月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

歴史好きオヤジが細々と大震災、水害、雪害の復興花火や図書館の蔵書の支援を続けていまふ。

九鬼水軍ゆかりの賀田神社

2013-07-06 12:00:00 | 歴史こぼれ話
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九鬼水軍ゆかりの賀田神社
=JRで行く南紀・伊勢の旅=


旅行二日目の6月10日(月)15:30ごろ、JR東海 鳥羽駅に到着。

普通は鳥羽といえば、水族館とか真珠とかを見に行くのだろが、月乃和熊(ツキノワグマ)には、ぜひ訪れたい神社があった。

カミさんの迷惑を顧みず、鳥羽駅から徒歩数分にあるのが、賀田(かた)神社だ。


こちらの神社は、境内もさほど広いわけでもなく、どこの地方にでもある地元の神社のように見えるのだが、神亀元年(724)ごろの鎮座と歴史も古い。

鳥羽は九鬼水軍の本拠地で、戦国武将の九鬼嘉隆(くき よしたか)が、賀田神社のお告げで境内の松を切り出し、「鬼宿(きしゅく)」という船を完成させた。

これが後に、秀吉から日ノ本一(ひのもといち)の船と称賛されて、「日本丸」と呼ばれるようになった。

船は全長約46m、、幅約9mもあり、甲板上に三層の楼閣を設け、大筒を3門も備えた。
櫓は100挺もあって、武将、兵士、水主(かこ)の合わせて180人も乗り込み、朝鮮の役の出兵の際には、朝鮮軍の攻撃を寄せ付けない圧倒的な活躍を見せつけた。

途中で見つけた九鬼嘉隆水軍展の看板


この日本丸の驚きはこれだけではない。
九鬼嘉隆のイラストのアップ


この後、60挺櫓に縮小されながらも安政3年(1856年)まで、使用されていたという説もあり、これが正しければ、文禄の役の文禄元年(1592)から幕末近くまで、264年も使われていたことになるのだ!

また、別の話によると信長が毛利に対抗するために九鬼氏に建造させた、有名な「鉄甲船」の内の1隻が日本丸になったという説もある。
それだと、鉄甲船は天正6年(1578)6月に完成とされているので、船齢は278年にもなってしまう。

さて、真実は?
歴史ロマンであります♪


鳥羽の浮城 2013-07-07 につづく~~~
前の記事 くじら亭で(休憩) 2013-07-05

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