小峰一雄プライベートブログ

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友人の投稿シェア!

2015年03月06日 13時20分02秒 | Weblog

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【なんでだろう?】
僕の父は72歳で亡くなりました。
僕が30歳位の時であったと思います。
大学院を出て阪大歯学部の附属病院で働いていた時。
(今思うと口先ばかりでロクなもんじゃありませんでした)
僕が高校生位の時には父は高血圧ということで降圧剤を服用していました。
途中、オシッコがどうのこうの、眠りがどうのこうのと言っては薬の種類を変えてもらったり、仕方がないと我慢してみたり。
我が家に減塩醤油が登場したりもしました。
若い頃からずっと日曜日には軟式テニスをやっていたのですが。
そのうち脳血栓を起こしました。
自分の名前が書けないと言って、情けなくて泣いたということを母親から聞きました。
いよいよ兄が整形外科部長をしていた関係で、大阪の住友病院の個室に入院することになりました。
母は簡易ベッドで泊り込んでの看病です。
途中末梢血流不全で左足の親指を切断しました。

ある時、見舞いに行った僕と母が近くの店に食事に出ようとした際、父が行かないで欲しいと懇願しました。
「不安でいっぱい」 そう言いました。
その頃には意識はあまりはっきりしてはいませんでした。
またある時は妄想状態にあり、死んだ妹の名前や知らない人の名前を叫んだりして、しまいにはものすごい力で僕の胸ぐらをつかんだりもしました。
一月のある日、夜中に呼び出された時には兄が気管内挿管を試みている最中でした。
翌日、解剖してみたら全身の血管中、血栓だらけだったそうです。

今、僕は思うのです。
週末のスポーツは何だったのだろう?
降圧剤で30年近く血圧をコントロール?していたのは何だったのだろう?
そもそも真面目に飲んでてもコントロールできてなかったし。
当時の塩は統制でしたから、いわゆる食卓塩ですが、減塩して美味しくなくなった薄味の料理を我慢して食べていたのは何だったんだろう?
ああいう死に方を病院でしたのは何だったんだろう?
大正8年生まれでしたから、戦前・戦中・戦後を頑張って生きてきた父の人生は最後に全部帳消しだったのじゃないのか?
その気管挿管を試みて心電図を見つめ臨終を告げた兄が、もう何年も「降圧剤で血圧をコントロールしてもらってる」と言ってる笑えない現実があったりもします。

日本の医療は外科以外は病気を治そうしないのが特徴だ!(海外は異なる)

友人の内科医が勤務医の時に病気を治癒させると上司に怒られてしまうと言っていた。

患者を一生薬漬けにするよう指導されるそうだ!

では、どうしてこのようになったか?

それは現行の保険制度が原因だと思う!

コメント
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