窯元日記復活

漳州窯に行ったときのお話①

中国の窯跡に7回ぐらい行っているのですが、そのうち4回行った窯跡が漳州窯。
漳州窯この字読めますか?(しょうしゅう窯)と読みます。
「日本大百科全書(ニッポニカ)の漳州市の解説では・・・中国、福建(ふっけん)省南部、九竜江(きゅうりゅうこう)の支流の西渓下流に沿う地級市。2市轄区、浦(しょうほ)県、平和(へいわ)県など8県を管轄し、竜海(りゅうかい)市の管轄代行を行う(2016年時点)。人口497万4000(2014)。宋(そう)代以後、南海貿易の根拠地として栄えたが、アヘン戦争後、開港場となった厦門(アモイ)にその地位を譲った。鷹厦(ようか)線(鷹潭(ようたん)―厦門)のほか竜厦高速鉄道(竜岩(りゅうがん)―厦門)、厦深高速鉄道(厦門―深(しんせん))も通じ、省南部の水陸交通の中心であるとともに、九竜江流域の貨物の集散地となっている。周辺の農産物を利用した缶詰や製糖の食品工業のほか、機械工業が盛ん。芝山(しざん)、南山寺、仰文楼(ぎょうぶんろう)などの名勝、古跡がある。周辺地区からは東南アジアなどに多くの華僑(かきょう)を送り出している。[青木千枝子・河野通博・編集部][参照項目] | 福建(省)
                 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」
中国は市の下に県があるのですが、平和県というところに行っていました。
最初は1997年かな?兵庫の愛陶家の皆さんから一緒に行かないかとのお誘いで、数年前に発見されたという窯なのでのこのこ付いて行きました。この時が中国初めてでした。まず、武夷山から建窯に、その後、飛行機で厦門からバスで平和県に。高速ができる前で、道路はガタガタでバスが途中で故障。2時間ぐらい外で待機。日本の観光客がまず来ないところで、すごいとこに来たと思いました。発掘品などが平和県の博物館に展示してました。もちろん撮影禁止でした。翌年は同じグループで、厦門大学で日本人研究者と中国研究者の報告会を聞きに行こうとのお誘いで、また付いて行きましたが、この時厦門は台風が数日ここにいて、引き返す可能性もありで関空を離陸しました。街はすごい風でしたし、研究会会場も頻繁に停電がありました。この時は平和県で宿泊して窯跡にも連れていただきました。登り窯といってもそれほど大きくはない窯でしたね。この時の研究会に参加されていた方から翌年また・・・。

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