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旅日記

望洋−81(国際軍事裁判)

45.国際軍事裁判

 

第二次世界大戦中の1943(昭和18年)10月30日、連合国首脳は「ドイツの残虐行為に関するモスクワ宣言」をローズヴェルト、チャーチル、スターリンの名で発表した。

ここで「正義を貫徹するため、戦争犯罪者を限りなく追求、原告当該国に引き渡す」と表明し、ナチス(=ドイツ)に占領された国々は自国でナチス戦争犯罪人を処罰する権限を持つこととなった。

しかし連合国内には枢軸国の戦争犯罪をどのような根拠と名目(戦争犯罪概念)で、どのような方法(戦争犯罪処罰方式)で誰(戦争犯罪人)を裁くかについてさまざまな意見があった。

 

1945年2月、米英ソによるヤルタ会談において国際軍事裁判所設置が具体的に言及され、検討する事となった。

同年6月26日から戦犯を裁く国際軍事裁判開設のための協議が開催され、4ヶ国の代表によって協議が開始された。

協議に参加した4ヶ国の法体系の違いもあり会議の進行は困難を極めた。

中でも戦争犯罪の定義については意見が対立した。

ソ連の代表は「我々の今の仕事は、いかなる時、いかなる事情にもあてはまる法典を起草しようとするものではない」と主張した。

当時の通念は、戦争は道義的に非難されても法律的には許される、ものとされていた。

しかし、米国代表は、この通念に終止符をうつべきであるとし「戦争犯罪の定義を、ある特定の国の犯した行為によってのみ定めるべきでは無い」と主張した。

結局、米国代表の判事の意見が、大幅に採用され、昭和20年(1945年)8月8日ロンドンでアメリカ合衆国、イギリス、フランス、ソビエト連邦の連合国4カ国代表により、〈欧州枢軸諸国の主要戦争犯罪人の訴追及び処罰に関する件〉(ロンドン協定)が調印された。

同協定に付属した国際軍事裁判所憲章(条例)によりニュルンベルク裁判が開廷されることになるのであった。

 

45.1.国際軍事裁判所憲章

国際軍事裁判所憲章は全30条で構成される。

(一)国際軍事裁判所の構成  第一条〜第五条
(二)管轄及び一般原則  第6条〜第十三条
(三)主要戦争犯罪者に関する取り調べ及び訴追委員会 第十四条〜〜第十五条
(四)被告人に対する公正な裁判 第十六条
(五)裁判所の権限及び公判手続 第十七条〜第二十五条
(六)判決及び刑の宜言 第二十六条〜第二十九条
(七)費用 第三十条


第一条で憲章の目的は「ヨーロッパ枢軸諸国の主要戦争犯罪者の公正かつ迅速な審理及び処罰」と規定された。

第一条
1945年8月8日にグレート・プリテン及び北アイルランド連合王国政府、アメリカ合衆国政府、フランス共和国臨時政府及びソヴヱト社会主義共和国政府の署名した協定に基づき、ヨーロッパ枢軸諾国の主要戦争犯罪者の公正かつ迅速な審理及び処罰の目的をもって、ここに国際軍事裁判所(以下「裁判所」という)を設立する。

第ニ条
裁判所は、裁判官四名と予備裁判官四名をもって構成する。各署名国は裁判官一名と予備裁判官一名をそれぞれ任命する。各予備裁判官は、できる限り、裁判所の開くすべての会議に出席するものとする。裁判官が疾病又はその他の事由により、その職務を遂行することができないときは、予備裁判官がこれを代理する。

第六条で「戦争犯罪」が規定された。

第六条
この規約の第一条で言及するョーロヅパ枢軸諾国の主要戦争犯罪者の裁判及び処罰のための協定により設立された裁判所は、ョーロッパ枢軸諸国のために、一個人として、又は組織の一員として、次の各犯罪のいずれかを犯した者を裁判し、かつ、処罰する権限を有する。

次に掲げる各行為又はそのいずれかは、本裁判所の管轄に属する犯罪とし、これについては個人的責任が成立する。

(a)平和に対する罪。 すなわち、侵略戦争もしくは国際条約、協定もしくは誓約に違反する戦争の計画、準備、開始もしくは遂行、叉はこれらの各行為のいずれかの達成を目的とする共通の計画もしくは共同謀議への参加

(b)戦争犯罪。 すなわち、戦争の法規叉は慣例の違反。この違反は、占領地所属もしくは占領地内の民間人の殺害、虐待、もしくは奴隷労働もしくはその他の目的のための追放、俘虜もしくは海上における人民の殺害もしくは虐待、人質の殺害、公私の財産の掠奪、都市町村の恣意的な破壊又は軍事的必要により正当化されない荒廃化を包含する。ただし、これらに限定されない。

(c)人道に対する罪。 すなわち、戦前もしくは戦時中にすぺての民間人に対して行なわれた殺人、殲滅、奴隷化、追放及びその他の非人道的行為、叉は犯行地の国内法の違反であ ると否とを問わず、本裁判所の管轄に属する犯罪の遂行として、もしくはこれに関連して行なわれた政治的、人種的もしくは宗教的理由に基づく迫害行為。

 上記犯罪のいずれかを犯そうとする共通の計画又は共同謀議の立案又は実行に参加した指導者、組織者、教唆者及び共犯者は、何人によって行なわれたかを問わず、その計画の遂行上行なわれたすべての行為につき責任を有する。

 

45.2.ニュルンベルク裁判

第二次世界大戦において連合国によって行われたナチス・ドイツの戦争犯罪を裁く国際軍事裁判が1945年11月20日にニュルンベルクに於いて国際軍事裁判所憲章に基づいて開始された。

裁判長はイギリスのローレンスで被告は24名であった。

1945年11月20日から7ヶ月間に合計403回の審理が重ねられ、1946年10月1日に判決が言い渡され12名が死刑となった。

 

46.極東軍事裁判

昭和20年(1945年)8月8日に英国、フランス、アメリカ合衆国、ソビエト連邦の連合国4ヵ国が調印した国際軍事裁判所憲章で、通例の戦争犯罪に加えて、平和に対する罪と人道に対する罪が新たに規定された。

国際軍事裁判所憲章では、a.平和に対する罪、b.(通例の)戦争犯罪、c.人道に対する罪の3つが規定された。

同年8月29日、アメリカ政府は、連合国軍最高司令官となるダグラス・マッカーサーに暫定的な「日本降伏後初期の対日政策」を無線で指令した。

その指令書の一項に「連合国の捕虜その他の国民を虐待したことにより告発された者を含めて、戦争犯罪人として最高司令官または適当な連合国機関によって告発されたものは逮捕され、裁判され、もし有罪の判決があったときは処罰される」とあった。

昭和20年8月30日、ダグラス・マッカーサー元帥は厚木に到着すると真っ先にエリオット・ソープ准将に東條以下の戦争犯罪人を逮捕するよう命じた。

連合国は戦時中・戦後と戦争犯罪に関する情報を収集していた。

これらの情報は連合国戦争犯罪委員会に提出され、それを基に1948年3月までに36,529名の容疑者リストを作成した。

A級戦犯容疑

A級戦犯とは平和に対する罪を問われた容疑者である。

A級戦犯容疑で逮捕されたのは126名(内5名は逮捕・出頭前に自殺)で、この内28名が起訴された。

東京市ヶ谷の旧陸軍士官学校講堂で行われた極東軍事裁判の結果、7名が死刑判決を受け、16人が終身刑、懲役20年が1名、懲役7年が1名、訴追免除が1名、2名が判決前に死去した。


B、C級戦犯容疑

BC級戦犯とは(通例の)戦争犯罪及び人道に対する罪を問われた容疑者である。

日本のBC級戦犯は、GHQにより横浜やマニラなど世界49カ所の軍事法廷で裁かれた。

被告人は約5700人で約1000人が死刑判決を受けたとされている。

 

45.1.2.極東国際軍事裁判条例

日本を裁くための極東国際軍事裁判所条例は1946年(昭和21年)1月19日に発効され、全17条で構成された。

(一)裁判所の構成  第一条〜第四条
(二)管轄及び一般規定  第五条〜第八条
(三)被告人に対する公正なる審理 第九条〜第十条
(四)裁判所の権限及び審理の執行 第十一条〜第十五条
(五)判決及び刑の宜言 第十六条〜第十七条

第一条で極東国際軍事裁判所の設置が決まり、常設地が東京となった。

そして第ニ条で裁判官と裁判長は連合国最高司令官が任命する、とされた。

連合国最高司令官はマッカーサー元帥である。

第一条「裁判所の設置」

極東における重大戦争犯罪人の公正且迅速なる審理及び処罰の為め、滋に極東国際軍事裁判所を設置す。裁判所の常設地は東京とす。

第二条「裁判官」

裁判所は降伏文書の連署国が提出したる人名中より、連合国最高司令官が任命したる5名以上9名以内の裁判官を以てこれを構成す。

第三条(上級職員及び書紀課)
(イ)裁判長 連合国軍最高司令官は、裁判官中の一名を裁判長に任命す。
 (以下 略)

そして、第五条で「戦争犯罪」が規定されたが、「国際軍事裁判所憲章」の第六条とほぼ同じであった。

第五条(人並に犯罪に関する管轄)

本裁判所は、平和に對する罪を包含せる犯罪に付個人として又は団体構成員として訴追せられたる極東戦争犯罪人を審理し処罰するの権限を有す。

左に掲ぐる一又は数個の行為は個人責任あるものとし本裁判の管轄に属する犯罪とす

(イ)平和に対する罪即ち、宣戦を布告せる又は布告せざる侵略戦争、若は国際法、条約、協定又は保証に違反せる戦争の計画、準備、開始、又は実行、若は右諸行為の何れかを達成する為の共通の計画又は共同謀議への参加。

(ロ)通例の戦争犯罪即ち、戦争法規又は戦争慣例の違反。

(ハ)人道に対する罪即ち、戦前又は戦時中為されたる殺戮、殲滅、奴隷的虐使、追放其の他の非人道的行為、若は政治的又は人種的理由に基く迫害行為であつて犯行地の国内法違反たると否とを問はず本裁判所の管轄に属する犯罪の遂行として又は之に関聯して為されたるもの。

上記犯罪の何れかを犯さんとする共通の計画又は共同謀議の立案又は実行に参加せる指導者、組織者、教唆者及び共犯者は、斯かる計画の遂行上為されたる一切の行為に付、其の何人に依りて為されたるとを問はず責任を有す。

 

昭和21年1月19日に極東国際軍事裁判所条例が定められた。

同日に連合国軍最高司令官マッカーサー元帥が極東国際軍事裁判所設立に関する特別宣言を発した。

なお、この条例は軍事裁判開廷(5月3日)前の4月26日に改正されている。

 

<続く>

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