木のぼり男爵の生涯と意見

いい加減な映画鑑賞術と行き当たりばったりな読書によって導かれる雑多な世界。

『怠けものの話』

2013-04-09 00:56:27 | 日記


「怠けものの話」ちくま文学の森9


堀口大学による6行の愚話「蝉」で幕を開ける短編集

O・ヘンリー「警官と賛美歌」は優等生的な出来上がり。綺麗なまとめ方、というかオチ。

ドストエフスキー「正直な泥棒」は呑んだくれの厚かましさと小心さを描く。
短編でも罪の意識に興味を示す所は、さすがドストエフスキー。
玉葱にパン、キャベツのスープという食事風景、生活が泣ける。

魯迅「孔乙己(コンイーチー)」は、酒屋に来ると必ずからかわれるという落ちぶれた男の話。
しかし、この男のおかげで店内に快活な空気があふれるという不思議。
市井の人々の情感溢れ、光景が目に浮かぶような実に味わい深い一編。

モーパッサンの「ジュール叔父」は、アメリカで成功したはずの父の弟が、蒸気船の下働きに?
さすが短編の名手、父母の自慢ぶり、手の平を返したような狼狽ぶり、残酷さが滑稽で哀しい。
人生の辛苦、無常観を漂わせつつ、甥っ子の叔父に対する気持ちが救いになっているあたり、お見事。

モルナール「チョーカイさん」は不精な夫が妻に愛想をつかされるまでを皮肉たっぷりに描く。
どこか不気味さを感じさせる心理戦、不協和音が個性的な話。

サーバー「ビドウェル氏の私生活」は夫のくだらない思いつきが、妻をイライラさせる話。
息を止めてみたり、という他愛無い子供じみた振る舞いに過剰に反応する妻。
ナンセンスで、若干の不条理さをかもす短編。

W・アーヴィング「リップ・ヴァン・ウィンクル」は、アメリカ版浦島太郎。
女房の尻に敷かれた優しい男、愛犬もろともガミガミと責められ追い立てられる日々。
一ポンドのために働くよりは、一ペニーの持ち金で飢えているほうがいいという気ままな男。
ある日、山奥に迷い込み奇妙な老人達と出会い、酒を飲み眠り込んでしまうが…
誰しもこの名前は、聞いた事があるはず。
こんな話だったっけ?と思いつつもリップの人柄が丁寧に描写され恐妻物語としても涙。

上野英信「スカブラの話─黒い顔の寝太郎(ねたろう)」は、九州の炭鉱に居たという、通称スカブラと呼ばれる怠け者のお話。
さぼってばかりいる坑夫は、炭塵がふんわりと皮膚につもり、汗もかかないので、洗い流されず拭きとりもしないので、まんべんなく真っ黒になるという…。
なるほど。
また、首にかけた手拭いは、汗ですぐに真っ黒になるが、怠け者の手拭いだけは、いつまでも白いままという…
なるほど。
しかし、道化の如く喋りまくり、ダボラを吹きまくる怠け者は人気があったという。
‘なに一つ働かないのに、彼がいる日はどんどん仕事がはかどり、彼が休んだ日にはさっぱり能率があがらなかった。
 そして彼のいない日の職場は、八時間が倍にも三倍にも感じられた。’
興味深~い話であり、貴重な記録でもある一編。

ケッセル「懶惰(らんだ)の賦(ふ)」は、めんどくさがりに対する考察。
 ‘断固たる態度で、羞恥心も後悔もかなぐりすてて懶惰にならなければいけない’
 ‘世界中で一番不決断な国民、彼等の不決断は行為に関してではなくて、その行為の継続に関してなのだ’
 ‘身体の中に発動機を備えて、遮二無二にその馬力を消耗しようしているような国民’
世界を旅し、その国民性を観察するエッセイ。
舞台や話がコロコロ変わり、読みづらい部分もあるものの、鋭い人間観察が面白い。

P・モーラン「ものぐさ病」は、怠惰な美貌の女スパイの話。
ものぐさのおかげで、悪行が回避されているやもしれんという可笑しな説を披露。
‘いい気持で砂浜に寝ころんでいて、そのまま戸をこじあける時刻を過ごしてしまう泥棒’とか。

桂米朝演「不精の代参」は、代参を頼まれた不精者が、じゃまくさいを連発する落語。
‘ンー、もう頼まれたら断わるのんじゃまくさいさかい、行こか’
さすが、不精者!

幸田露伴「貧乏」は、金もなくふて寝する夫に、精一杯の心配りで朝酒を都合する世話女房。
悪口を言い合いつつも、お互いの惚れっぷりが心に響く短編。

金子光晴「変装狂」は、やたらと風体を変え、なりすますという趣味を持った男の話。
奇人変人にも、友達や知り合いがいて、世の中にそれなりに受け入れられていたわけか。

谷崎潤一郎「幇間(ほうかん)」相場師が太鼓持ちに弟子入りし、その才能を発揮する話。
生まれながらの愉快者。酒の席でかかせない男。愛嬌あるおひとよしの滑稽譚。
宴の様子や、芸者衆の姿が鮮やかに描かれる、得な男の損な生き様。

石川淳「井月(せいげつ)」実在した俳諧師の流浪の人生。
本物のさすらい人、風来坊は最後は、枯田の道で行きだおれたという。
怠け者とは言え、なんだか寂しさと壮絶さが色濃い一編。

山本周五郎「よじょう」
宮本武蔵の腕を試そうとした包丁人が、一刀で斬られ、その息子はやけを起こし蒲鉾小屋で乞食暮らし。
その場所がたまたま武蔵の通る道だった事から、仇を討つつもりだと勘違いされる話。
世間から鼻つまみものの若者が、ひょんな事からチヤホヤされるようになる可笑しさ。
本人はのらくらしてるが、世間もいい加減なもの。
ダメ息子がちゃっかりと身を立てるに至る、怠け者転じて福となす様が楽しく気持ちよく描かれる。
山本周五郎の文章は読みやすいのが有り難い。

太宰治「懶惰(らんだ)の歌留多(かるた)」
 私の数ある悪徳の中で、最も顕著の悪徳は、怠惰である。
という一文で始まるなまけぶりを吐露する一編。
どれだけ怠け者かというと、魚はとげがあるから面倒くさい、暑くても団扇をあおぐのが面倒くさい。
それがいつの間にか、作家としての懊悩、自分の力量、弱さを赤裸々に告白している。
つれづれなるままに反省する男、太宰治。

坂口安吾「ぐうたら戦記」
 私のように諦めよく、楽天的な人間というものは、およそタノモシサというものが微塵もないので、
 たよりないこと夥しく、つまり私は祖国と共にアッサリと亡びることを覚悟したが、死ぬまでは酒でも
 飲んで碁を打っている考えなので、祖国の急に馳せつけるなどという心掛けは全くなかった。
子供の時分からのサボりまくり人生。
 文学は話ではないよ。それは私自身で、私がそれを表現するか、さもなければゼロだ。
のらくら過ごした戦争と、彼自身の表現者としての内なる戦争を描く、酒のつまみ(板ワサ?)のような味のある作品。

武田麟太郎「大凶の籤」
潔癖と億劫さ故の不潔、行きつ戻りつするその不思議。
規律が僅かでも乱れると、徹底的に怠けだし一切を放擲したくなるという性質。
木賃宿で出会った自称‘高等乞食’と、狐を連れたおみくじ売りと過ごした大晦日を綴る。
怠けの虫に取り付かれ、というか倦怠に陥る様子や、理屈は分かっていても行動に移せないダメ~な感じ。
非常に良くわかります、その感覚。

富士正晴「坐っている」
坐って、考え書いている。坐って食べて呑んで喋っている。
もののこわれ年ならぬ人間のこわれ年があるとは?
ヒゲをはやせば、気分も性格も変わるのか?
独特のテンポの文章とユーモアにニヤニヤと楽しめる作品。

宇野浩二「屋根裏の法学士」
妙なめぐり合わせで法科を卒業したものの、一定の職もなく貧乏する男。
高慢でありながら、内気な男は何もする気がしなくなり、なまけ放題。
押入れの上の段を万年床にし、浮世を軽蔑し昨今の芸術に対して不満を持つ。
 しかし、要するに、この世に処して行くための最大の要素である根気と勇気と
 それから常識とが彼に欠けていた。何もかもが彼にはつまらなかった。
 何もかもが味気なく、何を見ても、何を聞いても、彼には、不快で、
 時には腹立たしくさえなった。
もっと身を入れていればなぁ、頑張らなきゃなぁ、という夢想にふける日々。
このダメさ加減、ピカイチ。

岡本かの子「老妓抄」
ある老妓の芸達者ぶりと、生き方、薀蓄ある言葉。
この芸妓が、発明家になりたいという若者を支援しだすが…という話。
半年は勤勉だったものの、何となくぼんやりしてきて、欲が出ない。
発明は投げ打ったきり、そのうち、出奔癖がつき度々脱走するようになる。
人生に求めるものとは?
奥深~い一編。
 「何も急いだり、焦ったりすることはいらないから、仕事なり恋なり、無駄をせず、
 一揆で心残りないものを射止めて欲しい」
 「そんな純粋なことは今どき出来もしなけりゃ、在るものでもない」
 「いつの時代だって、心懸けなきゃめったにないさ。だから、ゆっくり構えて、
 まあ、好きなら麦とろでも食べて、運の籤の性質をよく見定めなさいというのさ。」


久々に色々な日本語表現、個性ある文章に触れ刺激的な読書体験を満喫。
言葉の豊かさにしみじみと浸る。
怠け者の姿に、自分自身を見出す戦慄と、仲間意識に熱くなる思いを胸に。
言い訳を探す今日このごろ。
最終的には、怠惰なのは生まれつきです!宣言かー