窯元日記復活

大阪市立美術館『千四百年御聖忌記念特別展 聖徳太子 日出づる処の天子』展再訪。

大阪市立美術館『千四百年御聖忌記念特別展 聖徳太子 日出づる処の天子』展再訪。24日まで。



後期も絵画などはガラッと変わっていましたし、改めて気になったものも ・・・。まず、絵伝が四天王寺本、茨城妙案寺本、そして横長の池坊本は六角堂が大きなサイズ。ガラスから近いのですが、人が多いので遠くから・・そうすると、解説が見えない(笑)



達磨寺の「摂政坐像」はケース一杯で迫力あります。院恵・院道作の鎌倉時代。
そして、飛鳥時代の刀剣。「丙子椒林剣」ほぼまっすぐですね。残念ながら「七星剣」は東京のみの展示のようで・・。
鶴林寺の厨子に入った「童形立像(植髪太子)」は頭から布を被っていて珍しいと思ったんですが、カタログの写真は、髪が腰まである・・。
1階の展示では野中寺の「弥勒菩薩半跏像 」この仏様は好きですのでありがたい。大阪のみの展示。
第5章に入る前のコーナーに宮城・天王寺 の「如意輪観音半跏像 」と「四天王像」の五体。平安〜桃山時代 12〜16世紀 と幅の広い時代になっている。前回のここでの聖徳太子展でも拝見していますが、変わった仏さんたちです。
カタログを買ってしまった。357ページ。東京展も含めて204点。2800円。重い。


概要HPから「令和4年(2022)、聖徳太子が没して1400年目を迎えます。
聖徳太子ゆかりの寺院では、聖霊会をはじめ太子の偉業を偲ぶ大規模な法会が催されます。このような100年に一度の節目にあわせ、聖徳太子の生涯をたどり、没後の聖徳太子信仰の広がりをご紹介する展覧会を企画いたしました。
用明天皇の皇子として生まれた聖徳太子(574-622)は、推古天皇の摂政として十七条憲法の制定や遣隋使の派遣など国家体制の確立に大きく貢献すると共に、大阪・四天王寺や奈良・法隆寺の創建に代表されるように仏教を篤く信奉し、現在まで続く日本仏教の礎を築きました。
誰もが知っている聖徳太子ですが、その生涯の事跡についてどれほどの人が記憶しているでしょうか。あるいは、最澄や親鸞をはじめとする日本仏教諸宗の名だたる開祖・祖師は、なぜ聖徳太子を自派の拠りどころとして讃仰したのでしょうか。聖徳太子ゆかりの寺院は、なぜ1400年もの長きにわたり参詣が絶えないのでしょうか。
こうした「聖徳太子とは何か」という問いを解くべく、太子生涯の事跡を描いた「太子絵伝」や成長する年齢ごとに表された「太子像」をはじめ、聖徳太子に関わる美術の全貌を、太子が推古天皇元年(593)に創建し常に聖徳太子信仰の中核を担ってきた大阪・四天王寺所蔵の作品を中心に、ご紹介いたします。
※東京展2021年11月17日~2022年1月10日 サントリー美術館」


第1章 聖徳太子の生涯──太子の面影を追って
第2章 聖徳太子信仰の広がり──宗派を越えて崇敬される太子 
第3章 大阪・四天王寺の1400年──太子が建立した大寺のあゆみ 
第4章 御廟・叡福寺と大阪の聖徳太子信仰──太子が眠る地 
第5章 近代以降の聖徳太子のイメージ…そして未来へ──つながる祈り

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