母が私のスマホに何度か電話をかけてきましたが留守電には何もメッセージを残しません。
すると別室にいた夫が家電の子機を持って「お母さんから…どうする?」と聞いてきました。(夫は私と母の関係を全て知っています)「外出中って言おうか?」と気遣ってくれましたが、私は母からの電話に出ることにしました。
「もしもし」
「忙しいときにごめんね!」
あぁ…この声色、今まで何度も聞いてきました。高揚、興奮、理性を失っている…この声色で話す時の母は一方的に喋りまくって、相手の話を聞く耳を持ちません。
早速母は話し始めました。
母の話をまとめると…
・現在母は「衣食住」の「衣食」を年金で、「住(家賃)」は福祉にお世話になっている。
・福祉の職員さんのなかには自分の娘(私)より年下の人もいて、相談や連絡を入れるのが恥ずかしい、情けないと感じるようになった。
・「衣食」は自分の年金で賄えるので、「住」の問題を解決したい。
・そこで別れた夫(私の実家の父)に電話を入れ、「けめこの部屋が空いているのだからそこに住まわせてくれ」とお願いをした。
・しかし断られてしまった。
両親が離婚して20年近くなります。随分大胆な提案を父に投げかけたものだな…と思いました。
「けめこの部屋」と言いますが、広い土地に建つ大きな家の“離れ”でもなければ、アパートやマンションの一室でもありません。
築50年の3DK。6畳間の部屋です。その家には現在も父が暮らしています。
そして、父は数年前“再婚”をしました。
「あんた、お父さんが再婚したの知ってるの?」
「うん。知ってるよ。」
「再婚相手に会ったことあるの?」
「うん。何度か会ったよ。」
私も正直、父の再婚には驚きと言うか“ええ!?再婚!?なんで!?”と思いました。
母との結婚生活で色々…色々ありすぎてもう結婚なんてこりごり、第二の人生は好きな事をしてのんびり暮らしていくんだろうな…と思っていました。
でも父は余生を“一人”ではなく“二人”で過ごすことを決めました。きちんと籍を入れて。
私は家を出た身。娘としての役割は果たすつもりですが、父が自分のこと、家の事をどうするかは父が決めることです。
父から再婚すると連絡をもらった時、「おめでとう。1回失敗しているんだから今度は仲良く暮らしてね。お父さんの持っているものはすべて相手の方に渡してね。私はなにもいらないからね。」と言いました。(お父さんの持っているもの…と、言っても築50年の家しかありませんが)勤労意欲はあるのに仕事運がなかった父、そして母の借金。実家に“財産”と呼べるものはありません。
話は母との電話に戻ります。
別れた夫が再婚していた。母にとって“まさか!”の事態だったようです。
「なんだかんだ言っても別れた夫は私の事を気にかけている」と思っていたのでしょう。
ところが再婚していた。
やり場のない気持ちが私への鬼電となったようです。
「よかったじゃない。あんな家、あんたに残されてもあんたが困るだけだもんね。」
「でも、あの家はお父さんだけの力で買った家じゃないのにね。」
「じゃあ、お母さんがあの家に置いていった家財道具を再婚相手の人が使ってるの?あれはおばあちゃんがお母さんのために用意してくれたのに。」
本音が駄々洩れになる母。もう止まりません。まとめます
・お父さんとの結婚をおじいちゃんは強く反対していた。味方はおばあちゃんだけだった。
・結婚するとき、父の実家は何ひとつ用意してくれなかった。(父は6人兄弟の5番目。父は中卒で働き始めました。)
・自分の実家には兄がいたから、自分がいたら兄が結婚できなくなると思い(小姑がいる家に嫁さんなんかこない)早く家をでなければ…と思っていた。
・あんたが産まれた後もおじいちゃんはいい顔しなかった。まだ乳飲み子だったあんたのことをしかめっ面でみていた。
・兄も兄嫁もあんたのことを抱っこしたことがない。
・おじいちゃんは兄の子どもとあんたを比べて、兄の子どもを可愛がっていた。
・お父さんの実家もあんたを可愛がらなかった。(また言いますが、父は6人兄弟の5番目。しかも父方の祖父母は他界していて、父の実家はおじさん夫婦(長男)が住んでいます。だから私は数多くいる姪っ子甥っ子のうちの一人。
・本当は離婚したかったけどあんたがいるから離婚できなかった。(この言葉本当に聞き飽きた…)
父が再婚したので自分の思惑通りに行かなくなった母。矛先が私へ向かいます。私はただずっと「うん。うん。」と聞いていました。ある程度喋り尽くしたかな?と頃合いを見て私は母に話しかけます。
「でもさ、お母さん。おばあちゃんが亡くなった時、おじいちゃんが言ってたじゃない。“お前たちは最初から間違っていたんだ”って。あの時すでに認知症が始まっていたおじいちゃんが、ハッキリいったんだよ。」
両親は所謂“できちゃった婚”です。祖父の言う「最初から間違っていた」とはそういう事です。
「それにさ、おじいちゃんが“内孫”を可愛がるのは当たり前だよ。私は“外孫”なんだし。」(でも私は祖父から可愛がってもらったと思っています。比べられて貶された…なんてことはありませんでした。)
母は「ハハハ!」と声をだして笑い「そりゃそうだ!」と言いました。
いまこうしてブログに書いていても情けなくなります。
私は自分で自分の存在を蔑んで否定しなければいけないのか。そうしなければ母の怒りが収まらないのか。
私って何なんだろう。
ブログをご覧いただきありがとうございます。
母から電話がかかってきて1週間経ちました。やっと気疲れと蝕まれた心が回復してきました。
母との電話の中ではこんなやりとりもありました。
「あんた鼻声だね。」
「うん。先週コロナにかかったから。」
「えー!!コロナになったの!?東京はすごいもんねー!」
「うん。」
「あんた、糖尿は?」(母は私が妊娠糖尿病で出産していることを知っています)
「糖尿病だよ。病院にも行ってるよ。」
「やっぱりーーー!!糖尿は怖いよ。真綿で首をしめるように蝕んでいくからね」
大変だったね。
子ども達は大丈夫?
そんな言葉は1つも母の口から出ませんでした。
私もそこは求めていません。
私も母を捨てた身ですから。