「怠けものの話」ちくま文学の森9
堀口大学による6行の愚話「蝉」で幕を開ける短編集
O・ヘンリー「警官と賛美歌」は優等生的な出来上がり。綺麗なまとめ方、というかオチ。
ドストエフスキー「正直な泥棒」は呑んだくれの厚かましさと小心さを描く。
短編でも罪の意識に興味を示す所は、さすがドストエフスキー。
玉葱にパン、キャベツのスープという食事風景、生活が泣ける。
魯迅「孔乙己(コンイーチー)」は、酒屋に来ると必ずからかわれるという落ちぶれた男の話。
しかし、この男のおかげで店内に快活な空気があふれるという不思議。
市井の人々の情感溢れ、光景が目に浮かぶような実に味わい深い一編。
モーパッサンの「ジュール叔父」は、アメリカで成功したはずの父の弟が、蒸気船の下働きに?
さすが短編の名手、父母の自慢ぶり、手の平を返したような狼狽ぶり、残酷さが滑稽で哀しい。
人生の辛苦、無常観を漂わせつつ、甥っ子の叔父に対する気持ちが救いになっているあたり、お見事。
モルナール「チョーカイさん」は不精な夫が妻に愛想をつかされるまでを皮肉たっぷりに描く。
どこか不気味さを感じさせる心理戦、不協和音が個性的な話。
サーバー「ビドウェル氏の私生活」は夫のくだらない思いつきが、妻をイライラさせる話。
息を止めてみたり、という他愛無い子供じみた振る舞いに過剰に反応する妻。
ナンセンスで、若干の不条理さをかもす短編。
W・アーヴィング「リップ・ヴァン・ウィンクル」は、アメリカ版浦島太郎。
女房の尻に敷かれた優しい男、愛犬もろともガミガミと責められ追い立てられる日々。
一ポンドのために働くよりは、一ペニーの持ち金で飢えているほうがいいという気ままな男。
ある日、山奥に迷い込み奇妙な老人達と出会い、酒を飲み眠り込んでしまうが…
誰しもこの名前は、聞いた事があるはず。
こんな話だったっけ?と思いつつもリップの人柄が丁寧に描写され恐妻物語としても涙。
上野英信「スカブラの話─黒い顔の寝太郎(ねたろう)」は、九州の炭鉱に居たという、通称スカブラと呼ばれる怠け者のお話。
さぼってばかりいる坑夫は、炭塵がふんわりと皮膚につもり、汗もかかないので、洗い流されず拭きとりもしないので、まんべんなく真っ黒になるという…。
なるほど。
また、首にかけた手拭いは、汗ですぐに真っ黒になるが、怠け者の手拭いだけは、いつまでも白いままという…
なるほど。
しかし、道化の如く喋りまくり、ダボラを吹きまくる怠け者は人気があったという。
‘なに一つ働かないのに、彼がいる日はどんどん仕事がはかどり、彼が休んだ日にはさっぱり能率があがらなかった。
そして彼のいない日の職場は、八時間が倍にも三倍にも感じられた。’
興味深~い話であり、貴重な記録でもある一編。
ケッセル「懶惰(らんだ)の賦(ふ)」は、めんどくさがりに対する考察。
‘断固たる態度で、羞恥心も後悔もかなぐりすてて懶惰にならなければいけない’
‘世界中で一番不決断な国民、彼等の不決断は行為に関してではなくて、その行為の継続に関してなのだ’
‘身体の中に発動機を備えて、遮二無二にその馬力を消耗しようしているような国民’
世界を旅し、その国民性を観察するエッセイ。
舞台や話がコロコロ変わり、読みづらい部分もあるものの、鋭い人間観察が面白い。
P・モーラン「ものぐさ病」は、怠惰な美貌の女スパイの話。
ものぐさのおかげで、悪行が回避されているやもしれんという可笑しな説を披露。
‘いい気持で砂浜に寝ころんでいて、そのまま戸をこじあける時刻を過ごしてしまう泥棒’とか。
桂米朝演「不精の代参」は、代参を頼まれた不精者が、じゃまくさいを連発する落語。
‘ンー、もう頼まれたら断わるのんじゃまくさいさかい、行こか’
さすが、不精者!
幸田露伴「貧乏」は、金もなくふて寝する夫に、精一杯の心配りで朝酒を都合する世話女房。
悪口を言い合いつつも、お互いの惚れっぷりが心に響く短編。
金子光晴「変装狂」は、やたらと風体を変え、なりすますという趣味を持った男の話。
奇人変人にも、友達や知り合いがいて、世の中にそれなりに受け入れられていたわけか。
谷崎潤一郎「幇間(ほうかん)」相場師が太鼓持ちに弟子入りし、その才能を発揮する話。
生まれながらの愉快者。酒の席でかかせない男。愛嬌あるおひとよしの滑稽譚。
宴の様子や、芸者衆の姿が鮮やかに描かれる、得な男の損な生き様。
石川淳「井月(せいげつ)」実在した俳諧師の流浪の人生。
本物のさすらい人、風来坊は最後は、枯田の道で行きだおれたという。
怠け者とは言え、なんだか寂しさと壮絶さが色濃い一編。
山本周五郎「よじょう」
宮本武蔵の腕を試そうとした包丁人が、一刀で斬られ、その息子はやけを起こし蒲鉾小屋で乞食暮らし。
その場所がたまたま武蔵の通る道だった事から、仇を討つつもりだと勘違いされる話。
世間から鼻つまみものの若者が、ひょんな事からチヤホヤされるようになる可笑しさ。
本人はのらくらしてるが、世間もいい加減なもの。
ダメ息子がちゃっかりと身を立てるに至る、怠け者転じて福となす様が楽しく気持ちよく描かれる。
山本周五郎の文章は読みやすいのが有り難い。
太宰治「懶惰(らんだ)の歌留多(かるた)」
私の数ある悪徳の中で、最も顕著の悪徳は、怠惰である。
という一文で始まるなまけぶりを吐露する一編。
どれだけ怠け者かというと、魚はとげがあるから面倒くさい、暑くても団扇をあおぐのが面倒くさい。
それがいつの間にか、作家としての懊悩、自分の力量、弱さを赤裸々に告白している。
つれづれなるままに反省する男、太宰治。
坂口安吾「ぐうたら戦記」
私のように諦めよく、楽天的な人間というものは、およそタノモシサというものが微塵もないので、
たよりないこと夥しく、つまり私は祖国と共にアッサリと亡びることを覚悟したが、死ぬまでは酒でも
飲んで碁を打っている考えなので、祖国の急に馳せつけるなどという心掛けは全くなかった。
子供の時分からのサボりまくり人生。
文学は話ではないよ。それは私自身で、私がそれを表現するか、さもなければゼロだ。
のらくら過ごした戦争と、彼自身の表現者としての内なる戦争を描く、酒のつまみ(板ワサ?)のような味のある作品。
武田麟太郎「大凶の籤」
潔癖と億劫さ故の不潔、行きつ戻りつするその不思議。
規律が僅かでも乱れると、徹底的に怠けだし一切を放擲したくなるという性質。
木賃宿で出会った自称‘高等乞食’と、狐を連れたおみくじ売りと過ごした大晦日を綴る。
怠けの虫に取り付かれ、というか倦怠に陥る様子や、理屈は分かっていても行動に移せないダメ~な感じ。
非常に良くわかります、その感覚。
富士正晴「坐っている」
坐って、考え書いている。坐って食べて呑んで喋っている。
もののこわれ年ならぬ人間のこわれ年があるとは?
ヒゲをはやせば、気分も性格も変わるのか?
独特のテンポの文章とユーモアにニヤニヤと楽しめる作品。
宇野浩二「屋根裏の法学士」
妙なめぐり合わせで法科を卒業したものの、一定の職もなく貧乏する男。
高慢でありながら、内気な男は何もする気がしなくなり、なまけ放題。
押入れの上の段を万年床にし、浮世を軽蔑し昨今の芸術に対して不満を持つ。
しかし、要するに、この世に処して行くための最大の要素である根気と勇気と
それから常識とが彼に欠けていた。何もかもが彼にはつまらなかった。
何もかもが味気なく、何を見ても、何を聞いても、彼には、不快で、
時には腹立たしくさえなった。
もっと身を入れていればなぁ、頑張らなきゃなぁ、という夢想にふける日々。
このダメさ加減、ピカイチ。
岡本かの子「老妓抄」
ある老妓の芸達者ぶりと、生き方、薀蓄ある言葉。
この芸妓が、発明家になりたいという若者を支援しだすが…という話。
半年は勤勉だったものの、何となくぼんやりしてきて、欲が出ない。
発明は投げ打ったきり、そのうち、出奔癖がつき度々脱走するようになる。
人生に求めるものとは?
奥深~い一編。
「何も急いだり、焦ったりすることはいらないから、仕事なり恋なり、無駄をせず、
一揆で心残りないものを射止めて欲しい」
「そんな純粋なことは今どき出来もしなけりゃ、在るものでもない」
「いつの時代だって、心懸けなきゃめったにないさ。だから、ゆっくり構えて、
まあ、好きなら麦とろでも食べて、運の籤の性質をよく見定めなさいというのさ。」
久々に色々な日本語表現、個性ある文章に触れ刺激的な読書体験を満喫。
言葉の豊かさにしみじみと浸る。
怠け者の姿に、自分自身を見出す戦慄と、仲間意識に熱くなる思いを胸に。
言い訳を探す今日このごろ。
最終的には、怠惰なのは生まれつきです!宣言かー