夜中に目が覚めた
前にも少し書いたが、この活動のキッカケは東日本大震災。
その衝撃たるや、これまで生意気に生きてきた俺の生き方を根底から変えた。
心の崩壊にも繋がった。
25年前に阪神淡路大震災を目の当たりにした時以上のショックだった。
阪神淡路大震災のときは、発生した週末に救援物資を持って車を走らせた。
今回は関西から遥か遠い東北。義援金の他に何も出来る事がない。ただただ祈るのみ。
海岸の防風林の向こうに現れた水の壁。田畑を覆い走行する車を飲み込み、全てをオモチャの様に押し流す。かけがえの無い多くの命と財産が奪われた。
原発はメルトダウン。家や家族だけでなく、ふるさとまで奪われた人々の悲痛な叫び。
平穏無事が当たり前だと信じていた私にとって、震災であるとはいえ自然の仕打ちやその後の人災に怒りを覚えた。
がれきの中で必死に捜索活動する自衛官たち。アメリカ軍による『おともだち作戦』
何処よりも早く義援金を送ってくれた台湾。
世界からの『絆』は荒んだ我々日本人の心に燈火となり、日本人の魂が一つにまとまった様に思え心が熱くなった。
毎日のニュース報道に涙した。
2ヶ月以上、毎日涙が流れたのを覚えている。
強い外的ショックが起こった時
初めて人間の中身は置き換わる
歴代総理の指南役であり東洋哲学者であった安岡正篤先生はそう語っている。
私もそのうちの1人。
それまでの私は傲慢で身勝手、他人には興味無く、絵に描いたような俺様主義。
日本の為に何かしたい。人の役に立ちたい。
今は当たり前に、私の周りの人達の幸福を願い考え行動しているが、今思えば震災前の私は本当に恥ずかしいばかり。
心は入れ替わったが
負けず嫌いは今でも健在。
人としての行い思考の変化はとても良い流れだと自負している。身勝手な人間が他人の為にと心から生まれ変わったのだから、これは素晴らしい事だと想う。
さて、問題はこの後。
慈悲の心が芽生え生まれ変わった私に、思いもよらない失敗に見舞われる。
組織集団の中の1人であるなら良いが
集団を率いる立場では、慈悲の心が仇となる場合もある。
思わぬドツボにハマり、もがき苦しむことになる。
釣り場つくりは人つくり。
釣り場つくりに欠かせないのが人との関わり。
これについて語っていきたいと思うが
今日はここまで。
【他人を変えることは出来ないが、自分を変えることが出来る】
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