以心伝心 from Bolivia

青年海外協力隊として2年間、ボリビアの小学校で活動。

社会に暮らす私たち

2011年02月19日 | 日記
今日は金曜日だというのに、学校はお休みでした。

暦では祝日ではないので、昨日事務の先生に尋ねたら、「労働者の日よ。」と答えてくれま

した。そうか、勤労感謝の日かと思っていたら、それは間違いでした。

食料値上げに対する労働組合のストライキで、金曜は、交通機関がストップするとのことで

した。

その日の帰り道。何かくれとしわしわの手を差し出すお年寄りや、ボロボロの服を着た親

子。

8ヶ月が経った今では、あたりまえとなってしまった光景。

8ヶ月前は、この光景を胸が締め付けられるような思いでいた。

8ヶ月前の自分は、「あたりまえ」ではなかった。


先日、「いのち、学び、そして9条」という本を読みました。

最初のほうに、子ども達の思いがつづられていました。その中で、沖縄の普天間高校に通う

ある高校生の思いがありました。つづりは長いので、全てではありませんが紹介します。




入学当時、グラウンドに出れば、騒音とともにやってくる黒い影。

授業中でも、テスト中でも、容赦なく全てを中断させる音。

低空飛行する機体に向かって、思わず私は、「うるさい!」と叫んだこともあります。

学校までの通学路は、どこまでも長い基地のフェンスが続きます。

「あれ、ここって日本だよね、いったいフェンスで囲まれているのは基地なの、わたしたち

なの?」一瞬、私は考えてしまいました。

私は普天間基地を含めた日本にある米軍基地の75%が、ここ沖縄に存在していることをあ

らためて実感しました。そんな不安と違和感を覚えた1年目でした。

入学から2年経ち、私は自分が変化していることに気が付きました。

そして怖くなったのです。

ヘリコプターは相変わらず、頭上を飛び回り、騒音は鳴り続けます。

「でもしょうがない」「いつものこと」、そう思っている自分がいました。

軍用機がいつ、自分の上から落ちるかわからない日常。

訓練が民間地域のすぐ隣で行われている日常。

危険を危険と感じなくなる怖さ。

普天間高校で過ごす間に、この状況があまりにも日常になりすぎて、私の感覚はにぶくなっ

ていたのです。

生活の中に基地があること、そして沖縄の中に基地があること、この問題をしかたがないか

ら、と考えるのをやめていないか。

私を含めて、いま一度多くの方に考えてほしい。

みんながそれぞれの立場で、もう一度この基地問題に向き合ってほしい、そう思います。

私たち一人ひとりが考えれば、何かが変わる!そう信じて、私はここ立っています。




立っていますとは、沖縄での集会でのことです。

この子は、普天間基地撤去の集会でこのような発言をしました。

私は、「感覚はにぶくなっていた」という言葉に、自分の心を読まれたような気がしま

した。

ボリビアには、貧しい暮らしをしている人々が多くいます。

しわしわの手を差し出すお年寄りは、もう歩くのがやっとなくらい体が弱っているし、

ボロボロの服を着た母親は、風呂敷を広げて細々とレモンを売っています。

それでも食べていけないので、自分の子どもを使って、道を歩く大人達へおねだりをさせて

お金や食べ物をもらっています。



5年生のある男の子は、毎日学校で出るパンを食べないでリュックに入れています。

彼は、それなりの暮らしをしている生徒です。頭もよく、賢い子です。

たまに休みの人がいるとき、その分のパンをもらってよいか先生にたずねています。

そして、帰り道。路上にいる人に、パンをあげていました。

わたしは声をかけずに、そっと彼の行動を見ていました。

まるで、宅配の人のように、あげるのではなく、届けているような姿でした。

彼は、まだ11歳だというのに、この国の社会を見ています。

そして、通学路で出会うこの弱く貧しい人のために、学校で出るパンを配ることが最善と考

えたのでしょう。おばあちゃんは、何度もお礼を言っていました。それから、彼は再びリ

ュックを背負い直し、次の仕事場に向かうようにして、帰り道を歩いていきました。

彼はきっと人々の上に立つ強い大人になれる、そう感じました。

なんで路上に人がいなきゃいけないんだろう。

なんで農作物を作る者と会社で働く者とで、こんなに給料が違うんだろう。

なんでこんなにいつもデモが起こるんだろう。

なんで?って疑問に思うことは、社会の中にいつも溢れています。

それを、知っているか知らないかで、どんな社会にしたいかという思いが違ってくると思

います。

私は、やっぱり子どもたちがいきいきと暮らせる社会にしたい。

いきいきというのは、自信を持って生きるということです。

弱者には、支援が必要です。自己責任と突き放して、子どもたちが希望を持つ社会になれ

るでしょうか。

「自分」だけじゃなく「社会」を考えると、大切なものが見えてきます。

もちろん自分がある程度の暮らしをしていないと、他の人のことまで考えられません。

けれど、ある程度の暮らしをしている人が、社会に無関心であることが、とても重要な問題

だと感じます。

みなさんは、どう思いますか。