記憶にあるには、結婚していたときはたくさん擦り切れるほどしたけど、今はないね。
それは、きもちいいとかんじていたからしたわけ、こすりすぎるほどしたから、あきた。
これは、回数も関係あるけど、やりすぎると女は飽きる。
たまらない女は飽きる、私の胸はでかいのは、セックスを若いときたくさんしたからね。
胸の大きな女は、セックスがすきってことにまちがいないわ。
でもね、今は、かれたからいえるけど、若いときに間違いなくしまくったら、あきる。
女は、あれはあきるんだね、今は枯れた自分のことを冷静になれる。
残ったのは、でかすぎる胸だけど、今はもうおなか一杯でセックスはいらないね。
ある年齢であんまりしたくなくなったし、たくさんやると飽きるから。
まあ、適当に男にはもてたときに、素敵な人ともたくさんしたよ、だから飽きる。
おんななんてね、男よりははやく、あきるし、かれてしまうものだね。
だけど、後悔なんてない、好きなときに、すきなだけしたからね。
人生は、長いから、セックスをいたさなくても、何にも性欲がなくても後40年は生きたいわけね。
だから、健康で人間らしく今度は、本音を書いていくのが幸せでこれも、気持ちがいい事。
若いときは、やるだけのことをして、いろいろしてしあわせだったからよしだ。
でも、満足した人生だけど、残りの人生を何を使用か迷っている今。
それでも、色きちばあちゃんになって、爺さんといたすのは私はあほらしくてできない。
なにせ生涯でやるセックスの数をすでに、こなしているものね。
うまく生きて、健康にばあちゃんになって、いい文章でも書けたらたのしそうだね。
そのためにも、こうしてパソコンをぱちぱちしている、あほやろう。
男なんて、みんな対して期待するほど、変わらないし、おなじともいえない。
好きな人と、セックス死まくるのが、楽しかったから、今は好きな人もいないし。
そういう恋愛にも疲れたから、なしの今も案外いいかも。
しかし、文章を人に読んでもらうのも、知恵が要るので刺激的でたのしい。
毎日が脳を刺激して、これも悩んでしまうけど、とても気持ちいいのだ。
わたしは、いつでも、気持ちのいいことが大好きなのだ。
今は、文章を書くことが快楽になっている、デモ下手だからエクスタシーまでいかない。
もっと、楽しく喜ばせる文がかけたら、私は昇天できるのだ。
最高に、気持ちのいい瞬間は、いい文章がかけたときだ。
いつか、最高のエクスタシーに浸りたいから、今はコツコツ文をかきつづける。
そのうちに、きっとセックスより、快感になる日が来るまで。