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旅日記

望洋−69(ポツダム宣言受諾)

40.連合国の統治方針(続き−2)

1943年9月8日に枢軸国(ドイツ・イタリア・日本)の中で最初にイタリアは連合国に無条件降伏した。

約2年後の1945年5月7日ドイツは、ドイツはフランスのランスで西側連合国に、続いて5月9日にベルリンでソ連軍に無条件降伏した。

昭和20年(1945年)7月26日、ドイツのベルリン郊外ポツダムにおいて、ポツダム宣言が日本に対して発せられた。

ポツダム宣言を受諾したのが8月14日であり、宣言が発せられてから凡そ3週間経っている。

この間の経緯が国立公文書館に資料として保管されている。

それによると、昭和20年6月ごろから中立条約を締結していたソ連に、交戦国である米・英との戦争終結の斡旋を依頼していたようで在る。

そのため、ポツダム宣言が発されても、ソ連からの回答を待っていたと記されている。

そのうちに、広島に原爆が投下されることとなった。

 

40.6.ポツダム宣言受諾

40.6.1.ポツダム宣言条項受諾に至る経緯

国立公文書館に「ポツダム宣言条項受諾に至る経緯」が資料としてあるので、それを記載する。

<最初の1ページ>

以下は資料の書き写しである。

ポツダム宣言条項受諾に至る経緯 昭和二十年八月十六日

1、帝国政府は東亜の静謐を保持し戦争の拡大を阻止し延いて世界平和の確立に貢献せんことを祈念しソ連邦との善隣関係を一層鞏固ならしむる目的を以て本年六月以来同国政府に対し不侵略条約締結等に関する交渉を開始し更に七月に至り速やかに戦争を終結せしめて人類を戦争の惨禍より救わんとの大御心に従い帝国と交戦国との間に公正なる平和を樹立する為、ソ連邦政府に斡旋を依頼すると共に日ソ間に恒久的親善関係を確立する目的を以て同政府に対し近衛公爵を特使として派遣する意向を通達せり。
然るに同国政府に於いては未だ右に対する明確なる見解を表示するに至らずして、その首脳者は「ポツダム」会談に赴きたり。

2、七月二十六日、米・英・支三国首脳者は「ポツダム」に於いて帝国に対し無条件降伏を勧告する趣旨を以て共同宣言を発出せるが、帝国政府に於いては前記ソ連邦政府の明確なる回答の接到を待つこととし右共同宣言に対しては直接積極的意思表示をなすことを避けつつありし処、この間八月六日広島市に対し米国軍の原子爆弾に依る空襲の実施を見るに至り
戦争の方法に付画期的変化を生じ極めて多数の無辜の人民を殺傷するか如き事態を現出せり(その後八月九日長崎市に対しても原子爆弾に依る攻撃行われたり)

3、而して八月八日に至り、ソ連邦政府は在莫斯科【モスクワ】佐藤大使に対し「日本が七月二十七日付「ポツダム」宣言を拒否したる結果、日本政府のソ連邦に対する斡旋方提案の基礎は失われソ連邦としては連合国の提案を受諾し「ポツダム」宣言に参加し八月九日より日本と戦争受胎に入るべき旨を宣言する旨」を伝達せる旨発表を行う一方九日未明より、ソ軍は満鮮国境を越え侵入し来ると共に満鮮諸都市に対し爆撃を開始するに至れり。

4、右の如く帝国を繞【めぐ】る情勢は益々悪化の一途を辿り、最悪の事態に立至り交戦の継続は激烈なる破壊と残酷なる殺掠との極まる所、遂には我民族生存の根拠を奪うのみならず人類文明の大本を滅却するに至ること必然となりたり。
帝国政府は斯して勢の赴く所我民族の犠牲愈々甚だしく人倫の大綱失われ民族生存の根拠滅却せられ国体の維持も亦危殆に陥り就中【なかんずく】戦火の及ぶ所人類共存の本義を否定するに到らんことを深く御軫念【ごしんねん】せらるる天皇陛下の御御心に副い奉るべき方途に付き八月九日以来、陸海軍両統帥部とも慎重なる熟議を重ねたるが、本年七月二十六、米・英・重慶首脳に寄り共同に決定せられ爾後ソ連の参加を見たる対本邦共同宣言の受諾の為、付すべく条件に付意見の一致を見ず、御聖断を仰ぎ奉りたる結果、八月十日払暁の閣議に於いて右共同宣言は国体を変更するの與求【よきゅう:任意に取求め、無制限に要求すること】を包含し居らずとの趣旨の了解を明らかにして、右宣言を受諾することを決定したるに依り、八月十日中立国たる瑞西【スイス】及び瑞典【スウェーデン】両国政府に対し右次第を、前記四交戦国政府に伝達し、右了解に関する先方の回答要請方依頼するとともに、同日在東京ソ連邦大使に対しても同国政府に伝達方依頼せり。

5、右に対する八月十一日付四国政府の回答は、瑞西政府を通して八月十三日接到せるが十二日払暁の放送に依りその内容を承知せる帝国政府は十二、十三両日、数回に亘り閣議及び最高戦争指導者会議懇談会を開き右回答の条項が帝国国体の護持と矛盾せざるやに付、慎重検討を加えたり然るに閣内の意見完全に一致を見ざらりし為、遂に十四日の御前会議(鈴木首相以下全閣僚、内閣四長官、陸海軍統帥部の両総長、平沼枢密院議長出席)に於いて御聖断を仰ぎ奉りたる結果、同日午後の閣議に於いて帝国政府は「ポツダム」共同宣言に挙げられたる条件を受諾、之を実施することに決定し、畏くも天皇陛下に於かせられては昭和二十年八月十四日付を以て「ポツダム」宣言の条項受諾に関する大詔を渙発せられたり。
右帝国政府の決定は同日付を以て瑞西国政府を通し米・英・ソ・支四国政府に伝達せられたり。
猶帝国政府は右に引き続き瑞西国政府を通し「ポツダム」宣言の条項に当たり帝国政府の有する希望を四国政府に伝達せり。

6、右帝国政府受諾回答に接したる米国政府は十四日付を以て別紙第六の如き「メッセージ」を発布し来たれり。

 以下、ポツダム宣言条項受諾に至るまでを個別に見ていく。

 

40.6.1.日本政府の閣議決定

8月10日午前0時3分から御前会議が開かれ、ポツダム宣言受諾に関する議論が行われた。

東郷外相、米内海相、枢密院議長の平沼騏一郎が、天皇の地位の保障のみを条件とするポツダム宣言受諾を主張、それに対し阿南陸相、梅津美治郎参謀総長、豊田副武軍令部総長は、「ポツダム宣言の受諾には多数の条件をつけるべきで、条件が拒否されたら本土決戦をするべきだ」と受諾反対を主張した。

しかし、ここで鈴木首相が天皇に発言を促し、天皇陛下自身が和平を望んでいることを直接口に出されたことにより、御前会議での議論は降伏へと収束し、10日の午前3時から行われた閣議で、ポツダム宣言受託が承認された。

 

40.6.2.受諾に関する帝国政府の申入

日本政府は、ポツダム宣言受諾により全日本軍が降伏を決定する用意がある事実を、10日の午前8時に海外向け放送を通じ、日本語と英語で3回にわたり放送し、また同盟通信社からモールス通信で交戦国に直接通知が行われた。

また加瀬俊一駐スイス公使と岡本季正駐スウェーデン公使より、11日に両国の外務大臣に手渡され、二国を経由して連合国に渡された。

「ポツダム」宣言の条項受諾に関する8月10日付帝国政府の申入

帝国政府に於ては常に世界平和の促進を冀求し給い今次戦争の継続に依り齎(もた)らさるべき惨禍より人類を免かれしめんが為速なる戦闘の終結を祈念し給う天皇陛下の大御心に従い数週間前当時中立関係に在りたる「ソヴィエト」連邦政府に対し敵国との平和回復の為斡旋を依頼せるが不幸にして右帝国政府の平和招来に対する努力は結実を見ず茲に於て帝国政府は天皇陛下の一般的平和克服に対する御祈念に基き戦争の惨禍を出来得る限り速に終止せしめんことを欲し左の通り決定せり。

帝国政府は一九四五年七月二十六日「ポツダム」に於て米、英、支三国政府首脳者に依り発表せられ爾後「ソ」連政府の参加を見たる共同宣言に挙げられたる条件を右宣言は、天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの了解の下に受諾す。

帝国政府は右了解にして誤りなきを信じ本件に関する明確なる意向が速に表示せられんことを切望する。

 

40.6.3.米国務長官バーンズの回答

8月12日午前0時過ぎに連合国は、日本のポツダム宣言受託の承認を受けて、連合国を代表するものとしてアメリカのジェームズ・F・バーンズ国務長官による日本のポツダム宣言受託への正式な返答、いわゆる「バーンズ回答」を加瀬俊一駐スイス公使行った。

<バーンズ回答文>

「ポツダム」宣言の条項は之を受諾するも右宣言は、天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らさることの了解を併せ越えられたる日本政府の通報に対する吾等の立場は左の如し。

降伏の時より、天皇及び日本国政府の国家統治の権限は降伏条項の実施の為、その必要と認むる措置を執る連合軍最高司令官の制限の下に置かるるものとす。

天皇は日本国政府及び日本帝国大本営に対し「ポツダム」宣言の諸条項を実施する為必要なる降伏条項署名の権限を与え且つ之を保障するすることを要請せられ、又天皇は一切の日本陸軍、海、空軍、官憲及び何の地域に在るを問わず右官憲の指揮下に在る一切の軍隊に対し戦闘行為を終止し、武器を引渡し及び降伏条項実施の為、最高司令官の要求することあるべき命令を発することを命ずべきものとす。

日本国政府は降伏後、直ちに俘虜及び被抑留者を連合国船舶に速やかに乗船せしめ得べき安全なる地域に移送すべきものとす。

日本国政府の確定的形態は「ポツダム」宣言に尊い日本国民の自由に表明する意思に依り決定せらるべきものとす。

連合国軍隊は「ポツダム」宣言に揚げられたる諸目的が完遂せらるる迄日本国内に留まるべし

1945年8月11日 ワシントンに於いて

国務長官 ジェームズ・バーンズ

 

40.6.4.日本政府、ポツダム宣言受諾を通告

昭和20年8月14日、東郷外務大臣はスイス在住の加瀬俊一公使に対し、「ポツダム」宣言の条項受諾に関する8月10日付帝国政府の申入、並びに8月11日付「バーンズ」米国国務長官発の米英ソ支四国政府(米国、英国、ソ連、支那)の回答に関連し帝国政府は四国政府に対し通告する指示を出した。

その内容は次のとおりである。

 

(米、英、蘇、支四國ニ對スル八月十四日附帝國政府通吿)

1、天皇陛下びおかせられては「ポツダム」宣言の条項受諾に関する詔書を発布せられたり

2、天皇陛下におかせられてはその政府及び大本営に対し「ポツダム」宣言の諸規定を実施するため必要とせらるべき条項に署名するの権限を与え且つこれを保障せらるるの用意あり、又陛下におかせられては一切の日本国陸、海、空軍官憲及右官憲の指揮下に在る一切も軍隊に対し戦闘行為を終止し武器を引渡し前記条項実施の為連合国最高司令官の要求することあるべき命令を発することを命ぜらるるの用意あり

 

40.6.4.米国の降伏提案受諾および降伏命令の通知

8月14日、米国政府から日本政府への降伏提案受諾および降伏命令の通知が届いた。

(停戦実施方に関する米国政府通告文)

貴方は左の措置をとられたし

1、日本国軍隊の軍事行動の速急なる停止を指令し連合国最高司令官に右停戦実施の日時を通報すること

2、 日本国軍隊及び司令官(複数)の配置に関する情報を有し且連合国最高司令官及び其の同行する軍隊が正式降服受理の為連合国最高司令官の指示する地点に到著し得る様連合国最高司令官の指示する打合を為すべき充分の権限を与えられたる使者(複数)を直に連合国最高司令官の許に派遣すること

3、降伏の受理及びこれが実施の為ダグラス・マッカーサー」元帥が連合国最高司令官に任命せられたる処同元帥は正式降服の時、場所及び其の他詳細事項に関し日本国政府に通報すべし

 

40.6.5.日本政府ポツダム宣言受諾に関する希望を表明


8月15日東郷外務大臣はスイス在住の加瀬俊一公使に「ポツダム宣言受諾に関する希望」を斡旋するよう、連絡した。

そしてこの申入は飽く迄、我が方の希望を開陳するに過ぎずして宣言受諾の条件として提出するものではないが今後の機微困難なる共同宣言の規定の実施条項の実行を円滑ならしむる為、極めて肝要なるに付、責任国に対しても帝国政府苦心の程を説明の上、我が方希望実施
の為に斡旋を依賴する、としている。

(「ポツダム」宣言ノ或条項実施ニ関スル八月十四日附日本国政府ノ四国政府ニ対スル希望申入)

帝國政府は「ポツダム」宣言の若干条項の実施の円滑を期する為切実なる希望ヲ存し之を右宣言実施条項署名の際又はその他適当なる機会に開陳せしめたき処或いは斯かる機会なきことを、恐れ茲に之を瑞西国政府の斡旋により米英支ソ四国政府に伝達せんとす

1,「ポツダム」宣言中の占領の目的が專ら「ポツダム」宣言に揭げられたる基本的目的の達成を保障するに在るに鑑み四國側においては帝国政府が該条項を誠意をもって実行せんとするものなるに信賴し帝国政府の責務遂行を容易円滑ならしめ且つ無用の紛糾を避くるが如く配慮あり度之が為

 (1)連合国側の艦隊又は軍隊の日本本土進入については日本側準備の関係もあり予めその予定を通報ありたきこと

 (2)連合国の指定すべき日本国領域內の占領の地点はその数を最少限度んみ止め且つその選択に当たり例へば東京を除外すること並びに右「当該」地点に派駐せらるる兵力も象徵的程度に止むること切実に考慮あり度

2、武裝解除は海外に在ある三百万余の軍隊に関連あると共に日本將兵の名誉に直接触れたる最も困難機微なる問題なること言を俟たさる所にして之が実施については帝国政府においても最も苦慮し居る次第なるか之が実効を期する最善の方法としては天皇陛下の御命令に基き帝国軍自ら実施し連合国はその円滑なる実施の結果武器の引渡しを受くるものと致し度

 大陸に在る帝国軍の武裝解除に当たりては第一線より逐次後方に向け段階的に実施することとし度

 武裝解除に関連し海牙陸戰法規第三十五条を準用し軍人の名誉を重んじ帯剣は之を認められ度又連合国側が武裝解除せられたる日本軍人を強制労役に使用する如き意図を有せさるものと了解す海外において武裝を解除せられたる日本軍人をその儘永く海外に駐留せしむることは彼我双方にとり面白からざる種々の複雜困難なる問題を生するの処あるんつき連合国側において速かに之を日本內地に撤收せしむる為に必要なる船舶及びその輸送上の便宜を供給せられんことを切望す

3、停戰に関しては遠隔の地に在る部隊に天皇陛下の御命令を充分に徹底を期する要あるをもって停戰の実施期日については幾分の余裕を置かれ度

4、太平洋の離島に在る帝国軍隊に對し必要欠くべからざる程度の食糧医薬品を送付し及び之等離島より本土に傷病兵を輸送するため至急連合国側において所要の措置を構するか又は我が方に対し便宜を供与せられ度

 

日本は、「ポツダム宣言」を受諾して降伏したが、米軍は日本がこんな早く降伏するとは思っていなかったようで、本土に上陸して地上戦を開始することを計画していた。

次回は、その話をしたい。

 

<続く>

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