57.軍事裁判判決(続き)
57.3.起訴状の訴因についての認定
当初55項目の訴因があげられたが、「日本、イタリア、ドイツの3国による世界支配の共同謀議」「タイへの侵略戦争」の2つについては証拠不十分のため、残りの43項目については他の訴因に含まれるとされ除外され、1948年(昭和23年)夏には、最終的には以下の10項目の訴因にまとめられた。
訴因1 - 1928年から1945年に於ける侵略戦争に対する共通の計画謀議
訴因27 - 満洲事変以後の対中華民国への不当な戦争
訴因29 - 米国に対する侵略戦争
訴因31 - 英国に対する侵略戦争
訴因32 - オランダに対する侵略戦争
訴因33 - 北部仏印進駐以後における仏国侵略戦争
訴因35 - ソ連に対する張鼓峰事件の遂行
訴因36 - ソ連及びモンゴルに対するノモンハン事件の遂行
訴因54 - 1941年12月7日〜1945年9月2日の間における違反行為の遂行命令・援護・許可による戦争法規違反
訴因55 - 1941年12月7日〜1945年9月2日の間における捕虜及び一般人に対する条約遵守の責任無視による戦争法規違反
<極東国際軍事裁判判決記録より>
・・・略・・・
本裁判所は、訴因第一に附属した細目に明記されているところの、条約、協定及び誓約に違反した戦争を遂行する共同諜議が存在したかどうかを考慮する必要を認めない。
侵略戦争を遂行する共同謀議は、すでに最高度において犯罪的なものであった。
本裁判所は、すでに述べた目的に関する制限を附した上で、訴因第一に主張されている侵略戦争を遂行する犯罪的共同諜議が存在したことは立証されているものと認定する。
全被告またはそのうちのだれかがこの共同謀議に参加したかどうかという問題は、各個人の件を取り扱うときに考慮することにする。
この共同謀議は、多年の期間にわたって存在し、また遂行されたものである。
これらの共同謀議者は、すべてが最初に参加したわけではなく、また参加した者の一部は、それが終わらないうちに、その遂行についての活動をすでにやめていた。
どの時期にしても、この犯罪的共同謀議に参加した者、またはどの時期にしても、罪であることを知りながら、その遂行に加担した者は、すべて訴因第一に含まれた起訴事実について有罪である。
訴因第一について、我々が認定したところに鑑みて、訴因第二と第三、または第四を取り扱う必要はない。
訴因第二と第三は、我々が訴因第一について立証されていると認定した共同謀議よりも、いっそう限られた目的をもった共同謀議の立案または遂行を訴追するものであり、訴因第四は、訴因第一における共同謀議と同じものを、いっそう明細に訴追するものだからである。
訴因第五は、訴因第一で訴追された共同謀議よりも、いっそう広範囲の、さらにいっそう誇大な目的をもつた共同謀議を訴追している。
我々の意見としては、共同謀議者のうちのある者は、これらの誇大な目的の達成を明らかに希望していたけれども、訴追第五に訴追された共同謀議が立証されているという認定を正当化するには、証拠が不充分である。
この判決の前の部分で挙げた理由によって、我々は訴因第六ないし第二十六と、第三十七ないし第五十三とについては、なんの宣告も下す必要がないと考える。
従って、残るのは訴因第二十七ないし第三十六、第五十四及び第五十五だけである。
これらの訴因について、我々はここで認定を与えることにする。
訴因第二十七ないし第三十六は、これらの訴因に挙げられた諸国に対して、侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び誓約に違反する戦争を遂行したという罪を訴追している。
さきほど終った事実論において、フイリッピン国(訴因第三十)とタイ王国(訴因第三十四)を除いて、それらの国のすべてに対して、侵略戦争が行われたものと我々は認定した。
フイリッピンについては、我々がこれまで述べてきたように、この国は戦争中完全な主権国ではなかったし、国際関係に関する限り、アメリカ合衆国の一部であった。
さらに、侵略戦争がフイリッピンで行われたことは疑う余地がないと我々は述べたが、理論的正雄を期するために、フイリッピンにおける侵略戦争はアメリカ合衆国に対して行われた侵略戦争の一部であると我々は考えることにする。
訴因第二十八は、謙因第二十七に挙げられた期間よりも短い期間に、中華民国に対して、侵略戦争を行つたことを訴追している。
我々は、訴因第二十七に含まれたところの、さらに完全な起訴事実が立証されていると認めるから、訴因二十八については、なんの宜告も下さないことにする。
侵略戦争が立証されたのであるから、それ以外の点で、それらの戦争が国際法にも違反し、または条約、協定及び誓約にも違反した戦争であったかどうかを考慮することは、不必要である。
従って、本裁判所は、侵略戦争が訴因第二十七、第二十九、第三十一、第三十二、第三十三、第三十五及び第三十六に主張されているように遂行されたということは、立証されているものと認定する。
訴因等五十四に、通例の戦争犯罪の遂行を命令し、授権し、許可したことを訴追している。訴因五十五は、捕虜と一般人抑留者に関する条約と戦争法規の遵守を確保し、その違反を防ぐために、充分な措置をとらなかったことを訴追している。
我々は、これらの両方の訴因に含まれた犯罪が立証されている事例があったと認定する。
以上の認定の結果として、我々は個々の被告に対する起訴事実は、次の訴因だけについて、考慮しようとするものである。
すなわち、第一、第二十七、第二十九、第三十一、第三十二、第三十三、第三十五、第三十六、第五十四及び第五十五である。
57.4.刑の宣告
11月12日判決の朗読が終わると、引き続き午後3時15分から被告25名に対して刑の宣告が行われた。
土肥原賢二被告、広田弘毅被告、板垣征四郎被告、木村兵太郎被告、松井石根被告、武藤章被告、東条英機被告の7名が絞首刑。
荒木貞夫被告、橋本欣五郎被告、畑俊六被告、平沼騏一郎被告、星野直樹被告、賀屋興宣被告、木戸幸一被告、小磯国昭被告、南次郎被告、岡敬純被告、大島浩被告、佐藤賢了被告、嶋田繁太郎被告、白鳥敏夫被告、鈴木貞一被告、梅津美治郎被告ら16名が終身禁固刑。
東郷茂徳被告は禁錮20年。
重光葵被告は禁固7年。
なお、大川周明被告は精神障害により免訴された。松岡洋右被告と永野修身被告は公判中に病死した。
午後4時12分極東軍事裁判は閉廷した。
57.5.少数意見
判決本文は,英文で1200ページに及ぶ膨大なものであったが、この多数派判事による本判決とは別に、オランダのローリング判事、フランスのベルナール判事の各少数意見と、オーストラリアのウェッブ裁判長、フィリピンのハラニーヨ判事、インドのパール判事らの別個意見書も裁判所に提出された。
ローリング判事
「平和に対する罪」はニュールンベルグ裁判条例以前には真の犯罪とは看做されておらず、従って現在確定されている国際法からすればどのような人も「平和に対する罪」を犯したからと言って、死刑に処せられるべきではない、と言った。
また共同謀議の認定に異論を呈するとともに、畑、広田、木戸、重光、東郷の無罪を主張した。
他にも、次の主張をした。
1、東京裁判の管轄権は太平洋戦争に限定すべきである。
2、共同謀議の認定方法には異議がある。
3、「通例の戦争犯罪」では、嶋田繁太郎、岡敬純、佐藤賢了も死刑が相当である。
4、広田弘毅は「通例の戦争犯罪」では無罪であり、「平和に対する罪」では有罪だが死刑にはすべきでない。
ベルナール判事
日本の侵略陰謀の直接的証拠はなく、東アジアを支配したいという希望の存在が証明されたにすぎないから平和に対する罪で被告人を有罪にすることはできない、また天皇の不起訴であったことは遺憾であるとした。
公正な審理を不可能にしたとし、〈平和に対する罪〉の判定を否定し、量刑にも異議を唱えた。
そして、証拠採用の手続きを行う際、全員による討議を行わず多数派によって運営を強行してきたことを言い、欠陥のある手続きを経て到達した判定は、正当なものではあり得ない、と断じた
ウェッブ判事
天皇の責任問題に言及し開戦の決定がたとえ周囲の謹言に従ったとはいえ日本国最大、最高のの権限を持つ立憲君主の責任は免れるものではないと指摘した。
そして、天皇を不起訴とする以上死刑を含む量刑をもって被告等を有罪とするのは、公正を欠くものであるとした。
ハラニーヨ判事
刑が一部寛大にすぎると批判し、これでは見せしめにならないとの不満を述べ、原爆投下が早期決戦をもたらしたとまで述べた。
また、この裁判所のあり方に根本的な疑問を投げたパール判事を自分の任務を無効にしたと、名指しで批判した。
パール判事
パール判事が提出した意見書は英文にして25万語、日本語の訳文にして1,219頁に及んだ。
パール判事は、裁判所条例といえども、国際法を超えることは許されない、これを犯すことはまさに越権であるとし、国際裁判所裁判官は最高司令官より上位に立って裁定する権限をもつべきであるという基本的な姿勢を表明した。
この裁判に於いては日本の行為が侵略であったかどうかを正すことが本義であったにもかかわらず、裁判所側は初めから侵略戦争であったとの前提で裁判を進めた事実を非難した。
検察側の描いた日本の侵略戦争にの歩を歴史の偽造とまで断じた。
アジアの歴史においてさらに遡った時代における欧米の行為こそ、まさに侵略の名に値すると言及し、全被告を無罪と判定し全ての起訴事実から免除すべきであると主張した。
パールはまた意見書のなかで、被告等及び日本国の行動を正当化する必要はないとしている。
パール判事判決書
パール判事の判決書の構成は次のようになっている。
目次
第1部 予備的法律問題
第2部 「侵略戦争」とは何か
第3部 証拠ならびに手続きに関する規則
第4部 全面的共同謀議
第5部 本裁判所の管轄権の範囲
第6部 厳密なる意味における戦争犯罪
第7部 勧告
以下第7部の勧告の最初の部分と最後の部分を載せる。
第7章 勧告
以上述べてきた理由において、本官は、各被告はすべて起訴状中の各起訴事実全部につき無罪と決定されなければならず、またこれらの起訴事実の全部から免除されるべきであると強く主張しようとするものである。
本官は起訴状に列記されたどの国に対するどの戦争にしても、それが戦略的であったかどうかということは考察しなかった。
戦争というものが犯罪的性質を有するか否かについて本官のとっている法律観は、本官がこの間題に触れることを不必要にしている。
さらに本官は国際社会における諸国家の一般に広く行われている行為を念頭においた際「侵略戦争」を定義づけるにあたって、本官の感ずる困難をすでに述べておいた。
(中略)
「憎むべき敵の指導者の裁判を注視することによって起された、熱狂した感情は、世界連合の根本条件を考慮する余地を、殆んど残さないものである。・・・・』、『一つの些細なこと、すなわち裁判があまりに強調されることによつて、平和の真の条件、に対する民衆の理解は増進することなく、寧ろ却って混乱させられるであろう。』このように言われたのも、おそらく正しいであろう。
『この恐怖をもたらした疑惑と恐れ、無知と貧欲を克服』する道を発見するために、平和を望む大衆が、費そうとする尊い、わずかな思いを、裁判が使い果たしてしまうことは許されるべきではない。
『感情的な一般論の言葉を用いた、検察側の、報復的な演説口調の主張は、教育的というよりは、寧ろ興行的なものであった』おそらく敗戦国の指導者だけが、責任があったのではないという可能性を、本裁判所は全然無視してはならない。
指導者の罪は、単に、おそらく妄想に基づいた、彼らの誤解にすぎなかったかもしれない。
かような妄想は、自己中心のものにすぎなかったかもしれない。
しかし、そのような自己中心の妄想であるとしても、かような妄想は、到るところの人心に深く染み込んだものであるという事実を、看過することはできない。
正に次の言葉の通りである。
『時が、熱狂と、偏見をやわらげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう。』
<続く>