この間、長野市立博物館分館戸隠地質化石博物館に寄ったら企画展にぐらりときた。
戸隠の森のヒミツ・その1・奥社の杉並木。
戸隠神社は奥社・中社・宝光社九頭龍社・火之御子神社の五社で構成される。
資料によって年代等の違いはあるが、849年に学問行者によって開山したのが九頭龍社。江戸時代までは九頭龍大権現は戸隠信仰の中心だったという。
1058年に地蔵菩薩のお告げで宝光院が成立。これが宝光社。
1087年に釈迦如来を本地に中院が成立。これが中社。
1233年(神社の前の案内板には1098年と書いてある)に八大金剛童子を本地として火之御子神社が創建された。
奥社の歴史はよくわからない。九頭龍社よりは新しい感じ。
今は全部神社であるけど、明治までは奥社・中社・宝光社は戸隠三院と呼ばれる仏教の寺であった。
九頭龍社は不明。
火之御子神社はずっと神社のまま。
戸隠神社奥社参道の杉並木は有名だ。杉の巨木がそびえる。
戸隠神社本社であるところの奥社にふさわしい参道だ。
ところが、戸隠五社のなかで一番成立が新しいとされ一番目立たたない(駐車場も鳥居前の狭い狭いスペースに数台分だけ)火之御子神社の参道もかつては奥社参道に勝るとも劣らない立派な杉並木参道だったというのだ。
今の火之御子神社は道路っぱた。参道そのものが無いといってもいいかもしれない。
もしそんなに立派な参道があったすれば、戸隠神社奥社と火之御子神社は同格だった?あるいは火之御子神社の方が格が上だった?
もしかして戸隠の開山は火之御子神社からだった?
こういう謎解きはぐらりと来る。
その参道ってどっからなんすか?と聞いたら、そば博物館とっから!と田辺先生。
今日のおばさんぽは、戸隠古道・戸隠立道。
戸隠そば博物館に車を置いた。
戸隠そば博物館を戸隠方面へ出てすぐの十字路を右へ。
この道が立道(たつみち)と呼ばれる古道。
戸隠立道とは、戦国時代末期から火之御子神社に奉仕したという神官・栗田氏が館から火之御子神社まで通うのに整備された道という。
でもこの地点は車の駐車場が確保できるというだけで、立道の半分くらいの地点。起点は、県道76号線(長野戸隠線)の諸沢川に架かる諸沢橋。
諸沢橋から火之御子神社までのほぼ直線に登る約二キロの道が立道。
アルプスが見える。
戸隠連山が見える。
菜の花が咲く。
区画整理された農地を過ぎれば舗装はされているけど道幅がぐっと狭くなり、石塔や供養塔が見えてくる。
お!!!
杉の巨木の切り株だ。
舗装されているだけで、ほぼ古道通りで、この道には確かに杉並木の痕跡がそこかしこに残る。
途中から古道古道した古道になった。
ニリンソウやリュウキンカや色々と咲く。
この道沿いにも杉の巨木の切り株。
古い切り株の中に新しい杉が育っていたり、そのまま朽ち果てる最中だったり。
火之御子神社が見えてきた。
今は細い道とはいえ二本の道路に分断されて、その道路沿ギリギリに建つ火之御子神社。
この古道を知らないドライバーからすれば土手からいきなり人が上ってきたようにしか見えない。
神社の横の杉でそれから先に杉の巨木はなくなる。
火之御子神社脇には公衆トイレがある。
ここから中社や奥社へのハイキングも可能だ。
横にはアルピコ交通の営業所もある。
天の岩戸に九頭龍に鬼女紅葉に神社。蕎麦にハイキングに登山にスキーにキャンプにドライブ。戸隠はもともと色々と入り混じる不思議な場所だけど、その成立の核心までが謎めく。
火之御子神社とはなんぞや?