【フライフィッシャーたる者 紳士であれ】
この言葉を耳にしたのは、
フライフィッシングを覚えたての頃。
アウトドアライターの芦澤さんの言葉だったと記憶している。
当時は、自然の中で釣りをするのにお金を払う必要なんて無いと思った事もあった。
恥ずかしながら、他人から見え無い場所では遊漁証を買わず無銭釣りもした。
若気の至りであったかも知れないがとても恥ずべき行為。
それだけ私が経験や知識が未熟だったと言う事だ。
人は自分には甘い。
逃げ口実を探し、愚行を正当化しようとする。
それは人らしい行動であると言えるが、決して褒められた事ではない。
あれから30年、フライフィッシング界も私も成熟したきた。
だが、いつの時代にも私と同じ過ちを犯すフライフィッシャーが居るのも事実。
ルールやモラルを守れない未成熟な釣り人も多く見受けられる。
時代も変わり、生活は多様化し、昔と現在では物の価値感や我々釣り人を取り巻く環境も大きく変わった。
異常気象や人口減少。
河川環境を守り釣り場を管理してきた漁協にとって担い手不足は特に深刻な問題である。
人が自然や環境を守らなければ釣り場さえなくなる未来は用意に想像出来てしまう。それだけ釣り場を取り巻く環境は悪化していると言う事だ。
我々の釣り人の役割りも大きく変化し、これまでの様に漁協から与えられた環境から釣り人が守り育む環境へと変えて行く必要があると考えるのは私だけではない。
あの時覚えた言葉。
【フライフィッシャーたる者 紳士であれ】
自分が犯した愚行への反省、自戒の念でもあるのだが、
この言葉の意味を我々釣り人の心の片隅に留めておくだけではなく、
今こそ、この言葉に秘められた意味を実践に移す必要があるのではないだろうか。
釣り人が主導し主役となる時代が訪れたのだ。
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