窯元日記復活

元興寺さんからのいただきもの。感謝

元興寺さんからのいただきもの。感謝。元興神絵馬(ガゴゼ)。









奈良社寺ガイドから→ https://nara-jisya.info/2020/02/04/ 
元興神(ガゴゼ)という鬼がいると伝わる元興寺では元興神の絵馬のデザインが新しくなりました。
令和改元、さらに平成30年で飛鳥寺から奈良へ移って1300年になった事を記念して「令和の元興神」を新たにデザインしました。これまでは棟方志功氏、杉本健吉氏などが担当していましたが、今回は妖怪書家・逢香(おうか)氏が担当しました。
今回の元興神の特徴である「角なし」について逢香氏は
「昔の書物や水木しげるのガゴゼには袋を被った角なしの姿が多いことから、角なしのデザインにしました」とのこと。

奈良の妖怪辞典から→naranoyoukai.jp/jiten/gagoze.html

<がごぜ 【元興神】
別 名がごじ、ぐわごぜ、がんごう、がんご
出没地○昔、元興寺(奈良県)の鐘楼に鬼がいて、道場法師という大力の僧に退治せられたことが『霊異記』に記されてある。以後、妖怪のことを「ガゴゼ」あるいはこれと近い音で呼ぶ地域が日本各地に伝わるが、ガゴゼ元興寺説が有力だとされている。(※1)
○道場法師は雷の申し子として誕生し、元興寺の鬼を退治して、後に立派な法師となったということで、後に元興寺では神格化され、「八雷神(やおいかづちのかみ)」とか「元興神(ガゴゼ)」と称して、奇怪な鬼面を伝えている。農耕を助け、鬼を退治し、佛法を興隆した鬼神を象徴しているのだろう。(※2)
容 姿1791年に刊行された『大和名所図会』の奈良町の項には、「美しい女を鬼ときく物を、元興寺(がごじ)にかまそというは寺の名」と言う狂歌が載せられている。この時代、すでに元興寺そのものは衰退し、境内跡は商工業の町「ならまち」として栄えていたが、幕末に焼失するまで存在していた五重塔はがごぜの棲みかと言われていたようだ。(※3)
出没方法 昔、御所馬場に、松浦という長者が住んでいた。ある夜、一人の賊が忍び込んだが、長者はこれを捕らえ、現在奈良ホテルのある鬼隠山(きおんざん)から谷底へ投げ込んで殺した。その後、賊の霊が鬼と化し、毎夜、元興寺の鐘楼に現れて人を悩ました。
 当時、元興寺には後の道場法師がおり、鐘楼で待ち受けて鬼と激しく格闘し、勝敗のつかないうちに夜が明けてきた。夜が明けてはと、鬼は慌てて鬼隠山の方へ逃げ出した。法師も続いてその跡を追いかけたが、鬼の姿を見失った。その見失った付近を「不審ヶ辻子(ふしんがづし)」という。(※4)
事 例その昔、元興寺の鐘楼に悪霊の変化である鬼が出て、都の人たちを随分こわがらせたことがある。その頃、尾張国から雷の申し子である大力の童子が入寺し、この鬼の毛髪をはぎとって退治した。(※2)

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