戦争の真っただ中で、、、産まれた旦那さんと、、、
敗戦色濃くなった戦地から、
日本本土での仕事も山積の父は
家族とともに、、、
最後の連絡船で帰国が叶い
南紀の山奥の七か村無医村の疎開地で
戦後の復活の為の、、、
電気を通すという
ダム建設現場に近い村の。。。是非にも必要な外科医師として赴任。
祖父が村長を...頼まれ校長を、、、兼任していた山村だった。
戦争前には、、、弟たちが、、学徒出陣
朝の「NHKドラマで、、、」学徒出陣の弟が戦死をして
立ち上がれない、、
歌えなくなった、、、主人公の歌手と、、、その父親。
私の父も、、すぐ下の 「弟は、、自分より優秀で、、、 男らしく、、素晴らしい男の子だった。」
「海軍の練習船で、、海に行って、、、それっきりだったと、、、」
正式な勤務に就く前の段階で、、、練習の段階で、、、帰らぬ人となったと
寂しい眼をして、、、一度だけ、、上の弟のことは言ったことが有った。
「ひろし」さんという名前だったそうであるが、、、幼いころ
たった一度だけ、、父が、夕暮れの一番星を見ながら、、
ぽつんと言ったことを、、、今でも、、思い出すのです。
終戦の直前、、、実家のあった市谷に帰還できた者の、、、
すでに実家も何もなくなっていたそうです。
爆撃に逢った東京は、、、住めるところではなかったそうです。
一番下の弟も、、、学徒出陣んで、、、
自分は、大陸近くの病院で、
現地の医師に、西洋医学の外科の手技を指導していたらしいのです。
日本の文字の新聞の切り抜きには
「父の髭の長い医師、、、現地での医師としての記事が出ていました。」
引き上げてくる時に、一握りの外科医の手術道具と
新聞記事の包んんだ、、現地の診療で
死んでいった、将校患者さんが肌身はずさず持っていたという
「正兆」と、、私には読めるのですが
達筆な筆の、日本画を、現地で戴いたそうです。
長い船旅に、命からがら運ばれた絵には、、、
「折り跡」が入ってしまっており
長男も兄弟も、、お嫁さん方も、、母も、、要らないと言ったので
父の活きた足跡だと思って、、私が貰って保存してありました。
探せば、、、何処かにしまってあると思うのですが
折り跡がついているということが、、、致命傷の獲ですね。
せせらぎの、、、水音が聴こえて来て、
しなやかな草の風に揺れている様なタッチは
谷文晁の絵と、何処か重なる、、、自然の美しさのある絵でしたね。
銃後の御奉公をしていたのに。。。
病院には、傷ついた将校が運ばれてきて
父が手当てをした事で、、、小康状態になった時に
感謝のしるしにと、、、渡された絵だと、、父は言っていました。
戦況も、、激しい戦いになったころ、、、
日の丸に、神社の寄せ書き、、、軍隊手帳、、、千人針、、、
軍服、、ブーツ、、一揃い、病院に届けられて
従軍して、、野戦病院で、、、地獄を見たと言っていました。
戦地近くの病院勤務の時には
日本から、、母子共ども、、病院宿舎に移り
束の間の家族をしていたらしい。
しかし、、、外科医である父は、、宿舎に帰る事はなく
敗戦国強くなった戦地の境目で
三人の子供を失って、
8歳になっていた長男を殺して、
自分も死のうと思った場面に出くわしたが
母の本能とは、、、すごいもんだと言っていました。
息子だけは助けようと、、、最後の力を振り絞って
長男とともに、、生き残れたと言っていました。
現地の病院は 、父が院長をしていた外科病院だったこともあり
国から、名前も父の名前の付いた病院名をもらっていただけに
母は。。。自分たちの病院だと勘違いしていたようでした。
当時の戦場近くの医科大学や、、医科大学病院には
西洋医学を教える臨床部門の医局も無くて、
西洋医学の講座が無かったらしいですね。。。?
え?。。それで外科医が養成できるの?
大陸は、、漢方医が居ても
父のように、イギリス医学の外科を取得した外科医は居なかったらしくて
大学の臨床部のような役を、果たす病院が、
日赤の看護婦さんが勤務した状態のまま
父の病院として、勤務命令が出ていたそうです。
病院の名前も、父の名前になっていたそうです。
大学の、臨床病棟として、、父が現地の医師の外科的指導に当たり
異常分娩などの、、帝王切開などの婦人科領域まで
軍の意向の声で、、チームが集まり、、、、何でもしなければならないという、、
医師としては,、、戦慄した想いの勤務が多かったと、、、
戦後、、子供にもわかるように
噛み砕いて、、戦場の病院業務を話してくれたことが有りました。
頭が、、づ骸骨が見えるまで、、、傷ついた人
足も手も、、吹き飛ばされた人。。。
もう、、、絶対に、、助けられないという、、深手のヒト、、、
「先生、、、女房子供が居るんです、、、助けてください、、、」
「明日には楽になるから、、、」と
手を握ると、、、「助けてください、、、お願いします、、、」
「大丈夫だよ、、、助かるから、、、眠りなさい、、、」
手をしっかり握ったまま、、、
死ぬことの恐怖をそらしてあげるしか出来なかったと、、、
うつろな目で、、、空を見上げながら、、、
私が高校生の時に
戦場の怖さを話してくれたことを思い出します。
「 戦場の野戦病院で、、、、、キリストに出逢った、、、」
敗戦まじかの、、、戦地の玉砕が続く中、、、
医師の出番は無かったという、、、・
軍医は、一番大切にされて、、、
重なり合う死んだ人に守られて、、、
塹壕の中では
機関銃の弾が、、、自分の所には届かなかったそうです。
戦争の時の話は、、、めったに聞くことができませんでしたが、、、
ふとした時に、、、ポツリ、、ぽつりと、、話してくれました。
戦後の無理もたたったのか?。。。
父は54歳で、、過労死をしました。
無医村で13年間も、激務に次ぐ激務で
からだもくたびれた頃、、、
東京に戻って、、、娘や息子、、、
多くの居候、、、 を学校に進学させながら
戦後の、皆も苦しい時を
子供達を大学まで通わせてくれて、、、
父も、、力尽きたのでしょう。
54歳で、、前の日は、、手術をした患者さんの様子を管理しながら
明け方、、、眠っているかの様に、、、穏やかな顔で、、死んでしまいました。
人生が54歳で、、、お仕舞なんて、、、
信じられませんでしたね。
戦争のすさまじさは、、、日本に原子爆弾を落として、、、
、、、原子爆弾を落として、、、
人間を炭素に変えてしまい
「人間が人間として死ぬこと」も許させない
間違った科学戦争が、、、人間を炭素に変えてしまう事で、、
戦争は終わりました
もう、、日本は戦争はしません、、、、
きっと出来ないと思います。
日本の役目は、、、
戦争がいかに、、、
破壊的で、、、
なんのメリットも無いかという事を
次世代の、、、人類全体に、、
伝えなければならない、、
「役があると、、、思います。
1
それだけに、、、、、日本国内では
戦争のない時代に、、、
80歳近くまで、、、
生きて来られたという事は
感謝です。
これからも、、、
戦争さえなければ、、、
感謝です。
これからも、、、戦争の巻き込まれないように、、、
戦後の復興のお手伝いと
平和への、、世界への呼びかけと
自然に生かされてゆく、、、
天然のエネルギーを信じて
この美しい星の、、「地球」を汚さない様に、、、
まるで地球のがん細胞のように、、、
各地で各国で、、破壊戦争をしながら
コンクリートジャングルにしてゆく哀しさは
欲得、、支配欲、、、名誉欲、、、自己顕示欲、、、
ヒトの心の過剰な「欲の罪」なのでしょう、、か?、、
緑を残し、、緑地帯の在る開発に変えて
育って行く子供たちに、、自然からの智慧と
自然と対話できる感性を奪わない様に、、願っています。
コンクリートジャングルで育つことは、、、人為的な力の下で育つという事でしょう??
地球の懐の広いエネルギーとは、、、
総合的な包容力が違います。
音楽室で、楽器からの音を聴くのと
大自然の中で、せせらぎの音、、、小鳥の声、、、
木漏れ日を浴びながら、、、風がささやく葉擦れの音、、
海の波音、、、嵐の激しさ、、、
大自然の音楽は、ダイナミックな感性を育ててくれます。
光は眩しく、、、心を照らして、、、花を咲かせ、、、
地球の与えてくれるものを一掃して、、、コンクチートジャングルにして
人間の代わりに機械が住むという、、、地球にしたいのでしょう、、、
無駄ですね、、、地球は人間に征服される前に、、、
人類を滅ぼすでしょう。。。
人間同士が戦っている事を、、、地球は許してはくれないでしょう、、、
地球は生き物ですから、、、。
何千年、、、何万年、、、何十万年、、、生命科学の先生方は
地球の命を、、生命としてとらえています。
気候変動、、、氷河の融解、、、 海の汚染、、、マントルの移動、、火山、、
人間同士が、、、ミサイルを飛ばし合って、、国を破壊すrなんて、、、
ベスビアス火山が、、、街ごと埋め尽くして、、、
人類の愚かさを示してくれているのに
地球が怒り出すまで、、、国々は、、戦争で、、破壊を続けて
核戦争の準備をして、、、
海の幸を汚染して、、、 田畑を壊して、、、
ガキ大将が産まれても、、、そのスケールは、、、
地球全体を支配するには、、、あまりにも、、、八方破れで
人類だけでは、、、
「人の心の欲と、名誉と、、栄光と、、支配」こうした短絡に
心は枯れてしまい、思いやりも、優しさも、、、正義も無くなり、、、
破壊と、思い上がりの人類だけが、、コンクリートの墓場のような冷たい街に
ITと住んでいる、、、動物の居なくなった、、、
人工授精工場で誕生する、、、表情のメカニックな人類が
ITと、、何を目的に生きてゆくのか??
地球を捨てて、、、宇宙のゴミになりに行くのか?
女性が子供を産まなくなったのは、、、
「本能」の発達が阻止されてきたからかもしれません。
ホルモンのバランスは、、
地球の健全な状態が必用でしょう。
科学的に、、数学や物理的に考えると、、、
戦争のある地球上で、、、子供は産まない方が良いと、、、
本能が育たない
人工の
便利すぎる電子のネットワーク。
、、愛も、恋も、、線香花火のように、、、
ぽとりと、、落ちてしまうのかもしれません、
二人の子供を育てるのに、、
社会が囃し立てるがままに、、、
株を買ったりもしましたが
素人が、、儲けられるほど、、
甘い世界では無かったですね。。。
気絶者の、、大損をしましたね、、、本当に、、眠れない日々が続きましたね。
今でも、、どこかに、、
株券は捨てられないで、、、
しまってあるかもしれませんが
ダンナさんが捨てたかもしれませんね。
「株に手をだして、、、素人が、、儲かると思うのは
木の根っこに、、ウサギがぶつかるのを待つようなもんだと、、、」
軽蔑されたのではないのでしょうかね???
それいらい、、、一切、、、忘れる為の努力をしていますが
戦争のことを思えば、、、
命に別状は有りませんから、、、
喧嘩で終りますから、、、
戦争のない未来を、、、もう一度日本!!、、
コンクリートジャングルの屋上は、、、全て、、家庭菜園でもいいですから
子供達は、、自然の恵みと、、自然からの太陽の力の恵みを
心の交流のもとであることを、、、感じてもらいながら育つことを祈っています。
人間は、、自然の一部であり、、、部分であり、、、
人工的な科学力のΣ、、、Σ、、、は、、、墓場のような
コンクリートの世界であると思いますよ。
感性の豊かさは、、、科学では得るKトは出来ないはずだと思いますよ。
蝶々の七色の変化、、、
魚たちの無限の進化、、変化、、、絶妙な色彩、、、
自然は芸術家だと思いますね。
サンゴ礁の魚たちは、、、ファッショナブルの色をまとって
見惚れてしまいます。
自然を素直に享受する生き物が語る、、、自然からの影響は
大学でも習う事が出来ないはずですよね。
人工的なコンクリートと、、、クラゲの浮遊する海の中の風景は
同居できる世界では無いですが
人工的なコンクリートジャングルの半分は、、自然を残して、、
人工の海と、森と、 川と湖と、、、香しい空気は、どうきょできないもんあのでしょうか、、、?
人工都市のコンクリートの中で、、、
子供を育てたいとは思わなくなりませんか??
国会議員さんは文化的にも知識的にも、、、経済的にも
人間社会では勝ち残った人たちの、
優れた知能の磨かれて人だと思いますが
子供をつくる、、、子供を産む、、、子供を育てる、、、
これらのことは「本能の問題であり。。。 心の感性の問題であり。。。」
「命がけの女性の、、、生涯を通しての仕事と言えそうです。」
パソコンとITと、、便利さが「人間という動物の本能も、感性も、 無意識の子供への愛
育てようとする、、、信じられない本能、、、
少子化の問題は、、、受験戦争ばかりではありません。
子育て自体が、、、
社会に組み込まれたコースに、、
どんどん運ばれて行ってしまうという
与えられて、、ベルトコンベアーに載せられてゆく要素が多くなってきたという
ヒトとして、、自然の一部になって、、生存競争をしてゆくという要素が無くなり
人間そのものが、、、国家の期待する大人になる様に、、分類に添って沿って
飼育されてゆくような、、、組織の子供としての要素が高くなってきたという事でしょう。
ITからの智慧、、、自然からの恵みと、感性と、、芸術性と。。形而上の閃きと
人間は全てを必要としていると思いますよ。。
孫子の時代は、、どうか、、、バランスの取れて、、感性の豊かな
思い遣りのたっぷりある子育つには、、
「ニーサ、、、ETC. 」も大切ですが
来し方のドイツでは、、、リヤカー一杯のお金で買えたのは?
一握りの食料だったという歴史も嘘ではなさそうですよね。
経済社会だけは、、、ちんぷんかんぷんです。
なる様にしかなりません。
美しい美味しい空気、、、自然、、、美しいせせらぎの在る川。。
プラスチックごみにない、、ミサイルの落ちていない海、、、
地球を自分達の身体だと思って、、大切にする心が
人類が不滅に生かされてゆく、、、バランスの中に居るということだと、、、
80年近い人生を振り返る時、、、
人間は地球の「がん細胞」になってはならないと、、、
科学と文化と、、心のバランスで
健康な人類の営みが、、末永く、、
地球と共存してゆく文化になる事を
祈りながら、、、
、戦争の中止を、、世界の力で、、、実現させてください。
諸悪の根源は「戦争であり、、、戦争は、、破壊しかありません。」
戦争が、、おわらないと、、
幸せな人間は居なくなってしまいます。
祈る、、、終戦!!!
、核戦争反対と、、言いつづけ乍ら、、、
原爆をうけた昭和生まれは、、、
生涯の終わりまで、、
核戦争のない地球を祈り続けます。
、
敗戦色濃くなった戦地から、
日本本土での仕事も山積の父は
家族とともに、、、
最後の連絡船で帰国が叶い
南紀の山奥の七か村無医村の疎開地で
戦後の復活の為の、、、
電気を通すという
ダム建設現場に近い村の。。。是非にも必要な外科医師として赴任。
祖父が村長を...頼まれ校長を、、、兼任していた山村だった。
戦争前には、、、弟たちが、、学徒出陣
朝の「NHKドラマで、、、」学徒出陣の弟が戦死をして
立ち上がれない、、
歌えなくなった、、、主人公の歌手と、、、その父親。
私の父も、、すぐ下の 「弟は、、自分より優秀で、、、 男らしく、、素晴らしい男の子だった。」
「海軍の練習船で、、海に行って、、、それっきりだったと、、、」
正式な勤務に就く前の段階で、、、練習の段階で、、、帰らぬ人となったと
寂しい眼をして、、、一度だけ、、上の弟のことは言ったことが有った。
「ひろし」さんという名前だったそうであるが、、、幼いころ
たった一度だけ、、父が、夕暮れの一番星を見ながら、、
ぽつんと言ったことを、、、今でも、、思い出すのです。
終戦の直前、、、実家のあった市谷に帰還できた者の、、、
すでに実家も何もなくなっていたそうです。
爆撃に逢った東京は、、、住めるところではなかったそうです。
一番下の弟も、、、学徒出陣んで、、、
自分は、大陸近くの病院で、
現地の医師に、西洋医学の外科の手技を指導していたらしいのです。
日本の文字の新聞の切り抜きには
「父の髭の長い医師、、、現地での医師としての記事が出ていました。」
引き上げてくる時に、一握りの外科医の手術道具と
新聞記事の包んんだ、、現地の診療で
死んでいった、将校患者さんが肌身はずさず持っていたという
「正兆」と、、私には読めるのですが
達筆な筆の、日本画を、現地で戴いたそうです。
長い船旅に、命からがら運ばれた絵には、、、
「折り跡」が入ってしまっており
長男も兄弟も、、お嫁さん方も、、母も、、要らないと言ったので
父の活きた足跡だと思って、、私が貰って保存してありました。
探せば、、、何処かにしまってあると思うのですが
折り跡がついているということが、、、致命傷の獲ですね。
せせらぎの、、、水音が聴こえて来て、
しなやかな草の風に揺れている様なタッチは
谷文晁の絵と、何処か重なる、、、自然の美しさのある絵でしたね。
銃後の御奉公をしていたのに。。。
病院には、傷ついた将校が運ばれてきて
父が手当てをした事で、、、小康状態になった時に
感謝のしるしにと、、、渡された絵だと、、父は言っていました。
戦況も、、激しい戦いになったころ、、、
日の丸に、神社の寄せ書き、、、軍隊手帳、、、千人針、、、
軍服、、ブーツ、、一揃い、病院に届けられて
従軍して、、野戦病院で、、、地獄を見たと言っていました。
戦地近くの病院勤務の時には
日本から、、母子共ども、、病院宿舎に移り
束の間の家族をしていたらしい。
しかし、、、外科医である父は、、宿舎に帰る事はなく
敗戦国強くなった戦地の境目で
三人の子供を失って、
8歳になっていた長男を殺して、
自分も死のうと思った場面に出くわしたが
母の本能とは、、、すごいもんだと言っていました。
息子だけは助けようと、、、最後の力を振り絞って
長男とともに、、生き残れたと言っていました。
現地の病院は 、父が院長をしていた外科病院だったこともあり
国から、名前も父の名前の付いた病院名をもらっていただけに
母は。。。自分たちの病院だと勘違いしていたようでした。
当時の戦場近くの医科大学や、、医科大学病院には
西洋医学を教える臨床部門の医局も無くて、
西洋医学の講座が無かったらしいですね。。。?
え?。。それで外科医が養成できるの?
大陸は、、漢方医が居ても
父のように、イギリス医学の外科を取得した外科医は居なかったらしくて
大学の臨床部のような役を、果たす病院が、
日赤の看護婦さんが勤務した状態のまま
父の病院として、勤務命令が出ていたそうです。
病院の名前も、父の名前になっていたそうです。
大学の、臨床病棟として、、父が現地の医師の外科的指導に当たり
異常分娩などの、、帝王切開などの婦人科領域まで
軍の意向の声で、、チームが集まり、、、、何でもしなければならないという、、
医師としては,、、戦慄した想いの勤務が多かったと、、、
戦後、、子供にもわかるように
噛み砕いて、、戦場の病院業務を話してくれたことが有りました。
頭が、、づ骸骨が見えるまで、、、傷ついた人
足も手も、、吹き飛ばされた人。。。
もう、、、絶対に、、助けられないという、、深手のヒト、、、
「先生、、、女房子供が居るんです、、、助けてください、、、」
「明日には楽になるから、、、」と
手を握ると、、、「助けてください、、、お願いします、、、」
「大丈夫だよ、、、助かるから、、、眠りなさい、、、」
手をしっかり握ったまま、、、
死ぬことの恐怖をそらしてあげるしか出来なかったと、、、
うつろな目で、、、空を見上げながら、、、
私が高校生の時に
戦場の怖さを話してくれたことを思い出します。
「 戦場の野戦病院で、、、、、キリストに出逢った、、、」
敗戦まじかの、、、戦地の玉砕が続く中、、、
医師の出番は無かったという、、、・
軍医は、一番大切にされて、、、
重なり合う死んだ人に守られて、、、
塹壕の中では
機関銃の弾が、、、自分の所には届かなかったそうです。
戦争の時の話は、、、めったに聞くことができませんでしたが、、、
ふとした時に、、、ポツリ、、ぽつりと、、話してくれました。
戦後の無理もたたったのか?。。。
父は54歳で、、過労死をしました。
無医村で13年間も、激務に次ぐ激務で
からだもくたびれた頃、、、
東京に戻って、、、娘や息子、、、
多くの居候、、、 を学校に進学させながら
戦後の、皆も苦しい時を
子供達を大学まで通わせてくれて、、、
父も、、力尽きたのでしょう。
54歳で、、前の日は、、手術をした患者さんの様子を管理しながら
明け方、、、眠っているかの様に、、、穏やかな顔で、、死んでしまいました。
人生が54歳で、、、お仕舞なんて、、、
信じられませんでしたね。
戦争のすさまじさは、、、日本に原子爆弾を落として、、、
、、、原子爆弾を落として、、、
人間を炭素に変えてしまい
「人間が人間として死ぬこと」も許させない
間違った科学戦争が、、、人間を炭素に変えてしまう事で、、
戦争は終わりました
もう、、日本は戦争はしません、、、、
きっと出来ないと思います。
日本の役目は、、、
戦争がいかに、、、
破壊的で、、、
なんのメリットも無いかという事を
次世代の、、、人類全体に、、
伝えなければならない、、
「役があると、、、思います。
1
それだけに、、、、、日本国内では
戦争のない時代に、、、
80歳近くまで、、、
生きて来られたという事は
感謝です。
これからも、、、
戦争さえなければ、、、
感謝です。
これからも、、、戦争の巻き込まれないように、、、
戦後の復興のお手伝いと
平和への、、世界への呼びかけと
自然に生かされてゆく、、、
天然のエネルギーを信じて
この美しい星の、、「地球」を汚さない様に、、、
まるで地球のがん細胞のように、、、
各地で各国で、、破壊戦争をしながら
コンクリートジャングルにしてゆく哀しさは
欲得、、支配欲、、、名誉欲、、、自己顕示欲、、、
ヒトの心の過剰な「欲の罪」なのでしょう、、か?、、
緑を残し、、緑地帯の在る開発に変えて
育って行く子供たちに、、自然からの智慧と
自然と対話できる感性を奪わない様に、、願っています。
コンクリートジャングルで育つことは、、、人為的な力の下で育つという事でしょう??
地球の懐の広いエネルギーとは、、、
総合的な包容力が違います。
音楽室で、楽器からの音を聴くのと
大自然の中で、せせらぎの音、、、小鳥の声、、、
木漏れ日を浴びながら、、、風がささやく葉擦れの音、、
海の波音、、、嵐の激しさ、、、
大自然の音楽は、ダイナミックな感性を育ててくれます。
光は眩しく、、、心を照らして、、、花を咲かせ、、、
地球の与えてくれるものを一掃して、、、コンクチートジャングルにして
人間の代わりに機械が住むという、、、地球にしたいのでしょう、、、
無駄ですね、、、地球は人間に征服される前に、、、
人類を滅ぼすでしょう。。。
人間同士が戦っている事を、、、地球は許してはくれないでしょう、、、
地球は生き物ですから、、、。
何千年、、、何万年、、、何十万年、、、生命科学の先生方は
地球の命を、、生命としてとらえています。
気候変動、、、氷河の融解、、、 海の汚染、、、マントルの移動、、火山、、
人間同士が、、、ミサイルを飛ばし合って、、国を破壊すrなんて、、、
ベスビアス火山が、、、街ごと埋め尽くして、、、
人類の愚かさを示してくれているのに
地球が怒り出すまで、、、国々は、、戦争で、、破壊を続けて
核戦争の準備をして、、、
海の幸を汚染して、、、 田畑を壊して、、、
ガキ大将が産まれても、、、そのスケールは、、、
地球全体を支配するには、、、あまりにも、、、八方破れで
人類だけでは、、、
「人の心の欲と、名誉と、、栄光と、、支配」こうした短絡に
心は枯れてしまい、思いやりも、優しさも、、、正義も無くなり、、、
破壊と、思い上がりの人類だけが、、コンクリートの墓場のような冷たい街に
ITと住んでいる、、、動物の居なくなった、、、
人工授精工場で誕生する、、、表情のメカニックな人類が
ITと、、何を目的に生きてゆくのか??
地球を捨てて、、、宇宙のゴミになりに行くのか?
女性が子供を産まなくなったのは、、、
「本能」の発達が阻止されてきたからかもしれません。
ホルモンのバランスは、、
地球の健全な状態が必用でしょう。
科学的に、、数学や物理的に考えると、、、
戦争のある地球上で、、、子供は産まない方が良いと、、、
本能が育たない
人工の
便利すぎる電子のネットワーク。
、、愛も、恋も、、線香花火のように、、、
ぽとりと、、落ちてしまうのかもしれません、
二人の子供を育てるのに、、
社会が囃し立てるがままに、、、
株を買ったりもしましたが
素人が、、儲けられるほど、、
甘い世界では無かったですね。。。
気絶者の、、大損をしましたね、、、本当に、、眠れない日々が続きましたね。
今でも、、どこかに、、
株券は捨てられないで、、、
しまってあるかもしれませんが
ダンナさんが捨てたかもしれませんね。
「株に手をだして、、、素人が、、儲かると思うのは
木の根っこに、、ウサギがぶつかるのを待つようなもんだと、、、」
軽蔑されたのではないのでしょうかね???
それいらい、、、一切、、、忘れる為の努力をしていますが
戦争のことを思えば、、、
命に別状は有りませんから、、、
喧嘩で終りますから、、、
戦争のない未来を、、、もう一度日本!!、、
コンクリートジャングルの屋上は、、、全て、、家庭菜園でもいいですから
子供達は、、自然の恵みと、、自然からの太陽の力の恵みを
心の交流のもとであることを、、、感じてもらいながら育つことを祈っています。
人間は、、自然の一部であり、、、部分であり、、、
人工的な科学力のΣ、、、Σ、、、は、、、墓場のような
コンクリートの世界であると思いますよ。
感性の豊かさは、、、科学では得るKトは出来ないはずだと思いますよ。
蝶々の七色の変化、、、
魚たちの無限の進化、、変化、、、絶妙な色彩、、、
自然は芸術家だと思いますね。
サンゴ礁の魚たちは、、、ファッショナブルの色をまとって
見惚れてしまいます。
自然を素直に享受する生き物が語る、、、自然からの影響は
大学でも習う事が出来ないはずですよね。
人工的なコンクリートと、、、クラゲの浮遊する海の中の風景は
同居できる世界では無いですが
人工的なコンクリートジャングルの半分は、、自然を残して、、
人工の海と、森と、 川と湖と、、、香しい空気は、どうきょできないもんあのでしょうか、、、?
人工都市のコンクリートの中で、、、
子供を育てたいとは思わなくなりませんか??
国会議員さんは文化的にも知識的にも、、、経済的にも
人間社会では勝ち残った人たちの、
優れた知能の磨かれて人だと思いますが
子供をつくる、、、子供を産む、、、子供を育てる、、、
これらのことは「本能の問題であり。。。 心の感性の問題であり。。。」
「命がけの女性の、、、生涯を通しての仕事と言えそうです。」
パソコンとITと、、便利さが「人間という動物の本能も、感性も、 無意識の子供への愛
育てようとする、、、信じられない本能、、、
少子化の問題は、、、受験戦争ばかりではありません。
子育て自体が、、、
社会に組み込まれたコースに、、
どんどん運ばれて行ってしまうという
与えられて、、ベルトコンベアーに載せられてゆく要素が多くなってきたという
ヒトとして、、自然の一部になって、、生存競争をしてゆくという要素が無くなり
人間そのものが、、、国家の期待する大人になる様に、、分類に添って沿って
飼育されてゆくような、、、組織の子供としての要素が高くなってきたという事でしょう。
ITからの智慧、、、自然からの恵みと、感性と、、芸術性と。。形而上の閃きと
人間は全てを必要としていると思いますよ。。
孫子の時代は、、どうか、、、バランスの取れて、、感性の豊かな
思い遣りのたっぷりある子育つには、、
「ニーサ、、、ETC. 」も大切ですが
来し方のドイツでは、、、リヤカー一杯のお金で買えたのは?
一握りの食料だったという歴史も嘘ではなさそうですよね。
経済社会だけは、、、ちんぷんかんぷんです。
なる様にしかなりません。
美しい美味しい空気、、、自然、、、美しいせせらぎの在る川。。
プラスチックごみにない、、ミサイルの落ちていない海、、、
地球を自分達の身体だと思って、、大切にする心が
人類が不滅に生かされてゆく、、、バランスの中に居るということだと、、、
80年近い人生を振り返る時、、、
人間は地球の「がん細胞」になってはならないと、、、
科学と文化と、、心のバランスで
健康な人類の営みが、、末永く、、
地球と共存してゆく文化になる事を
祈りながら、、、
、戦争の中止を、、世界の力で、、、実現させてください。
諸悪の根源は「戦争であり、、、戦争は、、破壊しかありません。」
戦争が、、おわらないと、、
幸せな人間は居なくなってしまいます。
祈る、、、終戦!!!
、核戦争反対と、、言いつづけ乍ら、、、
原爆をうけた昭和生まれは、、、
生涯の終わりまで、、
核戦争のない地球を祈り続けます。
、
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