失礼します。
2回生の洋平さんよりブログを引き継ぎました、アルペンをしております。1回生の一ノ本智毅です。
写真はニュージーランドのMt Hutt山頂です。
僕は平成3年。兵庫県養父市(当時養父郡)のハチ高原スキー場、パークホテル白樺館の一人っ子として八鹿病院に生まれ落ちました。
生まれた当時の僕は顔の倍くらい頭が長く、ミルクを飲むのが通常の5倍くらい速い、まあそれはそれは変な子でした。
最初にスキーを履いたのは3歳と両親の方から聞き存じてはおりますが、本当のところは分かっておりません。
とりあえず分かっていることは、スキー場を目の前に宿屋を営んでおりましたので、スキーを始めたことは非常に自然なことだったということ。あと、初めて履いた板はジュンテンドーにて1980円で購入したプラスチックの板だったということくらいです。はい。
アルペンを始めたのもいつだったか覚えておりませんが、初レースは小学1年でした。
氷ノ山スノーフェスティバルです。レース後に、もちまき大会もあります。
ちなみに、初エントリーは保育園のきりん組の時でした。が、当時から根暗だった僕は、駄々をこねて家に引きこもってやりました。
そんなこんなでアルペンにのめり込んでしまい。むかーし昔から、スキー三昧の日々を過ごしました。
僕は決して出来の悪い子供ではありませんでしたが、中学では頭のかたい先生に通信簿に3学期オール1をつけられた時もありました。
高校はより良い環境を求めて、山形の高校に進学しました。
高校2年の時、かの有名なアメリカにスキー短期留学もしました。
僕のスキーを始めたきっかけはこんな感じです。
こんだけスキーをしてきて、そろそろスキーが嫌いになってしまってもおかしくない!
と自分でもたまーに思うのですが、日に日にスキーが好きになってしまうのです。
最近思います。もしかすると、ただ自分を正当化しようとしているだけかもしれませんが。
僕みたいにこうやってずっと、なにかそのことについて、プロフェッショナルになって思いっきりするというのはそう簡単には出来ないことだ!素晴らしい!と。
なので、僕はこんなばかやろうですが、少なからず、自分の生き方に誇りを感じます。
ハチ高原に生まれて、親にスキーさせられて、勝てなくなっても我慢して、スキー続けてきて、良かった。
パワーマックス辛いけど、よしとします。
大変見苦しい文章失礼しました。
僕は俗に言うあほですので、お許しくださいませ。
きっかけブログも残すところあとわずかになってきました。
それではいるま先輩。お願いします。
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1回 一ノ本智毅