しっぽなのうつうつ

<宇宙(そら)>に魅せられて・・・
お写真、勉強中♪

今年も、永山新川の白鳥。

2014-02-26 10:39:56 | つぶやき


樹氷の朝、永山新川にて。



まだまだ、雪景色が広がっていますが、気付かぬうちに、心は春に向かっているのでしょうか?

毎年、春が近づくと、しっぽな地方に白鳥が飛来します。
初冬にも、南に向かう途中に飛来しますが、昨年は、サケの卵を迎えることに心を奪われてしまって、見に行きませんでした。
白鳥の写真は、春に撮ればいいと思っていたもので・・・。 
飛来のピークは3月の下旬なので、3月に入ってから様子を見に行こうと思っていたのですが、ちーさんに「白鳥の写真がないですね!」と言われて、
気になってしまって、まだ居ないだろうと思いながらも、足を運んでみました。
まだ10羽ほどしかいませんでしたが、のんびりした雰囲気で写真を撮ることが出来ました。





川に着くと、水の中に入って、氷を割っているおじさんが居ました。飛来の準備をしてくれているのですね!
白鳥が飛んできても、氷が張っていては、自由に泳ぐことが出来ないし、水の中の餌を探すこともできません。
あのじさん達は、いったい、何者なのだろう?ボランティア?白鳥を守る会とか、あったりするのかな?それとも、市の委託?などと考えながら、
冷たい水の中で作業をする様子を横目で見て、申し訳ない気持ちで、私は写真を撮っていました。


そこへ、また、別なおじさんが来ました。
おじさんは、食パンを一斤ぶら下げて、その他にも袋やバケツを持って、川岸に立ちました。
そして、白鳥に餌をやり始めたのです。カモはそのおこぼれを頂戴しています。
ここは、雪が解けたら、渡り鳥の見学場所になるのですが、そこには「エサをやらないでくえださい。」と注意書きがあります。
自然のままに保護するためなのですが、こうやって、誰かがエサをくれると知っているから、渡って来る鳥もいるのかもしれません。

実際、おじさんの姿を見ただけで、白鳥たちが寄ってきました。




そのおじさんが「チーズ!チーズ!」と白鳥を呼びます。



チーズとは、羽が傷ついた白鳥で、飛ぶことが出来ず。
もう10年ほど、この川に住み続けているのだそうです。渡り鳥なのに、365日この川で会うことが出来るのです。
そう・・・、おじさんのエサやりのお蔭で、チーズと名づけられた白鳥は生き続けているのです。





チーズと呼ばれた白鳥。
右の羽が傷ついています。



渡り鳥に餌をやると、渡りをしなくなるそうです。苦労をして渡って、餌を求めなくても、エサやりで楽をして生きていけますから。
だから、人間が手をかけて、自然動物にエサをやることは、自然で生きていく術を忘れさせてしまうので、良いこととはいえません。
けれど、チーズは、おじさんが居なくては生きていけないでしょう。
それも、自然の成り行きだから、仕方のないことなのでしょうが、自然のまま・・・という意味は、考えると難しいことです。
この川だって、人口の川。石狩川の氾濫を防ぐために、増水を流し込むためにつくらせた川です。

だから、この川は不自然で、そこへ白鳥が飛来するのも、不自然かもしれません。





この子は、もう一羽の傷ついた白鳥。
私は、この子に、「クー」と言う名を付けました。






クーは、おじさんが来ても、近づきません。
エサをもらう白鳥やカモを遠目に見て、おじさんの姿が離れると、エサ場にきて、水の中に頭を突っ込み、残り物をあさるのです。
まだ、おじさんには慣れていないようです。10年居るチーズとは、心もちが違うようです。
渡りが出来なくなった自分の運命を、受け入れることが出来ないのか?いじめられることを恐れて、あまり、仲間には近づかないのか?
仲間といるよりも、単独行動をしていることが多いように見えました。けれど、彼もまた、この川で、年中住み続けることになるでしょう。


氷割りをしているおじさんも、少しエサをやっていました。
一生懸命お世話をしている人がエサをやることと、近くで見ようと呼び寄せるためにエサをやることの意味は、全く違うと思います。
エサをやるなら、毎日、そして、一生をかけてやる!それなら、許されるかもしれません。

ともに生きる、と言う意味で・・・。






飛来のピークはもちろん、他の白鳥が飛び去った後も、様子を見に行ってみようと思います。
チーズやクーがどんなふうに夏を過ごしているのか?とっても気になるから・・・。





コメント (1)
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