女として大阪で暮らす2

初心にもどり、ちゃんとブログをつくりたいですね。
たまに、読んでください。誤字脱字は、ご容赦くださいね。

整形しないで、二重をでかく見せてますよ。

2016-02-07 15:38:03 | 日記
目の周りを黒のペンで囲んでみるとすこし、はっきりくっきりですね。
目の印象が一番肝心なので、これは目をうまく書くことですね。
そうすると、ぼやけた顔がはっきりして、美人ぽくみえますね。
整形は、痛いし値段も安くないので、しません。

でも、私が芸能人なら、そう若返り手術と、贅肉を取る整形ぐらいしたいね。
普通のばばあだから、あきらめて整形メイクしてます。
かなり目の印象で顔が、美しく見えるものです。
年齢によるしわは、フアンデにより、うまく隠しますね。

ああ、若いときはそんな努力なしで、よかったのにね。
いっそ、整形メイクの仮面でもつけて歩いたら、楽でしょ。
それだけ衰えた、目元と、全体に明るくない顔の色をきれいにするだけで若く見えますね。
努力している、女は、老女でも、きれいにみえるからね。

二重でない人は、なんかいろいろな方法があるみたいで、それでやるといいみたい。
そして、みんな私は、アレルギーだからできないけど、カラコンで、黒目をおおきくするとかわいいみたいですね。そこまでする必要もないし、かゆくなるからわたしはやらないね。
おばあちゃん隠しの、しわかくし、目を少し大きく見せると、老女の完成です。

でも、たまに、素顔でかけますね。そうするといろいろな証明の顔と違いますので。
化粧をしたほうがいいみたいですね、化粧でかなりちがうものです。
これは、素顔がいけないのではなく、化粧したほうが映えるからです。
時間があるときは、きれいにしたいけどつけまは、しません、これもアレルギーだからね。

整形したら、若くてきれいになれるかもしれないけど。
私は今のところひつようなしだし、痩せるほうが肝心だから、しないね。
昔から、狸のように、目を囲んでいたけど、これがおおきくみせるこつだったんだね。
ブスでも、生きていたら、ごまかせるようになるものですね。

ブスを悲しむことはないです、化粧はブスを変えます。
わたしは、ブスでも、努力してますよ。
ブスは、ブスなりに、なんとかなるものです。
素顔は、かなり、ブサイクな自分ですがね。wwwwwwwwwwwブス女です。

ブスは一日にして成らずだから、化粧でごまかすのがいいですね。8888888888888

ブログの上でのいろいろな噂

2016-02-07 10:49:54 | 日記
清原元選手の父親の出身地は、岡山県津山市のいわゆる「」地区です。父親が若いころ、大阪へ出て、そこで結婚し、彼をもうけたということで、地元では有名でした。ですから、父方は在日ではありません。結婚相手が在日だった可能性が高いですね。
私の叔父も就職で大阪に出て、「大阪では年金かけてる者なんかおらんわ」とか帰ってくるたびに両親に言ってたらしいですが、今は老人になって生活保護をもらいながら暮らしているそうです。一般人でも大阪に出ておかしな人々と付き合うと、叔父のように堕落した生き方になってしまうようです。

とか、中居君は一重の釣り目を思いっきり二重の整形しているとか。
まあ、何でもいいたい放題ですが、人には秘密がたくさんあります。
たとえ、二重に整形しても、この厳しい芸能界でやっていけた能力に賞賛ありです。

私だって金があれば、誰かにも好かれる顔に整形したかったし。
しかも、地区であれなかれ、清原はわるいのです、覚醒剤は最低の犯罪だからです。

本人に罪のないことで、わいわい言ったって仕方のないことです。
テレビに出る人は、昔は猿回し身分、つまりえた、ヒニン身分でした。
いまでも、かわることはないのです、本人たちも苦しみながらいきぬいています。
決して幸せではないのです、生きていくために、馬鹿芝居をしたり、いやなこともたくさんしています。

そういうわけで、芸能人を私は馬鹿とは思えません。
低い身分を隠さないわけですし、金で買えない大切なものをいろいろ失ってまで芸を売るわけですから。
整形だって、芸のひとつだから、いいと思います見栄えのいいほうを喜ぶのが、見る人たちですから。

ブサイクで喜んでくれるのは、吉本ぐらいでしょ。
きれいで、可愛くないと、芸能としては価値がないなら、その身分しかいけないとしたら、おのずといやでも、痛くても我慢して、整形していると思います。
整形の後の痛みは、すごいものらしいですし、失敗もあるわけですから命がけでしているのです。

目が二重ぐらいで、うれたらいいものです、デモいろいろなことをしても、ほとんど売れない芸能界馬鹿ではできません、そして、馬鹿になることがうまい人ができる世界です。
つまり、えた身分ならだれでもできるわけではないんですよ。馬鹿な演技がうまい人ができるんです。
かなり、演技できる賢い人しかできない世界ですよね。

だから、人がなんと言おうが、頭がいい人が芸能人です。
ひとにはいえない、痛み苦労はわたしたちより、はるかにしています。
そんなわけで、私は芸能の世界も、一目おいていますなぜならなりたくてもなれない人がたくさんいるほど、奇蹟の世界であり、演じる世界だからです。

有名になるのは、ある意味大変な偶然なのですからね。

北朝鮮が、ミサイル発射(日本時間の午前9時31分頃)

2016-02-07 09:44:35 | 日記
沖縄を通過して、たぶんミサイルは、海に落ちるでしょうけど。
金のむだづかいですね、あほとしかおもえません、パボでしょ。
ああ、北朝鮮さん、在日朝鮮の人々を差し上げますので、やめてください。
あなたの国の人は、返しますので、本当にやめていただきたい。

北朝鮮の西岸から、沖縄南岸に通過して、たぶん海に沈むだけの金の無駄使い。
在日朝鮮人をお返ししますので、やめてください。一発でも無駄ですよ。

安普請ゆえの悩み

2016-02-07 08:37:36 | 日記

夜中ごとの、マン刷りばあさんのでかい話し声、マンズ利するだけでなく声がでかい。
めがねの、色気むんむん顔ブサイクの70代のおばあさんは私の神経を痛める。
ああいう、色気むんむんのおばあさんは、たぶん長生きなのだ。
昼間は、せんずり爺さんの世話をして、夜中は、薬と酒で寝ないでおしゃべり。

顔ブサイクの、楽しみは夜中のおしゃべりと、マン刷りと酒なのだろう。
安普請ゆえの私の悩みである。
なにせ、〇聞こえなのだから、万図離散は、すごく元気で顔がぶさいくなのだ。
日本人にはない、精力をもつ、70代怖すぎる、あのばあさんは色気むんむんなのだ。

あるとき歩いているのを見たら、美っこながらもすごいからだか油だ出て、元気だった。
それもそのはずだ、にんにくの国の人だから。
たまに、赤犬も焼肉で食べる国だからこそ70代のマン刷りは、現役なのだ、気も胃がすごい。
わたしは、とうに、かれているのに、マン刷りはいまだに現役国が違うとすごい、

赤犬は、そんなに精力がつくのだろう。
マン刷りの顔は、ぶさいくだけど、油が乗って、ぎらぎらしているすごいので、想像してほしい。
にんにくと、朝鮮人参の力は、はかりしれない、だから夜もギンギンで朝までおしゃべりだ。
でも、そういうところを選んだ自分が悪いのだ、通名が多いのも知らなかった私が悪い。

マン刷りは、たぶんぎらぎらした目をして、今でもはめているかもしれない、おそろしい。
めがねをひからせて、現役の嗚咽を出す声で、ジジイとつながるこれは地獄絵なのだ。
でも、その声を何度も聞いたらなれた。
猛獣の声と思えば、動物園よりは、ましかもしれないから。

猛獣は今日も、夜中から朝までおしゃべり、〇聞こえだから、仕方がない。
私も昼間は、ラジオをかけたりして、その絶倫万図李の声と、せんずり爺の声をかきけしている。
ここは、恐ろしい通名アパートだ、いろんな国の人がいる、安いならそれなりのこと。
しかし、在日の絶倫にはおどろく、猛獣の雄たけびは激しく万図李は今日もおしゃべり中。

私と、チョコ(文鳥花子 第1回)

2016-02-07 07:54:49 | 日記
あなたとの思いでは、心に重くのしかかり、そして雪のように消えたあれは、35年も前のことだね、あなたと同じ職場で、笑ったり、お話したり、そしてそれが思い出になるなんてしらなかった。
私は、あなたが好きだったのだろうか、それともあの空間にいるときは幸せだったのか、いまでもわからない、只楽しいところだから、おばちゃんについていったあの場所に、あなたがいたのだ、そして、あなたと、出会うきっかけの2月14日がきたのだ。

私は人数分の、義理チョコをたくさん持って、いつもの職場のお昼休憩にそのチョコを配った。あなたは、無口に遠慮なくもらってくれた、私に好意など持っているそぶりを一度もそれまでみせなかったけど。3月14日にその中の、義理チョコのお返しが、二つあった、そのうちのひとつがあなたでした。

手紙とともに、何か忘れたんだけど、もらったのは遠い過去のようで苦くて忘れてしまった。手紙だけは鮮明に今でも覚えているんだけど。男の人が使う便箋ではなく可愛いものだったサンリオノキャラクターのキキとララでしたよね、すごく可愛くて、印象に残った。
男の人から、手紙をもらうのはたぶん初めてだった若い日のおもいでになった。

私は小さな愛知の田舎町で一人っ子として生まれた、貧乏だったけどそれなりに幸せだった日々を少し思い出している、山が見えて、周りはあぜ道でそこを歩くと川があって、春にはせりを取ったり、筑紫をつんだりして、あそびまわったのをよくおぼえている、
私は、小さい仲間たちを引き連れて、近所の神社でよくあそんでいた。
あの頃は、たぶんガキ大将のような存在だった。今では考えられないほど心が萎縮したのに。

ふるさとは、今でもあまり変わらないように思う、たぶん今でもあの神社も古ぼけてたっているとおもうし、あの公園も私の通った町の小さな小学校さえ、色あせてもきっとそんざいしているとおもう。
母のへたくそな料理をおいしく食べていた、あの頃に私は帰りたいけれど、もうそんな夢はあきらめていきていかなくてはいけない、年老いた老人になったのだ。

あなたとは出会うのは、それからずっと後なのに、あのことを思い出すたびに、ふるさとの臭いを感じるのは、どうしてだろう、あなたがやさしかったからなのだろうか、それとも、あなたが、私に忘れまいと、残していったきずあとのように、痛みとして残したかったのかわからない。
わたしは、小さかったけど、確かにしあわせだった。
ふるさとでは、とても、貧しいけど、しあわせだったのだ。

続く。

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