終活にかかわる行為
準備:エンディングノートや遺言。どのように葬儀などを執り行うか、また財産分与などの方法を事前に親族に伝えておく。意思表示ができないような障害を負うと手遅れになる。認知症の症状が出る前に意思表示をしておく必要がある。
生前整理:生きて動ける間に行う、身の回りの物品の整理と社会的な関係の整理。難しいことではあるが、欲と役を捨てることが必要となる。
1.物理的物品の整理:独居老人が孤独死をして、遺品整理あるいは“親片”(親の家の片付け)という社会問題が生じている。別居する子供がいる場合でも、遺品が多いと子供にとって親の家の片付けが大きな負担となり、専門の遺品整理業者を雇う場合が多い。体が動く間に、本人にとって本当に大切なできるだけ少量の物だけに絞っておくことが必要である。欲を捨てモノを増やさないことが大切である。また、電子データやインターネット上の登録情報などのデジタル遺品について前もって整理しておく、ログインIDやパスワード等の情報を残して対応を決めておくことも必要である。
2.社会的関係の整理:企業や団体で活動している場合には、健康なうちに後継者を育て、いつ動けなくなっても代役がいるようにしておく。またその人がいないと動かないような重要な役は降りて、身軽になっておく必要がある。亡くなった後に、お世話になった方々にメールなどで、感謝とお別れのメッセージを送る代行サービスも現れた。
介護:認知症や寝たきりの末期の高齢者の医療によるケア。延命治療を施すか否かの検討も行う。最近の傾向として不自然な延命は避ける方法に向かっているようである。日本尊厳死協会の会員になり、延命処置に関し意思表示しておくことも一つの方法である。少子高齢化、無縁社会が浸透する現代に、介護を受けられずに、孤独死をする人も増えている。孤独死あるいは無縁死をした人は、早ければ数日、遅ければ数か月経過して発見される。このような人々の供養の方法は、確立されていない。
葬儀:葬式は、もともと曹洞宗で行っていたもので、修行中の僧侶が、悟りへの道半ばで亡くなった場合、その無念を慰めるために回向する行事であった。それが他宗にも広がっていった。江戸時代以降に村というコミュニティが確立し、村という共同体の一員の葬儀を組織的に行う際に、寺がその儀式を執り行うようになった[7]。過去においては、その家の宗派に基づいた儀式で、多くの参列者が参加する盛大な葬儀を行うのが慣例であった。昔は町内会が主導して大掛かりな葬儀を行うことも多かったが、最近は人間関係も希薄になり、葬儀は少人数で行うことが主流になりつつある。昔は勤務先の関係で、生前一度も会ったことがない、上司や同僚の親の葬儀に参列することは一般的であった。しかし、この風習もだんだんと薄れてきている。檀家から外れて、墓を使わなくなる場合、または代々の仏教の葬儀を行わない場合、離檀料を請求されることがある。葬儀は、めったに会わない遠い親戚と久しぶりに会い、絆を確かめる良い機会でもあった。従来のような盛大な葬儀は、費用もかかる。最近は家族葬など近親者のみで行うのが一般的となりつつある。葬儀は自分で行うことができないので、任せられる関係を築いておくことが大切と言う人もいる。また終活は不要と言う意見もある[8]。論旨は、死後のことはどうにもならないからということであるが、終活とは死後だけではない。死後のことは終活のほんの一部である。少子化の時代、残された数少ない縁者に迷惑をかけないように準備することが重要なのである。少子化という社会の大きな変化を認識せず、また終活の本質を理解していない論点であるといえる。大企業の役員や、著名な学者であれば、部下や弟子が葬儀を行ってくれることもあろう。しかし、庶民では、血縁者以外に任せることはできない。少子化の時代、自分でできるだけのことは生前に整理しておき、残された少数の者に任せることは最小限にしておく必要がある。
埋葬:遺骨をどのように処理するか。中世までは石塔非建立型の墓地であったが、近世の檀家制度と葬式仏教のなかで石塔建立型墓地に変わっていった[9]。従来、遺骨は家の墓地に埋葬するのが常であったが、子孫が墓地を守る負担を軽減するため、最近は合葬墓や永代供養墓に加え、散骨や樹木葬、樹林葬など自然葬、自然派志向に変わりつつある。また都会では、ビルの中の自動搬送式やロッカー式の新しい形態の墓地も出てきた。慣例として墓所はその家系の長男が継いでいた。20世紀前半までは、一組の夫婦が10人近い子供を産むということは珍しくなかった。そのため墓所の継承には問題を生ずることはなかった。近年の出生率は1.3程度で推移し、墓所を継ぐ男子が生まれないことは珍しくなくなった。日本社会の少子化に伴い、お墓の継承者がいなくなって、墓地が放置され荒れるという問題が生じている。また閉じられたお墓の墓石が、人里離れた奥地に大量に不法投棄されるという問題も起きている。
遺産相続:残された財産の分配・処分。
記録:プロフィール、自分史など故人の記録であり、自費出版する人もいる。古来から墓石に命日と戒名等を彫ったり、過去帳に記録したり、家系図として、故人のデータを保存していた。最近はSNSやウェブに残した記録が、本人の死後も残り続け、これが故人の生きた証となっている。サービスプロバイダ業者はブログやSNSの記録を一々本人が生きているのか確かめることに時間を割かないので、死後も記録が放置され、残るのが現状である。テキストのみならず、写真や動画として記録が残る。残された縁者は、ウェブ上の活き活きとした動画記録を見て、故人を偲ぶことができる。最近は墓石にQRコードを付けて、ブログやFacebookなどへもリンクすることができるようになってきた[10]。
記念行事:厳密な意味では終活の範疇から外れるが、故人の没後一定の周期で、故人の遺徳を偲び感謝する集まりである。仏教では命日に縁者が集まって法要を行う。
準備:エンディングノートや遺言。どのように葬儀などを執り行うか、また財産分与などの方法を事前に親族に伝えておく。意思表示ができないような障害を負うと手遅れになる。認知症の症状が出る前に意思表示をしておく必要がある。
生前整理:生きて動ける間に行う、身の回りの物品の整理と社会的な関係の整理。難しいことではあるが、欲と役を捨てることが必要となる。
1.物理的物品の整理:独居老人が孤独死をして、遺品整理あるいは“親片”(親の家の片付け)という社会問題が生じている。別居する子供がいる場合でも、遺品が多いと子供にとって親の家の片付けが大きな負担となり、専門の遺品整理業者を雇う場合が多い。体が動く間に、本人にとって本当に大切なできるだけ少量の物だけに絞っておくことが必要である。欲を捨てモノを増やさないことが大切である。また、電子データやインターネット上の登録情報などのデジタル遺品について前もって整理しておく、ログインIDやパスワード等の情報を残して対応を決めておくことも必要である。
2.社会的関係の整理:企業や団体で活動している場合には、健康なうちに後継者を育て、いつ動けなくなっても代役がいるようにしておく。またその人がいないと動かないような重要な役は降りて、身軽になっておく必要がある。亡くなった後に、お世話になった方々にメールなどで、感謝とお別れのメッセージを送る代行サービスも現れた。
介護:認知症や寝たきりの末期の高齢者の医療によるケア。延命治療を施すか否かの検討も行う。最近の傾向として不自然な延命は避ける方法に向かっているようである。日本尊厳死協会の会員になり、延命処置に関し意思表示しておくことも一つの方法である。少子高齢化、無縁社会が浸透する現代に、介護を受けられずに、孤独死をする人も増えている。孤独死あるいは無縁死をした人は、早ければ数日、遅ければ数か月経過して発見される。このような人々の供養の方法は、確立されていない。
葬儀:葬式は、もともと曹洞宗で行っていたもので、修行中の僧侶が、悟りへの道半ばで亡くなった場合、その無念を慰めるために回向する行事であった。それが他宗にも広がっていった。江戸時代以降に村というコミュニティが確立し、村という共同体の一員の葬儀を組織的に行う際に、寺がその儀式を執り行うようになった[7]。過去においては、その家の宗派に基づいた儀式で、多くの参列者が参加する盛大な葬儀を行うのが慣例であった。昔は町内会が主導して大掛かりな葬儀を行うことも多かったが、最近は人間関係も希薄になり、葬儀は少人数で行うことが主流になりつつある。昔は勤務先の関係で、生前一度も会ったことがない、上司や同僚の親の葬儀に参列することは一般的であった。しかし、この風習もだんだんと薄れてきている。檀家から外れて、墓を使わなくなる場合、または代々の仏教の葬儀を行わない場合、離檀料を請求されることがある。葬儀は、めったに会わない遠い親戚と久しぶりに会い、絆を確かめる良い機会でもあった。従来のような盛大な葬儀は、費用もかかる。最近は家族葬など近親者のみで行うのが一般的となりつつある。葬儀は自分で行うことができないので、任せられる関係を築いておくことが大切と言う人もいる。また終活は不要と言う意見もある[8]。論旨は、死後のことはどうにもならないからということであるが、終活とは死後だけではない。死後のことは終活のほんの一部である。少子化の時代、残された数少ない縁者に迷惑をかけないように準備することが重要なのである。少子化という社会の大きな変化を認識せず、また終活の本質を理解していない論点であるといえる。大企業の役員や、著名な学者であれば、部下や弟子が葬儀を行ってくれることもあろう。しかし、庶民では、血縁者以外に任せることはできない。少子化の時代、自分でできるだけのことは生前に整理しておき、残された少数の者に任せることは最小限にしておく必要がある。
埋葬:遺骨をどのように処理するか。中世までは石塔非建立型の墓地であったが、近世の檀家制度と葬式仏教のなかで石塔建立型墓地に変わっていった[9]。従来、遺骨は家の墓地に埋葬するのが常であったが、子孫が墓地を守る負担を軽減するため、最近は合葬墓や永代供養墓に加え、散骨や樹木葬、樹林葬など自然葬、自然派志向に変わりつつある。また都会では、ビルの中の自動搬送式やロッカー式の新しい形態の墓地も出てきた。慣例として墓所はその家系の長男が継いでいた。20世紀前半までは、一組の夫婦が10人近い子供を産むということは珍しくなかった。そのため墓所の継承には問題を生ずることはなかった。近年の出生率は1.3程度で推移し、墓所を継ぐ男子が生まれないことは珍しくなくなった。日本社会の少子化に伴い、お墓の継承者がいなくなって、墓地が放置され荒れるという問題が生じている。また閉じられたお墓の墓石が、人里離れた奥地に大量に不法投棄されるという問題も起きている。
遺産相続:残された財産の分配・処分。
記録:プロフィール、自分史など故人の記録であり、自費出版する人もいる。古来から墓石に命日と戒名等を彫ったり、過去帳に記録したり、家系図として、故人のデータを保存していた。最近はSNSやウェブに残した記録が、本人の死後も残り続け、これが故人の生きた証となっている。サービスプロバイダ業者はブログやSNSの記録を一々本人が生きているのか確かめることに時間を割かないので、死後も記録が放置され、残るのが現状である。テキストのみならず、写真や動画として記録が残る。残された縁者は、ウェブ上の活き活きとした動画記録を見て、故人を偲ぶことができる。最近は墓石にQRコードを付けて、ブログやFacebookなどへもリンクすることができるようになってきた[10]。
記念行事:厳密な意味では終活の範疇から外れるが、故人の没後一定の周期で、故人の遺徳を偲び感謝する集まりである。仏教では命日に縁者が集まって法要を行う。