今、ツイッターの時代らしい。
←綴りあいまいなんでカタカナで失礼\(__)
光Gのファンになった約23年前。
勿論、インターネットなんてもんは普及していなかった。
ジャニヲタなんて用語もなかった(と思う)。
そんな中、私の光Gファンとの初めての交流は、何と育児雑誌だった。
忘れもしない「プチタンファン」と言う育児雑誌。←たぶんすでに廃刊。
余談だけど、この育児雑誌にワタクシ3ページ位掲載されたことあり(^.^)
1人目の出産について、ロングインタビューされたのですわ◎
私と娘の写真付き。
25才の時でした。
話しは戻して、この育児雑誌の文通欄に、
「光Gのママさんファンです。お友達になりましょう。」的な投稿を見つけました。
ファンになってからしばらくファンの友達がいなかった私は、
その投稿に速攻でお手紙を書きました。
今思うと凄いよね。
雑誌に個人の住所と名前が掲載されているんだから。
それが元で、主婦の光Gのファンサークルが結成されて、
回覧ノート、文通、会報、子連れでお泊まり会、ファン友のおうち訪問などなど、
今で言えば、オフ会やネット上の交流に当たるものを楽しんでました。
コンサートも最高11連番でチケット取ったな。←外周下だった☆
遠征先で(大阪)サークルメンバー50人位が集まって、パノラマ写真を撮ったこともある。
私は内海ファンと仲良くて、家も比較的近かったので、
しょっちゅう子連れでおうち訪問してたし、
ご主人が出張で不在の時は泊まりに行って、
子どもが寝てからウチワ研究したりしたよ。
会場に見立てて暗くして、10メートルの距離からだとウチワがどう見えるかとか(笑)。
光るウチワも開発(?)したんで、それの研究もよくやってましたわ。
←開演前にサイリュームで組み立てる方式(^-^;
コンサートで子どもに着せる衣装(?)も何着か作ったな~。
ファン友が型紙作ってくれて、作り方も教えてくれた。
自分のスーツやワンピも作ったことあるよ。←コンサート用。
毎日がパラダイス(特に精神面)だった☆
ネットが普及するまでのファン界は、
その他、じゃまーるとかで文通相手を見つけたり、
その相手とコンサートで会ったり、
ファンサークルもいっぱいあって仲間に入れてもらったな。
ファンサークルはリーダーさんが月1回会報を発行したり、
コンサートで集まったりが主な活動。
その後、インターネットの世界に入ると、ファン界ががらりと変化する。
まだ2ちゃんもなかった12年前位のネット上のファン界は、
コンピーター知識の高い人がファンサイトを運営していた。
サイト運営や作成にも、まだ色々と有料の部分もあったから、
当時サイト運営していらっしゃった方々には、知識的含めて今さらながら脱帽です。
ファンサイト内に設置してくれてる掲示板やチャットが主な交流でした。
オフ会もやったな~。
赤坂氏のお誕生日会も☆
その後、コンピーター知識がなくても日記が無料でできるようになった。
←さるさる日記など。
メーリングリストもあったね~。←運営してました。
ネット環境にいない光Gファン対象に、私設情報局も運営していました、私。
会報ならぬ情報紙として印刷して、発行してたよ。
さらに、ブログが普及。
ブログが流行り始めの頃、やっぱり何それ美味しいの?な感想だったな~(^o^;)
ブログ始めたら、あらあら、楽チンってことで、
あっと言う間に普及しちゃったよね。
携帯からでも色々できるようになったし、本当に進化し続けてる。
ミクシィに足を踏み入れたけど、2年位で挫折(((^^;)
あは。
私にはちょっと色々(精神的に)面倒くさい場所でしたわ。
んで、さらにツイッターか……。
どんな世界なんだろう。
140字でつぶやいて、フォローするとか。
だいたい私はだらだら書く派だから、140字じゃおさまらないからな~。
人のつぶやきとか、あまり興味ないし( ̄▽ ̄;)
つぶやきって、結構前から中高生がやってるリアルみたいなもんだよね。
色々懐古してみたけど、私のファン活動の全盛期は、ブログが普及する前で燃えつきた感じかな。
燃えつきたと言う言い方はちょっと違うかな。
それまでが楽しすぎてやること全てやったから、
あとは余生みたいな感覚でお気楽にファンしてま~す的かな。
うーん。
そうとも違うかな。
パラダイスだったあの頃に戻りたいってわけじゃないけど、
もうずっと茶の間でも大丈夫ってくらい、あの頃の日々は絶大。
つくづくありがとう♪
私に関わってくれた皆様(^-^)
華子ままさん
くにこさん
→教えてくれてありがと~。
コメントありがとうです☆
今日も頑張りましょう(^-^)/
←綴りあいまいなんでカタカナで失礼\(__)
光Gのファンになった約23年前。
勿論、インターネットなんてもんは普及していなかった。
ジャニヲタなんて用語もなかった(と思う)。
そんな中、私の光Gファンとの初めての交流は、何と育児雑誌だった。
忘れもしない「プチタンファン」と言う育児雑誌。←たぶんすでに廃刊。
余談だけど、この育児雑誌にワタクシ3ページ位掲載されたことあり(^.^)
1人目の出産について、ロングインタビューされたのですわ◎
私と娘の写真付き。
25才の時でした。
話しは戻して、この育児雑誌の文通欄に、
「光Gのママさんファンです。お友達になりましょう。」的な投稿を見つけました。
ファンになってからしばらくファンの友達がいなかった私は、
その投稿に速攻でお手紙を書きました。
今思うと凄いよね。
雑誌に個人の住所と名前が掲載されているんだから。
それが元で、主婦の光Gのファンサークルが結成されて、
回覧ノート、文通、会報、子連れでお泊まり会、ファン友のおうち訪問などなど、
今で言えば、オフ会やネット上の交流に当たるものを楽しんでました。
コンサートも最高11連番でチケット取ったな。←外周下だった☆
遠征先で(大阪)サークルメンバー50人位が集まって、パノラマ写真を撮ったこともある。
私は内海ファンと仲良くて、家も比較的近かったので、
しょっちゅう子連れでおうち訪問してたし、
ご主人が出張で不在の時は泊まりに行って、
子どもが寝てからウチワ研究したりしたよ。
会場に見立てて暗くして、10メートルの距離からだとウチワがどう見えるかとか(笑)。
光るウチワも開発(?)したんで、それの研究もよくやってましたわ。
←開演前にサイリュームで組み立てる方式(^-^;
コンサートで子どもに着せる衣装(?)も何着か作ったな~。
ファン友が型紙作ってくれて、作り方も教えてくれた。
自分のスーツやワンピも作ったことあるよ。←コンサート用。
毎日がパラダイス(特に精神面)だった☆
ネットが普及するまでのファン界は、
その他、じゃまーるとかで文通相手を見つけたり、
その相手とコンサートで会ったり、
ファンサークルもいっぱいあって仲間に入れてもらったな。
ファンサークルはリーダーさんが月1回会報を発行したり、
コンサートで集まったりが主な活動。
その後、インターネットの世界に入ると、ファン界ががらりと変化する。
まだ2ちゃんもなかった12年前位のネット上のファン界は、
コンピーター知識の高い人がファンサイトを運営していた。
サイト運営や作成にも、まだ色々と有料の部分もあったから、
当時サイト運営していらっしゃった方々には、知識的含めて今さらながら脱帽です。
ファンサイト内に設置してくれてる掲示板やチャットが主な交流でした。
オフ会もやったな~。
赤坂氏のお誕生日会も☆
その後、コンピーター知識がなくても日記が無料でできるようになった。
←さるさる日記など。
メーリングリストもあったね~。←運営してました。
ネット環境にいない光Gファン対象に、私設情報局も運営していました、私。
会報ならぬ情報紙として印刷して、発行してたよ。
さらに、ブログが普及。
ブログが流行り始めの頃、やっぱり何それ美味しいの?な感想だったな~(^o^;)
ブログ始めたら、あらあら、楽チンってことで、
あっと言う間に普及しちゃったよね。
携帯からでも色々できるようになったし、本当に進化し続けてる。
ミクシィに足を踏み入れたけど、2年位で挫折(((^^;)
あは。
私にはちょっと色々(精神的に)面倒くさい場所でしたわ。
んで、さらにツイッターか……。
どんな世界なんだろう。
140字でつぶやいて、フォローするとか。
だいたい私はだらだら書く派だから、140字じゃおさまらないからな~。
人のつぶやきとか、あまり興味ないし( ̄▽ ̄;)
つぶやきって、結構前から中高生がやってるリアルみたいなもんだよね。
色々懐古してみたけど、私のファン活動の全盛期は、ブログが普及する前で燃えつきた感じかな。
燃えつきたと言う言い方はちょっと違うかな。
それまでが楽しすぎてやること全てやったから、
あとは余生みたいな感覚でお気楽にファンしてま~す的かな。
うーん。
そうとも違うかな。
パラダイスだったあの頃に戻りたいってわけじゃないけど、
もうずっと茶の間でも大丈夫ってくらい、あの頃の日々は絶大。
つくづくありがとう♪
私に関わってくれた皆様(^-^)
華子ままさん
くにこさん
→教えてくれてありがと~。
コメントありがとうです☆
今日も頑張りましょう(^-^)/
確かに…個人情報バレバレの時代でしたね。今となっては恐ろしい。
…夢野さんの記事も読んだのね♪
ウチワ制作話、お二人の様子が可愛くて(^^)
交流戦始まって。
今井さん、シウマイ弁当食べに、いや、応援行ってるのかしらん。