月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

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鳥羽の浮城

2013-07-07 12:00:00 | 歴史こぼれ話
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鳥羽の浮城
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戦国武将 九鬼嘉隆が築城した鳥羽城は、伊勢と志摩の国境とされた妙慶川を掘りとして利用し、四方を海に囲まれたように造られた海城(うみじろ)で”鳥羽の浮城”などとも呼ばれた。
城の周りの白い色の部分はすべて海で、水軍の城として造られていたので、大手門は海に向かっていた。

武家屋敷は相橋門(あいはしもん)を出て相橋を渡った城外にあり、その付近が当時を面影を僅かに伝える。



関ヶ原で家を二つに分けたのは、真田だけではない。
3万5千石の大名にまでなった大水軍を擁する嘉隆は、関ヶ原において九鬼家の存続を願い、西軍には嘉隆が与し、息子の守隆は東軍に与したことも遠因となって、以降は内藤、土井、松平、板倉と様々に城主が入れ替わり、享保10年(1725)に稲垣氏が移封されてからは、明治まで稲垣氏が鳥羽藩を治めた。

城址公園から鳥羽湾を望む


戦後、家康と談判に及んだ守隆の功績が評価され、嘉隆は許されることになった。
しかし、その知らせが届く前に、日本で最大最強の軍船を駆って水軍を率いた九鬼嘉隆は、九鬼家に害を及ばすことのないよう、家臣の換言を入れ自害して果てたのでありました。


賀田神社の能舞台 2013-07-08 につづく~~~
前の記事 九鬼水軍ゆかりの賀田神社 2013-07-06


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