新聞の紅葉 情報を観て。
猪苗代町の「土津(はにつ)神社」に行って来ました。
家を出たのは、7時30分頃。
↑ 磐梯山 に雲 かかかって居なかったのは珍しい。
↑ 正面に磐梯山が。
↑ 裏磐梯に行くには、右上の道を進むと少し近道。
↑ 土津神社につきました。
まだ早いせいか駐車場には車が数台。
↑ 紅葉、良い感じ。
まぶしいくらいの色合い。
↑ 土津神社案内板。
↑ 今回は奥に院目指して。
↑ 見頃の少し手前。
↑ この辺はこれから。
↑ こちらは参道脇。
↑ 橋を渡り、参道に。
↑ 参道を。
↑ 手水舎で手を清め。
↑ 階段を上り。
↑ 拝殿へ。
↑ こちらは、土津神社霊神之碑。
↑ 土津神社霊神之碑案内板。
↑ 色づきは?。
↑ 末社。
↑ 保科正之公墓所、奥の院参道入口。
保科正之江戸幕府初代将軍徳川家康の孫で3代将軍、徳川家光の異母弟。
保科正之は、徳川二代将軍秀忠の庶子として慶長16年(1611)に生まれ。
高遠藩藩主保科正光の養子となり、寛永20年(1643)会津に封ぜられ会津松平家の始祖となった。
四代将軍家綱の後見役として20年間幕政の実権を握ると共に、会津藩の好学・尚武の藩風を築いた名君と言われている。
↑ 石畳。
神社右脇から両脇に杉の木が生え揃う玉石が敷き詰められた参拝路を500m 強登る。
かなり歩きにくいが、一度も訪れた事が無かったので行くことに。
↑ 保科正之公墓所。
↑ 保科正之公墳墓案内板。
↑ 奥にお墓が
二代藩主正経(まさつね)公は、正之公が埋葬地を指定した遺言通り、墳墓の造営にあたったそうです。
↑ その後棺の所に円墳を築き、頂上に土津神鎮石と刻んだ八角形の鎮石をたてました。
写真は拝借しました。
↑ 奥の院参道の途中に、建物が有ったり。
👣に自信のない方は、近くに駐車場が有りました。
↑ 今来た石畳の道を引き返す事に。
登るのも大変だが、下るのも歩きずらかった。
↑ 本殿付近。
↑ 拝殿脇を通り。
↑ 参拝をしてきました。
🐻注意の看板が。
↑ 帰路に着きました。
後数日で、色づきは増してきます。
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