きもの和らいふスタッフブログ/札幌を中心に北海道で振袖をレンタル&販売の日々

大正元年創業の老舗呉服店とは思えない(◎_◎;)スタッフのゆるーい日常を綴っています。

ナツコのこと

2015年09月25日 | 日記
事業部のHです。

今朝、電車の中で、高校生の男の子4人が、
おしゃべりしているのを、傍で聞いていました。

たぶん、1年生かな...
ヒゲも生えないツルツルな顔で、
ひとりは、小学生と言ってもいいくらい
背も低くて、あどけない顔しています。

夏休みが終わり、
そろそろ、勉強について行ける、行けない、
そんな差が出始めた頃なのでしょうか、
ひとりがポソッと、
●●って、何でうちの学校に入れたんだろ」
と言いました。
●●って誰
別な子が聞きました。
●●○▲ってやつ」
また別な子が、フルネームで女の子の名前を言いました。
5教科の合計が60点」
平均12点って。ある意味、キセキだな。」
数学は0点だった。」
何で居るんだろーな。」

ここまで、聞いて
私は、心臓がチクッと痛くなりました。
私も、昔、同じことを思ったことがあります。
・・・同級生の女の子に対して。

現在も高校のテストは100点満点なのね。
きっと、彼らの学校は偏差値が高いのね。
授業に全然ついて行けない女の子が、
何故、そんな高校に合格したのか、
彼らは理解出来ないのよね。
・・・私も、同じこと思ったわ。
高校3年生のときに、同じクラスになった子に。
(私の高校は偏差値、低かったけど。

授業に全くついて行けないどころか、
授業は彼女を完全に無視して進行しました。
先生に当てられることも無く、
何かを発表させられることも無く、

いじめられることも、からかわれることもなく、
まるで、彼女はそこに存在していないかのように。

高校を卒業してから、
その子から、手紙を貰ったことがあります。

ちょうどバブルの頃で、遊んでいた頃です。
高校卒業後、初めてのクラス会だったと思います。
彼女も出席していました。
そのときのお礼の手紙でした。

とっても楽しかった
Hさんとお友達で良かった

ラブレターみたいな手紙でした。
(しかも誤字だらけで、小学生みたいな手紙でした。)
何だろと思いました。
私は、高校で同じクラスだったとき、
彼女とは挨拶すらしたことがなく、
彼女と友達だったとは言えません。

確かに、クラス会では、楽しく騒いだ覚えはあります。
(彼女の名前も覚えていませんでしたけど。

携帯電話なんか無い時代です。
後で電話しよう、後で返事書こう、
そう思ってて、時間が過ぎてしまいました。

彼女が亡くなったのは、
私が手紙を貰った数日後でした。

当時のクラスメートから、
何度もHに電話したんだよ
と、言われました。
毎晩、遊んで、帰りが遅かったんです。  

彼女が亡くなってから、
初めて彼女について知りました。

脳腫瘍・・・のような命に関わる大病をして、
高校受験の後、大変な手術を受けたそうです。
その結果として、“数を数える”とか、“記憶する”とか、
そういうことが出来なくなったそうです。

中学時代は、勉強も出来、運動も好きで、
明るく、積極的、行動的で、
クラスの人気者で、友達も大勢居たそうです。

長くは生きられないだろう~と、
言われていたそうです。

そのことを、あの時(高校生の時)、 知っていたら、
私は、何か、違っただろうか・・・と考えました。
たぶん、何も変わらなかったでしょうね。
私は優しい人間では無いので。  

手紙の返事は書けませんでしたが、
彼女が生きた年数の倍以上、
長く生きてきましたが、
彼女の名前だけは忘れません。

(電車の中で、感傷的になってしまいました。)

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