10回の連作を終えて、どのような形で日常のBlogに戻っていいのか自分自身で迷っている。
このBLOGを開設したとき、僕のコンセプトにあったのは、日常の日記のようなものではなく、KEVINサイトウという実在とも、架空ともつかない人物の毎日のモノローグを通して、いつしか大きなストーリーが描かれていくというものであった。
しかし、BLOG初心者の自分には、構想力、文章力等の能力不足に加え、時間的制約も加わり、その野望は叶わず、ありふれた日常描写と、映画や本・音楽等の感想文、そして旅行記など巷に溢れかえるBLOGとなんら変わらないものしか書けないできた。
特に、苦痛だったのは旅行記だった。
僕の人生のかなりの時間は、「旅」に費やされている。それは、ビジネス上のものであったり、私的なものであったりするが、こんな所へ行きました、そしてこんなことが印象に残りましたなどと書いている途中で、辟易としてくる。
しかし、「旅」について書くことを避けられないほど、実際に自分はたくさん「旅」に出ている。
そこに、ジレンマを感じていた。
面白可笑しい旅行記を目指そうかと「名古屋イカ耳倶楽部」を一人で結成したが、これも上手くいかず、殆どの旅行記が途中で中断している。
久方ぶりにグアムへ旅した時に、ホテルの部屋で寝転びながら、ふとBLOGのことを思い出し、はたしてこのグアム旅行について何を書こうかなあ、と思案しているときに、ふと思ったのが物語り仕立てにしようということであった。
そして、僕の構想は、異形のダイバーに出会ったことにより一気に形が具体化した。
巨魁なダイバーが魚たちと戯れ、餌付けしているのを見て、僕のストーリーは最初から最後の一行まで、瞬く間に頭の中で完成された。
10回に亘る連載は、殆ど自動筆記といってもよいくらいスラスラと書けた。ディテールまでが僕の頭の中に明確にあった。
それほど、「ボブ」と勝手に名を付けたダイバーとの出会いは、啓示的であった。
それから、もう一人、皮肉屋の現地人ツアー・コンダクターと一緒に半日過ごしたのも、ストーリーにスパイスをふりかけるのに役にたったと思う。
このストリーは、グアム観光記として読める体裁を整えながら、僕なりの想いが込められている。
想いはストーリーの中にあるので、ここで自ら述べるのは野暮だが、僕は今までの自分の人生は、自らの意思と行動で切り開いて生きてきたというよりも、自分の前に道を開く何か大きな力があり、それが背中を押してくれたという感覚を強く持ち続けてきた。
そして、その開かれた道を一生懸命歩んできたつもりだが、いつしか方向がずれて、自分の味方である大きな力に背いているのではないかという自戒が最近、強くなってきている。
そんな自分に対する新たな出発と再生への決意をこのストリーの中で述べたつもりだ。
MISAOのコメントなどを読むと、この想いが伝わっているようで嬉しい。
さて、それにしても次のBLOGはどうしたものか。
このBLOGを開設したとき、僕のコンセプトにあったのは、日常の日記のようなものではなく、KEVINサイトウという実在とも、架空ともつかない人物の毎日のモノローグを通して、いつしか大きなストーリーが描かれていくというものであった。
しかし、BLOG初心者の自分には、構想力、文章力等の能力不足に加え、時間的制約も加わり、その野望は叶わず、ありふれた日常描写と、映画や本・音楽等の感想文、そして旅行記など巷に溢れかえるBLOGとなんら変わらないものしか書けないできた。
特に、苦痛だったのは旅行記だった。
僕の人生のかなりの時間は、「旅」に費やされている。それは、ビジネス上のものであったり、私的なものであったりするが、こんな所へ行きました、そしてこんなことが印象に残りましたなどと書いている途中で、辟易としてくる。
しかし、「旅」について書くことを避けられないほど、実際に自分はたくさん「旅」に出ている。
そこに、ジレンマを感じていた。
面白可笑しい旅行記を目指そうかと「名古屋イカ耳倶楽部」を一人で結成したが、これも上手くいかず、殆どの旅行記が途中で中断している。
久方ぶりにグアムへ旅した時に、ホテルの部屋で寝転びながら、ふとBLOGのことを思い出し、はたしてこのグアム旅行について何を書こうかなあ、と思案しているときに、ふと思ったのが物語り仕立てにしようということであった。
そして、僕の構想は、異形のダイバーに出会ったことにより一気に形が具体化した。
巨魁なダイバーが魚たちと戯れ、餌付けしているのを見て、僕のストーリーは最初から最後の一行まで、瞬く間に頭の中で完成された。
10回に亘る連載は、殆ど自動筆記といってもよいくらいスラスラと書けた。ディテールまでが僕の頭の中に明確にあった。
それほど、「ボブ」と勝手に名を付けたダイバーとの出会いは、啓示的であった。
それから、もう一人、皮肉屋の現地人ツアー・コンダクターと一緒に半日過ごしたのも、ストーリーにスパイスをふりかけるのに役にたったと思う。
このストリーは、グアム観光記として読める体裁を整えながら、僕なりの想いが込められている。
想いはストーリーの中にあるので、ここで自ら述べるのは野暮だが、僕は今までの自分の人生は、自らの意思と行動で切り開いて生きてきたというよりも、自分の前に道を開く何か大きな力があり、それが背中を押してくれたという感覚を強く持ち続けてきた。
そして、その開かれた道を一生懸命歩んできたつもりだが、いつしか方向がずれて、自分の味方である大きな力に背いているのではないかという自戒が最近、強くなってきている。
そんな自分に対する新たな出発と再生への決意をこのストリーの中で述べたつもりだ。
MISAOのコメントなどを読むと、この想いが伝わっているようで嬉しい。
さて、それにしても次のBLOGはどうしたものか。
正しのか間違っていたのか。
正しいと思えるのならそのまま突き進めばいい。間違っていると思ったのなら新たな出発を試みてみればいい。
新たな出発には年齢は関係ない、そうですよね。
何か方向が違っていると気付いたのは偶然じゃなく必然ですよね。
貴方の中の葛藤が計り知れない物だとは分かっています。こんな私に出来る事などないでしょう。
でも、周りの皆は新たな出発をした人達もいます。
完全なる新しい道を歩みはじめた人も。
恐れない、私も恐れません。
新しい再生の道を歩いていきましょう。
出会った事が偶然ではなく必然だと思えるように、一緒にこれからを歩んで行きましょう。