Think Globally, Act Regionally:『言葉の背景、カルチャーからの解放、日本人はどこへ往く』

身のまわりに見受けられるようになった「グローバル化」と生きる上での大事な「こころの健康」。さまざまな観点から考えます。

●第26回プラス「クロス・カルチャー研修の最前線」(追補2版)

2009-06-29 20:16:31 | ■カルチャからの解放

●第26回プラス「クロス・カルチャー研修の最前線」(追補2版)
(多民族・多文化国家オーストラリアの場合)

今回は、オーストラリアで現在実施されている、クロス・カルチャー研修の最新情報を提供しよう。

オーストラリアは、1972年にそれまでの白豪主義を撤廃し、現在、総人口(2074万人、2007年1月現在)の24%がオーストラリア以外で生まれ、このうちの61%は英語圏以外の国で生まれている。この多民族・多文化国家オーストラリアの対応を見よう。オーストラリア移民・多文化省が2006年11月に行った政府およびコミュニティ向けのクロス・カルチャー研修の成果を基に、その最前線を紹介する。

クロス・カルチャー研修プログラムを実施するためのガイドラインは、4つのレベルからなる。包括的クロス・カルチャー能力開発、組織でのクロス・カルチャー能力開発、指導者向けのクロス・カルチャー能力開発、そして個人向けのクロス・カルチャー能力開発だ。まずは、各能力開発レベルの概略から、そして個人及び組織向けの研修プログラムの内容を解説する。

◇包括的クロス・カルチャー能力開発(SCC)

この能力開発は、市民全体向けに、クロス・カルチャー能力を、態度や実践によって身につけさせようとするもの。内容としては、政策・手続き、モニタリングや能力開発のためのリソースからなる。

◇組織向けクロス・カルチャー能力開発(OCC)

会社などの組織を対象としたもので、多様性下のクライアント(顧客)に会い、ビジネスを進めるためのスキルとリソース、クロス・カルチャー能力の価値付けとサポート、クロス・カルチャー能力を評価する組織文化のためのスキルとリソースからなる。

◇指導者向けクロス・カルチャー能力開発(PCC)

この能力開発は、教育や専門性の程度によるが、個々の仕事場に対して専門的なガイドができるようなクロス・カルチャー能力の標準からなる。 

◇個人向けのクロス・カルチャー能力開発(ICC)

組織内のクロス・カルチャーについての、最小限の知識、心構え、態度を扱っている。この組織は当然、多様性下の同僚や顧客と共に働く、個人をサポートする組織である。

個々のクロス・カルチャー能力開発レベルの定義は定義として、具体的に、個人および組織を対象として、どのような研修プログラムが行われているのかを見よう。

◇研修プログラム内容

[目的別] 

1.コンプライアンス(法令順守)のため:権利と公平さ、雇用機会の均等、人種差別・ハラスメント撤廃。

2.組織開発戦略のため:職場でのコミュニケーション・人間関係の改善/開発、多様性下の顧客サービスの改善/開発、クロス・カルチャー・マネジメントの専門的指導の改善/開発、海外で働くためのスキル改善/開発

3.マーケット関連とプレゼンスを改善するため:多様性下の顧客に対するマーケティングおよびプロモーションの改善、コミュニティ・リレーションの改善・開発、海外の顧客、取引先、パートナーとのコミュニケーションの改善。

[タイプ別]

1.基本的な「気づき」とコミュニケーション研修(参加型):自国の文化的背景、考え方や行動に影響を与えている文化要因への気づき。クロス・カルチャー・コミュニケーションや交渉力のスキル開発など。これらのスキルがどのような場でなぜ必要か、自分のクロス・カルチャー能力のレベルは?

2.一民族あるいは一国向けの研修(講義形式):一つの民族や一つの国に焦点を当て、その民族/国に影響を与えている環境に有効に作用する知識を、参加者が獲得、理解し、そのための運用能力を修得する。

3.通訳者や翻訳者と共に働く研修(参加型):通訳や翻訳関連の技術スキル開発を中心とし、通訳や翻訳作業でのプロセスに影響を与える要因を学習する。

4.特定のトピックに焦点を合わせる研修プログラム(参加型):例えば、顧客サービス、ヘルスケア(健康管理)、コミュニティ政策、国内/海外での多様性チームの管理、国際ビジネスマネジメントなど特定の話題に合わせた研修。

[研修アプローチのスタイルとリソース]

研修のアプローチ・スタイルとしては、「講義方式」と「経験アプローチ」を組合わせる。この経験アプローチとは、1960年代中期から後半まで主流であった「(大学)講義方式」に代わって、人気を得たアプローチ方式だ。講義方式が受身であるのに対し、経験モデルは、より能動的に学習できる方法だと言われている。活発な議論、シミュレーションやロールプレイングからなる。講義方式では、知識・情報の伝達に適し、気づきやスキルの修得には、経験アプローチの方式がより有効だ。

研修プログラムのリソースとしては、文化理解や文化変化のサンプル、ケーススタディ、シミュレーション/ロールプレイ、研修ゲーム、国別/文化別概要、チェックリスト/秘訣集、インターカルチャー能力/備えの評価、ゲストスピーカーなどが含まれる。クロス・カルチャー的なストーリーを含む映画などの活用も有効である。


[参考:クロス・カルチャーを学べる映画(追補2版)]

「Black Rain(ブラックレイン)」(日米)ニューヨークで起きた惨殺事件の日本人犯人(松田優作)を逮捕したNY市警のニック(マイケル・ダグラス)とチャーリー。彼らは日本へ護送する途中で犯人に逃げられてしまう。大阪府警(高倉健)の協力を得て捜査のため足を踏み入れた大阪で繰り広げられる、日米の文化を背負った捜査方法の違いを乗り越え、犯人逮捕に向かう。

「Fear and Trembling(畏れ慄いて)」(仏)駐日ベルギー大使の娘として日本に生まれ育った、フランス人気作家による、体験的OL小説の映画化。主人公は、優秀な語学力をかわれて日本の大手商社に入社するも、来る日も来る日も「お茶くみ」と「コピーとり」ばかり...。


「The Quiet American(静かなアメリカ人)」
(米)グレアム・グリーン原作の映画化。1950年初頭、ヨーロッパとアジアの拮抗激しい仏印の戦乱を舞台に、ヨーロッパ人、アメリカ人の思想の問題や現代人と神の問題等が追求される。


「Lord Jim(ロードジム)」
(英)村人達を救うため、一人の流れ者が立ち上がった!
船員だったジムは、かつて沈みかけた船から逃げ出し、乗客を見捨ててしまった過去を持っていた。身を隠しながら各港を渡り歩いていた中、武器をある村へ運ぶ仕事を請け負う。その村は「将軍」と呼ばれる男が牛耳っていて、耐えかねた村人たちは武器を手に入れて反乱を起こそうとしていたのだった。


「Something New」
(米)会計士として成功しているブラックアメリカ人女性と庭師の白人との恋物語。ブラックアメリカン社会と白人社会の高い壁をいかに、彼らは乗り越えていくか。


「パッチギ!」
(日)若者たちの恋と喧嘩を軸に、日本と朝鮮の深い溝とそれを乗り越える前向きな力を問う屈指の傑作青春映画。1968年の京都、高校2年の康介(塩谷瞬)はかねがね敵対する朝鮮高校に親善サッカー試合の交渉をするはめに。しかし訪れた朝鮮高校で彼は、音楽室でフルートを吹くキョンジャ(沢尻エリカ)に一目ぼれし、彼女と仲良くなりたい一心で、『イムジン河』の歌をギターで覚えるが...。


「A Passage to India(インドへの道)」
(米)愛しても愛されてもいけない。マラバー洞窟の中で何が起こったのか。植民地時代のインド社会を描いたデイビッド・リーン監督の遺作。


「Paradise Road」
(米)舞台は第二次世界大戦終了前、日本軍が植民地として支配しているインドネシアの島。そこで捕虜となったハイクラスの女性(英国、ドイツ、オーストラリア、中国系など)が日々の収容所生活に耐えながら音楽を心の支えに合唱団を結成しようとする。日本陸軍の捕虜の扱い方が衝撃的。欧米では良く知られた捕虜収容所実話の映画化。


「The Namesake (その名にちなんで)」
(米)ベストセラー小説の映画化。ピュリツァー賞受賞作家ジュンパ・ラヒリ原作「その名にちなんで」。あなたの名前に由来があるように、彼らの名前の物語がここにある。ニューヨークとインドを舞台に、異文化で生まれ育った子供に、親から与えられた「ゴーゴリという名前」にまつわる物語。

Men of Honor 「ザ・ダイバー」(米)
アフリカ系アメリカ人として、米海軍で初めて潜水・海難救助養成学校長(マスターダイバー)になったカール・ブラシアという兵士の物語。人種差別の激しい養成所の中で、白人教官で名誉の男と呼ばれている、レスリー・サンディから、さまざまな試練を課されながら、最後には、米海軍でのダイバーとしての最高の栄誉を受ける。個人が、彼/彼女を取り巻く環境からのさまざまな差別や試練を受けながら、それを克服していくというストーリーは、米国映画の好むものだ。

Haven(安息の地)(米・2001TV)
ナチス政権下のドイツから、1000人のユダヤ人難民をヨーロッパからアメリカへ護送し、アメリカでの避難所生活の改善から、移民に対しての政府の対応に挑戦し、最終的には、フランクリン・ルーズベルト大統領から、彼ら移民のために米国永住権を勝ち取ったお話。米ジャーナリストのルース・グルーバーの実話を基にした映画で、難民の心理やそれへの米国政府の対応などが分かる。なお、彼女は多くの著書を記している。

Bury My Heart at Wounded Knee(ウーンデッドニーに死す)(米・2007TV)
1890年、南ダコタ州南西部の先住民スー族(アメリカンインディアン)に対して実施された居留地政策の軋轢(あつれき)物語。米政府による近代的な生活支援政策に対して、インディアンのアイデンティティ、尊厳および神聖な土地を守ろうとする彼らの信念がぶつかり合う。スー族出身で白人の妻をもつ、アメリカ人医者の視点で話が進められる。


など多数。

多民族多文化国家である、アメリカ合衆国やオーストラリアでは、クロス・カルチャー・マネジメントをもう少し広げた、ダイバーシティ・マネジメント(多様性マネジメント)およびダイバーシティ研修プログラムへと進化しつつある。多様性マネジメントとは、文化の相違のみならず、人種、性別、年齢などの相違を克服しようという試みである。

※上記写真は、左から、ブラックレイン、静かなアメリカ人、畏れ慄いて、サムシング・ニュー、パッチギ!(「乗り越える・頭突き」の意)、インドへの道 の映画タイトル。


〇●第42回〇日本人の自律心を育むには?(追補版)~エリクソンの人生8段階発達理論から考える

2009-06-17 01:28:29 | ■カルチャからの解放
〇●第42回〇日本人の自律心を育むには?~エリクソンの人生8段階発達理論から考える(改訂版)


これからのあるべき日本人(global Japanese)を考えるにあたって、
日本を飛び立ち、海外で生活、滞在したときに
アイデンティ・クライシス(自分が自分であることを喪失するという危機)に陥らないように、どうすればよいか?

今回は、
海外へ出ようとする/海外滞在中の日本人、特に、自分の経験を踏まえて、発達心理学者エリクソン(1902-1994)の「人生8段階発達理論」を傍らに置きながら、日本人の自律心育成について考えてみます。

これまで、当ブログでは、
日本人の自律心の必要性 を述べ、
参考として、
西欧社会(オーストラリア)の育児ビデオの話 をしました。
オーストラリアの育児ビデオは、西欧社会の文化圏にあり、当然エリクソンの発展理論を踏まえた育児ビデオになっています。

まず、エリクソンの8段階発展理論について紹介し、
次に日本人との差を考え、
日本人の自律心育成には何が必要かを考えます。


◆エリクソンの8段階発展理論

エリクソンは「人間は生まれてから死ぬまで、生涯に渡って発達する」という考えの下、人間のライフサイクルを8つの段階に分け、それぞれの段階で獲得すべき課題を設定しました。

◇第1期 信頼感 対 不信感 [重要な事:食べ物] (誕生~18ヶ月)

この期の乳児は、絶対的依頼心のある期間であり、保護者の態度によってその発展が規定される。
 乳児は、保護者が信頼感、十分な世話、愛情を与えられるとき、「信頼感」を獲得する。これらが不足すると、他者に対する不信感が醸成される。

◇第2期 自律心 対 羞恥心・疑い [重要な事:トイレのしつけ方](2~3才児)

この期の子供は、体の機能をコントロールするという身体的なスキルと自立(独立)心の感覚を発達させるのに重要な時期だ。
 この自己尊重が成功すれば、自分自身に対しての安心感や自信が生まれ、自律心が育まれる。一方、失敗すれば羞恥心や自分に対して欠陥があるのではないかという疑いが生れてくる。 
 重要な事(イベント)としては、トイレだけでなく、食べ物の嗜好、おもちゃの好み、服の好みなども含まれる。

◇第3期 自発性 対 罪悪感 [重要な事:探求心](3~5才児)

就学前の子供は、遊びや他の社会的ふれ合いを通して、自分の周りの世界へ、自分たちの力(影響力)やコントロールについて意識し始める。活動を自ら始めることが肝要で、ひとのまねをすることではない。意識や性的アイデンティティを開発する。
 この段階で成功すると、目的意識をもつ能力や他人をリードできる能力を獲得できる。一方、このスキルを持てないと、罪悪感、自分への疑いやリーダーシップの欠如を自覚するようになる。

◇第4期 勤勉さ 対 劣等感 [重要な事:学校](6~11才児)

就学前期の子供は、学校という新しい社会環境に放り込まれる。ここでは、勉強の達成感や自己の能力についての誇り(自信)が開発されていく。両親や先生の励ましとほめることが子供たちの能力開発に決定的な影響を与える。
 この段階でうまく能力が開発されると、子供たち自身の能力への自信が生まれ、自分自身がこの世にいる価値があると自覚できるが、失敗すると劣等感にさいなまれることになる。

◇第5期 アイデンティティ保持 対 役割混乱 [重要な事:社会的関係]
    (思春期12~18才)

この10代の思春期では、子供たちは独立心と自分自身の個の確立を図ることになる。適切な励ましとサポートを受け続けた子供は、自我の確立、独立心と自己コントロールが可能になる。役割とは、ロールモデル(手本となるあるべき先輩)や同級生からのプレッシャーを受けながら、子供、兄弟、学生、アスリートや会社員など多くの役割を自分のイメージの中に統一しようと試みることだ。
 成功すれば自分自身に忠実な自我をもてるようになり、失敗すれば、自分の信念のなさや願望のなさからくる、未来の自己の役割についての混乱が生じ、自我の確立不全(未成熟)となる。

◇第6期 他人との親密さ 対 孤立 [重要な事:他者との関係](青年期19~40才)

この段階は、個人と個人の関係を考える時期だ。
 エリクソンは、個人が他者と親密で協働的な関係を創ることが大事だと考えた。他者とは、配偶者でも、両親でも、パートナーでもいい。
 この関係は、愛情に基づいたものであるし、相互信頼、安心感のもてるコミティッド(献身的)な関係である。
 もちろん、6期以前の各ステージの積み重ねで達成できるものだ。堅固なパーソナル・アイデンティの確立は、親密な他者との関係構築に重要なものとなる。研究によれば、アイデンティティの確立が未熟な人々は、献身的な関係をつくることができず、情緒的に孤立した、孤独な、悲観的な人間になる傾向がある。
 
◇第7期 生産性(創造性) 対 自己停滞 [重要な事:仕事と親子関係] (中年期40~65才)

中年期(壮年期)にさしかかると、人々は、自分のキャリアや家庭のことを中心に考え出す。子供をもったり、他者を利するなんらかの前向きの変化をつくりだそうと考える。
 仕事だけでなく、家庭、コミュニティで積極的に活動し、世間への貢献を考えるようになる。やりがいと世間から見た自分の必要性を感じる。このスキルを得られないと、非生産的になり、世間とのつながりを持とうとしなくなる。

◇第8期 エゴ(自我)の統合 対 絶望 [重要な事:生涯の回顧](成熟期65~死期)

自分の人生を振り返る「老年期」の時期だ。
 これまでの自分の人生に、達成感や充実感を感じる人々は、自我の完全さ・高潔さ・純粋な自己との同一感を感じるだろう。後悔はほとんどなく、自己満足感に満たされ、死に至るときには、きっと智慧を獲得するであろう。一方、この最終段階で不成功に終わった人々は、自分の人生は無駄であり、後悔、人生への恨みや絶望感を感じて、死を迎えるであろう。


◆日本人との差と成人日本人の対応(追補分)

日本人の発展段階を考えたときにまず思い浮かぶのは、

第2期の最初の自律心育成のときだ。

周りから、型にはめた教育方法をとっていないだろうか。オーストラリアのビデオの例のように、個性を育む方法もいろいろあるのだから、羞恥心や自分に対して欠陥があるのではないかという疑いをもたせていることはないのだろうか、考えてみる必要があるだろう。
ただ、「羞恥心」や「恥じらい」が自律心の対極に来ているのは、これまた西欧的な気がする。日本人の私としては、ひとの「恥じらい」には、それなりの良さがあり、共感をもっているためです。

第3期の自発性、リーダーシップ教育の段階。
まわりとの和や調和を重視する日本文化では、型や枠に嵌めたがる傾向があり、自発性やリーダーシップに対して、重きが置かれないようだ。この第3期のスキルの欠如は、将来オトナ(社会人)になってから、いかような影響をもたらすだろうか。

いずれにしても、
「三つ子の魂百まで」
(The leopard does not change its spots. 旧約聖書エレミヤ書Jer.13:23)
の言葉通りのようです。

第5期の独立心と自分自身の個の確立。
特に、家庭や教師による適切な励ましとサポートを受け(続け)られるかどうかだ。
日本文化では、なぐさめの方が圧倒的に多く、cheer up(励ます)するのは、身近な人間ではなく、音楽などを通しての方が多いようだ。
また、「頑張れ」との励ましも、言葉自体は存在するが、やや流れてしまうようで、具体的な励ましやサポートのかたち(モード)が、西欧的な態度に比べて、やや不足感がある(説得感に欠ける)と思うのは、言いすぎだろうか。

第6期では、他者と親密で協働的な関係を創ることだ。
ここで思い出すのが、
長年連れ添って、いつまでもラブラブの関係を継続できている日本人カップル(複数)のことだ。
親密で長続きする関係をとっている彼らの秘訣は、
「いつも手をつないでいる」
「いつも一緒に風呂に入る」
「記念日では、いつも a little or big surprise を!」
などなど、だった。

この関係性は、もちろん身体的な意味がメインなものもあるが、スキンのふれ合いは、身体を通した、心のふれあいにつうじているのではないか、と思ってしまう。その点、西欧人やラテン系の人たちの触れ合いは、うらやましいほどだ。

どうもここらへんに、なにか日本的なものと西欧的なステージとの差があるようだ。

西欧的な幼児期(第2期や第3期)を経ていない、
あるいは
西欧的な育児教育を受けていない、
成人日本人の場合、どうしたらよいか?

まず考えられるのは、

1.身体コントロールのための、ジム通いは良いに違いない(身体的なコントロールスキルの修得による、自立心の涵養)
2.自発性やリーダーシップ育成には、そのためのマネジメント研修が有効であろう(幹部候補生として、習うより慣れろ!)
3.他者への励まし方は、西欧流が一日の長があるため、もっと研究して、いいものは取り入れよう。(これは、和魂洋才?)
4.身体コントロールという面では、幼児期ではなく成人期特有のものに、性的な事柄が重要となる。性的な満足感/幸福感、自然に流されることなく、自己の性的なエネルギーをコントロールできるかどうか(特に男性諸君の)が、自律心の指標ともなるだろう。


◆アイデンティティ・クライシス

さて、青年期を遥か後にして、オーストラリアに留学した時は、
日本でのこれまでのキャリア、社会的評価などは全くゼロになった。
それまで、それなりに、職業としての社会的立場は尊重されていた。

人間関係重視社会と特徴づけられる日本社会では、
人間個人としてよりも、
その地位がもてはやされるか、そうでないかの判断が大きいようだった。

しかし、
一留学生として、教授や同窓の学生のみならず一般のオーストラリア市民と接してみると、それまでにあった自分のアイデンティ(自分が自分であること)が見失われる危機に見舞われた。
また、
知らず知らずに染みついた日本文化や日本文化を背負ってきた自分に気がつくことを余儀なくされた。

そんな日本社会の残滓を背負っているとき、
アイデンティティ・クライシス(自分が自分であることを喪失すること)に
抵抗し、精神のバランスを取るために、まず本能的に考えたことは、

♣ 日本の経済力はどうだ!ここよりは裕福だ(経済的優位性)
♠ ソニーやトヨタなど、世界的な商品が満ち溢れているではないか
  (素朴な経済的ナショナリスト)
♣ 建物が古すぎて、生活環境での心地よさが低いよ(生活環境の先進優位性)
♠ なんだこの大学の学生管理は?顧客志向になっていない、仕事も縦割りだ。
  (業務処理システムの優位性)
♣ コンビニがあるけれど、日本のように多くはない (生活環境の便利性)

大学院のクラスに出席し始めて、他国からの留学生との違いに気がつく。

♣ なんと英語を堂々としゃべるんだ、母国語なまりがあっても、ちゃんと主張するところは主張している。うらやましいもんだ。(でも、オレだって、内容あることはたくさん知っている、ただ、自由にしゃべれないだけだ)
♠ 感情表現がストレートだ。人前で、抱き合ったり、キスしたり、おお、自分にはとても恥ずかしくて、できな~い。
♣ 授業は、講義方式というよりも、参加方式、対話・グループでの討論だ。教授は大変だ。でも、学生の立場としては、まず、しゃべることが先決だ。
♠ 日本文化の時間厳守は、ある地域だけに限られるものかも知れない。他地域では、日本の几帳面さ(時間、プレゼンなど)が評価されないこともある。
♣ 西欧人と違って若く見られる。それは、外見だけでなく、自律性という点でも未熟だと思われてそうだ。
  (特に、堂々とした態度、俳優の自信に溢れた態度など、は真似しようにも一日ではできない)
♠ 日本の美点である、謙虚さは、一般論で言うと、ここでは、あまり評価されなさそうだ。評価されそうなのは、謙虚さよりは、積極性や自発性のようだ。

などなどと感じながら、
アパートメントに帰る途中、
他人への自然な配慮が目に映る。

♥ 路面電車では、かならず男性が弱者に対して手を貸す(女性の荷物の手助けなど)
  (おおうおう、満員電車の日本では、他者への配慮なんてないな~。生存競争だけで生きている~)

♥ 近くの公園では、定期的に老人やハンディキャップのグループのために、ディケアセンターなどの車がよくとまっており、バーベキューなどの催しをやっている。
 (ハハぁン、個人主義社会では、弱者に対して、社会システムとして、保護サポート機能があるのかな)

♥ などなど。

さて、日本人が、(私を含めて)、
海外で、アイデンティティ・クライシスにならないようにするには、
自律心を強固にしなくてはいけない。

自律心を強固にするには、

どうも、
第3期「自発性」の育成と
第5期「アイデンティティを保持」するための、
周囲からの適切な励ましとサポートが一等大事なことのように思われます。

経験的に言えば、
カルチャーショックによるアイデンティティ・クライシスは、
誰しも必ず味わうもので、
その回復に必要だったのは、

1.エスノレラティブ(文化相対主義)的考え方



2. クリティカル・シンキング(健全な批判精神と論理的/合理的な展開方法)の修得



3.現地の人との相互認識を深めるためのコミュニケーション・ギャップを縮める努力、つまり、語学(英語など)のマスターや習慣・態度の気づき

が必須なようだ。

アイデンティティ・クライシス回復には、
これはどうも、
エリクソン流の(西欧的)身体的年齢の区分を超えて、
自律心年齢で考え直した方が、自律(自立)心の不足がちな日本人にとって
有効な理論だと思えるのも確かです。


少しは、global Japanese の必要条件が見えてきましたか?


※エリック・エリクソンの写真は、
http://www.nndb.com/people/151/000097857/ と
http://www.depauw.edu/student/orgs/psichi/history.htm
から使用した。


【参考サイト】

Erikson's Theory of Psychosocial Development

 Erikson's Psychosocial Stages Summary Chart

Identity Crisis - Theory and Research

ERIKSON'S DEVELOPMENT STAGES

◆健康用語(メンタルヘルス編)
心理学用語「E.H.エリクソンの発達課題」

無藤清子(1979)「自我同一性地位面接」の検討と大学生の自我同一性」
の本文PDFからダウンロード可能.
The Japanese journal of educational psychology、
教育心理学研究 27(3) pp.178-187