ブログアップが遅くなってしまい申し訳ありません。
19日(土)、ABCからTBCに移動する間にタワシ髭と
約2分間で切れてしまうイリジウムを使って、何度も何度も話しました。
そして夜、23時10分にタワシ髭から再度電話があり、無事にTBCに到着したとの事。
各種手続きを朝からはじめて、ザンムーまで移動できそうとのことだったので
20日(日)には、中国とネパールの国境の町ザンムーに到着している予定です。
早くエイコプロとタワシ髭の顔が見たいです。
以下、今までのAGオフィスが現地より報告を受け把握していた状況を
昨日のタワシ髭からの電話の内容にて照合をとり、登頂日の行動をまとめてみました。
5月14日(月) 現地時間10:32にC3を出発。3隊員3シェルパガイドの6名で登り始めるが、
各自登高スピードが違うのでそれぞれのペースや休憩のタイミングを計り、
各担当のシェルパガイドと行動をしていく事が決まっていた。
タワシ髭は先行し、難関のセカンドステップ等で必要があれば待機している予定だ。
また、山頂へかける時間は12時間とし、見込みがない場合はや著しく体力を消耗した場合は、
連絡を取り合い、各隊員、シェルパガイドと共に下山に移る旨を約束。
闇の中、ヘッドランプの明かりを頼りに、順調に3人とも進み、
ファーストステップの岩場を乗り越え、セカンドステップへと進む。
セカンドステップを抜けるところで、すぐ後を追う、チェリーちゃんのアイゼンが壊れ、
その後を歩くエイコプロも少し遅れはじめた。
順番待ちの渋滞が始まる可能性もあり、タワシ髭はステップ上に抜けることを決めて先行。
チェリーちゃん、アイゼン修復を試みるのに時間を要したが、結局はパサンのアイゼンを借りて
サイズを合わせ、セカンドステップを約1時間後に通過。パサンは片足アイゼンなしで登攀を続ける。
その間に3人の外国人に間に割り込まれ、その後、野口隊にもここで追い抜かされている。
暗闇の中ヘッドランプの明かりが続いているために、
後からついてくる明かりはチェリーちゃん一行のものだと思っていたが、
タワシ髭は、うす明るくなったセカンドステップを越えた広い尾根でそれが他隊の隊員と気づく。
チェリー&パサンは、特別に問題も無かったので、特にタワシ髭には連絡を入れていない。
タワシ髭も気にせずに予定通りに先行してゆっくりと登る。
タワシ髭とダヌルは、朝7時過ぎに山頂に到着。かなり早い。チェリー、エイコプロを待つ。
ペースが良く太陽が低いうちに山頂に着いたためかなり寒く、山頂に約1時間ほど待機していたが、
タワシ髭は下山を開始する。すると頂上雪稜の中間部で野口隊と会い、同行のカメラマンが写真撮影。
更に少し下った頂上雪稜の基部でチェリーちゃんと会う。
(ここから山頂まで上がるのに私の足で約20分の距離である。)
ピッケルで頭をたたきながら「えへへ、来ちゃった!」と言ってチェリーちゃんは、
茶めっけたっぷりの仕草を大蔵に見せた。いつもの感じである。
すれ違いに「もうすぐそこで山頂だ」と伝えると、頂上雪稜を登っていくチェリーちゃんを見送った。
タワシ髭は、身体がふられる外傾した岩のクーロワールを下降し、
雪とガレの不安定なトラバース付近に差し掛かったところでエイコプロとヌルブに出会った。
チェリーちゃんは、野口隊に続き登頂。8時27分である。登頂後、山頂にて他の登頂者と喜びを分かち合う。
野口健君にも話しかけ「良かった」とか「苦しかった」などと会話する。
10分程度滞在し下山に移る。下山は、野口隊とほぼ同時に下り始めた。
トラバースを終えて、三角雪田(頂上雪田/第3雪田)に出て雪の中のフィックスロープを下る。
フィックスの途中でチェリーちゃんが自ら休みたいと素振りをして座り込む。
同行していたシェルパガイドのパサンが声を掛けるが、うめき声のみで明確な返事が
できないようなので、酸素の出力を最大にしてさらに声を掛け続ける。
チェリーちゃんの後を歩いていた野口健君は、完全に彼が休んでいたと思っていたが、
パサンの様子に気づいて、チェリーちゃんのそばに近づいてくる。
さらに出力の高い新しい酸素に代えてみたが返事ができない様子で、
その後、1分程度で反応が無くなる。パサンと野口健君が腕と首筋で脈を確認するが反応が無い。
さらに、声を掛け続け、反応と脈を確認するが、最終的に脈拍が確認できなかったため、
09:10 息を引き取られたと判断した。
その間にパサンとヌルブは、セカンドステップで待っているタワシ髭にトランシーバーで連絡をするが、
なかなか連絡が取れなかった。数回目で連絡がとれ、パサンより説明をうけ、
その後に野口健君から詳細な説明をもらった。
この時点で大蔵は、自分についていたダヌルをヘルプのために上部へ向かわせる。
セカンドステップ下では、電話も無線も入りにくく、タワシ髭はさらにトラバースをして
8500m付近の広いリッジにて待機して日本に電話連絡し上部にも無線で指示を出す。
パサン、ヌルブ、ダヌルと野口隊は、少しでもチェリーちゃんを下ろすことを試みたが、思うように下げられず、
このまま作業を続けると時間的にも全員が危険な状態になると判断し、埋葬を決断。
雪田のフィックスロープ下部より別ロープでハーネスを連結したまま、
チェリーちゃんの身体が留まるくらいのヘコミを掘って寝かせ、上から雪をかけて埋葬し、
ザックの中の遺留品は、パサン、ヌルブ、ダヌルと野口隊が回収し、持って下ろしてくれることとなった。
作業を追え、下山を再開。セカンドステップ上でエイコプロは酸素を新品に交換。
一行は、セカンドステップを下りた後のリッジ上8500m付近でタワシ髭と合流し、
そのまま一緒に、キャンプ3へ下山した。
以上、現在時点での報告をいたしますが、今後、高所医学・運動生理学系の関係各位、
高所登山研究を実施する団体などにデータ提供しご意見をいただける様に
対応していきたいと思います。
19日(土)、ABCからTBCに移動する間にタワシ髭と
約2分間で切れてしまうイリジウムを使って、何度も何度も話しました。
そして夜、23時10分にタワシ髭から再度電話があり、無事にTBCに到着したとの事。
各種手続きを朝からはじめて、ザンムーまで移動できそうとのことだったので
20日(日)には、中国とネパールの国境の町ザンムーに到着している予定です。
早くエイコプロとタワシ髭の顔が見たいです。
以下、今までのAGオフィスが現地より報告を受け把握していた状況を
昨日のタワシ髭からの電話の内容にて照合をとり、登頂日の行動をまとめてみました。
5月14日(月) 現地時間10:32にC3を出発。3隊員3シェルパガイドの6名で登り始めるが、
各自登高スピードが違うのでそれぞれのペースや休憩のタイミングを計り、
各担当のシェルパガイドと行動をしていく事が決まっていた。
タワシ髭は先行し、難関のセカンドステップ等で必要があれば待機している予定だ。
また、山頂へかける時間は12時間とし、見込みがない場合はや著しく体力を消耗した場合は、
連絡を取り合い、各隊員、シェルパガイドと共に下山に移る旨を約束。
闇の中、ヘッドランプの明かりを頼りに、順調に3人とも進み、
ファーストステップの岩場を乗り越え、セカンドステップへと進む。
セカンドステップを抜けるところで、すぐ後を追う、チェリーちゃんのアイゼンが壊れ、
その後を歩くエイコプロも少し遅れはじめた。
順番待ちの渋滞が始まる可能性もあり、タワシ髭はステップ上に抜けることを決めて先行。
チェリーちゃん、アイゼン修復を試みるのに時間を要したが、結局はパサンのアイゼンを借りて
サイズを合わせ、セカンドステップを約1時間後に通過。パサンは片足アイゼンなしで登攀を続ける。
その間に3人の外国人に間に割り込まれ、その後、野口隊にもここで追い抜かされている。
暗闇の中ヘッドランプの明かりが続いているために、
後からついてくる明かりはチェリーちゃん一行のものだと思っていたが、
タワシ髭は、うす明るくなったセカンドステップを越えた広い尾根でそれが他隊の隊員と気づく。
チェリー&パサンは、特別に問題も無かったので、特にタワシ髭には連絡を入れていない。
タワシ髭も気にせずに予定通りに先行してゆっくりと登る。
タワシ髭とダヌルは、朝7時過ぎに山頂に到着。かなり早い。チェリー、エイコプロを待つ。
ペースが良く太陽が低いうちに山頂に着いたためかなり寒く、山頂に約1時間ほど待機していたが、
タワシ髭は下山を開始する。すると頂上雪稜の中間部で野口隊と会い、同行のカメラマンが写真撮影。
更に少し下った頂上雪稜の基部でチェリーちゃんと会う。
(ここから山頂まで上がるのに私の足で約20分の距離である。)
ピッケルで頭をたたきながら「えへへ、来ちゃった!」と言ってチェリーちゃんは、
茶めっけたっぷりの仕草を大蔵に見せた。いつもの感じである。
すれ違いに「もうすぐそこで山頂だ」と伝えると、頂上雪稜を登っていくチェリーちゃんを見送った。
タワシ髭は、身体がふられる外傾した岩のクーロワールを下降し、
雪とガレの不安定なトラバース付近に差し掛かったところでエイコプロとヌルブに出会った。
チェリーちゃんは、野口隊に続き登頂。8時27分である。登頂後、山頂にて他の登頂者と喜びを分かち合う。
野口健君にも話しかけ「良かった」とか「苦しかった」などと会話する。
10分程度滞在し下山に移る。下山は、野口隊とほぼ同時に下り始めた。
トラバースを終えて、三角雪田(頂上雪田/第3雪田)に出て雪の中のフィックスロープを下る。
フィックスの途中でチェリーちゃんが自ら休みたいと素振りをして座り込む。
同行していたシェルパガイドのパサンが声を掛けるが、うめき声のみで明確な返事が
できないようなので、酸素の出力を最大にしてさらに声を掛け続ける。
チェリーちゃんの後を歩いていた野口健君は、完全に彼が休んでいたと思っていたが、
パサンの様子に気づいて、チェリーちゃんのそばに近づいてくる。
さらに出力の高い新しい酸素に代えてみたが返事ができない様子で、
その後、1分程度で反応が無くなる。パサンと野口健君が腕と首筋で脈を確認するが反応が無い。
さらに、声を掛け続け、反応と脈を確認するが、最終的に脈拍が確認できなかったため、
09:10 息を引き取られたと判断した。
その間にパサンとヌルブは、セカンドステップで待っているタワシ髭にトランシーバーで連絡をするが、
なかなか連絡が取れなかった。数回目で連絡がとれ、パサンより説明をうけ、
その後に野口健君から詳細な説明をもらった。
この時点で大蔵は、自分についていたダヌルをヘルプのために上部へ向かわせる。
セカンドステップ下では、電話も無線も入りにくく、タワシ髭はさらにトラバースをして
8500m付近の広いリッジにて待機して日本に電話連絡し上部にも無線で指示を出す。
パサン、ヌルブ、ダヌルと野口隊は、少しでもチェリーちゃんを下ろすことを試みたが、思うように下げられず、
このまま作業を続けると時間的にも全員が危険な状態になると判断し、埋葬を決断。
雪田のフィックスロープ下部より別ロープでハーネスを連結したまま、
チェリーちゃんの身体が留まるくらいのヘコミを掘って寝かせ、上から雪をかけて埋葬し、
ザックの中の遺留品は、パサン、ヌルブ、ダヌルと野口隊が回収し、持って下ろしてくれることとなった。
作業を追え、下山を再開。セカンドステップ上でエイコプロは酸素を新品に交換。
一行は、セカンドステップを下りた後のリッジ上8500m付近でタワシ髭と合流し、
そのまま一緒に、キャンプ3へ下山した。
以上、現在時点での報告をいたしますが、今後、高所医学・運動生理学系の関係各位、
高所登山研究を実施する団体などにデータ提供しご意見をいただける様に
対応していきたいと思います。