雪が降って直ぐに解けたけれど、もう気分は冬。
タイヤ交換もしたし、重ね着が必要になって来たし、山が高く見えるし・・・
白い山は雪が光ると、何故か高く見える気がします。
今年、紅葉はあまり撮れなかった。
本当は時間を見つけて、朱鞠内湖に行きたかったのにな・・・
以前、このブログで花火大会を紹介した湖です。
気を取りなおして・・・
仕事の合間に秋の名残りを見つけようと、いつも行く神楽岡公園に寄り道しました。
原生林の様な林の中に小さな池があります。
水連の花の中をカモが泳いでいた風景も、今はひっそりと変わってしまった。
管理されている場所は、落ち婆が集められています。
あ、本当に最後の赤・・・
エゾリスも冬支度に忙しく走り回る。
ピントがボケボケなので、小さくして誤魔化す・・・(汗)
時間が無いので、さっさと戻らなければなりません。
ふと見ると、私よりは年配の女性が立派なカメラを構えて、地べたに膝をついていました。
色々な角度を試して、秋の風景を一生懸命撮っているのです。
微笑ましくて見ていたけれど、ジロジロ見るのは失礼だと思い、それでもちょっとだけ撮らせてもらった。
ああ・・・、なんだか切なくなって来た。
彼女は私だ。
風景の中に、自分の世界を探して、必死にファインダーを覗いている。
「どうしたら、綺麗に撮れるだろう?」
「どこから見たら、良いアングルになるだろう?」
そんな声が聞こえてきそう・・・
彼女の姿に自分を重ねて見ていると、、
「ああ、そうか・・・。カメラマンは、風景の一部になれるんだ。」
「写真に残らなくても、撮っているその時、カメラマンも風景と一体だ。」
なんてことを考えたりして、そして嬉しくなった。
カメラを持っていて思うことがある。、それは、カメラによって得をしているということ。
その場に立てば、五感を通して風景を感じることが出来る。
でも、カメラのレンズを通してだけ、見ることが出来る風景もあると、時々思うのです。
ただ通り過ぎて行く風景も、ふとファインダーを覗いてみると、おお!と思うことがある。
気付かなかった輝きが、レンズのフィルターを通ることで増幅される様な感じかしら?
もちろん、そこでシャッターを切ったからと言って、良い写真になるわけじゃない。
その輝きは私の目が感じたことで、カメラの撮像板がそれを捉えるとは限らない。
それを叶えるのが、カメラマンの技術なのかな?
もっと良いカメラマンになれたら、足を止める度に覗くファインダーのあの景色が、素晴らしい写真になるのだろう。
今はまだ、「この素晴らしい風景は、私の稚拙な写真ではなくて、目に焼き付けておこう!」
なんて、シャッターを切らずに言い訳をしている状態だ。
さあ、もうすぐ、白の世界・・・
そこで私は、どんな色を見つけるだろう・・・・
てか・・・、その時間があるかどうか!!!
それが心配だ!