朝がまた来る

旧ブログ名「母のようになりたくないのに」です。
毒親、ママ友、育児、病気のこと…40代パート主婦が呟いています。

母からの電話②

2022-02-17 15:46:48 | 毒親のこと

母が私のスマホに何度か電話をかけてきましたが留守電には何もメッセージを残しません。

すると別室にいた夫が家電の子機を持って「お母さんから…どうする?」と聞いてきました。(夫は私と母の関係を全て知っています)「外出中って言おうか?」と気遣ってくれましたが、私は母からの電話に出ることにしました。

「もしもし」

「忙しいときにごめんね!」

あぁ…この声色、今まで何度も聞いてきました。高揚、興奮、理性を失っている…この声色で話す時の母は一方的に喋りまくって、相手の話を聞く耳を持ちません。

早速母は話し始めました。

母の話をまとめると…

・現在母は「衣食住」の「衣食」を年金で、「住(家賃)」は福祉にお世話になっている。

・福祉の職員さんのなかには自分の娘(私)より年下の人もいて、相談や連絡を入れるのが恥ずかしい、情けないと感じるようになった。

・「衣食」は自分の年金で賄えるので、「住」の問題を解決したい。

・そこで別れた夫(私の実家の父)に電話を入れ、「けめこの部屋が空いているのだからそこに住まわせてくれ」とお願いをした。

・しかし断られてしまった。

両親が離婚して20年近くなります。随分大胆な提案を父に投げかけたものだな…と思いました。

「けめこの部屋」と言いますが、広い土地に建つ大きな家の“離れ”でもなければ、アパートやマンションの一室でもありません。

築50年の3DK。6畳間の部屋です。その家には現在も父が暮らしています。

そして、父は数年前“再婚”をしました。

「あんた、お父さんが再婚したの知ってるの?」

「うん。知ってるよ。」

「再婚相手に会ったことあるの?」

「うん。何度か会ったよ。」

私も正直、父の再婚には驚きと言うか“ええ!?再婚!?なんで!?”と思いました。

母との結婚生活で色々…色々ありすぎてもう結婚なんてこりごり、第二の人生は好きな事をしてのんびり暮らしていくんだろうな…と思っていました。

でも父は余生を“一人”ではなく“二人”で過ごすことを決めました。きちんと籍を入れて。

私は家を出た身。娘としての役割は果たすつもりですが、父が自分のこと、家の事をどうするかは父が決めることです。

父から再婚すると連絡をもらった時、「おめでとう。1回失敗しているんだから今度は仲良く暮らしてね。お父さんの持っているものはすべて相手の方に渡してね。私はなにもいらないからね。」と言いました。(お父さんの持っているもの…と、言っても築50年の家しかありませんが)勤労意欲はあるのに仕事運がなかった父、そして母の借金。実家に“財産”と呼べるものはありません。

話は母との電話に戻ります。

別れた夫が再婚していた。母にとって“まさか!”の事態だったようです。

「なんだかんだ言っても別れた夫は私の事を気にかけている」と思っていたのでしょう。

ところが再婚していた。

やり場のない気持ちが私への鬼電となったようです。

「よかったじゃない。あんな家、あんたに残されてもあんたが困るだけだもんね。」

「でも、あの家はお父さんだけの力で買った家じゃないのにね。」

「じゃあ、お母さんがあの家に置いていった家財道具を再婚相手の人が使ってるの?あれはおばあちゃんがお母さんのために用意してくれたのに。」

本音が駄々洩れになる母。もう止まりません。まとめます

・お父さんとの結婚をおじいちゃんは強く反対していた。味方はおばあちゃんだけだった。

・結婚するとき、父の実家は何ひとつ用意してくれなかった。(父は6人兄弟の5番目。父は中卒で働き始めました。)

・自分の実家には兄がいたから、自分がいたら兄が結婚できなくなると思い(小姑がいる家に嫁さんなんかこない)早く家をでなければ…と思っていた。

・あんたが産まれた後もおじいちゃんはいい顔しなかった。まだ乳飲み子だったあんたのことをしかめっ面でみていた。

・兄も兄嫁もあんたのことを抱っこしたことがない。

・おじいちゃんは兄の子どもとあんたを比べて、兄の子どもを可愛がっていた。

・お父さんの実家もあんたを可愛がらなかった。(また言いますが、父は6人兄弟の5番目。しかも父方の祖父母は他界していて、父の実家はおじさん夫婦(長男)が住んでいます。だから私は数多くいる姪っ子甥っ子のうちの一人。

・本当は離婚したかったけどあんたがいるから離婚できなかった。(この言葉本当に聞き飽きた…)

父が再婚したので自分の思惑通りに行かなくなった母。矛先が私へ向かいます。私はただずっと「うん。うん。」と聞いていました。ある程度喋り尽くしたかな?と頃合いを見て私は母に話しかけます。

「でもさ、お母さん。おばあちゃんが亡くなった時、おじいちゃんが言ってたじゃない。“お前たちは最初から間違っていたんだ”って。あの時すでに認知症が始まっていたおじいちゃんが、ハッキリいったんだよ。」

両親は所謂“できちゃった婚”です。祖父の言う「最初から間違っていた」とはそういう事です。

「それにさ、おじいちゃんが“内孫”を可愛がるのは当たり前だよ。私は“外孫”なんだし。」(でも私は祖父から可愛がってもらったと思っています。比べられて貶された…なんてことはありませんでした。)

母は「ハハハ!」と声をだして笑い「そりゃそうだ!」と言いました。

いまこうしてブログに書いていても情けなくなります。

私は自分で自分の存在を蔑んで否定しなければいけないのか。そうしなければ母の怒りが収まらないのか。

私って何なんだろう。

 

ブログをご覧いただきありがとうございます。

母から電話がかかってきて1週間経ちました。やっと気疲れと蝕まれた心が回復してきました。

母との電話の中ではこんなやりとりもありました。

「あんた鼻声だね。」

「うん。先週コロナにかかったから。」

「えー!!コロナになったの!?東京はすごいもんねー!」

「うん。」

「あんた、糖尿は?」(母は私が妊娠糖尿病で出産していることを知っています)

「糖尿病だよ。病院にも行ってるよ。」

「やっぱりーーー!!糖尿は怖いよ。真綿で首をしめるように蝕んでいくからね」

大変だったね。

子ども達は大丈夫?

そんな言葉は1つも母の口から出ませんでした。

私もそこは求めていません。

私も母を捨てた身ですから。


母からの電話①

2022-02-10 10:40:10 | 毒親のこと

昨日の夕方、母から電話がかかってきました。

私が結婚して地元を離れて十数年。

どういう訳なのか、私の宿命なのか

私が日常生活にささやかな幸せを感じていると母から電話がかかってきます。

はじめの頃は電話に出ていました。

電話の内容は今までの恨み辛みです。

「私は不幸だった」

「私は恵まれていなかった」

「だけど私は人の為に尽くしてきた」

「なのに報われない人生だった」

あぁ…なんだかこうしてブログに書くことも馬鹿馬鹿しくなります。

この人はなんでこんなことしか喋れないんだろう。

「年をとってからの立振る舞いは人生の成績表」

私がいつも心に留めている言葉ですが、母は本当に残念な立振る舞いをしています。

母の恨みつらみの負のオーラが電話線を通ってこちらまで届きそうでした。

実際、母からの電話の後は肩に憑き物でもついたのかと思うほど疲れました。

でも母の恨み節を聞いてあげることが、私が唯一できる“親孝行”なのかな…と言い聞かせ我慢していました。

でも我慢の限界。このままでは私の心まで飲み込まれてしまう。

私がいま一番大切にしなければいけない人たちを不幸にしてしまう。

私が会社員だったころ、私は母に「中途半端に接してこないで」とよく言われました。

母がいう「中途半端」が未だによくわからないし、母から言われた「中途半端」がその後の私の人付き合いにも影響しています。

「私の言動は中途半端なのかな?」

「本当はちょっとしんどくなってきてるけど、もう少し頑張らなきゃだめなのかな?」

幼稚園でのママ友付き合い、PTAの役員のこと…加減がわからなかったし、自信がなかった。人の目が気になって、他人からの評価が怖かった。

幼稚園のママ友付き合いとPTAで余裕がなくなって、子育てでも色々あって、ここ数年は母からの電話にも出ませんでした。

よほどのことなら留守電にメッセージが入るだろうし、もしもの時は母がお世話になっている福祉から電話がかかってくるだろうし。

実際、一昨年母が引っ越すことになり福祉の方から私の元に電話がかかってきました。

私は「新しい住所は教えていただかなくて結構です。私は母に何の援助もできませんが、母が最期を迎えた時は身の回りの片付けにいこうと思っています。母がお世話になります。よろしくお願いします。」と伝えました。

 

話は戻って昨日の夕方。

私のスマホに母から電話がかかってきました。

先々週から家族全員コロナに罹患して、少しずつ“日常”を取り戻してきたところです。

私は咳の症状がまだ続いているため、処方された咳止めを今週いっぱい服用します。

職場から「薬の服用が終わってから職場復帰です」と言われたので今週いっぱい仕事を休まなければいけません。

今回のコロナ罹患で3週間仕事を休みました。生活面に影響がでちゃうな…切り詰めた生活をしなくちゃいけないな…と少し不安を感じていました。

それでも、子ども達が学校に登校できること。持病持ちの私が重症化しなかったこと。大黒柱の夫が高熱を出さずにすんだこと。この程度ですんでよかったと思っています。

そんな時に母からの電話。

2回かかってきても留守電には何もメッセージが残されていません。

それからしばらくして別室にいた夫が家電の子機を持ってわたしの所にやってきました。

「お母さんから…どうする?」(夫は私と母との関係を全て知っています)

「いま出かけてるって言おうか?」と言ってくれましたが、私は母からの電話に出ることにしました。

 

ブログをご覧いただきありがとうございます。

「もののけ姫」の中で祟り神の呪いがアシタカの腕に巻きつくように

母からの恨み節の電話は耳から呪いが侵入して私の心を蝕みます。

私は母が望むような親子関係は築けないし、母が「中途半端」というならばもう私は母との付き合いを「ゼロ」にするしかない。

それを「親不孝」と思っても構わない。

なのにどうして私を放っておいてくれないの。もう親離れ子離れしたいよ。


コロナに罹患④

2022-02-07 17:06:45 | 病気のこと

1/23(日)に発症→2/2(水)まで健康観察期間(自宅療養)

息子1/25(火)に発症→2/4(金)まで健康観察期間(自宅療養)

1/26(水)に発症→2/5(土)まで健康観察期間(自宅療養)

1/26(水)に発症→2/5(土)まで健康観察期間(自宅療養)

 

倦怠感としつこい咳、頭痛や下痢…その他もろもろの不調でMPもHPもどんどん削られていく日を過ごしていました。

朝起きて朝食の支度、洗濯、ちょっと掃除→余力がゼロになり布団に入る→気が付くと夕方…

病院から処方してもらった薬を飲みきるところまできましたが症状は一向に良くなりません。

そんな私の様子を見て夫が「咳止めの薬を処方してもらったら?」と言いました。

出された処方箋を確認すると「痰や鼻汁を出しやすくする薬」と「アレルギー性鼻炎の症状に効く薬」が処方されていました。

ちなみに夫の処方箋を確認すると「咳を鎮める効果がある薬」が処方されていました。(夫と私は違う病院を受診しています)

私も夫と同じお薬を処方してもらえるかな…

私は病院に電話をしました。

咳の症状が改善されないこと。処方してもらった薬を飲み切ってしまうこと。咳止めを処方してしてもらえませんか?

すると先生が

「咳止めを飲んじゃうと痰が出なくなって肺炎を起こしますよ」

「処方した薬を飲み切っても改善されないなら、保健所に連絡して“ホテル療養”した方がいいですよ」

(;゚Д゚)えええ!!!!そこまで大事になっちゃうの!?

返答に困っていると「もしもし!?こっちもいま忙しいのでこれで(電話を終わりにして)いいですか?」

私は「…はい。わかりました。。。」としか返事が出来ませんでした。

体調不良で思考能力も低下しています。私はどうすればいいのか分からなくなりました。

医療現場がひっ迫していることも重々承知しているからこれ以上病院に訴えても迷惑になっちゃう…

確かに私には糖尿病の持病があるから重症化するかもしれない…

この咳は重症化の予兆なのか…

本当にホテル療養になっちゃうのかな…

 

「咳止め処方してもらえた?」と聞きに来た夫に先生から言われたことを伝えました。

「そんなのおかしいよー!」と憤る夫。でもすぐ冷静になり「(糖尿病)でお世話になっている先生に相談してみたら?」と提案してくれました。糖尿病でお世話になっているクリニックでは「オンライン診療」をやっています。

私はクリニックのサイトを確認して、手順通りに「オンライン診療」の希望を連絡しました。自分がいまコロナに罹患していること。東京都の発熱相談センターに相談して教えてもらった発熱外来を受診、抗原検査を受けたこと。処方してもらった薬の名前と処方された日数。「咳止め」を処方してもらえなかった理由なども事前に先生に連絡しました。

その日の夜。LINEのビデオ通話で「オンライン診療」を受診することができました。

先生のお顔を見てお話できてホッとする私。

コロナに罹患してからの症状を細かく聞いてくださった先生は「咳止め」と「吸入薬」を処方してくれました。

“ホテル療養”にならなくてよかった~…とまたまたホッとする私。

翌日には保健所の方が手配してくださった「パルスオキシメーター」と「配食」が届きました。

「配食」にはレトルト食品や缶詰、ゼリーやスポーツ飲料が入っていて本当に本当に助かりました

2/3(木)には娘のクラスの学級閉鎖が解除され、娘も学校に登校できました。(心配してた“からかい”もなかったそうです。)

この日は節分。娘にお願いして近所のスーパーから「恵方巻」を買ってきてもらいました。

私も数日ぶりに台所に立ち「豚汁もどき(材料不足で“豚汁”というより“豚肉が入った味噌汁”」を作りました。

「ママが作ってくれたご飯が一番~」といっておかわりしてくれる子ども達。

そして金曜日に息子、土曜日には私と夫の健康観察期間(自宅療養)が解除されました

徐々に「日常」が戻ってきて本当に嬉しいです

よつばと15巻の帯に書いてあった「普通という奇跡」という言葉をかみしめています。

 

ブログをご覧いただきありがとうございます。

健康観察期間中は毎日病院から(PCR検査や抗原検査をしてくれた病院)その日の体温と体調を確認する電話がきます。

“ホテル療養”の話を振ってきた先生が「こちらは抗原検査しか診ていないので、持病のある患者さんに(ちゃんと診察せず)薬だけ処方することはできなかった」と仰っていました。

確かにそれもそうだよな…と思いました。

健康観察の確認のため休診日も土日も休まず患者さんとの電話応対。

普段の診察や予防接種など通常診療もあります。

“ホテル療養”と言われ「ええー!!どうしよう」と焦りましたが、先生が出した最も適した診断が“ホテル療養”だったのです。

東京都の発熱相談センターに電話がつながったこと

紹介してもらった発熱外来で受診できたこと

保健所の方がパルスオキシメーターと配食を手配してくれたこと

かかりつけの病院で「オンライン診療」を受診できたこと

全てに感謝しています。本当にありがとうございました。


コロナに罹患③

2022-02-06 15:10:56 | 病気のこと

1/23(日)に発熱(発症日)→25日(火)に解熱→28日(金)の抗原検査で陽性が判明→2/2(水)まで健康観察期間(自宅療養)※娘の最終登校日が1/21(金)であるため、娘のクラスが1/31~2/2まで学級閉鎖になる。(学級閉鎖の連絡が来た日が28日(金)保健所の指示とはいえ…ちょっと納得できない

息子1/25(火)に発熱(発症日)、PCR検査→26日(水)に解熱→27日(木)PCR検査で陽性が判明→2/4(金)まで健康観察期間(自宅療養)

1/25(火)夜に発熱(発症日は26日)→27日、28日微熱が続く→28(金)の抗原検査で陽性が判明→2/5(土)まで健康観察期間(自宅療養)

1/26(水)から喉に痛みと咳。熱がないため抗原検査を受けることができず。

 

金曜日(28日)の夜。

市販の風邪薬を飲んでいるのに咳と喉の痛みがよくならない夫。

もうこれは確実に俺もコロナに罹患しているよね。明日かかりつけの病院に連絡をしてみようということになりました。

土曜日。夫がかかりつけの病院に電話をしました。

「同居する家族3人がコロナ陽性者です。自分も水曜日から喉が痛く、咳もでます。でも熱がないため抗原検査を受けられませんでした。診ていただけますか?」

ところが…病院からの返事はNO家族にコロナ陽性者がいる方の診察はできないとのこと。

はてさて困りましたどこの病院で診て頂けるのか

そこでネットでコロナ情報ページを調べて、「コロナウイルス健康相談センター」に電話しました。

すると、熱がなくても抗原検査をしてくれる病院を紹介してもらえました。早速病院に連絡、すぐ検査をしてくれるとのことで病院に行きました。

布団の中で横になっていた私に夫からのLINEが届きます。

「陽性」

「いや~全員隔離ー

あぁ…やっぱり。恐ろしすぎるコロナ…

この日まで熱が出なかった夫ですが、発症日は「喉に痛みを感じた日」ということになり、私と同じ26日(水)が発症日→2/5(土)まで健康観察期間(自宅療養)となりました。

これではれて?明白に?(言葉が見つからない家族全員コロナに罹患しました

私はというと、朝はなんとか起きることができて朝食の用意をしたり、洗濯を干したりできるのですが、動いた後の疲労・倦怠感がものすごくてお昼前にはHPがゼロになってしまいます。

お昼を作る気力もなく、布団に横になって止まらない咳とかんでもかんでも出てくる鼻水…

疲れ果てて寝てしまい、気が付くと夕方になっている。食欲もなくなり、水分とのど越しのいいものしか受け付けなくなりました。(子ども達のお昼ご飯は夫は用意してくれました)

そんな日が4,5日続きました。

とにかく咳がつらかったです。痰がからむ咳もあれば、から咳もあり、咳き込み過ぎてちょっと嘔吐してしまったり、恥ずかしい話ちびってしまったり…頭に膜がまとわりついてるような不快感、頭痛、肩回り、背中の上半分にズーーーンと重しが圧し掛かったような感じ。鼻水のかみすぎて耳も重い。五感すべてが鈍ってしんどかったです。息苦しさもありました。さらにお腹もくだしてしまって…(起き上がるのもしんどいのに

インフルエンザは薬を飲めば「あ、少しずつ回復してるな」と感じるのですが、コロナは「これいつよくなるの?」「持病とどう関わってくるんだろう」と不安が募りました。

そんななか、保健所から電話がかかってきます。(私に糖尿病の持病があるから連絡をしてくださったのかな…と思います。)

この頃「東京都自宅療養者フォローアップセンター」からも連絡をいただいていますが、もう誰がいつどんな内容の電話をくれたのか…時系列を覚えていません

保健所の方とは健康状態と、糖尿病で服用しているお薬が足りているか…などをお話ししたと思います(なにせ記憶が曖昧)

そして「少し息苦しさを感じる」「咳の症状がまったくよくならない」と伝えると、「パルスオキシメーターの貸し出し」と子ども達の分だけでも…と「配食」の手配をしてくれました。

一番最初に娘が熱を出して、スーパーやドラックストアであれこれ買い込みましたが、まさか家族全員コロナになるなんて、しかも食事の支度をする私が一番治りが悪いお肉や野菜を切る気力がない、お釜やお鍋を洗う元気もない。子どもの為に買ったゼリー飲料を私が飲んでいる始末です。熱がないとはいえ、夫も本調子じゃない。

レトルト食品や冷凍食品をもっと買っておけばよかったと大・大・大後悔しました

 

ブログをご覧いただきありがとうございます。

夫がコロナ陽性とわかって、私と夫はそれぞれ自分の職場に電話をしました。

電話を切ったあと、ふと思いました。

コロナになるのは嫌だけど…考えてみれば「濃厚接触者」の方が会社を休む日数が長いんですよね…

例えばもし今回夫がコロナに罹患せず、同居家族がコロナ陽性者で夫が「濃厚接触者」のままだったら

私の健康観察期間(自宅療養)が終わる2/5+さらに10日、2/15まで夫は仕事に行けません。(10日→7日はもう適用されているのかな?)

感染予防とはいえなんだかなぁと思いました。

また、この頃くらいから(1週間も子どもが学校を休んだり、私が仕事を休んでるので)心配をしてくれた息子の同級生のお母さん、LINE交換をしている職場のパートさん、子ども達がお世話になってる学習教室の先生から「大丈夫?」「食料足りてる?」とご連絡をいただきました。そのお気持ちが本当に嬉しかったです


コロナに罹患②

2022-02-04 11:46:25 | 病気のこと

日曜日に娘が発熱→火曜日には解熱

月曜日の夜に息子が発熱→火曜日PCR検査

“家庭内感染”もありうるかも…と思った私はスーパーとドラックストアであれやこれやと買い込みました。

その不安は的中。火曜日の夜、今度は私が38度近い熱を出します。

“これは違う。コロナじゃない。立て続けに子ども達が熱を出したから私もちょっと疲れただけ”

そう言い聞かせて、市販の風邪薬を飲んで早めに就寝しました。

翌朝水曜日。体温を測ると38.5℃

でも、不思議と体の調子はそんなに悪くなく、朝から家事をこなせます。

昨日PCR検査を受けた息子は解熱していました。

娘はこの日からオンライン授業に参加し始めました。

そして夫。熱こそ平熱でしたが「喉が痛い…」と。咳もでるようになりました。

私と夫は市販の風邪薬を飲みながら時々熱を測ったりして1日様子を見ることにしました。

木曜日。

37℃台の微熱が続きましたが、寝込む程不調でもなく…。昨日に比べれば喉がちょっと痛いかな?と思う程度でした。私は風邪をひいたり、熱をだすと扁桃腺がパンパンに腫れて唾を飲み込むのも苦痛になるのですが、それに比べれば“ちょっと喉に違和感?”程度の痛みだったので、万が一これがコロナだとしても予想より辛くないじゃん…と感じました(これが後々地獄をみる

そして息子のPCRの結果が来ます。

結果は「陽性」

発熱外来の先生に「もうほとんど解熱しているのですが、私も水曜日から熱があります。」と伝えると、「一番最初に熱をだしたお姉ちゃんと一緒に“抗原検査”をやってみましょう。」とのこと。この日は休診日なので翌日金曜日に検査を受けることになりました。私は「夫も昨日から喉が痛いと言っているので一緒に検査してもらえますか?」とお願いしたところ、「発熱のない方は抗原検査ができません」とお断りされてしましました。

息子のPCR検査の結果を受けて、学校、職場、習い事などに再び連絡をしなければいけません。

ここでもまた発熱日・体温・その他症状・検査を受けた病院名・病院の連絡先・健康観察期間(自宅療養期間)・同居する家族の健康状態などなど…事細かに報告しなければいけません。また、翌日私と娘が抗原検査を受けることも伝え、結果が分かり次第報告することになりました。

そして発熱外来の先生から「HER-SYS(ハーシス)というサイトに登録して毎日健康観察を送ってください」と言われました。

 

自宅療養中は1日に1回、ここに健康観察を送ることになりました。

翌日金曜日。

相変わらず私は37℃台の微熱が続きます。喉はあまり痛くありませんが、鼻が詰まってきたことと、全身に倦怠感を感じるようになりました。夜中に咳き込むのでなかなか眠れません。

娘を連れて発熱外来へ。「抗原検査はその場ですぐ結果がわかりますよ」と鼻の奥に細い綿棒を入れて粘膜を取りました(痛かった~

結果は二人とも「陽性」

感染力の凄さに驚きました。あれよあれよと3人が感染。熱が出た時点ですぐ部屋を隔離したのに

1日で解熱してケロッとしている子ども達と比べ、日に日に体の調子が悪くなっていく私は“コロナが重症化したらどうしよう”と不安になってきました。

なぜなら私には持病の糖尿病があるからです。

私は先生に自分は糖尿病持ちであることを伝えました。

「えっ?そうなの?保健所からも健康観察の連絡がいくと思うよ。」

保健所も発熱外来の病院もコロナに関わる仕事をしているところはどこもかしこもひっ迫しているだろうな…

どんな感じで私の所に連絡がくるんだろう…

「喉はあまり痛くありませんが、咳と鼻づまりがあります」と伝え、お薬を処方してもらい帰宅しました。

ここからまた一仕事です。

全身の倦怠感と、頭に膜が二重、三重にもかかっているような鈍っている状態で関係各所に「抗原検査が陽性」だった報告をしなければいけません。特に自分の職場への報告が大変でした。直近の上司がまたも不在。電話をかけなおして「プランB」の報告先へ連絡します。だんだん話すのもしんどくなってきます。「健康観察期間はいつまでですか?」と聞かれ「そんなの発症日から計算すればわかるでしょ~…早く横になって休みたいのに~」

やっと職場との電話が終わり、少し横になっていると今度は学校から電話がかかってきます。

「〇〇さん(娘)の発症日が1月23日でしたね。最終登校日が1月21日ですので、保健所の指導で娘さんのクラスが3日間学級閉鎖になります」

え!?学級閉鎖!?なんで!?だってもう今日28日だよ!?

娘のオンライン授業の様子を見てても欠席している子がそんなにいるわけでもないのに~!!

「娘の他にもクラスでコロナになっちゃった子がいるんですか?」

「すみません…それはお答えできません

ですよねー。えぇ~でも、なんで今更学級閉鎖なのーーーーー

私は学級閉鎖になって申し訳ない気持ちと、「私のせいで学級閉鎖になっちゃったの?」と娘が傷ついたら可哀そうだなという気持ち、複雑な気持ちになりました。

「先生方が一生懸命授業時間を確保して、オンラインでも参加できるように工夫してくださっているなか申し訳ありません。」とお詫びし、

「娘が登校を再開した際にコロナのことで悲しい思いをしないか心配です。」と話しました。

「そこは我々もしっかりみていきますので安心してください。」と言っていただいたので少しホッとしました。

学校からの電話が終わり、また少し横になろうとすると今度は職場(人事部)から電話が

直近の上司や「プランB」の連絡先とは違い、はじめましての「人事部」

私はまたここで今までのことを時系列に沿って話さなければいけません。(なんで情報を共有してくれないの~

さらに「お薬は何日分処方されましたか?」など細かく聞いてきます。

えぇ~お薬の袋…別室にあるのに、起き上がって確認しろと言うの~~~

疲労も倦怠感も鼻づまりも咳も頭にかかった膜も…MAXしんどい…

ここから数日間、私はコロナの恐ろしさを痛感していきます。

 

ブログをご覧いただきありがとうございます。

コロナに罹患して体もしんどかったですが、あちこちに連絡をしなくちゃいけない「電話応対」もかなりしんどかったです。息子がPCR検査を受ける前後、私と娘が抗原検査をうけて陽性になったとき、感染拡大防止のためとはいえ学校や職場に何度も何度も同じ内容を説明し、いま!なう!具合が悪いのに「いついつまで自宅療養です」と言わなきゃいけないという…。(向こうからかかってくる電話に出るのもしんどかった)私は金曜日の午後からガクッと調子が悪くなりました。熱もほぼ下がっているのになんで調子がわるくなるの?とものすごく怖かったです。