以心伝心 from Bolivia

青年海外協力隊として2年間、ボリビアの小学校で活動。

生きる

2011年02月26日 | 日記
谷川俊太郎「生きる」の一節。

                     


                           生きる
 

                           それはミニスカート

どしゃぶりと仲間

2011年02月26日 | 日記
今日も、労働組合のストによる交通機関ストップという情報が、JICAからメールで送ら

れてきた。

昨日は何も言われてないし、とりあえず学校に行ってみると、子どもたちは少し早めに下校

することになった。

田舎の子達は、バスがないので来ることができず、各クラスとも今日は少なかった。


この時期は雨季で、毎日のように雨が降っている。

日本の梅雨なんてものじゃなく、どしゃぶりの雨。それだけで、どっと疲れる。


さらに、この雨に追い討ちをかけるように、同期仲間の突然の帰国。

同じボリビアといえども、環境は違うし、活動もさまざまで、仲間がどんな想いを抱えているのか、

本当のところは分からない。

けれど、「人々がよくなるために。発展途上の人の役に立つために」その想いだけはみんな

共通で、その想いだけは分かち合いながら、共にやってきた。

文化や感覚の違いで、がっくりくることもある。いや、よくある。

それは、私が日本という恵まれた環境で、生きてきたから。

けれどそのがっくりも、私は現場で働くことで、乗りこえられている。

スペイン語の話せないケチュア語の子どもが、一生けん命勉強しようとする姿。

私が教室に入ると、頬にキスをして喜んでくれる子どもたち。

「keikoノート」を作って、授業のメモを取ってくれる先生。

変なスペイン語を理解して、アドバイスをくれる先生。


そして、がっくりはいつの間にかエネルギーに変わる。

異文化のなかに住み、働くということは、とてもエネルギーがいる。

その分、たくさんの「気づき」がうまれる。鬼太郎であれば、髪の毛がピーンとたつ、

感性が研ぎ澄まされる状況がいっぱいある。

以前訓練所のとき、異文化理解の講師の方が、こう言った。

「好きにならなくていい。平気になれ」と。

なるほど、そのとおりだと思った。

異文化のなかに入ることは、まず「平気」になること。

そして感性との狭間で、ものごとをどのように対応すればいいか考え、自分で見出していく

こと。

この先の結果なんて、誰にもわからない。

けれどアプローチは、無限大にある。

自分が動けば、何かが動く。

だから、わたしはいま「ここ」にいる。

仲間へは無責任なことは言えない。

何も言わずに行ってしまった。本当のことはわからない。

けれど、私は仲間であることに変わりはないと思っているよ。