母が腕を骨折し、入院・手術をしたことがあります。
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紅葉を見ると思い出す母との出来事。 - 母のようになりたくないのに
母が入院した翌日、私は仕事帰りに病院に寄りました。(雑誌や飲み物、ゼリーなどを持って行きました。)
6人部屋の窓側のベットにいた母は背中を丸めてベットに腰かけていました。母の近くで看護師さんが何やらカチャカチャと作業をされていたので「○○です。母がお世話になります。」とご挨拶をしました。
私の声に気づいた母が一言。
「お母さん、血糖値が○○を越えてるんだって」
母が糖尿病であることを知っていました。
私が小学生のころ、トイレに尿検査の試験紙があったし、母が薬を服用していたのも見ていました。
しかし見ていたのはその時だけ。
私が中高生のころ、母が薬を服用している姿を見たことがありません。母は糖尿病の治療を怠っていました。
「血糖値が安定するまで手術できないんだって」
すると看護師さんが「今晩から食事も“糖尿食”になります」と言いました。
私は母に持ってきた差し入れの中から砂糖入りの飲み物やゼリーを抜き取って母に渡しました。
血糖値を安定させるため食事管理と薬の服用が始まりました。
私は毎日仕事帰りに病院に立ち寄りました。
時間的にちょうど夕食の時間だったので、母が食べている糖尿食を見て“糖尿食って味気なさそうだなぁ~”と思いました。まさかその数年後には私自身が“妊娠糖尿病”になり“糖尿食”を食べる日が来るとは…
食事管理と薬の服用のおかげて手術を受けられるようになり、無事に手術が終わりました。
担当の先生から術後の説明を聞き、母がいる病室に戻りました。
全身麻酔ではなかったので意識がある母。
苦しい、しんどい、腕が痛い、腕をさすってくれ…と訴えます。
私は母の腕をさすりました。
看護師さんが母のベットに何度か来て点滴を変えたりと処置をして下さります。看護師さんが来るたび不満を訴える母。
そうこうしているうちに面会の終了時刻が近づいてきました。
帰ろうとする私に母が言います。
「ねぇ、お母さん腕が疼くから、あんた一晩ここに居てよ。」
疼く(らしい)腕を一晩中さすれ、と言うのです。
個室に入院しているわけではありません。市民病院の6人部屋です。面会人は普通の折りたたみ椅子に座ります。
正直困惑しました。そこまで重症なら看護師さんやお医者さんが何とかしてくれるんじゃないか…
幼子なら親が付きっ切りで看病するけど…
ここでもし私が断ったらどうなるか…
いえ…私に“断る”なんて選択権はありません。いつだって、何だって母に従うしかありませんでした。
私はナースステーションに向かい、看護師さんに“今日一晩母の看病をさせて欲しい”とお願いに行きました。
「付添人の方の寝具はありませんよ?」
「大丈夫です。急なお願いをしてすみません。」
病室に戻った私は母の腕をさすりました。部屋の電気がついている時間は腕をさすりながらテレビを見ることができたからまだよかったです。辛かったのは消灯時間後…消灯時間になり6人部屋の明かりも消えました。カーテンで仕切られているとはいえ、さすがにテレビは付けられません。真っ暗闇のなか母の腕をさすりました。
スマホがある今ならYouTubeなど見て気を紛らせることも出来たでしょう。でも当時はまだガラケー全盛期…
時々やってくる見回りの看護師さんがカーテンを開けた瞬間“ビクッ!”と驚いていました
母が寝息をたてて暫くしてから私もベットに突っ伏して休みました。
翌日。朝の検温の時間になり看護師さんが母の様子を伺いに来てくれました。
看護師さんに「体調はどうですか?」と聞かれた母は「腕が疼いて眠れなかった。」と言いました。
すると看護師さんが「見回りに来たときはぐっすり眠っていらっしゃいましたよ?」と母の不満をバッサリ。
私が洗面所に向かおうとした時、同じ病室に入院されている方が私に声をかけてくれました。
「もうあなたお家に帰っても大丈夫よ。」
「えっ…でも…」と私が言うと
「大丈夫だから。お腹空いたでしょう。」とバナナとお菓子をいただきました。
その会話を聞いていたのか母は何も言わず…。私は家に帰ることが出来ました。
数日後。母は別の部屋に移動になりました。母が入院してから毎日面会に行っていましたが、仕事で残業が続き数日間面会に行けない時がありました。
数日ぶりに母の面会に行くと、同じ部屋の方が(バナナをくれた人じゃない、別の人)私に向かって
「お母さんのこともう少し気にかけてあげてね」と一言。
私は思わず「え?どういうことですか?」と聞き返してしまいました。
病室の人たちとお喋りをしている時に母が「娘が1人いるんだけど、迷惑をかけられないから自分からは連絡をしていない」と話したそうです。
それを聞き、私は愕然としました。
「迷惑をかけられない」何言ってんの!?
いままでどれだけの事があったのよ!?
借金だって、今回の怪我だって、精一杯寄り添っているじゃない。
どこの誰と比べているか知らないけど、何を求めているか知らないけど、あなたの娘はこれが精一杯だよ。
でも母にそんなことは言えません。
私が「お母さんの為に一生懸命やってる、精一杯やってる」と訴えれば「親に向かって“一生懸命やってる”なんて生意気なことをいうな!」「“一生懸命やってる”という感情を持つお前が間違っている!」と否定されてきたからです。
私が面会に行けなかった数日の間に母が何を喋って、相手がどう受け止めたのか…
「お母さんのことをもう少し気にかけてあげてね」という言葉にとても傷つきました。
ブログをご覧いただきありがとうございます。
自分の都合よく話をする母。
私たち親子の事を知らない人が話を聞いたら…私は相当“情のない娘”と思われるんだろうな。
当時20代だった私は「その話違います。本当はこうです!」と話せたらいいのに…と思っていました。
でも今は「どうでもいいや」と諦められるようになりました。本当にもうどうでもいい…。ここで吐き出せたらそれでいい。
コメントありがとうございます。
共感のお言葉とてもうれしかったです。
uparinさんも同じような経験をされたのですね。
「お母さんにもっと感謝しなければいけないよ」なんて知らない人に言われたらショックですよね。親子だって口喧嘩もするし、意見が対立するときもあるのに…自分の知らない人に何を言うか怖くなって、親に自分の気持ちが言えなくなってしまいます😢
私の母も“人付き合い”がうまくいきません。
口癖は「あの人のためにあんなに尽くしたのに!」です。人間関係の拗れで何度も職を変えていました。
私のなかにも“母に似た部分”が時々現れて自己嫌悪になります。
私も似たような経験があります。
以前、実家の近所で母と仲の良かった人から声をかけられ、「お母さんにもっと感謝しないといけないよ」と言われました。
私はその人と話したこともなかったのにいきなりそんなことを言われてびっくりしましたが、数日前に母と口喧嘩したので母が私のことを愚痴ったのだろうと想像がつきました。
自分の娘のことを他人にどう話していたのかと思うとショックですよね。
しかし、母はその後、その人とも喧嘩をして絶交してしまいました…。母はとても気が強くてわがままで、色々な人とよく喧嘩をします。
私も時々ブログで毒母のことを吐き出したくなります。
私のブログでは「毒子」と名付けています。過去のことでも、吐き出すとスッキリします。