Think Globally, Act Regionally:『言葉の背景、カルチャーからの解放、日本人はどこへ往く』

身のまわりに見受けられるようになった「グローバル化」と生きる上での大事な「こころの健康」。さまざまな観点から考えます。

☆第55回「和心洋才(わしんようさい)のすすめ」★☆

2013-02-05 22:06:58 | ■カルチャからの解放
☆★☆第55回「和心洋才(わしんようさい)のすすめ」☆★☆

最近のスペシャル番組を見ると、バブル前の、日本の栄光時代の回想を基にした番組や懐古的な内容
(たとえば「メイドインジャパン」)が多く、日本の未来に向けての「励み」や「挑戦」となるメッセージが
見当たりません。
どうも、ここ10年~20年間は、「自国のアイデンティティ」喪失状態に陥っているようです。
アイデンティティ喪失とは、日本がなんぞやという存在を見失ったためらしい。 
そこで、日本のアイデンティティを見つめなおすために、日本しいては日本人の得意技(強み)を、その原点から考え直してみたい。

日本固有の精神あるいは日本人の魂と言えば、『大和魂』が有名です。
この言葉は、別に軍国主義時代の手垢にまみれた表現としてではなく、素直に原点に戻って解釈した言葉として、です。

紫式部の「才(当時は漢学による学識)を基本にしてこそ、実生活上の知恵・才能(大和魂)が世間で重んじられることも確実でしょう」(『源氏物語』第二十一帖「少女(乙女)」)と言っている意味で、です。

まず、「和心洋才」という言葉を提唱したい。

この場合の「和心」とは、式部の言う、「実生活上の知恵・才能」言い換えれば、実務処理能力(情緒を理解する能力を含む)という意味です。裏返して見れば、平安時代の頃から今日まで、日本人は、諸外国の学問を基にして、和を尊び、実務的に成功を収めてきた歴史があるということです。 

次に「洋才」に移りましょう。さて、式部の言う「才(ざえ=学問)」とは、今日、どんな学問を指すでしょう。
これこそ、漢学による学識でもなければ、米国流のMBAでもない。もっと古い、欧米の教育の原点にある、ギリシャ的な思考方法、
つまり、 critical thinking(クリティカル・シンキング)やdialogue(ダイアログ)を意味します。

実務処理能力(和心)を別の言葉に言い換えれば、
「勤勉さ、真面目さ、思いやり、美意識」となり、日本人の行動規範principleとなるものです。
和心については、蔡焜燦氏が、日本精神として「勤勉で正直で約束を守る」(台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ胸をはりなさい)を挙げていますが、現在の日本人には、「正直さ」がなくなってしまった。

また、洋才(現代の洋才は、critical thinkingやdialogue)を学ぶには、英語という武器で考えることも大事なことです。
大前研一氏は、実践ビジネス英語(上級)を習得する方法として、1.通常の英語学習(語彙増強など)->2.ロジカル・シンキング(クリティカル・シンキングの一部)による会話->3.EQを挙げています。特に日本人との兼ね合いで、ここで重視すべきは、EQです。

EQとは、「感情学習能力(EI)」のことで、日本人の得意(としている筈の)分野の一部です。
邦訳では、「心の知能指数」といった難解な訳語が当てられていて、逆に理解が難しくなっています。

さて、EQの具体的内容は何なのでしょう。
EQの提唱者ダニエル・ゴールマンによれば、1995年当初は、1.自己省察(自分自身を知ること、自覚)、2.自己統制(自己との対話、感情からの解放)、3.動機(モチベーション、仕事の達成感)、4.共感(エンパシー)と5.社会的スキル(良好な人間関係づくり、ネットワークづくり)となっていましたが、最近(2011年)では、3.の動機がなくなり、EQを次の4要素に整理しています。
1.自己省察、2.自己コントロール(特に感情コントロール)、3.社会性の自覚(共感、他人の感情を理解する)、そして4.良好な社会的関係づくり(思いやり、ポジィティブな感情づくりなど)です。日本人が肌で感じてきた、思いやりや他人への配慮などの感情管理が、ゴールマンの手にかかると、最新の脳心理学や神経科学の成果を基に解明されて行きます。

さて、日本人に不足しているEQの中で、気になる項目があります。
それは、1.の自己省察です。感情(情緒)を的確に把握するには、自分自身についてだけでなく、他人についての「正直さ」が重要だと述べています。正直さは、フランクな態度(率直さ)やオープンな(開放的な)姿勢と同意語です。どうも、昔の日本人にあった、この「正直さ」を取り戻すことで、過度に批判的にならず、非現実的な楽観さにもならない態度を保ちたいものです。

「和心洋才」。

つまり、本来日本に有った、「和心」(わごころ)=勤勉、真面目、思いやりと美意識を心に秘め、クリティカル・シンキングとダイアログ(次回に詳細を)といった「洋才」で武装した上で、グローバル時代に挑戦するのはいかがでしょうか。
もう、日本は、ユニーク(特殊)な国だという思い込みは捨てて、グローバルの荒波へ、危険を賭して乗り出しましょう。

【参 考】 
1.冷泉彰彦氏は、「和魂漢才」→「和魂洋才」のキーワードから、「洋魂和才」を提唱されている。
  from 911/USAレポートby 冷泉 彰彦 「第565回 洋魂和才の時代へ」

2.大前研一直伝、「無敵のビジネス英語」講座

3.Daniel Goleman(2004)What Makes a Leader? Harvard Business Review January 1,
  Daniel Goleman(2006) Emotional Intelligence: 10th Anniversary Edition; Why It Can Matter More Than I.
  ダニエル・ゴールマン(1998) EQこころの知能指数(講談社文庫)
  Daniel Goleman(2011)EQ Mastery, Leadership Excellence, June 2011
  ダニエル・ゴールマンが思いやりを語る(2007年)TED Talk
4.高校生のためのおもしろ歴史教室 32.大和魂について

※上記の写真は、Daniel Golemanの著作の表紙から、伝俵屋宗達「源氏物語図屏風残闕 葵」は、気まぐれ草子から

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★☆第52回「グローバル化(グローバリゼーション)~文化面とドラッカーのとらえ方~」☆★

2011-02-21 13:36:07 | ■カルチャからの解放
★☆★第52回「グローバル化(グローバリゼーション)~文化面とドラッカーのとらえ方~」★☆★

さて、グローバル化(グローバリゼーション)について違った角度から検討したい。

グローバリゼーションとは、

「世界の経済や社会の発展的統合」(世界銀行)との定義があるが、

文化人類学者アルジュン・アパデュライの文化次元でのグローバリゼーションの捉え方と、
P.F.ドラッカーの経済・経営面での着眼点をレビューする。

◆ドラッカーのグローバル・エコノミーの捉え方

ドラッカーは、グローバル・エコノミーと国際経済(インターナショナル・エコノミー)を区別して考えている。

「国際経済」のセグメントでは、外国貿易(商品=モノの貿易に着目して、貿易収支が大事)および海外直接投資(FDI)を重視せよという。
一方、
「グローバルエコノミー」では、「グローバルな資金と情報の供給(フロー)」と「貿易や投資」に着目せよと説く。

この場合の貿易は、モノの貿易ではなくて、「サービス収支」のことである。さらに、投資は、戦略的提携のことを指している。
グローバルな資金フローの例は、こちら(「第1-1-1-9図:主要地域間の資金の流れの変化」<通商白書2010年版>)。
情報の供給とは、情報(コンテンツ)製造業/供給会社/供給者とその伝達機器のことで、
実例としては、会合、ソフトウェア、雑誌・本、映画・ビデオ、インターネットなどが挙げられ、
現代の知識情報化社会では、これらで構成される情報(生産)供給が、お金の供給を超えているとされる。

彼は、工業化社会では、国際経済の指標(貿易収支やFDI)が重要で、現代の脱工業化社会(知識情報化社会)では、
グローバル・エコノミーの指標(サービス収支や戦略的提携)に着眼点を置くことを強調したものである。

サービス収支とは、輸送、旅行、通信、建設、保険、金融、情報、特許の使用料などのサービスについて、
「海外へのサービス提供(輸出)」から「サービス購入(輸入)」を引いたもの。
*国際収支=経常収支+資本収支+外貨準備増減
*経常収支=貿易収支+サービス収支+所得収支+経常移転収支
*資本収支=投資収支+その他資本収支


そこで、
現在世界の国々の中で元気のある国々がどこかを、
ドラッカーの分析に基づいて検証してみた。

サービス収支が黒字の国々は、

【アジア地域】
台湾(2001年を除いて、1999年から2009年)
シンガポール(2005年以降)
インド(2002年以降)
タイ(2009年を除いて、2005年以降)
インドネシア(2007年を除いて、2004年以降)

【北米・中南米・大洋州】
カナダ(2002年以降)
メキシコ(2001年以降)
ブラジル(2000年以降)

【欧州】
ドイツ(2007年以降)
英国(2005年以降)
オランダ(2002年を除く、1998年以降)
ベルギー(2005年以降)
などとなっている。

もちろん、

日本と米国は、サービス収支はずっと赤字である。
日本(1996年6兆5311億円赤字、2010年1兆3897億円赤字)
米国(1996年2兆3457億円赤字、2009年5764億円赤字)
(日銀の1996年から2009年(日本は2010年)までの統計資料→国際収支の指標グラフによる)

ドラッカーの洞察力は、国の発展形態や盛衰が統計結果によって裏付けられているようだ。


◆グローバルな文化の5次元(フロー)(人類学者アルジュン・アパデュライ)

インド出身の人類学者アパデュライは、グローバリゼーションを以下の5つの次元(フロー)として捉えている。

1. エスノスケープ(ethnoscapes)
2. メディアスケープ(mediascapes)
3. テクノスケープ(technoscapes)
4. ファイナンススケープ(financescapes)
5. イデオスケープ(ideoscapes)

彼の-scapesは、造語であるが、ポスト国家社会の姿(ボーダレス国家とかトランスナショナル国家<国家を超越した国家>とも言う)を想像した世界として提示したもの。

エスノスケープ(ethnoscapes)は、難民から旅行者までを含む絶えず移動する民族(の世界)のことで、
メディアスケープ(mediascapes)とは、マスメディア的なシステムや商品(新聞、雑誌、映画など)によって生み出される世界で、グローバルレベルで情報配信がなされる。
テクノスケープ(technoscapes)とは、工業技術や情報技術の拡散によって支配される世界のことである。
一方、
ファイナンススケープ(financescapes)は、増加する金融資本によってもたらされる、国家を超越した経済関係を創りあげる世界のことで、
最後のイデオスケープとは、自由や民主主義、人権などの言説、政治的イデオロギーや社会運動の伝播に関連する世界(側面)を指す。

一市民の立場から観察すると、アパデュライのいう5次元文化の中では、エスノスケープとファイナンススケープが、文化のグローバリゼーション面で今後ますます注目されると思われる。
前者では、終身旅行者(PT: perpetual /permanent travelers)がすでに話題になったし、後者では、グローバル金融での個人資産の確保が必須事項となるためである。

日本の産業と言う観点から考えると、これまで培ってきた「テクノスケープ」による、新興国や先進国向けの工業技術のグローバル化などは、今後有力な競争優位になると思われる。

なお、現在北アフリカや中東での激しい民衆抗議行動は、イデオスケープとメディアスケープの世界が重なりあった、文化次元でのグローバリゼーションの一側面といえる。

ドラッカーの写真(右上)は、世界四季報から、
北アフリカ(リビア)の写真は、Live Blog - Lybia Feb 22 of Al Jazeera Englishから使用した。

【参考】

P.F. Drucker (1994) Trade Lessons from the World Economy, Foreign Affairs Vol 73, No 1, pp.99-108
P.F. Drucker (2005) Trading Places, The National Interest, Spring (Business & Economics) pp.101-107
Peter. F. ドラッカー(1995)「未来への決断-大転換期のサバイバル・マニュアル」pp.163-193 ダイヤモンド社
Appadurai, Arjun (1996) Modernity at Large: Cultural Dimensions of Globalization, Minneapolis and London: University of Minneapolis Press
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●第26回プラス「クロス・カルチャー研修の最前線」(追補2版)

2009-06-29 20:16:31 | ■カルチャからの解放

●第26回プラス「クロス・カルチャー研修の最前線」(追補2版)
(多民族・多文化国家オーストラリアの場合)

今回は、オーストラリアで現在実施されている、クロス・カルチャー研修の最新情報を提供しよう。

オーストラリアは、1972年にそれまでの白豪主義を撤廃し、現在、総人口(2074万人、2007年1月現在)の24%がオーストラリア以外で生まれ、このうちの61%は英語圏以外の国で生まれている。この多民族・多文化国家オーストラリアの対応を見よう。オーストラリア移民・多文化省が2006年11月に行った政府およびコミュニティ向けのクロス・カルチャー研修の成果を基に、その最前線を紹介する。

クロス・カルチャー研修プログラムを実施するためのガイドラインは、4つのレベルからなる。包括的クロス・カルチャー能力開発、組織でのクロス・カルチャー能力開発、指導者向けのクロス・カルチャー能力開発、そして個人向けのクロス・カルチャー能力開発だ。まずは、各能力開発レベルの概略から、そして個人及び組織向けの研修プログラムの内容を解説する。

◇包括的クロス・カルチャー能力開発(SCC)

この能力開発は、市民全体向けに、クロス・カルチャー能力を、態度や実践によって身につけさせようとするもの。内容としては、政策・手続き、モニタリングや能力開発のためのリソースからなる。

◇組織向けクロス・カルチャー能力開発(OCC)

会社などの組織を対象としたもので、多様性下のクライアント(顧客)に会い、ビジネスを進めるためのスキルとリソース、クロス・カルチャー能力の価値付けとサポート、クロス・カルチャー能力を評価する組織文化のためのスキルとリソースからなる。

◇指導者向けクロス・カルチャー能力開発(PCC)

この能力開発は、教育や専門性の程度によるが、個々の仕事場に対して専門的なガイドができるようなクロス・カルチャー能力の標準からなる。 

◇個人向けのクロス・カルチャー能力開発(ICC)

組織内のクロス・カルチャーについての、最小限の知識、心構え、態度を扱っている。この組織は当然、多様性下の同僚や顧客と共に働く、個人をサポートする組織である。

個々のクロス・カルチャー能力開発レベルの定義は定義として、具体的に、個人および組織を対象として、どのような研修プログラムが行われているのかを見よう。

◇研修プログラム内容

[目的別] 

1.コンプライアンス(法令順守)のため:権利と公平さ、雇用機会の均等、人種差別・ハラスメント撤廃。

2.組織開発戦略のため:職場でのコミュニケーション・人間関係の改善/開発、多様性下の顧客サービスの改善/開発、クロス・カルチャー・マネジメントの専門的指導の改善/開発、海外で働くためのスキル改善/開発

3.マーケット関連とプレゼンスを改善するため:多様性下の顧客に対するマーケティングおよびプロモーションの改善、コミュニティ・リレーションの改善・開発、海外の顧客、取引先、パートナーとのコミュニケーションの改善。

[タイプ別]

1.基本的な「気づき」とコミュニケーション研修(参加型):自国の文化的背景、考え方や行動に影響を与えている文化要因への気づき。クロス・カルチャー・コミュニケーションや交渉力のスキル開発など。これらのスキルがどのような場でなぜ必要か、自分のクロス・カルチャー能力のレベルは?

2.一民族あるいは一国向けの研修(講義形式):一つの民族や一つの国に焦点を当て、その民族/国に影響を与えている環境に有効に作用する知識を、参加者が獲得、理解し、そのための運用能力を修得する。

3.通訳者や翻訳者と共に働く研修(参加型):通訳や翻訳関連の技術スキル開発を中心とし、通訳や翻訳作業でのプロセスに影響を与える要因を学習する。

4.特定のトピックに焦点を合わせる研修プログラム(参加型):例えば、顧客サービス、ヘルスケア(健康管理)、コミュニティ政策、国内/海外での多様性チームの管理、国際ビジネスマネジメントなど特定の話題に合わせた研修。

[研修アプローチのスタイルとリソース]

研修のアプローチ・スタイルとしては、「講義方式」と「経験アプローチ」を組合わせる。この経験アプローチとは、1960年代中期から後半まで主流であった「(大学)講義方式」に代わって、人気を得たアプローチ方式だ。講義方式が受身であるのに対し、経験モデルは、より能動的に学習できる方法だと言われている。活発な議論、シミュレーションやロールプレイングからなる。講義方式では、知識・情報の伝達に適し、気づきやスキルの修得には、経験アプローチの方式がより有効だ。

研修プログラムのリソースとしては、文化理解や文化変化のサンプル、ケーススタディ、シミュレーション/ロールプレイ、研修ゲーム、国別/文化別概要、チェックリスト/秘訣集、インターカルチャー能力/備えの評価、ゲストスピーカーなどが含まれる。クロス・カルチャー的なストーリーを含む映画などの活用も有効である。


[参考:クロス・カルチャーを学べる映画(追補2版)]

「Black Rain(ブラックレイン)」(日米)ニューヨークで起きた惨殺事件の日本人犯人(松田優作)を逮捕したNY市警のニック(マイケル・ダグラス)とチャーリー。彼らは日本へ護送する途中で犯人に逃げられてしまう。大阪府警(高倉健)の協力を得て捜査のため足を踏み入れた大阪で繰り広げられる、日米の文化を背負った捜査方法の違いを乗り越え、犯人逮捕に向かう。

「Fear and Trembling(畏れ慄いて)」(仏)駐日ベルギー大使の娘として日本に生まれ育った、フランス人気作家による、体験的OL小説の映画化。主人公は、優秀な語学力をかわれて日本の大手商社に入社するも、来る日も来る日も「お茶くみ」と「コピーとり」ばかり...。


「The Quiet American(静かなアメリカ人)」
(米)グレアム・グリーン原作の映画化。1950年初頭、ヨーロッパとアジアの拮抗激しい仏印の戦乱を舞台に、ヨーロッパ人、アメリカ人の思想の問題や現代人と神の問題等が追求される。


「Lord Jim(ロードジム)」
(英)村人達を救うため、一人の流れ者が立ち上がった!
船員だったジムは、かつて沈みかけた船から逃げ出し、乗客を見捨ててしまった過去を持っていた。身を隠しながら各港を渡り歩いていた中、武器をある村へ運ぶ仕事を請け負う。その村は「将軍」と呼ばれる男が牛耳っていて、耐えかねた村人たちは武器を手に入れて反乱を起こそうとしていたのだった。


「Something New」
(米)会計士として成功しているブラックアメリカ人女性と庭師の白人との恋物語。ブラックアメリカン社会と白人社会の高い壁をいかに、彼らは乗り越えていくか。


「パッチギ!」
(日)若者たちの恋と喧嘩を軸に、日本と朝鮮の深い溝とそれを乗り越える前向きな力を問う屈指の傑作青春映画。1968年の京都、高校2年の康介(塩谷瞬)はかねがね敵対する朝鮮高校に親善サッカー試合の交渉をするはめに。しかし訪れた朝鮮高校で彼は、音楽室でフルートを吹くキョンジャ(沢尻エリカ)に一目ぼれし、彼女と仲良くなりたい一心で、『イムジン河』の歌をギターで覚えるが...。


「A Passage to India(インドへの道)」
(米)愛しても愛されてもいけない。マラバー洞窟の中で何が起こったのか。植民地時代のインド社会を描いたデイビッド・リーン監督の遺作。


「Paradise Road」
(米)舞台は第二次世界大戦終了前、日本軍が植民地として支配しているインドネシアの島。そこで捕虜となったハイクラスの女性(英国、ドイツ、オーストラリア、中国系など)が日々の収容所生活に耐えながら音楽を心の支えに合唱団を結成しようとする。日本陸軍の捕虜の扱い方が衝撃的。欧米では良く知られた捕虜収容所実話の映画化。


「The Namesake (その名にちなんで)」
(米)ベストセラー小説の映画化。ピュリツァー賞受賞作家ジュンパ・ラヒリ原作「その名にちなんで」。あなたの名前に由来があるように、彼らの名前の物語がここにある。ニューヨークとインドを舞台に、異文化で生まれ育った子供に、親から与えられた「ゴーゴリという名前」にまつわる物語。

Men of Honor 「ザ・ダイバー」(米)
アフリカ系アメリカ人として、米海軍で初めて潜水・海難救助養成学校長(マスターダイバー)になったカール・ブラシアという兵士の物語。人種差別の激しい養成所の中で、白人教官で名誉の男と呼ばれている、レスリー・サンディから、さまざまな試練を課されながら、最後には、米海軍でのダイバーとしての最高の栄誉を受ける。個人が、彼/彼女を取り巻く環境からのさまざまな差別や試練を受けながら、それを克服していくというストーリーは、米国映画の好むものだ。

Haven(安息の地)(米・2001TV)
ナチス政権下のドイツから、1000人のユダヤ人難民をヨーロッパからアメリカへ護送し、アメリカでの避難所生活の改善から、移民に対しての政府の対応に挑戦し、最終的には、フランクリン・ルーズベルト大統領から、彼ら移民のために米国永住権を勝ち取ったお話。米ジャーナリストのルース・グルーバーの実話を基にした映画で、難民の心理やそれへの米国政府の対応などが分かる。なお、彼女は多くの著書を記している。

Bury My Heart at Wounded Knee(ウーンデッドニーに死す)(米・2007TV)
1890年、南ダコタ州南西部の先住民スー族(アメリカンインディアン)に対して実施された居留地政策の軋轢(あつれき)物語。米政府による近代的な生活支援政策に対して、インディアンのアイデンティティ、尊厳および神聖な土地を守ろうとする彼らの信念がぶつかり合う。スー族出身で白人の妻をもつ、アメリカ人医者の視点で話が進められる。


など多数。

多民族多文化国家である、アメリカ合衆国やオーストラリアでは、クロス・カルチャー・マネジメントをもう少し広げた、ダイバーシティ・マネジメント(多様性マネジメント)およびダイバーシティ研修プログラムへと進化しつつある。多様性マネジメントとは、文化の相違のみならず、人種、性別、年齢などの相違を克服しようという試みである。

※上記写真は、左から、ブラックレイン、静かなアメリカ人、畏れ慄いて、サムシング・ニュー、パッチギ!(「乗り越える・頭突き」の意)、インドへの道 の映画タイトル。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〇●第42回〇日本人の自律心を育むには?(追補版)~エリクソンの人生8段階発達理論から考える

2009-06-17 01:28:29 | ■カルチャからの解放
〇●第42回〇日本人の自律心を育むには?~エリクソンの人生8段階発達理論から考える(改訂版)


これからのあるべき日本人(global Japanese)を考えるにあたって、
日本を飛び立ち、海外で生活、滞在したときに
アイデンティ・クライシス(自分が自分であることを喪失するという危機)に陥らないように、どうすればよいか?

今回は、
海外へ出ようとする/海外滞在中の日本人、特に、自分の経験を踏まえて、発達心理学者エリクソン(1902-1994)の「人生8段階発達理論」を傍らに置きながら、日本人の自律心育成について考えてみます。

これまで、当ブログでは、
日本人の自律心の必要性 を述べ、
参考として、
西欧社会(オーストラリア)の育児ビデオの話 をしました。
オーストラリアの育児ビデオは、西欧社会の文化圏にあり、当然エリクソンの発展理論を踏まえた育児ビデオになっています。

まず、エリクソンの8段階発展理論について紹介し、
次に日本人との差を考え、
日本人の自律心育成には何が必要かを考えます。


◆エリクソンの8段階発展理論

エリクソンは「人間は生まれてから死ぬまで、生涯に渡って発達する」という考えの下、人間のライフサイクルを8つの段階に分け、それぞれの段階で獲得すべき課題を設定しました。

◇第1期 信頼感 対 不信感 [重要な事:食べ物] (誕生~18ヶ月)

この期の乳児は、絶対的依頼心のある期間であり、保護者の態度によってその発展が規定される。
 乳児は、保護者が信頼感、十分な世話、愛情を与えられるとき、「信頼感」を獲得する。これらが不足すると、他者に対する不信感が醸成される。

◇第2期 自律心 対 羞恥心・疑い [重要な事:トイレのしつけ方](2~3才児)

この期の子供は、体の機能をコントロールするという身体的なスキルと自立(独立)心の感覚を発達させるのに重要な時期だ。
 この自己尊重が成功すれば、自分自身に対しての安心感や自信が生まれ、自律心が育まれる。一方、失敗すれば羞恥心や自分に対して欠陥があるのではないかという疑いが生れてくる。 
 重要な事(イベント)としては、トイレだけでなく、食べ物の嗜好、おもちゃの好み、服の好みなども含まれる。

◇第3期 自発性 対 罪悪感 [重要な事:探求心](3~5才児)

就学前の子供は、遊びや他の社会的ふれ合いを通して、自分の周りの世界へ、自分たちの力(影響力)やコントロールについて意識し始める。活動を自ら始めることが肝要で、ひとのまねをすることではない。意識や性的アイデンティティを開発する。
 この段階で成功すると、目的意識をもつ能力や他人をリードできる能力を獲得できる。一方、このスキルを持てないと、罪悪感、自分への疑いやリーダーシップの欠如を自覚するようになる。

◇第4期 勤勉さ 対 劣等感 [重要な事:学校](6~11才児)

就学前期の子供は、学校という新しい社会環境に放り込まれる。ここでは、勉強の達成感や自己の能力についての誇り(自信)が開発されていく。両親や先生の励ましとほめることが子供たちの能力開発に決定的な影響を与える。
 この段階でうまく能力が開発されると、子供たち自身の能力への自信が生まれ、自分自身がこの世にいる価値があると自覚できるが、失敗すると劣等感にさいなまれることになる。

◇第5期 アイデンティティ保持 対 役割混乱 [重要な事:社会的関係]
    (思春期12~18才)

この10代の思春期では、子供たちは独立心と自分自身の個の確立を図ることになる。適切な励ましとサポートを受け続けた子供は、自我の確立、独立心と自己コントロールが可能になる。役割とは、ロールモデル(手本となるあるべき先輩)や同級生からのプレッシャーを受けながら、子供、兄弟、学生、アスリートや会社員など多くの役割を自分のイメージの中に統一しようと試みることだ。
 成功すれば自分自身に忠実な自我をもてるようになり、失敗すれば、自分の信念のなさや願望のなさからくる、未来の自己の役割についての混乱が生じ、自我の確立不全(未成熟)となる。

◇第6期 他人との親密さ 対 孤立 [重要な事:他者との関係](青年期19~40才)

この段階は、個人と個人の関係を考える時期だ。
 エリクソンは、個人が他者と親密で協働的な関係を創ることが大事だと考えた。他者とは、配偶者でも、両親でも、パートナーでもいい。
 この関係は、愛情に基づいたものであるし、相互信頼、安心感のもてるコミティッド(献身的)な関係である。
 もちろん、6期以前の各ステージの積み重ねで達成できるものだ。堅固なパーソナル・アイデンティの確立は、親密な他者との関係構築に重要なものとなる。研究によれば、アイデンティティの確立が未熟な人々は、献身的な関係をつくることができず、情緒的に孤立した、孤独な、悲観的な人間になる傾向がある。
 
◇第7期 生産性(創造性) 対 自己停滞 [重要な事:仕事と親子関係] (中年期40~65才)

中年期(壮年期)にさしかかると、人々は、自分のキャリアや家庭のことを中心に考え出す。子供をもったり、他者を利するなんらかの前向きの変化をつくりだそうと考える。
 仕事だけでなく、家庭、コミュニティで積極的に活動し、世間への貢献を考えるようになる。やりがいと世間から見た自分の必要性を感じる。このスキルを得られないと、非生産的になり、世間とのつながりを持とうとしなくなる。

◇第8期 エゴ(自我)の統合 対 絶望 [重要な事:生涯の回顧](成熟期65~死期)

自分の人生を振り返る「老年期」の時期だ。
 これまでの自分の人生に、達成感や充実感を感じる人々は、自我の完全さ・高潔さ・純粋な自己との同一感を感じるだろう。後悔はほとんどなく、自己満足感に満たされ、死に至るときには、きっと智慧を獲得するであろう。一方、この最終段階で不成功に終わった人々は、自分の人生は無駄であり、後悔、人生への恨みや絶望感を感じて、死を迎えるであろう。


◆日本人との差と成人日本人の対応(追補分)

日本人の発展段階を考えたときにまず思い浮かぶのは、

第2期の最初の自律心育成のときだ。

周りから、型にはめた教育方法をとっていないだろうか。オーストラリアのビデオの例のように、個性を育む方法もいろいろあるのだから、羞恥心や自分に対して欠陥があるのではないかという疑いをもたせていることはないのだろうか、考えてみる必要があるだろう。
ただ、「羞恥心」や「恥じらい」が自律心の対極に来ているのは、これまた西欧的な気がする。日本人の私としては、ひとの「恥じらい」には、それなりの良さがあり、共感をもっているためです。

第3期の自発性、リーダーシップ教育の段階。
まわりとの和や調和を重視する日本文化では、型や枠に嵌めたがる傾向があり、自発性やリーダーシップに対して、重きが置かれないようだ。この第3期のスキルの欠如は、将来オトナ(社会人)になってから、いかような影響をもたらすだろうか。

いずれにしても、
「三つ子の魂百まで」
(The leopard does not change its spots. 旧約聖書エレミヤ書Jer.13:23)
の言葉通りのようです。

第5期の独立心と自分自身の個の確立。
特に、家庭や教師による適切な励ましとサポートを受け(続け)られるかどうかだ。
日本文化では、なぐさめの方が圧倒的に多く、cheer up(励ます)するのは、身近な人間ではなく、音楽などを通しての方が多いようだ。
また、「頑張れ」との励ましも、言葉自体は存在するが、やや流れてしまうようで、具体的な励ましやサポートのかたち(モード)が、西欧的な態度に比べて、やや不足感がある(説得感に欠ける)と思うのは、言いすぎだろうか。

第6期では、他者と親密で協働的な関係を創ることだ。
ここで思い出すのが、
長年連れ添って、いつまでもラブラブの関係を継続できている日本人カップル(複数)のことだ。
親密で長続きする関係をとっている彼らの秘訣は、
「いつも手をつないでいる」
「いつも一緒に風呂に入る」
「記念日では、いつも a little or big surprise を!」
などなど、だった。

この関係性は、もちろん身体的な意味がメインなものもあるが、スキンのふれ合いは、身体を通した、心のふれあいにつうじているのではないか、と思ってしまう。その点、西欧人やラテン系の人たちの触れ合いは、うらやましいほどだ。

どうもここらへんに、なにか日本的なものと西欧的なステージとの差があるようだ。

西欧的な幼児期(第2期や第3期)を経ていない、
あるいは
西欧的な育児教育を受けていない、
成人日本人の場合、どうしたらよいか?

まず考えられるのは、

1.身体コントロールのための、ジム通いは良いに違いない(身体的なコントロールスキルの修得による、自立心の涵養)
2.自発性やリーダーシップ育成には、そのためのマネジメント研修が有効であろう(幹部候補生として、習うより慣れろ!)
3.他者への励まし方は、西欧流が一日の長があるため、もっと研究して、いいものは取り入れよう。(これは、和魂洋才?)
4.身体コントロールという面では、幼児期ではなく成人期特有のものに、性的な事柄が重要となる。性的な満足感/幸福感、自然に流されることなく、自己の性的なエネルギーをコントロールできるかどうか(特に男性諸君の)が、自律心の指標ともなるだろう。


◆アイデンティティ・クライシス

さて、青年期を遥か後にして、オーストラリアに留学した時は、
日本でのこれまでのキャリア、社会的評価などは全くゼロになった。
それまで、それなりに、職業としての社会的立場は尊重されていた。

人間関係重視社会と特徴づけられる日本社会では、
人間個人としてよりも、
その地位がもてはやされるか、そうでないかの判断が大きいようだった。

しかし、
一留学生として、教授や同窓の学生のみならず一般のオーストラリア市民と接してみると、それまでにあった自分のアイデンティ(自分が自分であること)が見失われる危機に見舞われた。
また、
知らず知らずに染みついた日本文化や日本文化を背負ってきた自分に気がつくことを余儀なくされた。

そんな日本社会の残滓を背負っているとき、
アイデンティティ・クライシス(自分が自分であることを喪失すること)に
抵抗し、精神のバランスを取るために、まず本能的に考えたことは、

♣ 日本の経済力はどうだ!ここよりは裕福だ(経済的優位性)
♠ ソニーやトヨタなど、世界的な商品が満ち溢れているではないか
  (素朴な経済的ナショナリスト)
♣ 建物が古すぎて、生活環境での心地よさが低いよ(生活環境の先進優位性)
♠ なんだこの大学の学生管理は?顧客志向になっていない、仕事も縦割りだ。
  (業務処理システムの優位性)
♣ コンビニがあるけれど、日本のように多くはない (生活環境の便利性)

大学院のクラスに出席し始めて、他国からの留学生との違いに気がつく。

♣ なんと英語を堂々としゃべるんだ、母国語なまりがあっても、ちゃんと主張するところは主張している。うらやましいもんだ。(でも、オレだって、内容あることはたくさん知っている、ただ、自由にしゃべれないだけだ)
♠ 感情表現がストレートだ。人前で、抱き合ったり、キスしたり、おお、自分にはとても恥ずかしくて、できな~い。
♣ 授業は、講義方式というよりも、参加方式、対話・グループでの討論だ。教授は大変だ。でも、学生の立場としては、まず、しゃべることが先決だ。
♠ 日本文化の時間厳守は、ある地域だけに限られるものかも知れない。他地域では、日本の几帳面さ(時間、プレゼンなど)が評価されないこともある。
♣ 西欧人と違って若く見られる。それは、外見だけでなく、自律性という点でも未熟だと思われてそうだ。
  (特に、堂々とした態度、俳優の自信に溢れた態度など、は真似しようにも一日ではできない)
♠ 日本の美点である、謙虚さは、一般論で言うと、ここでは、あまり評価されなさそうだ。評価されそうなのは、謙虚さよりは、積極性や自発性のようだ。

などなどと感じながら、
アパートメントに帰る途中、
他人への自然な配慮が目に映る。

♥ 路面電車では、かならず男性が弱者に対して手を貸す(女性の荷物の手助けなど)
  (おおうおう、満員電車の日本では、他者への配慮なんてないな~。生存競争だけで生きている~)

♥ 近くの公園では、定期的に老人やハンディキャップのグループのために、ディケアセンターなどの車がよくとまっており、バーベキューなどの催しをやっている。
 (ハハぁン、個人主義社会では、弱者に対して、社会システムとして、保護サポート機能があるのかな)

♥ などなど。

さて、日本人が、(私を含めて)、
海外で、アイデンティティ・クライシスにならないようにするには、
自律心を強固にしなくてはいけない。

自律心を強固にするには、

どうも、
第3期「自発性」の育成と
第5期「アイデンティティを保持」するための、
周囲からの適切な励ましとサポートが一等大事なことのように思われます。

経験的に言えば、
カルチャーショックによるアイデンティティ・クライシスは、
誰しも必ず味わうもので、
その回復に必要だったのは、

1.エスノレラティブ(文化相対主義)的考え方



2. クリティカル・シンキング(健全な批判精神と論理的/合理的な展開方法)の修得



3.現地の人との相互認識を深めるためのコミュニケーション・ギャップを縮める努力、つまり、語学(英語など)のマスターや習慣・態度の気づき

が必須なようだ。

アイデンティティ・クライシス回復には、
これはどうも、
エリクソン流の(西欧的)身体的年齢の区分を超えて、
自律心年齢で考え直した方が、自律(自立)心の不足がちな日本人にとって
有効な理論だと思えるのも確かです。


少しは、global Japanese の必要条件が見えてきましたか?


※エリック・エリクソンの写真は、
http://www.nndb.com/people/151/000097857/ と
http://www.depauw.edu/student/orgs/psichi/history.htm
から使用した。


【参考サイト】

Erikson's Theory of Psychosocial Development

 Erikson's Psychosocial Stages Summary Chart

Identity Crisis - Theory and Research

ERIKSON'S DEVELOPMENT STAGES

◆健康用語(メンタルヘルス編)
心理学用語「E.H.エリクソンの発達課題」

無藤清子(1979)「自我同一性地位面接」の検討と大学生の自我同一性」
の本文PDFからダウンロード可能.
The Japanese journal of educational psychology、
教育心理学研究 27(3) pp.178-187
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆☆第39回「グローバル展開の定石と7つの落とし穴」★★

2008-10-24 22:30:02 | ■カルチャからの解放

☆☆第39回「グローバル展開の定石と7つの落とし穴」★★

☆グローバル展開の定石☆

ヒルは、米ミネソタ州本社の3Mの成功にヒントを得て、企業が海外展開に成功するときの7つの戦略を立てている。

① 新規参入の輸出業者は、まず、EMC(輸出マネジメント会社、日本では専門貿易会社に相当)か、経験のある輸出コンサルタントを活用すべし。輸出業務関連の雑多な書類や規定に振り回されず、進出のチャンスなど水先案内人になってくれるからだ。

② マーケットの選定については、当初、一つかごく数ヶ所のマーケットに集中することが必要だ。これは、成功に必要とされるものを学習するためである。努々、一度に多数のマーケットへ進出してはいけない。ショットガン・アプローチと言われるこの進出方法は、失敗例が多い。

③ 海外へ進出するときの規模は、適正な小さなサイズで始める。より重要なことは、小規模進出が、そのマーケットへの重大な資本的関与をなす前に、その企業に現地のマーケットについて学習するための時間とチャンスを与えることだ。

④ グローバル進出業者は、現地での販売活動に関する時間と経営的コミットメント(関与)を認識する必要があること。更に、既存の経営が海外展開のために拡張し経営能力が手薄にならないように、現地の販売活動を監視できる要員を追加して採用すべきである。

⑤ ほとんどの国では、現地のディストリビュータや顧客との強く、末永い関係構築に力を注がねばならないことは、いうまでもないことであろう。

⑥ 海外のマーケットでは、現地子会社を設立する際、現地のスタッフを雇用することもまた、重要なことである。これまで、現地に足を踏み入れたことのない進出業者のマネージャーよりも、現地の人々の方が、現地でいかにビジネスを行ったらいいかをよく知っている。
【特にこの項は、日本企業にとって有益なアドバイスだ!】

⑦ グローバル進出業者が現地生産のオプションを考えておくこともまた、大切なことだ。コスト的に有利で、十分な生産量が見込めるなら、海外マーケットでの生産施設を考慮すべきだ。現地化のメリットは、現地国との関係をより良くし、より大きなマーケット受容を促すことができるからである。


★★グローバル展開で陥りやすい「7つの落とし穴」★★★

国際舞台へ(初めて)乗り出す企業にとって、共通して見られる陥穽がある。
それも7つの致命的な落とし穴だ。これらには、細心の注意をしていこう。

7つの致命的な落とし穴とは、

①「マーケットのサイズや需要の成長率だけで判断する」

自社の製品やサービスをどこ(国・地域)に提供するかを考えるとき、まず、進出先のマーケットサイズや需要の成長率に基づいて、判断することが多い。これは、国や地域のマクロデータから導き出される結論であり、世界(アメリカ)の大手調査会社、証券会社が推奨する進出国・地域として、宣伝される。

しかし、ちょっと立ち止まって考えてみよう。進出先のマーケットのサイズが大きく、需要の成長率が高いと言っても、既に、競合会社は存在するのだ。そのマーケットの魅力は、サイズではなくて、グローバル展開する自社の戦略によって、マーケットシェアを変えていくという「見込み」の中にある。競合会社は、彼らのポジション(地位)を防御するために最大限の努力をするため、それを打ち負かすためには、自社のグローバル戦略によって、どのくらいの浸透度(マーケットシェア)をとるのかが、重要になる。

②「現地の競合企業を過小評価してしまう」

進出先にいる既存の競合会社は、結局、困難を乗り越えてきた「生存企業」である。彼らの何社かは、過去の同業他社からの攻撃をうまくかわしてきたに違いない。これは、たぶん、現地顧客の購買動機をうまくつかみ、絶えずその戦略を調整し顧客対応してきたのだ。

仏ヨーグルト会社ダノンが中央ヨーロッパ市場へ参入したとき、現地のヨーグルト生産者は大打撃を被った。

しかしながら現地でのテレビコマーシャルを使った戦略は、高額なプロモーション費用に跳ね返り、価格の上昇をもたらした。こういうことがあって、古くからある現地ブランドのヨーグルトを販売し、現地の顧客購買行動を知っている販売店と組合せることにより、ダノンが初期に得た利益の大半を現地の生産者へ戻した事実がある。更に、現地の生産者たちは協調的で、農家も対抗したかたちで、ミルクを低価格で提供し続けた。彼らは、これら現地のヨーグルトをぜひとも生き残れさせることが義務のように頑張り続けた。現地の競合企業だけでなく、外資系競合会社でさえ、他社からの攻撃を予知し、反撃にでることを忘れてはならない。

③「海外のマーケットでも、顧客の購買行動は同じようなものだ」

現地顧客の購買動機に目を閉じている企業は、本国でのマーケティング原理を現地でも適用しようとする。世界はフラット化しているのだから、なんらの現地対応もしないで、本国のマーケティング原理に従わせるように、現地消費者を変えようと努力するかもしれない。

例えば、ブロックバスターのドイツ進出を見よう。1995年に店舗を構えたが、2年後の1997年に撤退した。ドイツは世界第4位のビデオ市場であるのに。その原因は、ドイツのビデオレンタルの3分の1を占めるアダルトビデオの扱いを拒否したことと、他のレンタルビデオ店が住居地周辺に立地したのに対し、繁華街のショッピングエリアに固執したことが上げられる。これは、本国のマーケティング原理に忠実だったためである。

しかし、もう一度振り返ってみよう。地球村では、一つの原理が機能するかもしれない、でも、現実の社会は地球村ではなく、それぞれの国の消費行動は違っているものだ。その違いを認識し、理解し、我がものとしなければならないのだ。
 
④「誤ったプライシング(値づけ)の決定を行う」

成功する企業は、本国では、マーケットが成熟していくのに合わせて、次第に価格を下げていくだろう。新しいマーケットでは、本国でやってきた初期のステージに戻る必要がありそうだ。つまり、初心に帰れ、ということだ。新市場へ進出する企業は、その製品/サービスの価格が異常に高かったり、低かったりする、という過ちを犯しやすい。しばしば、本国の価格を基準に単純なプライシング(値づけ)が行われる。

更に、進出時には、自社製品を売り込むためのプロモーションに高い費用がつくため、低価格では、そのプロモーション費用さえままならない。高価格進出で、低い出荷量で浸透度も低いままという、ジレンマが生じてくる。これは、米国企業の海外進出時によく見られることだ。

一方、(適正な)低価格で、現地国の浸透に成功した企業も多い。日本車のアメリカ市場の席巻が歴史的に有名だ。途上国マーケットにおける、韓国企業(LGやサムソン)の価格戦略は、ソニーが採用した本国市場価格のスキ間をついて、途上国でのマーケットシェア獲得に高い貢献をしている。

また、エナジードリンクで世界最大のシェアを持つレッドブルの価格戦略は、製品の形状などグローバル・マーケティングミックス戦略とあいまって、国内浸透度の弱さが指摘されている。ここで明らかなのは、「本国での価格は、自動的に、進出先での効果的なプライシングの指標にならない」ということだ。

⑤「次のステップを考えないで、進出するときのことだけを考える」

これは、新市場への浸透は、進出時の「はじめの一歩」だけを考えておけばよい、訳ではない、ということだ。もし、進出企業が次の、そしてその次のステップといった将来の調整段階を考えていないとしたら、それはもう、ある段階での調整プロセスを制限するポジションを既に取ってしまっていることを意味する。

これは、ディストリビュータや販売経路が一時的なものであるという、ちょっとでは変えられないコミットメント(関与)からくるものだからだ。
 
⑥「能力のない現地パートナーを選択してしまう」

現地でしなければならないことや誰にやってもらうか、といったことを決定できる現地パートナーが必要になる。将来のパートナー候補が、なすべきことを知っているかどうかをチェックすることも大切な決定だ。戦略的提携が一般的になりつつある今、戦略的誤提携のことも十分注意しなければいけない。能力のない現地パートナーを見分ける方法がある。以下の4種の現地ディストリビュータを選択してはならない。「死に体ディストリビュータ」、「現地生産パートナー」、「ラインでの競合ディストリビュータ」と「注文取りディストリビュータ」の4つだ。

「死に体ディストリビュータ」は、積極的なマーケティングをやろうと思わないものだ。マーケティング計画の提出を求めれば、死に体かそうでないかがすぐに分かる。コカコーラなどは、現地のディストリビュータとの契約に年間のマーケティング計画を入れさせている。

「現地生産パートナー」も前者に等しく、致命的だ。というのは、自社の目的が現地生産会社を使っての低コスト生産でありながら、ディストリビューションのコントロールを求めるものならば、現地生産会社はディストリビューションも生産についても、積極的にやらないものだからだ。つまり、ディストリビューションへの貢献もないし、生産コスト低減へのインセンティブもないからだ。

「ラインでの競合ディストリビュータ」も問題が多い。進出企業は、それぞれの海外マーケットでの生産についての望まれる位置づけについて明確な考えをもたなければならない。その位置づけを達成できるディストリビュータを選ぶべきで、その位置づけで他の生産にコミットしている業者を選ぶべきではない。

「注文取りディストリビュータ」も避けるべきだ。この業者は、取扱製品の知識はあるかもしれないが、進出企業のビジネスそのものについては知らないため、その企業の顧客ニーズが把握できず、顧客に十分な説得ができないためである。

⑦「自社のブランドイメージが失われてもよしとする」

企業が国際舞台に立とうとするとき、自社のブランドイメージを保持することが非常に大事だということを、最後に言っておきたい。もちろん、会社名、製品名やロゴの法的保護の必要性は自明だ。しかし、海外に舞台を移すと、多くの企業が自社のブランドイメージの保持に甘くなるものだ。

あるブランドがある国で一定のイメージをもっていたとしよう。ところが別の国で低いイメージがもたれたとしたら、世界のマーケット全体でのブランドイメージは、低い方へ沈んでしまうものだ。あるマーケットで大量販売を望むと、他のマーケットでブランドのプレミアム(特別の評価)を望むことはできなくなる。

仏企業のラコステを思い起こしてほしい。自社のクロコダイル(ワニ)のブランドをアメリカの企業とライセンス契約した。アメリカのライセンシー(契約先)は、その製品の人気を出し、マーケットに溢れさせようと、大量生産に踏み切った。そのため、クロコダイルのロゴが入ったポロシャツの価格が急激に落ちた。ブランド価値の喪失が表れた2年後に、ラコステ本社は、そのライセンスを買い戻し、アメリカから撤退することを余儀なくされた。その後、高級ブティックでの高品質で高価格の販売に戻ったことが知られている。

ルイヴィトンやグッチ、シャネルなどのブランドは、世界的規模で、自社のブランドイメージを保持している。

今回は、グローバル展開の定石と落とし穴をチェックした。

次は、いよいよ国際舞台に立つその具体的な方法を考えてみよう。
いかにグローバル展開すべきかについて、である。


※上記のロゴは、(c)3M(http://www.3m.com/)と(c)ラコステ(http://www.lacoste.co.jp/jpn/main.html)のHPより使用した。


【参考】
☆グローバル展開の定石

-Hill, C.W.L.. (1997), International Business: Competing in the Global Marketplace, pp. 442-452, Irwin

-Bartlett, C.A. and Ghoshal, S. (2000), Going Global: Lessons from Late Movers, Harvard Business Review, March-April, pp.132-142

-Kotler, P. and Keller, K.L. (2006), Marketing management, 12 ed., Pearson Prentice Hall

-Pacek, N. and Thorniley, D. (2004), Market Entry Preparation,
in Emerging Markets: Lessons for Business Success and the Outlook for Different Markets, Ch.3, pp.18-27, Profile Books


★7つの落とし穴
-Simmonds, K. (1999), International Marketing - Avoiding the Seven Deadly Traps, Journal of International Marketting, 7(2), pp.51-62

-Arnold, D. (2004), Assessing Market Potential: Estimating Market Size and Timing of Entry, in The Mirage of Global Markets: How Globalizing Companies Can Succeed as Markets Localize, Ch. 2, pp.27-51, FT Prentice Hall
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★☆第38回「グローバル・ジャパンという方法」☆★

2008-10-20 02:30:39 | ■カルチャからの解放

★☆第38回「グローバル・ジャパンという方法」☆★


◆グローバル・ビジネスのモード(かたち)

グローバルに展開するジャパンを考えるために、グローバル・ビジネスのモード(かたち)をまず、考えてみよう。

グローバル・ジャパンの展開方法を考えるに当たっては、市場(マーケット)と顧客(カスタマー)のマトリックスが有効だ。

市場は、日本国内と海外市場、顧客は日本人と非日本人(海外国籍人)だ。

冒頭の図の市場―顧客のマトリックスに見られるように、グローバル・ビジネスには、4つのジェネリック(一般基本)戦略がある。

第1に、
日本がこれまで得意としてきた、モノの輸出入など貿易によるグローバル・ジャパン展開、これを「貿易型グローバル・ジャパン」と名づけよう。

次に、主に海外在住の日本人向けに、日本食などを提供したり、親企業の海外進出に伴いグループ企業が海外展開する「自国本位グローバル・ジャパン」。

3番目が日本国内に在住あるいは滞在する日本人以外の外国人向けにクール・ジャパンなどを提供する「国内グローバル・ジャパン」がある。

最後に、海外では一般的な、海外の市場で、海外の顧客を対象とする「本格的グローバル・ジャパン」の4基本戦略である。

日本企業の場合、「貿易型グローバル・ジャパン」の展開、モノやサービスの輸出入が主であり、法の未整備の影響もあり、人の輸入、つまり、外国人観光客への戦略的な対応や、ましてや、外国人労働者への開国は未だになされていない。この三番目の「日本グローバル・ジャパン」展開という新しいかたち、つまり、国内を市場として、外国人観光客を相手とするビジネスや介護など日本の高齢化社会へ向けた外国人働き手ビジネスは、今後の大きな市場になると思われる。

これは、経済的側面から見ると、必然的な流れになると考えられる。理由はこういうことだ。アメリカ経済の衰退に伴い、円高が加速することになろう。そうなると、伝統的に日本が強かった輸出産業は打撃を受け、一層衰退していくだろう。円高によって利益を享受するのは、海外から日本への輸出である。となると、海外に子会社をもち、日本へ輸出した方が得になることも多い。一部の日本のエクセレント・カンパニーでは既にその方式が取られている。例えば、世界3本社制(日米欧)などの形である。また、外資の投資先としての魅力ある日本が対象となるだろう。ただ、その対象が問題になる。これまでの製造業界や食品業界などへの株式投資は、国内法や司法のグローバル対応が未熟なため、海外からの投資意欲は減退している。ただ、2007年5月に会社法が改正され、三角合併のみ解禁されたこともあり、魅力ある国内市場つまり、業種的に言うと、日本的イメージをもつ観光業や高齢化社会向けのビジネスへの投資は、価値あるものとの判断が下されるだろう。

「自国本位グローバル・ジャパン」ビジネスは、以前は、ヤオハンなど現地駐在員のための日本食の流通など、アジア地域で展開が見られたが、バブル以降は、中国など一部の地域を除いて衰退傾向にある。

現在は、先進国の健康志向ブームに助けられ、海外市場での和食、とくに、巻き寿司や寿司店など日本食文化の特徴的なものは、「本格的グローバル・ジャパン」の展開段階へ来ており、日本人だけでなく、多くの外国人が顧客となっている。もちろん、クルマや嗜好製品など、ソニーやトヨタなどほんの一部のエクセレント・カンパニーがこういった形のグローバル展開を果たしている。

さて、
結論的に言えば、グローバル・ジャパンの展開には、

3番目の日本国内に在住あるいは滞在する日本人以外の外国人向けにクール・ジャパンなどを提供する「国内グローバル・ジャパン」と
4番目の、海外の市場で、海外の顧客を対象とする「本格的グローバル・ジャパン」の展開をどちらかに絞るのではなく、どちらも戦略的に積極的に進めるべきである。


◆ 産構審の知識組替えの衝撃

経済産業省は、旧通産省の時代から産業構造の転換戦略を提示してきた。1960年代の「重化学工業化」、1970年代の「知識集約化」がそれだが、2008年7月末に、約30年の沈黙を破り、「日本型イノベーションの開発戦略」を提示している。これは、「知識組替えの衝撃」と銘打った報告書でなされているが、グローバル・ジャパンを考える上に、とても大事なリポートだ。
(遺伝子組替えなど、マイナス・イメージを持つ「組替え」の言語選択のセンスを疑うことは、別にして)

彼らの論理を要約してみよう。

日本の産業は、「中小企業を含めたものづくりの現場力+クールなデザイン+豊かな地域資源」等、競争力の基礎になる要素がある。しかし、それらが十分に活かされていないために、いわば『宝の持ち腐れ』の状況になっている。つまり日本に足りないのは個別の技術やノウハウ、デザインそのものではなく、これらを組み合わせて活かす力。

これは、シュンペーターの言う、イノベーションの定義、「新しい組み合わせ(新結合、生産的結合)」(当ブログ:第31回「加速されるグローバリゼーションのモードと情報の国籍」参照)のことを言っているようだ。

そこで、
日本のこれら競争優位の知識を、アジアを中心とするグローバル市場のなかで適用し、富を獲得することが不可欠であり、グローバルに稼ぐには、個々の技術の良さだけでは不十分となり、大企業と中小企業、業種、ものづくりとサービスといった従来の枠を超えて技術、ノウハウを組み替える大胆なイノベーション(=知識組替え)が必要、と展開している。

そして、産業政策として、以下5つの提言を出している:
1:中小企業もグローバルに稼ぐ (⇒筆者、『日本中小企業のグローバル化』。以下同様)
2:異なる業種、企業に分散している技術を集約化して稼ぐ 
(⇒『脱業種による技術の集約化』)
3:ジャパン・クールをトレンドにして稼ぐ (⇒『ジャパン・クールのビジネス化』)
4:環境技術をソリューションにして稼ぐ (⇒『環境技術のグローバル・ビジネス化』)
5:医療機関を統合して地域医療を再生する (⇒『地域医療の広域連携』、なぜか突然オープン化の文脈で、医療産業が出現する?)

さて、上記「知識組替え」産業戦略に欠けているものを、行政面とクロスカルチャー・マネジメントの観点から見ると、こうなる。

産業政策のプロバイダー(供給者)である行政、この場合は、経済産業省だが、総務省などとの、例えば、通信と放送の所轄問題を含めて、インターネット時代に合った、行政レベルでの「脱業種」がないままに、実行者である企業への一元的サポートが可能か、ということだ。まずは順番として、行政内部の組替えと新結合をおこすことが先決ではなかろうか。

グローバル化を考えるのに不可欠な、クロスカルチャーの視点からは、

アジアを新産業政策のパイロットプロジェクト・サイトと位置づけているが、日本側の「儲け」だけの論理で、他のアジア諸国へのリーダーシップが有効に作用することになるのだろうか疑問だ。現代は、企業にはCSR(企業の社会的責任)があるように、国家にも地域への国家的責任も存在するだろう。ここでは、他のアジア諸国との日本的な『共生』の視点が非常に大事になってくると思われる。リーダーシップ論で言っても、アジアとの共生、つまり、アジア諸国のメリットを共に考えていかなければ、従来の米国型unilateralism(単独主義)との相違が見えてこない。

更に、「市場、業種、組織等の壁を越えて知識が交流・共有される仕組みの創出」が第1の政策群に掲げられているが、これも国内だけで考えていてもダメで、海外在住で活躍しているグローバルな日本人財の活用を含めないと、従来の方法と相違がない。

また、提言1の「日本中小企業のグローバル化」については、グローバル・マインドの涵養が不可欠になる。

グローバル・マインドとは、世界の異なった社会・経済・政治環境の中でのビジネス知識、そして多様な文化を背負った仲間と一緒に仕事を行うときの心構え(マインドセット)のことである。

中小企業の場合、
国内企業からグローバル企業という一般的な方向だけではなく、最初から海外市場を狙う、グローバル企業というのも存在する。「ボーン・グローバル企業」がそれである。

ボーン・グローバル企業は、特に、先端技術を開発した企業に多く見られるもので、グローバル展開の段階的なモードを経ないで、じかに海外を対象とするかたちの企業である。

段階的なグローバル展開とは、アップサラ・ステージモデルとしてよく知られている。つまり、海外展開のモードには、進出国への投資・リスクの程度と現地企業に対するオーナーシップ・コントロール(所有・統制)の程度を考慮して、「輸出」、「契約」、「戦略的提携(ストラテジック・アライアンス)」、「海外直接投資(FDI)」の4種類の方式がある。

このグローバル展開のモード(アップサラ・ステージモデル)は、時間をかけて経験をつみ、上記4つの段階を経ながら、海外展開し成功に導こうというものである。ただ、現在のように、急激なグローバリゼーションの進展と激しい競争環境の下では、段階的展開は遅すぎるとの意見も存在することは確かであり、「ボーン・グローバル企業」のコンセプトも、特に日本の中小企業には、一つの有効なグローバル展開方法といえよう。

日本の将来を考えてみれば、
グローバル・ジャパンから、グローバル・アジア/オセアニア、グローバル・アフリカ、そしてグローバル・ヨーロッパなどのグローバル・ビジネス戦略が立案されるようになれば、実質的なグローバル国家へと生まれ変われるのでは、あるまいか。


次回は、グローバル展開に成功した企業の「定石」と、失敗した企業の「落とし穴」について、欧米での実証的な研究成果を基にチェックしよう。


【参考】
☆(追加)ボーングローバル企業:
Knight, G.A. and Cavusgil, T. (1996), The Born Global Firm: A Challenge to Traditional Internationalization Theory, Advances in International Marketing, 8, pp.11-26

◆「知識組替えの衝撃-現代産業構造の変化の本質-」
経済産業省産業構造審議会 新成長政策部会基本問題検討小委員会報告書(2008年7月28日)
http://www.meti.go.jp/report/downloadfiles/g80728a02j.pdf

◆新経済成長戦略(2008年9月9日)
-「新経済成長戦略」の改訂 フォローアップと改訂(案)本文(経済財政諮問会議提出)
http://www.meti.go.jp/press/20080909005/20080917004-3.pdf
-経済産業大臣官房審議官 石黒憲彦氏の「志本主義のすすめ」第118回新経済成長戦略
http://dndi.jp/00-ishiguro/ishiguro_118.php

◆アップサラ・ステージモデル
スウェーデンのアプサラ大学(The University of Uppsala)のJohansonらが唱えた海外展開モード。
Johanson, J. and Vahlne, J-E. (1977), The Internationalization Process of the Firm - A Model of Knowledge Development and Increasing Foreign Market Commitments, Journal of International Business Studies, Vol. 18, pp.23-32
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◆第34回「イノベーション理論と破裂的技術のお話」

2008-09-29 06:52:04 | ■カルチャからの解放

◆第34回「イノベーション理論と破裂的技術のお話」

まず、第31回で触れたイノベーション理論について、シュンペーターとドラッカーのポイントを述べた後、現在の情報化社会で見極めが大切な、
破裂的技術(ディスラプティブ・テクノロジー)の話を進めよう。

資本主義経済発展の本質を説いたシュンペーターによれば、
イノベーション(革新)の形態は5つある:

1.新製品の導入
2.既存製品の生産に新技術の投入
3.既存製品の新市場開拓
4.原材料の新しい供給源の獲得
および
5.産業の再編成の実行
の5つである。

そのうち、
新製品の導入は、「プロダクト・イノベーション」と呼ばれ、既存製品の生産に新技術の投入は、別名「プロセス・イノベーション」と言われる。
[参考:当ブログ第31回「加速されるグローバリゼーションのモード(形)と情報の国籍」]

また、
イノベーションを起こすチャンスには、7つのソース(源流)がある、とドラッカーは言う。
7つの内、最初の4つが産業内で生起するものであり、あとの3つは社会環境において生れるものである。

イノベーションを起こす7つのチャンスとは、

1.予期しなかったこと:
予期せぬ成功、予期せぬ失敗や予期しなかった外部での出来事が、ユニークなイノベーション・チャンス(機会)の兆候を示す。

2.齟齬:
現実と誰もがそうありたいと考えていることとの相違/齟齬があるときや、モノ/ことの現実と理想との差があるとき、イノベーティブ(革新的)なチャンスが到来する。

3.プロセス上のニーズに基づくイノベーション:
ある特定のプロセスにつながりの弱さが見られるが、そのために、人々が何かをしようとするかわりに、それを避けている時、個人や会社にその弱いつながりを解決しようとするためのチャンス(機会)が現出する。

4.産業構造やマーケット構造の変化:
非常に基本的かつ重要だがたやすく目に見えない、産業やマーケットの土台が変化する時、イノベーティブな製品/サービス/ビジネスのアプローチのためのチャンス(機会)が出現する。

5.人口動態の変化:
人口のサイズ(大小)/年齢構造/構成/雇用/教育レベルや収入の変化がイノベーティブなチャンス(機会)を創造する。

6.認識、ムードや意味の変化:
社会一般の通念(共通前提)、態度、価値観が変化する時、イノベーティブなチャンス(機会)が出現する。

7.新しい知識:
科学的であれ、非科学的知識であれ、それらの進展が新製品や新しいマーケットを創造する。

従って、もしあなたが新しいビジネスのチャンス(機会)を探し求めているならば、上記7つのイノベーション・チャンス(機会)をモニターすることが、イノベーションのチャンスをあなた自身に与えることになる。

この「イノベーションを起こす7つのチャンス」に気づいた時、そのイノベーションをいかにマーケットに適用したらよいかについて、

以下5つの原理をドラッカーは提示している。

1.そのイノベーション・チャンス(機会)の分析からまず始めよ。

2.そのチャンス(機会)を分析するには、人々がそのイノベーションを適用することに興味をもつかどうかを理解しよう。

3.その分析を効果的にするには、そのイノベーションが単純で、かつある特定のニーズに明確にフォーカスしなければならない。

4.効果的なイノベーションは小さく始めよ。
小さく、限定されたマーケットに導入することによって、製品/サービスには少額を投資して、少ない人数が生産と販売に携わることが必要だ。マーケットが成長したら、会社はそのプロセスに微調整を加え、今後出てくる競争をうまく処理することが必要となる。

5.マーケット・リーダーシップを目指せ。
そのイノベーションによって、最初からマーケット・リーダーシップを目指すものでなかったら、そのイノベーション自体が成功に値するのに十分なイノベーションの資格をもたない。マーケット・リーダーシップとは、小さなニッチ・マーケットを支配することを意味する。


さて、
情報化社会の只中、

「破裂的技術(ディスラプティブ・テクノロジー)」

の発見法や開発の手段が話題になっている。

インターネットが商用として登場した1985年に、ポーターとミラーは、情報技術が、競争のルールや特質を、3つの方法で変えてしまうと述べた。

情報技術の進展が産業構造を変えつつあること、情報技術が企業の競争優位創造のために活用できる一層重要なレバーとなること、そして情報革命が、全く新しいビジネス(複数)を生み出すことによる。

しかし、2001年、ポーターは、インターネットを破裂的技術の一つとはみなさなかった。インターネットは、既存の競争状態の単に補完物としてしか捉えなかった。ポーターとタプスコットで交わされたインターネットについての議論が面白い。戦略経営学者のポーターにとって、インターネットは、従来の競争戦略を見直す契機とはならなかったようである。

破裂的技術の重要な2つの特徴について、バウワーとクリステンセンは、こう述べる。

これらの破裂的技術は、まず、既存の顧客に評価されない、これまでと異なった一くくりのパフォーマンス(性能・能力)属性を備えているものだ。この点で、破裂的技術は、持続的技術(既存の顧客に少しずつの改良を与える改良型技術のこと)と一線を画すものとなる。

2つ目の特徴は、
既存の顧客が本当に評価するパフォーマンス属性というものは改善されていくものだが、そのスピードは、新技術が後から既存のマーケットを侵害できるくらいの早いスピードだということだ。つまり、この点において、主要な顧客は新技術を欲っしているものだが、不幸にも、そのときまでに、既存のサプライヤーはしばしば、それに気がつくのが遅すぎるものだ。そのとき既に、新技術のパイオニアはマーケットを支配しているということだ。

それでは、この破裂的技術を見極めることはできないのか?

破裂的技術だけでなく、世の中を変えてしまうような契機、つまり、産業構造の変化、顧客の需要の変化を見極めるポイントは存在する。
変化の兆しが認識されているとしても、企業自体が、そうたやすく変化に対応できないようなポイントがあるのだ。

次回、

そのポイント(SIP=ストラテジック・インフェクション・ポイント。戦略的伝染ポイント)
の説明をしよう。


【参考】
・Drucker, Peter F.(1985), Innovation and Entrepreneurship, Practice and Principles. Harper & Row, Publishers, Inc.

・Porter, M.E. and Miller, V.E. (1985), How information gives you competitive advantage, Harvard Business Review, July-August, pp. 149-161

・Porter, M.E. (2001), Strategy and the Internet, Harvard Business Review, 68 (2), March, pp. 63-78

・Don Tapscott, Rethinking Strategy in a Networked World [or Why Michael Porter is Wrong about the Internet]
http://www.newparadigm.com/media/StrategyandBusiness2.pdf

・Bower, J.L. and Christensen, C.M. (1995), Disruptive Technologies: Catching the Wave, Harvard Business Review, January-February, pp. 43-53
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●第31回「加速されるグローバリゼーションのモードと情報の国籍」

2008-08-25 05:20:26 | ■カルチャからの解放

●第31回「加速されるグローバリゼーションのモード(形)と情報の国籍」


企業の経営資源の5要素(国内)は、ひと、モノ、カネ、情報、そして技術と言われています。

ひとは、人的資源管理(古くは人事労務管理)を指し、モノは、商品やサービスそのもの、カネは財務管理のことで、情報は、情報の流れやそのための手段となるコンピュータ/ネットワークの管理を意味し、技術は商品やサービスを生み出すシステムを示します。

さて、グローバリズムの経営資源の要素になるものを、この経営資源の5要素に当てはめて見ますと、

グローバル企業経営の要素は、

ひと=国際人的資源管理
モノ=商品自体や商品の売り方(グローバル・マーケティング)
カネ=国際会計
情報=取引情報の輸出入とインフラとしてのコンピュータ/ネットワーク
技術=グローバル商品開発や経営のオペーレーティング・システム

と言えるでしょう。

以下に各項目を簡単に説明しましょう。

◆ひと:
国際人的資源管理では、組織文化(組織風土)を以下の4つに分類する。エスノセントリック(EC:自国中心主義)、ポリセントリック(PC:ホスト=現地中心主義)、レジオセントリック(RC:地域中心主義)、そしてジオセントリック(GC:地球主義)の4つだ。

エスノセントリック(EC)は、日本企業に特に顕著に見られるもので、自国民(日本人)を中心に、海外子会社を組織化する企業組織だ。ポリセントリック(PC)とは、現地の従業員を中心に組織を形成する企業で、海外展開に成功している韓国企業の雇用戦略に見られるものだ。レジオセントリック(RC)は、社員がそれぞれの国を離れて、ある特定地域に移動する形だ。最後のジオセントリック(GC)は、多国籍企業に見られるように、世界規模で展開されるもので、社員の能力が中心で、国籍はあまり問題にされない。

また、国際企業の社員は、大別すると3種類ある。現地(ホスト)国社員(HCN)、本国出身社員(PCN)、そして第3国社員(TCN)だ。ホスト国社員とは、現地出身の社員のことで、第3国社員とは、ホスト国でも本国出身でもない第3国出身の社員のことだ。


◆モノ:
商品自体や商品の売り方、つまりグローバル・マーケティングのことで、世界を同じ商品で売る方法(コカコーラなど)や、国や文化によって商品のパッケージやイメージなどを変える「ローカリゼーション・マーケティング」(現地化、例えばカリフォルニアすしなど)の方法が、よく言われます。

また、日本発祥の文化/スポーツ(例えば、マンガやJudo)もグローバル商品と言えるでしょうし、その普及形態は、グローバル・マーケティングの対象となるでしょう。

◆カネ:
これは、円が海外での輸出入の基軸通貨になればいいのですが、今のところ、ドルやユーロなどがその位置を掴んでいるようです。従って、グローバルなカネの管理については、為替レート管理や現地国の税金、英文会計制度が中心になるでしょう。

税金関連では、法人税、知的財産権課税および移転価格(トランスファー・プライシング)の問題がある。

法人税については、企業の性格として、低い法人税率の国へとシフトしていくのは自然の流れだ。但し、タックスへイブン(軽課税国または地域、租税回避地)については、日本の租税特別措置法や法人税法では、法人税率が25%以下の海外の国・地域をタックスヘイブンとして、4つの適用除外基準を満足しない限り、タックスヘイブンにある子会社の利益を日本の親会社の利益と合算して課税することになっている。従って、相手国の法人税が低ければ低いほど良いというわけではなく、この点注意が必要だ。


◆情報:
情報の流れから言うと、情報の輸入と輸出、特に情報輸出時での表現方法が大事で、これは、日本語的なあいまいな表現ではなく、明示的な英語的表現、つまり、ホールの言う「ロー・コンテキスト社会」でのコミュニケーション方法に移行する必要がある。ロー・コンテキスト社会とは、アメリカ、ドイツ、スイス、北欧(アイスランド、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランド)が典型的な国で、大量の情報を、はっきりとした言葉で表現しようというものだ。
(参照:当ブログの第24回「クロスカルチャー・マネジメント理論と社会/ビジネスへの応用(その一)」)

更に、情報面で大事なのは、「情報の国籍」あるいは「情報のID」だ。これは、情報ソースを確認することで、その情報の信頼度(確実度)、鮮度、拠って立つところのバイアスを知っておくことが必要なためだ。特に、政治、経済、外交面での情報スクリーニング(情報選別)は、的確な意思決定を行うためには、大切な活動だ。

◆技術/システム:
経営のオペーレーティング・システムのことで、工業化社会においての企業戦略は、3S、つまり、規模の経済性(Economy of Scale)、範囲の経済性(Economy of Scope)、そしてスピードの経済性(Economy of Speed)などが言われている。実行の事業戦略レベルでは、それら経済性を実現するシステムとしての、例えばJIT(ジャストインタイム)などが含まれる。

メガトレンド面では、知識情報化社会の次に来る第4の波、「コンセプチュアル社会」(ダニエル・ピンク)では、活動の中心が、「組織」から「個人」へシフトするために、組織管理から個人のコンピテンシー(知識+スキル+態度)管理が主流になる。コンピテンシー管理では、以下の6つの感覚開発が重要になる。

1.デザイン能力、
2.情緒を育む物語能力(物語傾聴と物語創作)、
3.シンフォニー能力、つまり一見無関係なものを結びつける総合化・統合化能力
  (分析や特定の回答を与えるのではなくて)、
4.エンパシー能力(他人の感情や問題への理解能力、共感。シンパシー「同情」
  とは違う、EQやCQの問題になる)
5.プレイ(遊び。冗談や笑いの効用を重視する)
6.人生の意味を問う。

である。
(参照:当ブログ●第18回「第4の波『コンセプチュアル社会』とハリウッドの世界戦略~”右脳流出の時代へ?”」)

左脳に基づく第3の波(知識情報化社会)は、直線的、論理的、分析的な意味づけ(理由付け)が中心になっており、それに続く第4の波と言われるコンセプチュアル社会は、創造力、エンパシー(他人の感情や問題への理解能力)、直観力(第3の波で重宝された事実分析能力よりもむしろ感情に基づいた理解力や認識力)といった、右脳による能力を中心としている。

ここで見落とされやすいが、
非常に重要なことは、

西欧社会、特に、アメリカ社会が第3の波を主導し、直線的、論理的、分析的な意味づけ(理由付け)を中心に、(伝統的な)人材開発を行ってきたのに対し、日本社会では、特に、論理的な思考方法に慣れ親しんで来ていない、ということだ。日本を取り巻く諸外国が、日本経済の拡大に伴って、日本的経営のよさを十分に研究し、うまく取り込んできた(チームプレイの重要性など)間に、日本の組織では、西欧的な思考方法のよいところ、特に、クリティカル・シンキングの効果を取り入れてこなかったことだ。グローバルに展開し、意思疎通を図るには、このクリティカル・シンキングは基本中の基本だと思われる。
(参照:当ブログ「第23回『人間関係能力重視社会と専門能力優先社会~日本企業の慣習と社員の価値判断~』と第4回『批判するって、どういうこと?(健全なる批判精神のかたち)』)

最後に、
これら企業経営の要素の牽引役として、

「グローバル競争優位」が言われている。

グローバル競争優位には、

1.伝統的なM・ポーターの「ダイヤモンド理論」

2.イノベーション(革新)
がある。

M・ポーターの「ダイヤモンド理論」は、今なお有名かつ有効だ。

国や特定地域、立地の競争優位のことだ。つまり、国際競争力に影響を与える要因を分析したものだ。(冒頭の図を参照のこと)

これは、ベースボール場でのダイヤモンドと同じように、グローバルな競争力(投手)をダイヤモンドの中心に、それを取り巻き挟むように、競争力に影響を及ぼす4要因を分析したものだ。このダイヤモンド理論は、ある特定の地域(例えば、国)に根ざした企業が、なぜ、ある特定の分野で、継続してイノベーションやアップグレードを達成できるのかを説明する手助けになるからだ。それら4要因は、「要素(インプット)条件」が一つ、「需要条件」が二つ目、「企業の戦略・構造・競合企業」がその三、そして「関連サポート産業(クラスター、ネットワーク)」だ。また、ダイヤモンドを取り囲む4要因の張力がその強固さを示すことも忘れないようにしよう。この4要因を強力にサポートする「政府(自由放任、財政的援助)」と「機会(歴史的な事件)」の2要因が示されている。

次に、グローバル競争優位の重要な源泉である、イノベーション(革新)について検討しよう。

イノベーションについては、シュンペーターが詳しい。日本の産業界では、イノベーションの重要性を早くから認識していたが、これは、経済発展の理論やビジネス・サイクル(景気循環)理論を唱えていたシュンペーターの影響が強く感じられる。

シュンペーターは、イノベーションを「新しい組み合わせ(新結合、生産的結合)」という言葉で定義しているが、以下の5つがそうだ。

-新製品の導入
-既存製品の生産に新技術の投入
-既存製品の新市場開拓
-原材料の新しい供給源の獲得
-産業の再編成の実行(イノベーターの独占的地位の構築や打破による)

これらのイノベーションによる絶え間ない「創造的破壊」の繰り返しが、資本主義経済発展の本質的なものと捉えられている。


※写真は、P.コトラー<Kotler, P. (2000), Marketing Management, Millennium ed., Prentice Hall>(左)とM.ポーター<Porter, M.E. (1990), The Competitive Advantage of Nations, New York: Free Press>の表紙、およびPorter, M.E.(2000), Location, competition, and economic development: Local clusters in a global economy, Economic Development Quarterly 14 (1): p.20の図より


【参考】

●シュンペーターのイノベーション理論

最初、シュンペーターのイノベーションを調べはじめたとき、日本語の翻訳が、

新結合(イノベーション)とは何か。
1. 新しい財貨、(あるいは新しい品質の財貨の生産)
2. 新しい生産方法の導入
3. 新しい販路の開拓
4. 原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得
5. 新しい組織の実現(たとえばトラストの形成や独占の打破)

となっていた。

ほとんどの引用が、どうも、岩波文庫版『経済発展の理論』塩野谷祐一, 中山伊知郎, 東畑精一訳, 1977(1912年ドイツ語原文からの翻訳)がソースになっているようだ。

しかし、財貨とは何か、新しい組織とは何か、がよく分からなかった。財貨とは、「貨幣または有価物、人間の欲望を満足させる物質(広辞苑第五版)」。
新しい組織とは、マトリックス組織やその他の組織構造を指すのかな、と想像しながら、シュンペーターの英訳本を調べたところ、上記のような翻訳に到達した。
下記の文献を参考にした。

Schumpeter, J.A. (1928), The Instability of Capitalism, The Economic Journal, 38(151), September, pp. 361-386

Schumpeter, J.A., Yntema, T.O., Chamberlin, E.H., Jaffé, W., Morrison, L.A. and Nichol A.J. (1934), Imperfect Competition, The American Economic Review, Vol. 24, No. 1, Supplement, Papers and Proceedings of the Forty-sixth Annual Meeting of the American Economic Association, March, pp. 21-32

Schumpeter, J.A. (1935), The Analysis of Economic Change, The Review of Economic Statistics, 17(4), May, pp. 2-10

Schumpeter, J.A. (1947), The Creative Response in Economic History, The Journal of Economic History, 7(2), Nov, pp. 149-159

Schumpeter, J.A. (2005), Development, Journal of Economic Literature, Vol. XLIII, March, pp. 108–120

Schumpeter, J.A. (1975), Creative Destruction, in Capitalism, Socialism and Democracy, New York: Harper, [orig. pub. 1942], pp. 82-85
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◆第30回「Samurai JAPAN と 情報の非対称性」

2008-08-11 04:25:03 | ■カルチャからの解放

◆第30回「Samurai JAPAN と 情報の非対称性」


久しぶりに、意欲的な番組を見た。

NHK Worldの Samurai Spirit(2008年8月9日放送)だ。

「青い目の太郎冠者(ドナルドキーン)」ならぬ、
blue eyed Samuraiこと、ニコラス・ぺタスが剣道のリポーターとなり、
東海大学での剣道初体験、剣道の歴史、ニュージーランド出身で在日20年の六段錬士のアレックス・ベネット氏とのインタビュー、そして、練馬剣友会で範士八段新堀強氏とのお手合わせなどが演出された。

デンマーク生まれのペタス氏は、極真空手の大山倍達最後の内弟子といわれ、K-1 JAPANの王者(2001年)だった格闘家だ。
日本の武道を、沈黙ではなく、明示的な英語で語ってくれることを期待したい。

日本の伝統的武道を見つめるのにいい番組が、国内で見られないというのは、
これまた、変な国だなあと思った。

なお、3年おきに開催されている世界剣道選手権大会では、2006年に男子団体選手権<16ケ国参加>で、日本はアメリカに初めて敗退している。東京オリンピック以後、柔道がJudoへ変わっていったように、剣道からKendoへ世界の流れもチェンジしている。世界のKendoへ歩むためには、適正なクロスカルチャー・マネジメントに着手しなければならない。
(参考:日本剣道連盟 http://www.kendo.or.jp/wkc/sokuho.html )


さて、
グローバリゼーションのスピードが加速されている中で、日本の文化や主張を世界へ発信することは、今後ますます必要になってくるが、現実は、全く、逆に推移している。馴染み深かった、日本発の英文雑誌が休刊、廃刊へと続く中で、日本と世界の「情報の非対称性」に思いを致さざるを得ない。

「情報の非対称性」とは、
『市場では売り手と買い手が対峙しているが、一般には売り手が保有する情報と買い手が保有する情報の間には大きな格差がある。例えばある商品を取引する状況を想定したとき、売り手は商品の品質に関する豊富な情報を所持している。他方、買い手は商品の品質に関する情報をほとんど所持しておらず、売り手からの説明に依存するしかない。買い手は、商品の品質に関する情報について、商品を購入するまで完全には知りえない。そのため、売り手の説明に、買い手が納得できないという状況もしばしば発生し得る。』(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
例えば、商品取引の参加者間で保有情報が対等ではなく、あるグループが情報優位者に、他方が情報劣位者になっている状況のことを、「情報の非対称性」という。

日本には、情報の非対称性が数あるように思われる。
一つは、政策立案者やメディアと国民の間、
二つ目は、日本と日本以外の世界との間の情報格差だ。

一つ目の日本国内に関しては、
政策立案者/メディアが情報優位者の立場にあり、国民が情報劣位者ということになる。
情報開示法があっても、まだまだ、かなりの程度で情報優位者の立場は変わりない。

ただ、ゲイツ以前(1985年)には、TVや出版物を介してしか、知識人やオピニオンリーダーの意見に触れることが出来なかったが、今は違っている。ある分野では、既存の大手メディア(新聞やTV)よりも、ネットでの情報の方が量/質ともに高いことがあり、世界のどこにいても、国民自ら日本を考えるのに役立つソースだ。

例えば、
現在、議論がなされている移民策に対して、
・経済学で考えれば、 
『しかし、労働者を入れなくても、労働を輸入することはできる。様々な製品は技術と資本と労働で作られる。そして、労働をより多く含んだ製品とあまり含んでいない製品がある。労働をより多く含んだ製品を輸入すれば、それは労働を輸入しているのと同じことである。』
『日本で生産性を高めるという議論をするとき、既存の産業の生産性をいかに高めるかという議論になることが大部分である。しかし、アメリカの生産性の高さは、生産性の低い産業を輸入に置き換えることによってもたらされている面が大きい。』(大和総研 原田泰氏)
第64回「輸入拡大こそ人口減少対策の妙案」(2007/10/11)
http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/harada.cfm?i=20070928c3000c3
第71回「円は安すぎるのか」(2008/05/12)
http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/harada.cfm?i=20080508c3000c3&p=1

また、
・経済分野では、「アジアで最も豊かな国」から転落した日本」のことを、
「IMF(国際通貨基金)がまとめた調査によると、2007年のシンガポールの一人あたりのGDP(国内総生産)が日本を抜くことが明らかになった。シンガポールは3万5000ドルを超えたのに対して、日本は3万4300ドルにとどまっている。これまで半世紀にわたってアジアで1位をキープしていた我が日本だが、ついに2位に転落してしまったわけだ。」(『産業突然死』の時代の人生論:経営コンサルタント 大前 研一氏(2008年7月16日)第137回「アジアで最も豊かな国」から転落した日本
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/140/ )

・社会・技術面では、
『2015年頃に国内消費縮小の危機をチャンスにかえる方法、さらにグローバル市場の拡大という好機を取り込む方法を提案します。』
日本企業のグローバル化は、いかにすれば成し遂げられるのだろうか?」
2015年の日本:「見えざる」大家族化と脱「ガラパゴス化現象」
野村総合研究所 吉川尚宏 (2008年3月)
http://www.nri.co.jp/souhatsu/research/2008/pdf/rd200804_01.pdf があり、

・世界のトレンド分野では、
『程近智は、5つのメガトレンドをこう説明する。1.新しい消費者の誕生,2.優秀な人材の獲得競争,3.新興イノベーション勢力の出現,4.資源と持続可能性を巡る争い,5.資本の新たな流れ、だ。』
(ITpro SPECIAL 『SaaSが透過する「日本IT界の脆弱性」見えてきた課題をいかに克服するか』第15回および第16回:多極化する世界のメガトレンドとは?(アクセンチュア社長 程近智インタビュー)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/as/saas/knowledge/15.shtml
http://itpro.nikkeibp.co.jp/as/saas/knowledge/16.shtml(後編)) などなど。

二つ目の、日本と世界との間の情報格差だ。
つまり、情報の流れ、特に輸入情報の質的評価と輸出情報量の拡大のことだ。
輸入情報の評価については、メディアの役割、日本の知識人の役割が大事になる。
その役割とは、単なる翻訳ではなくて、建設的な批判/評価を加えるところにある。
また、グローバル化への基礎教育、特に、クロスカルチャー教育や世界英語教育への遅れを自覚し、奮発しなければならないだろう。
日本発の情報量拡大については、現在、絶望的な状況かもしれない。

最後に、

NHK Worldのニュースについて、2言。

最近、海外特派員の基準が、PCN(日本人記者)から、HCN(現地国記者)に変わったようだ。やっと、NHKもエスノセントリック(自国中心主義)の組織文化から、ポリセントリック(現地中心主義)の文化へ脱皮したようだ。

しかし、2言目は、とても先進国の映像とは思えない、海外日本人を小ばかにした貧弱な国際放送のことだ。というのは、Newsの中で頻繁に映像が途絶えることがある。これは、放送権の都合で、海外で活躍する日本人のNews映像(スポーツ)が見られないのだ。まるで、開発途上の国の静止画広告や軍事独裁国のプロパガンダの静止画面を見るようで、これもまた、国際放送の貧しさを再認識させてくれる事実だ。

※上記写真は、ニコラス氏のブログ、NHK Worldから使用した。

◆NHK World:
http://www.nhk.or.jp/nhkworld/english/tv/genre/japaneseculture.html

◆Nicholas Pettas Blog:
NHK, Samurai Spirit ! (July 30, 2008)
http://nicholaspettas.blogspot.com/2008/07/nhk-samurai-spirit.html

one blue eyed samurai to another blue eyed samurai (July 20, 2008)
http://nicholaspettas.blogspot.com/2008/07/one-blue-eyed-samurai-to-another-blue.html

NHK で剣道。。。Kendo with NHK TV.(July 15, 2008)
http://nicholaspettas.blogspot.com/2008/07/nhk-kendo-with-nhk-tv.html

ニコラス・ペタス(出展:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%82%BF%E3%82%B9

◆練馬剣友会
「NHK国際放送 サムライ・スピリッツ 撮影収録」(2008年07月11日)
http://www.nerimakenyuukai.net/archives/003567.html#more

◆第13回世界剣道選手権大会 日本対米国 (2006年 Youtube)
日本では見られなくなった、二刀流との対決も興味深い。
Part1/5
http://www.youtube.com/watch?v=0HHYAlb1P-I&feature=related
Part2/5
http://www.youtube.com/watch?v=DV_1dj9JlbE&feature=related
Part3/5
http://www.youtube.com/watch?v=ocLl-cfTuCQ&feature=related
Part4/5
http://www.youtube.com/watch?v=Itks3p3ZcYc
Part5/5
http://www.youtube.com/watch?v=b1lX0IVglC8&feature=related
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★☆第29回「NHK Cool Japanに垣間見られる自国優越主義の作り手意識」

2008-06-29 10:38:28 | ■カルチャからの解放

★☆第29回「NHK Cool Japanに垣間見られる自国優越主義の作り手意識」

NHKワールドは、ASIA 7DAYS、NHK NEWSLINE、World Weather などのニュース番組、英語でインタービューするInsight & Foresight、日本のライフスタイルや文化紹介のTOKYO EYE、 J-MELO、美の壷などを見ていますが、いずれも深い内容のある番組で、演出の切り口(編集)のなかに、日本らしさを発見することがよくあります。

先日、Cool Japanの内容を見て、首を傾げてしまった。きっと、演出家は、海外生活のない日本人がつくっているのだろうと。

司会者は、バイリンガルと日本人で、日本語。参加者は、非英語国からの外国人も含めて、彼らは、英語をしゃべっている。

『「NHKワールドTV」は、NHKのおもなニュース番組、情報番組をご覧いただける外国人向けの英語チャンネルです。。。。「NHKワールドTV」は外国人向けの放送ですので、ほとんどが英語での放送となっています。』とNHKWebサイトにあるように、基本的に外国人向けと謳ってある。

また、Cool Japanの内容は、
『日本のさまざまな文化が、外国の人たちには格好いいモノとして流行しています。来日間もない外国人の感性をフルに活かし、クールな日本を発掘、その魅力と秘密を探ります。』
とあり、番組の主旨も理解可能だ。

ただ、以下の疑問があるのだ。

疑問1.
参加者みなが英語なのに、なぜ、司会者だけは、日本語で通すのか、理解できない。
通訳(英語のテロップ)があるのだろうが、非英語圏の参加者は、彼らの自国語ではなく、英語で話している。視聴者が外国人であれば、(外国人のための日本語学習を兼ねていないのならば)、司会者が、世界共通語の英語で会話するのは、自然な演出だろう。
(この番組は、BSでの日本人向けであって、外国人向けの番組ではなさそうだ。そうであれば、外国人向けには、考えなければならない)

疑問2.
『クールな日本の発掘、その魅力と秘密を探』ることに、異議はないが、演出がお粗末だ。
私が見たのは、「自動販売機、エキデパ、、、」だったが。
日本のクールなものが、あなたの国にあるか、ないか、どうだ日本の優れたところは。といった台本のようだ。日本人に対して、日本文化のユニークさを紹介・確認するのなら問題ないが、外国人相手に、日本文化を絶対化するような演出は、海外文化への配慮に欠け、公共放送とは思われないものだ。以前民放でタケシがやっていたような貧弱な内容だった。

◆この種の外国人参加番組での解決案としては、

「クロスカルチャー下でのチームワーク、そして朝青龍問題~それぞれの国の文化・習慣をどう乗り越えるか~」で述べたように、

エスノセントリック(一民族中心主義、自国中心主義、自グループ中心主義)から、
エスノレラティブ(自国文化を、数多くの他の有効な世界観の正に一つであると感じること)への、関係者のマインドセット変革が必要となるだろう。

エスノセントリックとは、
一民族中心主義、自国中心主義、自グループ中心主義のことで、自分以外の他の文化に対して、知識も興味もない状態で、まず他文化への理解拒否あるいは否定。
次の段階では、他の文化の存在を知るが、それはその国だけに有効だと考える。
他の文化を取り入れるときは、自国文化より優れていると認めたとき、取り入れる(その国の人のようになる)、これは「守り、防御」の段階。
3番目の状態は、「守りの段階」で感じていた脅威が、自国の文化がなんだか普遍性(優位性)がありそうだという感覚になり、脅威を最小限にするために、文化の差を受け入れるという状態だ。

つまり、Cool Japanのあの番組について言えば、エスノセントリックの認識レベルであり、演出家の意識がそうであれば、海外へそのまま放送すべきではない、ということだ。

エスノレラティブとは、
自国文化を、数多くの他の有効な世界観の正に一つであると感じることで、他の文化を容認する。次に、共感の段階。つまり、他の文化を理解し、それに相応しい方法で行動できるような段階。この経験を深めることが、2元文化あるいは多元文化理解の土台になる。異なった文化世界観の中に入ったり、出たりする、融合の段階となる。

この認識であれば、あのような優越(差別)意識をもつような発言は生まれないだろうし、参加外国人の日本人への理解も、演出への共感も生まれてくるだろう。

なにしろ、
クロスカルチャーがらみの番組づくりには、こまやかな心遣いが必要だ。


【参考】
「NHKワールドTV」
http://www.nhk.or.jp/nhkworld/japanese/faq/faq1_1.html
http://www.nhk.or.jp/nhkworld/japanese/faq/faq2_4.html
Cool Japan
http://www.nhk.or.jp/cooljapan/
http://www.nhk.or.jp/nhkworld/japanese/tv/program/index.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●第27回「メディアに見る、クロスカルチャー(交じり合う文化)」

2008-06-02 08:06:45 | ■カルチャからの解放

●第27回「メディアに見る、クロスカルチャー(交じり合う文化)」


クロスカルチャーの視点で、最近のメディア界、例えば、テレビ・コマーシャル、
ミュージック、産業からみのトピックスを振り返りましょう。


◆テレビ・コマーシャル

ソフトバンクの『白戸家「兄の白日夢」篇』(オンエア 2008年3月15日)を初めてテレビCMで見たときは、

いよいよ、日本の日常にも、クロスカルチャーの流れが来たのかな~、と一瞬、驚いた。

黒人と日本人が関わるものでは、
文学で、山田詠美の小説『ベッドタイムアイズ』(1985年)、映画が1987年に樋口可南子の主演で公開されている。
トップ写真の右には、ソフトバンクのCMに登場するお兄さん役の「予想GUYさん」。

◆ミュージック

NHKワールドTVをよく見ますが、
J-MELOという音楽番組(5月31日放映)では、
まさに、クロスカルチャー(交じり合う文化)のミュージシャンのオンパレードです。

SoulJaとjammin' Zedがそうです。

SoulJa(ソルジャ)は、24歳、東京都東久留米市出身の男性シンガーソングライター・ラッパーで、母はベルギー人。
jammin' Zebは、平均年齢23歳の男性ジャズヴォーカル・グループ。
4人の中でコージローが日本人の両親、残りの3人は日系アメリカ人やオーストラリア人、メキシコ人とのmixed parentageだ。唯一海外生まれのレンセイは日本語の特訓中で、4人のコミュニケーションは英語と日本語を交えて行われている、ということです。

彼らの両親のルーツは、スティーヴ(仲光甫)が日系アメリカ人の父と日本人の母、レンセイ(西澤連聖)が日本人の父とオーストラリア人の母、
シモン(西脇史門)が日本人の父とメキシコ人の母、となっている。
世界で悪名が高かった、日本人男性を父にもっているのが、グループの中に2人もいることに男性であるわたしも、驚いた次第。
これまでは、日本人女性との組み合わせがほとんどだったような気がしたので。

◆産業からみ
ケニアのバラを直輸入。
ヨーロッパ経由であった、アフリカの花や果物の
直輸入が増加している。

NHKワールドのInsight & Foresightでは、
「ノブ・マツヒサ」こと、松久信幸(59才)の国際的な活躍が
インタビューされていた。
ノブ・マツヒサ氏は、革新的日本料理のシェフであり、レストラン経営者。
日本料理のグローバリゼーションの最先端に立つ。
マツヒサ風sashimiやsushiなど、世界各地でのローカライゼーション(カスタマイズ、現地化)に成功し、ニューヨーク、ロンドン、ミラノ、メルボルンなど世界23ケ国に支店をもつ。
世界英語の発展に似て、日本料理をカスタマイズし、グローバルなsushi文化に寄与しているひとです。


【ソース】

●ソフトバンクの『白戸家「兄の白日夢」篇』(30秒)
オンエア 2008年3月15日
CM楽曲: くるみ割り人形
クリエイティブディレクター:佐々木 宏
CMプランナー:澤本 嘉光
ディレクター:山内 健司 http://mb.softbank.jp/mb/campaign/shared/cm/0803132b.asx

●J-MELO:
http://www.nhk.or.jp/j-melo/english/archive/index.html#200805
-SoulJaのHP
http://www.soulja.jp/
-そばにいるね。SoulJa + Yukie
http://www.youtube.com/watch?v=YArMcuLnHYg
-ここにいるよ。青山テルマ + SoulJa
http://www.youtube.com/watch?v=WuNwTO9vSdM

●jammin' Zeb
http://www.jvcmusic.co.jp/-/Profile/A021220.html

●ケニアからの直輸入
(農林水産省)
http://www.maff.go.jp/kaigai/2004/20041209africa52a.htm
(JETRO通商弘報5月20日)
http://www5.jetro.go.jp/jet-bin/pro1.cgi/report.html?3+50+4832617151f10

●ノブ・マツヒサ(松久信幸)
http://www.nhk.or.jp/nhkworld/english/tv/insight-foresight/index.html
人物紹介(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%B9%85%E4%BF%A1%E5%B9%B8
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●第25回「クロスカルチャー・マネジメント理論と社会/ビジネスへの応用(その二)」

2008-03-21 08:56:32 | ■カルチャからの解放

●第25回「クロスカルチャー・マネジメント理論と社会/ビジネスへの応用(その二)」


前回は、米エドワード・T・ホール、米クルックホーン&シュトゥロットベック、オランダのホフステードの文化理論を概略し、クロスカルチャー・マネジメントの古典的理論を垣間見た。

今回は、より生活やビジネスに関連付けられる、オランダのトロンペナーズの「7次元文化モデル」を扱う。

実証的分析に基づいた、彼の7次元文化モデルとは、こうだ。

1「普遍主義か個別主義か」
2「個人主義か共同体主義か」
3「感情表出か感情隠蔽(中立)か」
4「プライベート(私)重視か権威追従か」
5「ステイタス(社会的地位)について、獲得するものか与えられるものか」
6「時間感覚について、過去、現在、未来は、連続的か不連続か」
7「自然/環境に対する人間の見方について、自然/環境をコントロールできるかできないか」

一つずつ解説していこう。


1「普遍主義か個別主義か」

これは、重要な価値判断がどちらになるか、というものだ。
普遍主義では、矛盾がないこと、システム・スタンダード・ルール、統一された手順、要求の明確さが重視される。一方、個別主義とは、柔軟性、プラグマティック(実用的)、例外が許容され、状況によって判断する、あいまいさは普通、という価値基準だ。つまり、ルールよりも、特定な関係が重要になるということだ。

普遍主義的な国を上から順番にあげると、
1位スイス(97%)、2位カナダ・アメリカ(93%)、3位スウェーデン(92%)、4位イギリス・オーストラリア(91%)、5位オランダ(90%)となり、日本は10位の68%、インドが11位で54%、中国が12位の47%、13位ロシア(44%)、14位韓国(37%)と続く。

アメリカのグローバルスタンダードを受け入れるのか、現地化を積極的に進めていくのかが1つの課題となるかもしれない。


2「個人主義か共同体主義か」

これは、ものごとを進める上において、グループが大きな役割を占めるのか、個人が重要な役割を占めるのか、ということだ。

可能なかぎり個人の自由を尊重して、最大限の彼(女)自身の発展の機会を与えれば、人の生活の質は、結果として改善するだろう、という考えが「個人主義」の基本だ。

別の人は、こう言う。
個人が絶えず、彼(女)の仲間の世話をすれば、たとえ個人の自由や発展を阻害したとしても、私たちすべての生活の質が改善するでしょう、と考える。これが、トロンペナーズのいう「共同体主義」だ。

個人主義的傾向の強い国は、彼の調査によると、以下の順番になる。
1位イスラエル(89%)、2位カナダ(71%)、3位アメリカ(69%)、4位デンマーク(67%)、5位オランダ(65%)、14位が中国とフランス(41%)、15位日本(39%)、16位インド(37%)、17位メキシコ(32%)。

個人のモチベーションを優先するのか、チームとしてのモチベーションを重視するかが、リーダーシップの工夫のしどころである。


3「感情表出か感情隠蔽(中立)か」

これは、感情表現について、社会的にどう思われているかだ。つまり、自己の感情/情緒を世間に隠し立てしないことが、感情をコントロールできない未熟な人間と見られているかどうかである。

感情を表に出さない比率が高い国(地域)の順位は、
1位エチオピア(81%)、2位日本(74%)、3位香港(64%)、4位中国(55%)、5位インド(51%)となっている。

頭で感情をコントロールするのか、喜怒哀楽を素直に表すのか、絶えず自身の心をチェックし、たまには、感情を解放することも必要だ。感情的であることは、時には、クールなことだ。

このディメンションは、現地での宣伝・広告のコンセプトにかなり影響するし、顧客の心に響く「表現のヒント」になるだろう。


4「プライベート(私)重視か権威追従か」

例えば、上司から、家の引越しの手伝いを頼まれたとしよう。同僚とこんな話をするだろう。

ある同僚は、「もし君が嫌だったら、引越しの手伝いなんかする必要はないと思うよ。会社を出たら、上司といっても、会社の外では権限ないんだから」。
もう一人のゴマスリ同僚はこう言う。「もし自分だったら、嫌だと思っても、手伝いに行くナ。仕事時間外だといっても、彼は上司だし、彼の依頼は断れないよ」

手伝いを断る国の順位は、
1位スウェーデンとオランダ(91%)、2位デンマーク(89%)、3位イギリス(88%)、4位カナダ(87%)、5位アメリカ(82%)、日本は71%で7位、オーストラリア(78%)の次だ。ちなみに、中国は17位(32%)、韓国は65%で12位である。

これは、仕事が能力/業績中心か、人間/信頼関係維持重視(付き合い重視)かの判断に関連するものだ。マネージャーを選ぶ場合、業績志向なのか人間関係に強い資質なのかで、現地企業の業績がかわってくる。


5「ステイタス(社会的地位)について、獲得するものか与えられるものか」

この項目は、仕事に対する価値観や信念のようなものだ。自分にとってのステイタス(社会的地位)が何なのか。

人生で最重要なことは、たとえその仕事が与えられたものであっても、自分に本当に合っているふりをして仕事をすることだ、との質問が立てられる。

この意見に同意しない国の順番は、
1位オーストラリア(69%)、2位カナダ(65%)、3位イギリス(56%)、4位スウェーデン(54%)、5位デンマーク(49%)、日本は13位の26%だ。

これは、社員の隠された本音をつかむきっかけにもなるし、社員自身にとっては、自分が信じるところを実践する価値観を、国ごとにどれほど持っているかの判断材料にもなる。


6「時間感覚について、過去、現在、未来は、連続的か不連続か」

これは、過去、現在、未来の時間が、それぞれ、どのような関係性をもっているのかを問うたものだ。

冒頭の図を見れば分かるように、アメリカ、フランス、日本、スペイン、イギリス、ドイツの時間感覚が如実に現れており、非常に興味深い文化のデメンションだ。

特に、アメリカの過去と現在/未来が分離していること、スペインでの過去/現在と未来が分裂していることは、特徴的だ。

日本の時間感覚は、過去・現在・未来がかなり重なり合い、ドイツは、円の大きさを考慮すると、過去・現在・未来の重みがそれぞれ同じようになっているのも、発見である。これだけ、時間への各国の感覚が違うと、仕事への取り組み方もまた、相当相違がでてくるだろう。

日本的な時間感覚が、世界のどこにでも通用するわけではない。文化はダイバーシティ(多様性)に富んだものであるから、国別の各スタッフのキャリア・デベロップメントの計画を考えるヒントになるだろうし、転職の動機も理解できるかもしれない。


7「自然/環境に対する人間の見方について、自然/環境をコントロールできるかできないか」

自然/環境への人間の見方は大別すると2つある。

有機体としての自然、つまり、自然への尊敬、畏怖や服従と、
機械としての自然、つまり征服の対象としての自然である。

質問はこう立てられる。

「自分に降りかかっていることは、自分自身のなせるわざである」、
「自分の人生が進んでいる方向を、時々、自分自身で十分コントロールできない気がする」

自分自身のなせる技であると考える国の順番は、
1位イスラエル(88%)、2位ノルウェイ(86%)、3位アメリカ(82%)、4位イギリス(77%)、5位フランス(76%)、日本は9位(63%)でインドと同じ、韓国とイタリアは7位で72%、ロシアは13位の49%、中国は14位で39%となっている。

自然に対する感覚については、日本や他のアジア諸国は、西欧社会と違った意味を持っている。

西欧的な考え方は、自然は征服すべきものとの信念がある。
一方、日本では、自然との「共生」が普通である。

ここから、リーダーシップの使い分けが明確になる。
強いリーダーシップが有効な場合(国)と個人を鼓舞した方が有効な場合である。

トロンペナーズの7次元文化モデルに、ダイバーシティ・マネジメント(多様性マネジメント、他文化下でのマネジメント)の網をかぶせてみると、グローバル・ビジネスを進めていく上での、効果的・効率的な近未来マネジメントの姿が見えてくるようだ。

次回は、
1972年に白豪主義を撤廃し、今や、総人口(2074万人、2007年1月現在)の24%が移民からなり、このうちの61%は公用語の英語圏以外の国で生まれている、多民族・多文化国家オーストラリアの対応を見よう。
オーストラリア政府の移民・多文化省が行っている、「クロスカルチャー研修の最前線」を紹介する。


【参考】
・Fons Trompenaars, F. and Hampden-Turner, C. (1998), Riding the waves of culture : understanding cultural diversity in global business, McGraw Hill
・http://www.thtconsulting.com/main/databases.php


※上の図は、トロンペナーズの6「時間感覚について、過去、現在、未来は、連続的か不連続か」を国別にあらわすもの。円は、左から過去、現在、未来。時間の関係性を示している。円の大きさも意味を持つ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●第24回「クロスカルチャー・マネジメント理論と社会/ビジネスへの応用(その一)」

2008-03-19 19:23:02 | ■カルチャからの解放

●第24回「クロスカルチャー・マネジメント理論と社会/ビジネスへの応用(その一)」

今回と次回で、クロスカルチャー・マネジメントの中核に位置する、クロスカルチャー・コミュニケーションの古典的理論と現代ビジネス版の実証的研究成果を解説する。

今回は、エドワード・T・ホール、クルックホーン&シュトゥロットベック、そして有名なオランダのホフステードの文化理論だ。次回は、現代社会やビジネスに十分適用できる、トロンペナーズの7次元文化モデルだ。

さて、海外での、あるいは、日本人以外とのビジネスで最重要なことの一つが、自国とは別の文化をもった市場や顧客、企業とのビジネスをどう進めていくかである。

グローバル企業では、当初、自国の文化を現地企業へ押し付けていた時代があった。特に、日本企業の場合は、日本文化の独自性があり、日本的経営システムの現地化が最優先課題でもあった。しかし、最近では、グローバル化の流れの中で、ローカライゼーション(現地適応経営システム)の機運が高まり、他文化下でのマネジメントへの関心が増している。

英語では、クロス・カルチュラル・マネジメントとか、インターカルチュラル・マネジメントといわれる分野である。日本語では、異文化マネジメントと訳されているが、この日本語では、自国文化が同一文化で、他国文化が異文化となってしまい、ある文化とその他の文化がぶつかり合い、交じりあい(クロスする)、その2つ(それ以上もあり得るが)の文化が溶け合うというニュアンスがなくなることと、ある一方の文化が固定的で変化を伴わないことが言外に含まれるようで、正確な翻訳にはなっていないようだ。そこで、そのまま英語表記のカタカナ書き的(クロス・カルチャー・マネジメント)になることをご了解いただきたい。

クロスカルチャー・マネジメントの実証的研究は、1930年代に、文化人類学での研究から始まる。その後、第二次世界大戦後、ビジネス分野の海外進出や国の海外覇権などグローバリゼーションの流れに乗って、クロス・カルチャー・コミュニケーションの研究が米国を中心にスタートしている。

1959年米国のE.T.ホールの「沈黙の言語」、1961年米国のクルックホーン&シュトゥロットベックの「バリュー・オリエンテーション理論」、1980年オランダ人ホフステードの「多文化世界」、そして1986年に同じくオランダ人トロンペナーズの「7次元文化モデル」が有名だ。この分野は、文化人類学に、比較文化学、心理学やコミュニケーション学が融合されている。

ホールは、文化を「モノクロニック(一事主義)文化」か「ポリクロニック(多事主義)文化」か、また、「ハイ・コンテキスト(周りの状況に左右されやすい)文化」か「ロー・コンテキスト(周りの状況に左右されにくい)文化」かに分けた。

モノクロニック文化は、一時に一事を処理する、仕事に集中する、真面目に時間感覚(締切りやスケジュール)を遵守する、情報を必要とするロー・コンテキストな社会で、仕事に対して積極的に関与する、厳正に計画を固守すること、を特徴としている。

一方、ポリクロニック文化は、一時に多数のことを処理する、中断に左右されやすく注意散漫の傾向がある、もし可能なら時間遵守は達成目的となる、ハイ・コンテキストであり十分な情報をもっている、人や人間関係を重視する、計画はしばしば容易に変わるもの、との考えだ。ポリクロニックの国としては、メキシコが代表的らしい。

「ハイ・コンテキスト社会」でのコミュニケーションは、ほとんどの情報が既に人々に行き渡っており、はっきりと表に出したり、メッセージとして明確に表現したりすることが、非常に少ない。反対に、「ロー・コンテキスト社会」でのコミュニケーションでは、大量の情報が、はっきりとした言葉で表現される。

日本は、ホールの区分では、モノクロニック文化でありながら、コミュニケーション分野のみ、ハイ・コンテキスト社会であり、彼の分類には嵌まっていない。ハイ・コンテキスト社会は、情報ネットワークがかなり進んだ文化で、四方から自由に情報が流れ、すべての人があらゆることを知っている。あまりにも多くの情報が与えられると黙り込んでしまう社会だ。日本、アラブ・地中海諸国(含むフランス、イタリア、スペイン)がハイ・コンテキスト社会だ。

一方、ロー・コンテキスト社会では、トップ・エグゼクティブは、情報の内容や情報の流れの一部をコントロールできるスタッフに囲まれて仕事をしている。この社会では、十分な情報が与えられないと、仕事に支障が出る(例、ドイツ人)。アメリカ、ドイツ、スイス、北欧(アイスランド、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランド)がロー・コンテキスト社会だ。

また、文化によって、長いリードタイムがかかる仕事ほどより重要な仕事で、短いリードタイムのビジネスは、重要でないものと考えられることがある。更に、モノクロニックな社会では、時間の流れがゆっくりしており、ロー・コンテキスト(分類主義的)であり、ポリクロニック社会の時間は絶えず中断される。中近東諸国(例、イラン、インド他)は、過去志向の文化であり、アメリカは現在および近接未来志向、ドイツ、フランスおよび日本は、歴史に浸る文化だとも述べている。

ホールは更に、近接空間論を展開している。これは、権力と空間の関係や人と人との空間的距離の意味を分析したものである。例えば、アメリカやドイツの高官やCEOは、最上階にオフィスを構えたがり、一方、フランスの会社は、中央のスペースを重視する。国の文化や社会的な慣習によって、例えば、公共の場で隣に座る人と人との空間的距離に相違が見られ、その距離感が維持される、というものである。このことは、ビジネスの交渉時に、座席の配置や空間的距離の違いによって、お互いに与える心理的効果が違ってくることからも分かる。

クルックホーン&シュトゥロットベックは、6つの文化次元を分析している。

自然との関係(服従か調和か支配か)、人間関係(個人主義か集団主義か階層主義か)、行動(努力尊重か思考尊重か存在尊重か)、基本的人間性(美徳か中立か邪悪か)、時間感覚(過去重視か現在重視か未来志向か)、空間感覚(個人、公共、その混合か)である。

ホフステードは、世界50ヶ国3地域のIBM社員に、1967年から1973年の間、11万6千人分の質問表を渡し、大規模な調査を実施した。結果、文化の4次元(のち、23ヶ国調査で5次元へ)モデルを提示した。

文化の4次元モデルとは、PDI(パワーディスタンス:権威・格差主義か平等主義か)、IND(個人主義か集団主義か)、UAI(不確実なものに敏感で避ける傾向かどうか、つまり、不確実なものに対して苦手意識があるか平気か)、MAS(男性中心社会か女性尊重社会か)の4つで、5次元になると、LTO(長期的思考法か短期的思考法か)が加わる。

日本は、PDI(権威・格差主義)で平均よりちょっと下(1位マレーシア、2位パナマとガテマラ、3位フィリピン、4位ロシア、5位ベネズエラ)、IND(個人主義)で総合平均の真ん中くらい(1位アメリカ、2位オーストラリア、3位イギリス、4位オランダとカナダ、5位ニュージーランド)、UAI(不確実性の回避)で苦手意識は世界の7番目(1番から6番の順で、ギリシャ、ポルトガル、ガテマラ、ウルグアイ、ベルギー、エルサドバドル)、MAS(男性中心社会)でダントツの世界1位(2位オーストリア、3位ベネズエラ、4位イタリアとスイス、5位メキシコ)、LTOで3位(1位は香港、2位は台湾、4位韓国、5位ブラジル)の調査結果となっている。

ホフステードのモデルを活用した国際マーケティングも存在する。

※写真は、エドワード・ホールの「沈黙の言語」(1959)の原書の表紙

【参考】
・Edward T. Hall(1959), The silent language, Garden City, N.Y
・Florence Rockwood Kluckhohn and Fred L. Strodtbeck (1961), Variations in value orientations, Westport, Conn., Greenwood Press
・Hofstede, Geert(1980), Culture's Consequences, International Differences in Work-Related Values (Cross Cultural Research and Methodology) Newbury Park, CA: Sage
・http://www.geert-hofstede.com/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●第23回「人間関係能力重視社会と専門能力優先社会~日本企業の慣習と社員の価値判断~」

2008-02-24 14:51:20 | ■カルチャからの解放

●第23回「人間関係能力重視社会と専門能力優先社会
~日本企業の慣習と社員の価値判断~」

今回は、職場での社員の評価方法について考えてみたい。

日本企業の採用基準および人事評価では、会社と協調的な人間関係維持能力重視か実績による成果主義かの議論が盛んである。

会社員の採用では、会社ごとに自社にのみ役立つ人材を育成するとの前提からジェネラリストの採用がなされてきた。そして、新入社員の潜在能力を図る指針として学歴に基づいた採用システムが根付いており、専門性を重視した中途採用市場は未だ道半ばということである。

バブル経済崩壊以後は、コスト削減を主目的として、グローバル化(アメリカ化)の影響を受けながら、従来の年功序列主義に代わる指標を、能力成果主義に求めた。しかし、これらアメリカから輸入した人事評価の問題が、今なお、日本企業の組織力、業績にいい影響を与えていないのではないかとの声が多い。

日本企業の望む「人間関係維持能力」とは、いかなるものか。
会社の方針に異を唱えず、従順であること、会社の指示に忠実に従うことなどが求められている。上司は、部下に対して温情主義的な態度をとり、業績や成果というよりも、和を保つ社員を重用する。

日本企業が成功をおさめてきた工業化社会においては、組織目標・目的も明確で、いかにその目標を効率的・効果的に処理するかが求められてきた。そのため、企業組織も基本的にタテ社会となっており、意思決定も伝統的なピラミッド型組織となっている。
 稟議制度という日本的な意思決定システムは、時間はかかるが、組織全体が動き出したあとでは、効率的なものと看做されていた。この時代には、会社の指示に忠実な、静かな物言わぬ社員が有効に機能し、重宝された。

一方、欧米に見られる「専門能力優先社会」とは、社員一人ひとりは会社人間とは考えられず、専門的知識を駆使して組織の目標・目的実現のために寄与するという形になっている。はじめに個人ありきが前提のため、ややもすると、組織全体の業績において、集団主義的な性格をもつ日本のような会社人間の組織には、ことごとく、打ち負かされてきたことがあった。
 意思決定も、少数の上級経営幹部によりなされるため、スピードが速かったものの、組織全体が動き出し、成果を出すまでの時間を考えると、工業化社会においては、日本企業の後塵を拝したことになった。

工業化社会が成熟し、第3の波の情報化社会が到来、その先は、コンセプチュアル(右脳重視)社会あるいはクリエイティブ社会の第4の波の時代が予測されている[参考:当ブログ●第4の波「コンセプチュアル社会」とハリウッドの世界戦略~「右脳流出の時代へ?」]。

 この第4の波の時代は、重視される活動主体は、「組織」から「個人」へシフトしていく。企業組織の競争力は、自社の商品/サービスを「いかに」造るかから、自社の「なに」を創っていくかへ移行していく。
シュムペーターのイノベーション(革新)でいえば、プロセス・イノベーションの時代からプロダクト・イノベーションの時代である。

日本企業の人事育成策は、ジェネラリスト育成にある、と述べた。新卒を採用して、自社の色に着実に染めて、組織力の戦力として一人前に育てるというものである。第2.5の波(工業社会+情報)の代表選手、トヨタ自動車も、国内市場が成熟したあと、海外での人材育成は、基本的に、これまでのやり方を踏襲している。例えば、インドでの人材育成は、国内のシステムを海外に輸出したもので、中途採用は避け、新卒によるトヨタウェイによる人事育成戦略を採っている。

日本企業でのプロフェッショナル(専門職)といえば、法律や会計のプロフェッショナルを採用している例はあるが、経営やマーケティングのプロフェッショナルとしては、コンサルタント/マーケティング会社などを活用する他は、基本的には、自社内のたたき上げの社員が中心として活躍する。これら経営/マーケティング分野のプロフェッショナルの組織間での流動性は極めて低い。

さて、
産業構造の変質が明確になる今、日本企業は今までの人事評価の慣習を保ったままで、組織構造も工業化社会のままで、これからの激しいグローバル競争に生き残れるのだろうか。

海外での企業の対応を振り返ってみよう。

海外、とくに、アメリカの企業は、日本企業の集団主義的な組織力の脅威に対応し、チームワークの能力を磨き上げてきたことを述べた[前回のブログ●個人の個人主義と社会の個人主義社会]。

外国企業では、他人協調型の能力が重視されてきつつある。ただ、この「協調」のかたちが日本とかなり違っているのだ。日本の場合、協調とは、異論を唱えない、他人に気配り(気遣い)をする、感情的に対立しない、ことが、協調の意味らしい。
 ところが、Dorothy Hamachi Berry(国際金融公社人事・総務担当副総裁)によれば、仕事協調型、つまり、仲間と協力して問題解決をする能力(問題解決協調型)ある人材が重宝されており、今では『協調性の見られない人を採用することはない』という。

つまり、海外(国際機関やアメリカ)では、能力実績主義→(+)仕事協調型への展開が見られているのに、日本では、人間関係能力重視→(+)能力実績主義への変化があるものの、基本的な職場での業績評価は、人間関係か仕事の能力/業績かの2元論のままである。
 言い換えれば、企業組織の目標・目的がはっきりしていた工業化社会では、「いかに」仕事をやっていくかが大切であった。この「いかに」を判断するのに有効な2元論が、人間関係か能力実績かの価値判断であった。

その時代の議論に今なお終始しているのだ。

ところが、第4の波の時代には、企業組織の目標・目的を生み出す能力が基盤になる。だから、「いかに」ではなく、「何を」やっていくかが仕事の重要な価値判断になる。その「何を」やったらいいかを重視するとき、個人の能力が基本になるのだが、個人だけでは心もとなく、その個人のさまざまな能力を引き出し、組み合わせ、協調させることが、企業組織として一層大事な能力になる。そういう意味で、従来の工業化社会の判断基準では、グローバルな競争についていけなくなる(あるいは、もうついていけなくなっている)のじゃないか、と杞憂しているのである。

Berry女史は、チームワークの要素として、
1.情報共有
2.建設的意見の交換
3.異見の解消法
4.仲間への助言や指導
を挙げている。

これは、伝統的な欧米での高等教育(ソクラテス以降)の伝統を踏まえたもので、個人主義教育による解決策の一つである。

【参考】
☆「もうスターは要らない」ドロシー・ハマチ・ベリーに聞く
(2008年2月15日 日経ビジネスオンライン 中野目純一)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/pba/20080212/147090/

(写真は、(c) Harvard Business Review November/December 1996,
What is Strategy ? by Michael Porter の p.61の一部)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●第21回「クロスカルチャー下でのチームワーク、そして朝青龍問題(新版*補遺**)」

2007-12-01 15:20:14 | ■カルチャからの解放

●第21回「クロスカルチャー下でのチームワーク、そして朝青龍問題
~それぞれの国の文化・習慣をどう乗り越えるか~」

[時間感覚と仕事]
まず、自分が日本人だと気づいたのは、時間に忠実なこと、「時間厳守は当たり前」というのが、小さい頃からDNAに刻まれた、習慣だった。
この時間感覚が、なんとモロクモくずされたのが、東アフリカでの仕事場。ミーティングの開始時間になっても、顔をみせるのは、日本人ばかり、現地の東アフリカ人は、15分、30分遅れが当たり前。

何で、日本人はいつも最初に座っているんだ、という顔をされるのが普通だった。

メルボルンでは、グループ・アサインメントが学生に課せられていて、科目によっては、1回~2回は、他カルチャーの学生と組んで、レポート書きをやるのが一般的だ。
今までのクラスメイトの国籍を思い出してみると、中国、韓国、ベトナム、タイ、インド、 インドネシア、オーストラリア、フランス、 メキシコ、フィリピン、パキスタンなどだ。他のグループでは、また、違った国籍の学生がいたが。これはもう、多国籍企業の各地域の職場が一つになったような雰囲気。

今から振り返れば、各学生は、知ってか知らずか、それぞれ自分の文化を背負っているんだなあ、との思いがある。

例えば、直前に平気でミーティングをキャンセル(何回も)する仲間もいれば、
必ず、指定時間を守って、最初から待っている仲間(私も含めて)もいるし、
レポートの最終段階のまとめで、自分の担当分野は提出したので、自分の役割は終わったからあとは皆さんでどうにかしてくれ、という仲間もいたし、最後まで、一緒に協力するのが当たり前という仲間もいた。
文化の影響なのか、個人の価値判断の基準なのかは不明だけれども、厳然と違いは存在した。

[時間厳守]
この時間感覚による文化の違いは、クルックホーンやトロンペナーズなどによる、
時間感覚(過去志向、現在志向か未来志向か)の違いなんだな、と思われる。

日本人は、未来志向というか、段取りが分かっていて、今これをやらなければ、将来はこうなるというのが知らず知らず見えてくるので、今の時間を几帳面に重視する。

一方、現在志向の人たちは、不確定の未来より、今、一番自分にとって大事な事柄を優先する。だから、ミーティングのキャンセルも一向に構わない。日本人の思考・態度は、どうも未来志向の代表選手、アメリカの仕事文化に影響をされているようだ。もちろん、このグローバリゼーション/フラット化の世界では、文化の収斂化(コンバージョン。ある文化が他へも伝達して、一定の影響を与える)があり得るわけで、これは、国民性というより、個人の文化かも知れない。

[異文化の衝突:朝青龍問題](~謝罪か矜持か~)

さて、昨夜の記者会見と横綱審議委員会(横審)での「反省・謝罪」で、朝青龍問題は一見落着を見たようだ。

身近のモンゴル人の友人に、一連の朝青龍問題を率直に聞いた。

彼は一言、

「あのような細かいことは、モンゴルの文化にはない」との答えだった。

複数のモンゴル人に尋ねなければ、正確なことは言えないが、クロスカルチャー(交じりあう文化)の理論を勉強した立場としては、この朝青龍問題は、日本文化とモンゴル文化の衝突のように思われる。

日本文化によれば、「謝罪」をすれば、水に流してくれる文化がある。「謝罪」とは「ごめんなさい」と皆の前で、頭を下げることである。会社の不祥事のたびに、トップが頭をさげるニュースを、これまで何度見たことか。この「頭を下げること」で、感情的には満足がもたらされるが、筋の通るような結論は得られず、概してうやむやになり、将来に向けて失敗を活かすことが不可能になる。

角界は、伝統的日本文化を体現しているため、この「頭を下げる」ことをまず望んだし、国民も、それを見て、胸をなでおろし、許してしまう。

他方、
会見の内容を読む限り、
朝青龍は、非常に、合理的な人間のようだ。
プライバシーのことについては、個人主義の国の人間と同じ回答をしている。

ここからは、私の推測だが、

もし、モンゴル人の矜持(プライド)あるいは価値観に関して、「細かいことをぐずぐず言うのは、男らしくない」、「モンゴル人は、大きなこと、つまり、相撲で実績を出せばいい」という価値観が大勢をしめるのであれば、この問題の発端になった、『腰や左ひじのけがを理由に夏巡業への休場届を出しながら、故郷のモンゴルでサッカーに興じたこと』に対しての、相撲界の反応は、彼には、全くと言っていいほど、理解できなかったのではないか、と思う。

今回の問題を振り返ってみよう。
モンゴルでの病欠時のサッカーを端緒に、
最終的には、
「横綱としての品格に欠ける」がスローガンとなり、
ある種のキャンペーンが始まったように思われる。

-礼をしないで土俵を下り、花道では座布団を蹴り上げた。
-過去、朝青龍は03年名古屋で旭鷲山のまげをつかんで横綱として史上初の反則 負けを喫し、綱の品格を厳しく問われた。
-けたぐりで勝利した。
-報道陣に舌打ちし、にらみつけた、等々....。

何か話しがオカシイなあ、とずっと思っていた。

そこで、二三の疑問がある。

誰が、朝青龍を横綱として選んだのか。選んだ人たち(横綱審議委員会。横審)の責任は、どこへいったのだろうか?
まず、品格の欠ける横綱を選んだ、自身の反省を述べ、選んだのが間違ったのだから、後から、ぐずぐず言うのも、なんだか、大人気ない気がする。
よっぽど、内舘牧子女史の言うように、「引退勧告」を主張した方が、筋が通っているように思える。

次は、「横綱の品格」とは何か、だ。

スポーツの世界では、勝負に勝てばいい。しかし、相撲や、伝統的武道では、勝負だけでなく、「礼」が重視される。これは、日本文化で育った人であれば、言わずとも、分かっている。もちろん、世界の一流のアスリートたちは、マナーを含め、それなりの風格を備えていなければならない。さて、日本文化で育てられなかったスポーツ人はどうすれば、いいのか?

よきメンター(指導者)を探す。この場合、身近にいなければ、過去の尊敬された横綱の態度(特に、日常の作法など)をビデオや門下生から学習すること(ロール・モデル)が必要だ。日本文化で育った人では当たり前のことが、そうではない人間には、理解できない。理解できなければ、態度として表れない。理解できない者に対して、「違う、違う」といっても、どう違うか、分からない。

ここは、はっきり、「こういう人が横綱の見本だ」と説明し、示さなければならない。

次に、日本側、特に、横審の態度だ。

スポーツ報知12月1日によれば、
『26日の委員会終了後には「私の中では引退した力士だ」として、引退勧告をするべきという意見を持つ内館牧子委員(脚本家)も態度を軟化。「私の正面に座った横綱の目をじっと見ていたのですが、終始伏し目がちだった。もっとふてぶてしいと思ったが、反省のあらわれが出た態度だと思った。横綱として、してはいけないことをしたことは十分、分かっているようだった。今後を見守りたい」と、話した。』 とある。

あの理知的な内館委員でさえ、他文化の理解を拒否し、日本文化を強要し(「終始伏し目がちだったから、反省しているだろう」)、胸をスッキリさせたかったのであろうか。ふてぶてしさは、日本文化ではマイナスだ。でも、モンゴル文化では違う意味をもつとしたら、どうなるのだろうか。それとも、日本人になれ、と要求しているのだろうか。朝青龍は確かに外見的には、日本人に好感をもたれない顔つきだ。その種のことが、言外に、品格に含まれるとしたら、美顔の大鵬のような横綱以外、ちょっと考えられない。彼にはどうしようもないことだ。
これも、なんとも、大人気ない。

一方アメリカでは、大リーグで活躍する、アメリカ的でない小刻みな(日本的な)ベースボールは、勝負に勝つという視点から、非難されるどころか、受容され、尊重されてきている。

文化によっては、同じ態度が違う意味合いを持つことが多い。
例えば、
「腕を組んで話を聞く」:他の文化では、相手に対しての丁重さを示すこともある。
「貧乏ゆすり」:他の文化では、リラックスのための単なる運動以上の意味合いはない、等々。

* ちなみに、ある心理学者による、「この笑顔が本当かウソか」を見極めるテストを受けてほしい。どれだけ、人間の眼識が不確かかが理解できるに違いない。(時間は、約10分間、20の表情で判断されます)
http://www.bbc.co.uk/science/humanbody/mind/surveys/smiles/
<やり方は、下記参照>

クロスカルチャー下での人間関係をスムーズにさせるためには、
次のようなモデル(解決策)が推奨されている。

○エスノセントリック(拒否・否定、守り、脅威を最小限にする)から
 エスノレラティブ(受諾・容認、認知的適応、態度的適応)へ。

**エスノセントリックとは、
一民族中心主義、自国中心主義、自グループ中心主義のことで、自分以外の他の文化に対して、知識も興味もない状態で、まず他文化への理解拒否あるいは否定。次の段階では、他の文化の存在を知るが、それはその国だけに有効だと考える。他の文化を取り入れるときは、自国文化より優れていると認めたとき、取り入れる(その国の人のようになる)、これは「守り、防御」の段階。3番目の状態は、「守りの段階」で感じていた脅威が、自国の文化がなんだか普遍性(優位性)がありそうだという感覚になり、脅威を最小限にするために、文化の差を受け入れる。

エスノレラティブとは、
自国文化を、数多くの他の有効な世界観の正に一つであると感じることで、他の文化を容認する。次に、共感の段階。つまり、他の文化を理解し、それに相応しい方法で行動できるような段階。この経験を深めることが、2元文化あるいは多元文化理解の土台になる。異なった文化世界観の中に入ったり、出たりする、融合の段階となる。

また、心がまえとしては、HEROがよく言われている。
H: Honesty (正直・率直な会話につとめる。腹芸は通じない)
E: Empathy(共感をもって接する。同情ではなく、EQの問題)
R: Respect(相手を尊重する。見た目や態度だけで判断するのではなく、相手の文化・価値を尊重した上で、判断する)
O: Open Mind(偏見をもたない、広い心で接する).
これを実現するには、現実には、かなり大変だが。

さて、蛇足になるが、ちょっと気になることを。
英語のCross Cultureを日本語に翻訳すると、「異文化」と言うらしい。日本文化が、自文化あるいは同文化で、異文化とは、日本文化以外の他の文化ということらしい。私の理解では、クロスカルチャーとは、異文化と異文化の出会いの場、つまり、文化が交差する場所、「交じりあう文化」と考えた方が、未来志向だと考えますが、いかがでしょうか。

その場合、見た目(相手の態度など)で判断するよりも、より合理的(理知的)に判断する方が、的確な結果が得られるのではと、思われます。


<やり方:笑顔のウソかマコトか>
http://www.bbc.co.uk/science/humanbody/mind/surveys/smiles/
このサイトを開いたら、
最初に、
・Overall outlook on life (人生への全般的な態度。楽観的か悲観的か)当てはまる位置をクリック。
・Confidence rating of your skill at descriminating between fake and real smiles (ウソか本当の笑顔かを見極める目についての自信度。低いか高いか)当てはまる位置をクリック。
⇒next をクリックして、スタート。
⇒1ページ目。写真の左下のボタンをダブルクリックして、その笑顔が、Genuine(本当)か Fake(ウソ)か、どちらかのボタンをクリック。
⇒next をクリックする。以下、同じ。

上記のクイズは、
カリフォルニア大学の心理学者ポール・エックマン教授の研究を基に作成されたもの。

【参照】
■一転!?甘~い横審「今回の件はこれで終わり」…朝青龍帰国(2007年12月1日06時02分スポーツ報知)
http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20071201-OHT1T00067.htm

■朝青龍逆ギレ「反省」謝罪会見直後、報道陣に舌打ちにらみつけ(2007年12月1日06時02分 スポーツ報知)
http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20071201-OHT1T00069.htm

■【朝青龍会見ライブ(1)】心からおわび申し上げる
【朝青龍会見ライブ(2)】サッカー頼まれ断れなかった
【朝青龍会見ライブ(3)】進退問題が出ないよう頑張る
【朝青龍会見ライブ(4)完】品格磨いていきたい
(11/30 MSN産経ニュース)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/sumo/106960/
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/sumo/106962/
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/sumo/106967/
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/sumo/106984/

■朝青龍黒星、座布団蹴散らす/夏場所
(日刊スポーツ2007年5月23日)
http://www.nikkansports.com/sports/sumo/p-sp-tp3-20070523-202798.html

■朝青龍ひざ蹴り!6連勝1差接近も波紋…春場所8日目
(スポーツ報知 2007年3月19日)
http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20070319-OHT1T00104.htm

■朝青龍の「けたぐり」批判「横綱らしい取組を」…横綱審議委員会スポーツ報知(スポーツ報知 2006年11月28日)
http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20061128-OHT1T00077.htm

●Milton J. Bennett (1998), Basic concepts of intercultural
communication, Published Yarmouth, Me. : Intercultural Press

●Kluckhohn, F. R. and Strodtbeck, F. L. (1973), Variations in value orientations, with the assistance of John M. Roberts, Westport, Conn., Greenwood Press

●Trompenaars, F. (1998), Riding the waves of culture: understanding cultural diversity in business, McGrow Hill

●Trompenaars, F. and Prud’homme, P. (2004), Managing Change across Corporate Cultures, Capstone Publishing

☆左側の写真は、(c) 1998 Oliviero Toscani for Benetton and the United Nations Celebrate the 50th Anniversary of the Decalration of Human Rights - 1998
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする