道理に合わないことを理不尽というが、理不尽に人が死ぬことはない。
必ず意味がある。イヤでも、あわなけれならない事になる。
この世は、原因・縁・結果がすなわち原因となる世界である事を知らなかったのか。
偶然をよそおって必然が来る世界であるを知らなかったのか。
愛別離苦は、世のならいといわれているのを知らなかったのか。
喜怒哀楽の人生と言われているのを知らなかったのか。
道理に合わない理不尽な死があるとしたら、道理に合わない理不尽が生があることになるではないか。
人は偶然に、この時代の日本に生まれて来ない。
生命に理不尽はない。
勝手な人間の理不尽があるとすれば、イエス聖人の死は、
まさに、人間の道理に合わなかった理不尽な結果ではないか。
人間の意識が理不尽なのである。
さて道理とは何か?
神道の理(ことわり)を道理という。
神の都合で動く理(ことわり)である。
自然の理ともいう。
人間でありながら、自然界の全てに日々感謝もせず征服しょうとすると、
自然の理に敵(か)なわないことを必ず諭(さと)される。
神々は、かなりキツイことを、あわれみながら、
ここ一番で平気でなさることにきづかねばならない。
全てのものの一瞬の変化をもって、死(師)となされたことに、いち早く気づくことだ。
人間が、神をどう思うか?ではなく、
人間が、神にどう思われているいるか?である。
人間に、自由な時間が、いつまでもあるわけではない。
天地を癒す秘密の言霊 アヤナワン・アリンガトワ! あやなわん・ありんがとわ!
A YA NA WA-n ・ A Linga TA-o WA !