The Notebook Of Things I Don’t Know About

日々遭遇した出来事について、あれこれ考え、想像してみる。
ユーモアを添えて...。

利益追求、労働時間短縮、評価制度...しょうがない!

2009年05月24日 14時40分16秒 | その他

先週の金曜日、Gグループ組合会議があった。

利益追求についてコメントを求められ、自分でもなにやらよくわからないコメントを発した。

そもそも〝企業にとって利益追求こそが、企業が企業として存在する意義である〟とか〝時価総額を最大にすることが企業の使命である〟とかなる言説は経営者ではない僕にとってはあまり、リアリティーのある言説ではない。

僕が日々の仕事の中で、できることといえば、リアルでクールな判断で、〝正しい行い〟を念頭に置き、平常心で対応することでしかない。利益が生じるのか、不利益となるのかは、それらの結果でしかない。

同じような努力でも不利益につながってしまうかもしれないし、たいした努力も無く利益につながる場合もあるだろう。

自分自身の立場を守らなければならない時もあれば、自己を犠牲にしなければならないときもあるだろう。(多分)

そんなときでも忘れないようにしなければならない事がある。

会社の状況も刻一刻と変わり、非常に厳しい判断を求められるときもあるであろうが、その判断の最中にも、常に〝私〟でない〝誰か〟の存在を忘れず意識しよう。僕等は自分だけのために働くのではない、誰かのために働くんでしょ。自分だけのために働くのであれば、自分が食うために必要な金があればいいはず。(でしょ。)

僕等が社会的な存在である以上、〝誰か〟の存在が必要なはず。それは避けられないし、避けてはいけないし、避けようとしても避けられるものでは無い。誰しも一人では生きていけないのだから。

昔は〝絆〟という言葉が、そこいらに確実に存在したはずだけれども、企業が成長し国民的にそれなりに裕福になるにつれ(言い換えれば、企業が短期的利益追求や株主利益優先などを経営方針にしてしまったばかりに)〝仲間意識〟も〝誰かのために〟なんて〝絆〟というワードの意味をを考える事自体が企業の中には消滅しかかっている。(ような気がする。)








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