古都鎌倉、一日目の最大の目的地は「海蔵寺」。
海蔵寺に行く途中にある、寿福寺に回り。
「寿福寺」の次は、徒歩でどのくらいだろうか歩いたのは。
次に訪れたのは「英勝寺」です。
鎌倉駅西口から北鎌倉駅方面に向かってJR横須賀線沿いを歩いていると、10分くらいで英勝寺にアクセスします。
↑ 総門。ここの門は閉じているようで、通用門から境内に入ることになります
ここを訪れるのは今回で二度目
1636(寛永13)年、江戸幕府の初代将軍徳川家康の側室であったお勝の方(後の英勝院)を開山として水戸徳川家が、祖先の太田道灌の屋敷跡と伝えられる場所に創建した、鎌倉唯一の尼寺です。
↑ 英勝寺案内板。
↑ 英勝寺案内板の脇でアガパンサスを見つけました。
鎌倉の町アガパンサスの花、いたる所で見かけました。
↑ 園内を拝観するときは、この門から中に入り寺務所に拝観料300円を納め境内へ。
門の所に、今が見頃の花の名のプレートが記載されているのでかりやすい。
↑ アガパンサス・クロコスミア ルシファーなどの花が咲いていました。
↑ 花のお寺とあって境内には、沢山のお花が咲いていました。
この先に、もしかしたら竹林が。
竹林が、良く解らなくて見ないできました。
後でネット検索したら趣がある竹林があり、藤が咲く季節には白藤が観られるようです。
残念でした。
↑ クレオメ?。
↑ あじさいも。
↑ 仏殿。
↑ 仏殿。
屋根は寄棟、裳階(もこし)と呼ばれる屋根の下にもう一つ屋根がある様式だそうです。
正面上に、江戸初期の親王曼殊院良恕法親王による宝珠殿の額が掲げられていました。
↑ 仏殿
軒に十二支のある仏殿や繊細な彫刻や装飾を施した山門、祠堂、唐門(祠堂門)、鐘楼などは、建てられた当時のまま残っています。
江戸時代は水戸徳川家の庇護を受けて栄え、かつては境内の奥に御殿があり、番所や役人の居所が建つという武家屋敷のような姿でした。
そのため今日もお堂などに三つ葉葵の紋を見ることができました。
訪れる方が少ないので、静かに空間を味わう事ができます。
↑ 仏殿。軒下を飾るレリーフは十二支がモチーフとなっており印象的。
お勝の方は道灌の四代の孫・康資の娘で、水戸藩の初代藩主となった徳川頼房の養母です。
第一世庵主は頼房の娘・小良姫(清因尼)で、以降は水戸徳川家のお姫さまが庵主を務めました。
そのため水戸様の尼寺と称され、法要に際しては徳川将軍菩提寺の増上寺などから僧が派遣されたそうです。
↑ 正面の小窓をそっと開けると本尊の阿弥陀三尊を拝することができます。
お賽銭をお供えして。
↑ 太子堂。
崖の上には太子堂と聖観菩薩が安置されていました。
↑ 英勝寺の山門横の崖に掘られた洞窟、三霊社権現。
洞窟内に入ることででき、洞窟中には石仏が安置されているようです。
↑ こちらは出口。
私は興味がありましたが、暗い所は苦手で。
↑ 鐘楼。
鎌倉唯一の袴越鐘楼で、神奈川県の重要文化財に指定されているそうです。
袴をはいた姿のような、鐘楼は珍しい。
↑ 鐘楼。
徳川葵の御門が目に飛び込んできました。
↑ 唐門(祠堂門)。
↑ 祠堂。
↑ 山門。
山門を拝見したかったのですが、結婚式の前撮り写真とかで。
山門を解放していただけませんでした。私の我儘なお願い。
20分くらい近くで待ったのですが、空きそうもない。
ほどほどに開けて頂くと有難いが、相手は一生一度の記念写真でしょうからね。
こんな時、お寺とはどういう話になって居るかはわかりませんが。
という事で、山門は拝見できませんでした。
残念。
↑ 花のお寺ともお別れ。
↑ 境内は、花に囲まれていました。
十分静かな空間を堪能しました。
↑ 英勝寺は鎌倉唯一の尼寺です。
入り口は女性らしさを感じる花のモチーフがあしらわれた英勝寺。
次回機会があったら訪れたいお寺でした。
そうそう、私は先月(6月)の下旬に鎌倉を訪れましたが。
妙本寺で、たまたまカメラを構えていた方に声をかけたら。
鎌倉の事を色々教えて頂きました。
その中で、一番役に立ったのは。
7月に入ると、鎌倉の明月院・長谷寺のあじさいは咲いていても剪定が始まるとかで。
いい時に来ましたよ、と教えて頂きました。
ラッキーでした。
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