稽古の始めと終わりに必ず「正座」そして「礼」
なぜ、必ず正座して、そして礼をするのか?
「しきたり」だとか「礼儀」、「決め事」、「挨拶」など・・・
一般的にはその程度のことしか言われていません。
私は現在もまだまだ修行中です。
修業先では「静座は自分自身への鍛錬」として捉えています。
自分自身の鍛錬の為に「正座(静座)」 「礼」をするのです。
「正座からの礼」も胎を意識し、お腹から上体を伏せていかないと意味はありません。
一旦手を突っ張って顔を突っ伏して礼をするなんて、愚の骨頂です。
軸の意識 胎の使い方 止まっているのだけれども常にアイドリング状態でいつでもグリグリ動き出す感触。
そして・・・ここからはマニアックなのですが、アンテナの立て方、バリアの張り方など・・・
ピンと張っていて何かが自分のテリトリーに入ってきたら振動で分かる。 まるで波紋が広がってこちらに伝わる感覚。
正座(静座)をすることによってそれらの感覚が芽生えてくる。そして、研ぎ澄まされていく。
「そんな あほな!・・・・」 なんて言われようが、誰が何と言おうが、そうなるのだから仕方がない。
この動画をご覧になれば分かる・・・かもしれません。