
が、ファウストは、へーレナを連れてくることに成功し、自分の妃として歓待する。
やがて子供も生まれ、しあわせも束の間、その子は大きくなるに連れて背中から羽を伸ばし、戦争に参加することを望むようになる。
ファウストとヘーレナは必死に止めます。が、子供は飛んでいってしまった。
「イカロス」をご存知でしょうか?
蝋で固めた翼を使って天高く舞い上がりましたが、太陽に近づき過ぎたため、蝋が溶け、墜落して死んでしまったという。二人の子供も、イカロスと同じ道筋を辿る。
「しあわせと美しさは共存できない」とつぶやいて、失意したヘーレナは冥界に戻ってしまう。
これでも挫けないのがファウスト。
先の王様が戦争で窮地になったとき、助けてやって領土を得る。その土地に「自由」をもたらすのだと意気込んで邁進していく。
海のそばの開拓地。そこは、津波の後の被災地とも通じていました。
悪魔のメフィストフェレスは、地震も津波も引き起こすことができるという。
打ち寄せる波に負けない。ファウストは、最終的に闘い続けることを選んだ。
すっかり開かれた土地に、頑固に居座る老夫婦がいた。ファウストは気に入らない。そこに建てたいものもあった。
移住先も確保し、穏便に移動してもらいたかったが、メフィストフェレスに頼んだがために、老夫婦は死んでしまう。
そこにやってくる四人の灰色の女。
第一は欠乏、第二は罪責、第三は憂愁、第四は困窮。
ファウストの家に入れたのは、憂愁のみ。鍵穴から忍び込んで。
憂愁は、こんなことを言います。
「ひとたび私に掴まえられたら最後、
その人には全世界も役に立たなくなります。
永遠の暗闇がおりてきて
太陽の昇り沈みもなくなります。
外部の感覚は完全でも
内部に暗黒が巣食うのです。
ありとあらゆる宝物を何ひとつ
わが物とすることができなくなります。
幸福も不幸も、共に悩みの種となり、
満ち足りながら、餓えになやむ。
歓びであれ、苦しみであれ、
なんでも翌日へ延ばそうとし、
ただ未来を待ちうけるばかりで、
いつまでも成熟することはないのです」 454ページ14行〜455ページ8行
この箇所、まるでうつ病そのものだと思った。
ゲーテは、なんでこんなことも知っているんだろう。
作家への信頼が芽生えるのは、やはりこういう、私も経験したことを、私には成し得なかった言葉で表現してくれているとき。
この人はわかってくれると思い、同時に今まで得られなかった言葉で自分を見つけることで明るく照らされる。
ファウストは憂愁にも耐え抜きますが、視力を失ってしまいます。
「人間は一生涯、盲なのです」という憂愁の捨て台詞とともに。
ファウストは見えなくなりますが、「だが心の中には明るい光が輝いている」(457ページ10行)。
大事業を完成させるべく仕事に集中していく。
そして気づけばもう100歳。
ファウスト最後の言葉は、この大長編を締めくくるにふさわしい説得力がありました。
「外側では潮が岸壁まで荒れ狂おうとも、
内部のこの地は楽園のような国なのだ。
そして潮が強引に侵入しようとて噛みついても、
協同の精神によって、穴を塞ごうと人が駆け集まる。
そうだ、おれはこの精神に一身をささげる。
知恵の最後の結論はこういうことになる、
自由も生活も、日毎にこれを闘い取ってこそ、
これを享受するに値する人間といえるのだ、と。
従って、ここでは子供も大人も老人も、
危険にとりまかれながら、有為な年月を送るのだ。
おれもそのような群衆をながめ、
自由な土地に自由な民と共に住みたい。
そうなったら、瞬間に向かってこう呼びかけてもよかろう、
留まれ、お前はいかにも美しいと」 462ページ6行〜19行
ファウストは亡くなります。
そして、今か今かと魂が抜け出る瞬間を待ち受けるメフィストフェレスと悪魔の一味。
しかし、天使たちが悪魔を阻む。愛という花々で、悪魔たちを翻弄して。
悪魔たちに欲望はあっても愛は知らない。愛に対する免疫がないというか。
本当の愛に触れたとき、悪魔たちはびりびりとしびれてしまい、その隙に天使たちはファウストの魂を天上に運んだのでした。
ファウストだった魂は、天上では名前もない。マルガレーテだった魂に迎えられる。
魂は、元々天上にあり、神々のものであり、人が死ねば、また天上に戻される。
それにしても、メフィストフェレスは、魂を奪ってどうしたかったのでしょうか?
悪魔は天使と同じように死なないようですが、「おいぼれの悪魔」という表現もあり、だいぶくたびれている印象です。
私の想像ですが、死にたての魂をつかむことができたら、なんでも可能になるのではないでしょうか?
若返りもできる、魔法の強化もできる。
魂は、人間の源だから、人間の生まれ持っている可能性そのものだから。
悪魔にとっては、またとないご馳走なのかもしれません。
今回は、残念でした、ということですが、「死なないのが悪魔」ですから。
やはり協同の精神で、日毎に闘い取ってこそ、自由を享受する生活は実現可能になる。
「自由」は「平和」と置き換えてもいいかもしれません。
自由な生活、平和な社会は、自分が、自分たちが作り出していくのだということ。
未来を待ちうけるばかりでは成熟しない。
そうだ、その通りだと、深く思います。
ゲーテ 作/相良守峯 訳/岩波文庫/1958
マルガレーテを救い出せなかったファウストは、意気消沈しています。
そんな彼の心をとらえたのが「美」でした。
「美しさ依存症」のようになっていく。元々が完璧主義のファウストなので納得もします。
美しさの象徴とも言える古代ギリシャの絶世の美女、ヘーレナを現代に呼び戻す使命を、そのとき仕えていた王様からファウストは受けます。
メフィストフェレスの助力を得て、古代ギリシャの旅へ。そこは過去であり冥界。神々やメフィストフェレスの仲間や死んだのに生きている霊や、肉体を探し求めている人造人間がふらふら飛んでいたり。神話の世界から登場する固有名詞が多くて、ここは読むのも大変。
が、ファウストは、へーレナを連れてくることに成功し、自分の妃として歓待する。
やがて子供も生まれ、しあわせも束の間、その子は大きくなるに連れて背中から羽を伸ばし、戦争に参加することを望むようになる。
ファウストとヘーレナは必死に止めます。が、子供は飛んでいってしまった。
「イカロス」をご存知でしょうか?
蝋で固めた翼を使って天高く舞い上がりましたが、太陽に近づき過ぎたため、蝋が溶け、墜落して死んでしまったという。二人の子供も、イカロスと同じ道筋を辿る。
「しあわせと美しさは共存できない」とつぶやいて、失意したヘーレナは冥界に戻ってしまう。
これでも挫けないのがファウスト。
先の王様が戦争で窮地になったとき、助けてやって領土を得る。その土地に「自由」をもたらすのだと意気込んで邁進していく。
海のそばの開拓地。そこは、津波の後の被災地とも通じていました。
悪魔のメフィストフェレスは、地震も津波も引き起こすことができるという。
打ち寄せる波に負けない。ファウストは、最終的に闘い続けることを選んだ。
すっかり開かれた土地に、頑固に居座る老夫婦がいた。ファウストは気に入らない。そこに建てたいものもあった。
移住先も確保し、穏便に移動してもらいたかったが、メフィストフェレスに頼んだがために、老夫婦は死んでしまう。
そこにやってくる四人の灰色の女。
第一は欠乏、第二は罪責、第三は憂愁、第四は困窮。
ファウストの家に入れたのは、憂愁のみ。鍵穴から忍び込んで。
憂愁は、こんなことを言います。
「ひとたび私に掴まえられたら最後、
その人には全世界も役に立たなくなります。
永遠の暗闇がおりてきて
太陽の昇り沈みもなくなります。
外部の感覚は完全でも
内部に暗黒が巣食うのです。
ありとあらゆる宝物を何ひとつ
わが物とすることができなくなります。
幸福も不幸も、共に悩みの種となり、
満ち足りながら、餓えになやむ。
歓びであれ、苦しみであれ、
なんでも翌日へ延ばそうとし、
ただ未来を待ちうけるばかりで、
いつまでも成熟することはないのです」 454ページ14行〜455ページ8行
この箇所、まるでうつ病そのものだと思った。
ゲーテは、なんでこんなことも知っているんだろう。
作家への信頼が芽生えるのは、やはりこういう、私も経験したことを、私には成し得なかった言葉で表現してくれているとき。
この人はわかってくれると思い、同時に今まで得られなかった言葉で自分を見つけることで明るく照らされる。
ファウストは憂愁にも耐え抜きますが、視力を失ってしまいます。
「人間は一生涯、盲なのです」という憂愁の捨て台詞とともに。
ファウストは見えなくなりますが、「だが心の中には明るい光が輝いている」(457ページ10行)。
大事業を完成させるべく仕事に集中していく。
そして気づけばもう100歳。
ファウスト最後の言葉は、この大長編を締めくくるにふさわしい説得力がありました。
「外側では潮が岸壁まで荒れ狂おうとも、
内部のこの地は楽園のような国なのだ。
そして潮が強引に侵入しようとて噛みついても、
協同の精神によって、穴を塞ごうと人が駆け集まる。
そうだ、おれはこの精神に一身をささげる。
知恵の最後の結論はこういうことになる、
自由も生活も、日毎にこれを闘い取ってこそ、
これを享受するに値する人間といえるのだ、と。
従って、ここでは子供も大人も老人も、
危険にとりまかれながら、有為な年月を送るのだ。
おれもそのような群衆をながめ、
自由な土地に自由な民と共に住みたい。
そうなったら、瞬間に向かってこう呼びかけてもよかろう、
留まれ、お前はいかにも美しいと」 462ページ6行〜19行
ファウストは亡くなります。
そして、今か今かと魂が抜け出る瞬間を待ち受けるメフィストフェレスと悪魔の一味。
しかし、天使たちが悪魔を阻む。愛という花々で、悪魔たちを翻弄して。
悪魔たちに欲望はあっても愛は知らない。愛に対する免疫がないというか。
本当の愛に触れたとき、悪魔たちはびりびりとしびれてしまい、その隙に天使たちはファウストの魂を天上に運んだのでした。
ファウストだった魂は、天上では名前もない。マルガレーテだった魂に迎えられる。
魂は、元々天上にあり、神々のものであり、人が死ねば、また天上に戻される。
それにしても、メフィストフェレスは、魂を奪ってどうしたかったのでしょうか?
悪魔は天使と同じように死なないようですが、「おいぼれの悪魔」という表現もあり、だいぶくたびれている印象です。
私の想像ですが、死にたての魂をつかむことができたら、なんでも可能になるのではないでしょうか?
若返りもできる、魔法の強化もできる。
魂は、人間の源だから、人間の生まれ持っている可能性そのものだから。
悪魔にとっては、またとないご馳走なのかもしれません。
今回は、残念でした、ということですが、「死なないのが悪魔」ですから。
やはり協同の精神で、日毎に闘い取ってこそ、自由を享受する生活は実現可能になる。
「自由」は「平和」と置き換えてもいいかもしれません。
自由な生活、平和な社会は、自分が、自分たちが作り出していくのだということ。
未来を待ちうけるばかりでは成熟しない。
そうだ、その通りだと、深く思います。
ゲーテ 作/相良守峯 訳/岩波文庫/1958
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます